死者の都への侵入⑧・魔王からの逃亡劇
「ま、おう……?」
魔王。三年前に突如現れて人類社会に殺戮と破壊をもたらした、全ての元凶。率いる魔物の群れは億にも達していたのではないかと言われる程の大規模。人類圏はその暴力に成すすべなく、日々を絶望の中で過ごした。
そんな中現れたのが、光の剣を携えた勇者。彼女は迫りくる闇をその剣で切り開き、人々に希望をもたらした。彼女は諸国を回って仲間を集めていき、諸国の協力も取り付けていった。そして二、三年にも及ぶ長い旅の末、とうとう勇者は魔王を討ち果たした。
その後の顛末はひとまず置いておいて、これはれっきとした事実だ。帰還を果たした勇者一行の六名が勇者の勇姿を証言したし、現に魔物の脅威も和らいでいたから疑いようもなかった。
だが、目の前の存在は魔王だと名乗った。勇者が打倒した筈の、人類の敵であると。馬鹿げていると一笑に付すのは簡単だったが、左右にいるワイトキングよりも、彼自身からの底知れない威圧感がそれが真実だと強く語りかけてくる。
「そんな、馬鹿な……! 魔王は勇者が倒したって聞いてるぜ! てめえはただ魔王を名乗ってるだけじゃねえのか!?」
「そうだね、僕は確かにイヴに倒された。けれどどうでもいいだろう、現に僕は今もここにいるんだからさ」
この声はダニエルのものか。彼がいるのは後ろだからどんな様子かは分からないけれど、声の荒げ方から察するに完全に混乱しているようだ。
一歩、彼は前に進み出た。わたしは気おされて一歩後ろに下がる。何の事はない、ただ彼は歩んだだけだから反応はいくらでも出来た。なのに何も出来なかった。対応しようという考えがわたしの頭からすっぽり抜け落ちていたからだ。
「ミカルの才能は僕も初めて目の当たりにしたけれど、うん、本当にすごいよ。色々と悪い事が捗っちゃうぐらいにはね」
「それ以上動かないで! 動けば撃ちます!」
もう一歩踏み出そうとしたのでわたしは声をあげて忠告した。もはや彼の言葉が真実だろうと嘘だろうと関係ない。わたしが対峙する相手はワイトキングを召喚し使役するほどの者。危険な存在に変わりはない。もはや彼から異変の真相を問い質すまでもない。肝心なのは、一刻も早くこの状況から脱するのみだ。
だが相手は興味深そうに感心するだけで、平然とまた一歩足を踏み出した。むしろわたしの反応を愉しんでいるようにも見えてならない。
けれど一回怒鳴ったおかげで少し調子を取り戻せた。頭の中もすっきりしたし、真正面から相手を見据えられる。これなら術式の構築に集中出来る。アダムと名乗ったこの者はおろかワイトキングにすらわたしの攻撃魔法の大半が有効打にはならないだろう。威力を上げる為に術式の精度を上げて複雑にしていけばそれだけ時間がかかる。
なら、この場を凌ぐためにわたしが思い描くのは……!
「マジックカノン!」
わたしが杖から解き放ったのは一点集中型の光線だった。火属性の光線魔法よりも熱は無いけれど十分に鉄の板を貫通させる威力はある。この無属性光線魔法は出力もそうだけれど密度が物を言う。収束させればその分威力も上がるのだ。わたしは技量が足りないので拳大になってしまうけれど、熟練した魔導師は小指ほどにまでなると聞く。
そんなわたしの魔法をアダムは片手を突き出して手の平だけで防ぐ。ほんのわずかに煙が上がるだけで相手の手はびくともしない。分かっていたが、こうまで難なく対処されると恐ろしいを通り過ぎて讃えたくなってしまう。
「あれ、腕が落ちたんじゃない? 最後に会った時の君、もっと魔法が洗練されていたけれど?」
「あいにくわたしをマリアと一緒にしないでほしいですね……!」
わたしが攻撃を仕掛けても左右に控えているワイトキングは動こうとしない。完全に舐められているが別に腹立たしくもない。わたしはただ淡々とそうした事実を活用していくだけだ。
「ロトさん!」
「ああ、分かってる!」
所詮この攻撃はただの牽制、悪く言えば時間稼ぎに過ぎない。相手が複数であるのと同じでこちらもわたし一人で戦ってるわけじゃあない。三人パーティーなのだから、わたしにはどうしようもなくたって、仲間に起死回生の一手を打ってもらえばいい。
ロトに呼びかけたのは彼なら打開策を講じてくれると思ってだけれど、その期待に応えるようにわたしの横を何かが通り過ぎていった。それが投擲物と分かった頃にはワイトキングの一体がアダムをかばうようにして剣を一閃させ、それを撃ち落とす。
途端、煙が舞い上がった。目の前にいたワイトキングもアダムも煙に覆われてすぐに見えなくなってしまう。いくらレイアの魔法で夜でも見通せる視力を手に入れていても、遮られていては何の役にも立ちやしない。
「ミカルさん、また後日!」
「……! 気を付けてマリア! 貴女ならきっと――!」
わたしは身をひるがえして床を蹴った。勢いに任せてベッドに飛び込んで一回転、ロトやダニエル達のいる反対側に辿り着く。その先ではロトも既に次の行動に移っていて、彼は窓硝子を投擲物で割り、蹴り一発で窓を破壊していた。
少し遅れてベッドの反対側も煙に覆われていく。ロトの煙幕の利き目は凄まじく、ほんの短時間で広々とした部屋一面が覆われていく。
「おい、どうすんだよ! あの連中が扉の前にいるせいで袋小路じゃねえか!」
「退路だったらここにあるだろ!」
「マジかよっ……!」
察しが悪かったのか、ダニエルもようやくロトの意図を察したようだ。むしろ正面突破が初めから考えられないのだから、他に考えられる選択肢は限られているだろう。壁とか床を壊してこの危機を脱するつもりだったわけでもないだろうから、まさか敵を出し抜くつもりだったのか?
窓を蹴破ったロトが、全速力で逃げるわたしが、そしてすぐ後にダニエルが、それぞれ窓の外へと飛び出した。上には月も見えない曇った夜空、下方には死者の都の街並み、そして真下には中庭が広がっている。
そう、わたし達がいた城はそこまで広くない分階層が重なっていて、盛観な景色が拝めるミカルの部屋は最上階。めまいを覚えるほどの高さなのに、下には中庭が広がっているのだ。窓を飛び出したわたし達は、何もなければ後はただ落ちるしかない。
「嘘だろぉぉ!?」
「しっかり俺に掴まってろよ!」
飛び出した直後、ロトがわたしとダニエルの手を掴む。強く引き寄せられたわたしはロトにしがみつく形になった。途端、前方へと飛び出していた筈のわたし達の身体は落下しながら城の方へと引き戻されていく。
「ダニエル! 近くの窓を頼む!」
「あ、ああ、分かったぜ!」
その正体はロトの昇降装置による。ロトが腰の帯に固定していた装置からは縄が出ていて、金具は脱出した部屋に残ったままになっているのだ。縄が張られればそちらの方に引っ張られるのは道理だろう。最も、わたしもそれに気づいたのは飛び出てからで、落下は魔法で衝撃を抑えようと思っていたのだが。
わたし達三人の身体は落下と縄の引張で二階下の部屋へと吸い込まれるように向かっていく。ダニエルは衝突間際に両脚を勢いよく窓に叩きつけた。わずかに反動は出たものの勢いを抑える程ではなく、窓を破壊しながらわたし達は部屋へと転がり落ちた。
受け身をし損ねた身体は節々が痛むけれど動けないほどではない。むしろ動いてもらわなければ確実な危機が目の前に舞い降りる事必至だろう。わたしは立ち上がって服を払ってから傍に落ちた自分の杖を拾い上げる。
……今まで全く気にしていなかったが、わたしの杖に埋め込まれた魔法石は水色をやや強く残した虹色をしていた。わたしが授かったとされる黒曜ではなく、マリアが授かった虹を。こんな事すらわたしはこれまで認識できていなかったのだろうか?
「マリア、何をぼけっとしてるのか知らないけれど、俺達にそんな暇はないだろ!」
「えっ、あ、はいっ!」
ロトの一言でわたしは我に返る。ロトは昇降装置の縄を切り落として収め、ダニエルは打ち付けた箇所をさすりながら起き上がっていた。
「逃げるぞ。強行突破でいいよな?」
「もちろんです、それ以外にないでしょう!」
わたし達三人はさほど間もおかずに駆けだした。まずは部屋の扉を開けて廊下に出る。すぐ先に巡回していただろうスケルトンの兵士達がいたが、先行していたダニエルが小剣と体術で次々と蹴散らしていく。敵が雑兵のようだ。
下の階を調べて分かったけれどこの城には階段がいくつもあって、階同士の往来が比較的楽に出来るようになっている。玄関ホールの吹き抜けは最上階まで広がっていてそこに左右対称に二つ、廊下奥に一つずつの計四か所だったか。あとロトが設けっぱなしの縄梯子を入れれば五か所?
選択を誤れば命取りになりかねない。吟味して、しかし急がなければならない。
「正面突破しかないと思いますがどうです?」
「あれこれ考えたって結局こんなもん博打だろ! どれ選んだって変わんねえよ!」
「激しく同意だな! なるようにしかならないってね!」
狭くはないが広くもない廊下をひた走ること少し、吹き抜けのある玄関ホールまでたどり着けた。立ちはだかるスケルトン兵は挨拶も抜きに飛び道具で始末していく。邪魔立てされて時間を失ってはたまらないのだ。
「おいお前等! これどういう事だよ!」
その時、ホールを挟んだ反対側やや下の方から声が響き渡る。身を乗り出してそちらの方に顔を向けてみると、そこにいたのはアモスとレイアだった。凄いな、下から順々に調べていったんだとしたらわたし達より効率よく回れていたんじゃないか?
「撤収します! 後で説明しますから、今は時間が――」
「シーリングアロー!」
わたしが言い終わる前にレイアは炎の矢を次々と放っていた。それは私たちの方向、ただしやや上に。直後、上の方から足音が響き渡ったと同時に轟音がする。衝撃で建物が揺れて、天井から埃が舞い降りてきた。
ふとアモス達がいる階段の上の方を眺めてみる。そこでは既に大剣を手にして進撃する一体のワイトキングの姿が……! とするとレイアが炎の矢を放った相手はもう一体のワイトキング!?
「レイアさん、ご覧のとおりですから!」
「ワイトキングとはね! 後でたっぷり説明してもらうんだから!」
わたし達は大慌てで階段を駆け下りていく。途中で足がもつれそうになったり、スケルトン兵が立ちはだかったりしたが、そう時間を割かれもせずに地上階へと降り立った。この階段も玄関ホールも嗜好を凝らした出来栄えのようだけれど、細部まで見ている時間は全くない。
「クリエイトトレアント!」
「えっ?」
わたし達より下の階にいたアモス達は既に玄関扉の前にたどり着いていたが、レイアが力ある言葉を固く閉ざされている扉に向けて解き放っていた。こんな人工の建造物しかない中で一体何を、と思っていたら、扉が何の力も入れずに開いていくではないか。
「な、何をしたんですか?」
「扉が木製だったから、閂と合わせて私の命令を聞くようにしただけだよ。後はこうするだけね!」
追いついたわたし達三人が開かれた扉を通った途端、城の玄関扉はやはり力を加えていなかったが勢いよく閉じられた。わたし達を追ってきたスケルトン兵やワイトキングは扉を挟んだ反対側。さすがに城の玄関扉だけあってその作りは非常に頑丈、そう簡単に突破されないだろう。
よくこんな方法思いつくものだ。どうやらレイアのトレアント製作は木のみならず木製の構造物なら何でも有効らしい。勿論普通のクリエイトトレアントという魔法では無理な話、おそらくレイアが独自に術式に改良を加えて有効対象を広げたんだろう。
とにかくこれで城内の敵は閉じ込めた。扉を開けるのも破壊するのも手間暇がかかるから、これで時間が稼げるだろう。中庭には敵はいなかったし街中の敵はトレアントが蹴散らしているから、わたし達は後は敵に追いつかれないように全力疾走するだけ――。
「へえ、クリエイトトレアントか。始めて見たよ」
純粋に感心する声が突然傍で聞こえてきたので、心臓の鼓動が早まるのを感じながらわたしはそちらへと振り向いた。玄関扉のすぐ脇、さきほど倒したアンデッド兵の残骸の傍らに彼がいた。魔王と名乗った青年、アダムが。
「どうやって……って聞くのは無粋ですね。浮遊、または飛行魔法を使って最上階から直接降りてきたんですか」
「正解、さすがだね。記憶も経験も失ってもちゃんと身体は覚えているようで安心したよ」
アダムは拍手をわたしに贈ってくるが、それはわたしを小馬鹿にしてではなく純粋に褒め称えてなのだろう。評価する所を素直に評価する、彼の底知れなさはそこにもあるような気がしてならない。
突然の登場にアモスがわたし達の前に躍り出た。彼は剣を構え、アダムが何をしようと即時に何らかの行動に移れるようわずかに腰を低くしている。けれどそのアモスもアダムから畏れを感じているようで、表情を硬くして汗を流していた。
「わたし達を、どうするつもりですか?」
「うん? いや、別にこれと言って決めてないかな。今だって単に侵入者に対処しただけだしね」
「見逃してくれるって選択は?」
「ないね。その方が楽しめるから」
一歩、再び彼は前に踏み出した。瞬間、アモスが床を蹴ってアダムに向けて飛び込んだ。目にも止まらぬと言えるほどではないが、それでも一般兵士や大抵の冒険者より十分速い。経験に裏打ちされた素早さと鋭さが彼の動作には内包されている。
彼はたった二歩で間合いに入り込むと、そのまま剣を相手の喉元向けて突き出す。叩き斬るにも払うにも振りかぶりが必要だから、突きを選択したのは充分理に叶っている。相手のアダムは特に反応する様子もなく眼前のアモスを見つめるばかりで……。
――黒い線が走った。
いつの間にかアダムは漆黒の剣を手にして腕ごと横に向けていた。それが何を意味するのか判明したのは、アモスの身体が音を立てて崩れ去り、体から離れた首が回転しながら落ちていく様子を目の当たりにした後だった。
「な、何が……?」
誰もがその光景に目を疑う。アダムの動作は全く見えていなかったので憶測で語るしかないが、敵は何処からか出現させた漆黒の剣を一閃させ、アモスが突き出した剣を彼の首ごと斬り飛ばしたのだろう。わたしには一連の動作が黒い線にしか見えなかっただけだ。
怖ろしいのはアダムの身体はあまり動いていない事。アモスの繰り出した一撃は全身のばねを使って踏み込んで突き出されたもの。けれどアダムの攻撃はただ腕を振るっただけに過ぎない。それでこの結果が現実となってわたし達の前に提示されている。
わたし達とアダムの間には、歴然とした差があった。
「それで、次は誰かな?」
アダムの剣には血の一滴も付いていない。それだけ鮮やかな一撃でアモスを葬り去ったのだろう。仲間の死、そんな現実を目の当たりにしても、悲観にくれる余裕は今のわたし達にはなかった。
彼がその気ならすぐにでもわたし達をアンデッドの仲間入りさせるぐらい余裕だろう。それをしないのは今の行為に侵入者の排除ばかりではなく愉悦も含まれているからだ。どうやって彼を出し抜くか、それを見たいからではないだろうか?
だが実際問題どうする? 動こうとした途端に地面に熱い口づけするをする羽目にならないか? だからとこのまま対峙し続けても不利になるのは明らかにこちらの方。考えろ、どうやって今を乗り切る……!?
「へ……へへ、悪いなお前等」
「? ダニエルさん?」
手に汗を握りながら必死になって打開策を見出そうとしている最中、行動を起こしたのはダニエルだった。先ほどのアモスに引けを取らないほどの飛び出しで、彼の技量の高さがそれだけでもうかがえる。
最も、その方角はアダムとは全くの逆方向、つまり中庭の方だが。
「あんた、一体何を――!」
「後は頼んだぜ! じゃあな、生きてたら一杯ぐらい奢ってやるよ!」
ロトは逃走するダニエルに怒りの言葉を投げかける。一方のわたしは憤りとか呆れよりも「その手があったか!」と素直に感心してしまった。アダムと対峙しているのは四人なのだから、一人逃げた所でまだ三人は残っている。位置取りは城、アダム、わたし達、ダニエル、中庭の順だから、わたし達を見捨てれば逃げ切れると計算したんだろう。
そんな常識が通用する相手だったらどれだけ気が楽だっただろうか。
「噴き上がれ闇の火炎よ」
アダムの宣言は日常会話の延長線上にあるように穏やかなもので、力が一切込められていなかった。にも関わらず、背筋が凍るほど冷たく死刑宣告が下された、と錯覚してしまった。
アダムがもたらした結果が今眼前にある。今が日中かと思わせるほどの眩しさと共に、炎の柱が立ち上ったのだ。一体どれほどの勢いで、またどのぐらいの高さまで炎が吹き出ているのだろうか? 分かるのは、あの中にいたらすぐにでも炭にされてしまうといったぐらいだろうか。
炎の柱が立ち上った位置は中庭に入りかけでさほど遠くない。その為にほんのわずかに周囲が温かくなる。特筆するなら、丁度あのあたりをダニエルが走っていたぐらいか。
「――……」
「さあ、次はどうするんだい?」
なおも吹き続ける炎の柱を前に絶句するしかないわたし達に対し、アダムはわたし達が指す起死回生の一手を待ち望んでいるようで、その言葉にはわずかに逸る気持ちを込めているようだった。
万事休す、そんな言葉が思い浮かんだが、諦めるのはまだ早い。アダムは受けに回っているから対応を考える時間は残されている。ふとロトとレイアを窺ってみたけれど、二人とも深刻な面持ちで顔を歪ませながらも必死になって打開策を考えているようだった。
けれど、立ち向かっても駄目、逃げても無駄。このままを維持するにも相手が飽きたらそれで終わりだから論外。先ほどの煙幕のように注意を逸らしたって一時的なものに過ぎないからすぐに追いつかれてしまうだろう。
理想なのは相手の気を別な方に向けつつその間で遠くまで移動してしまえばいいのだけれど、瞬時の移動を可能とする瞬間移動や空間転移のような上位魔法なんてわたしは習得していない。いや、もしかしたらマリアはしていたかもしれないけれど、わたしは無理だ。例え手本が目の前に提示されていてもわたしにはそれをなぞる才能も――。
……いや、あった。最近提示されたお手本も、それをなぞる才能も。
「……ロト、さっきの煙幕を発生させた道具、まだあります?」
「……同じ手は止めておいた方がいいな。相手の注意を逸らしたいんだったら別のがある」
「……使う間は任せます。それで行けるはずです」
「……分かった。使ったらすぐに目を背けてくれ」
声を潜めて確認し合ったものの、多分アダムの方には何かするんだろうと丸わかりだろうな。けれど依然妨害しようとしてこない。だがそれでいい。油断でも慢心でもない、彼は愉しみたいからそうしているだけなのだから。
ロトは敵に向けて何かを放り投げた。山なりに飛ぶそれは手の平ぐらいの大きさで、小物入れ相当だろうか? わたしはロトの忠告通り視線をその道具から逸らす。
直後、夜が昼になった。
閃光、それが一番正しい表現だろうか。ロトの道具は放り投げてから時間をおかずに強烈な光を発したのだ。思わず手を前方に出して目を細めてしまう。先ほどの道具が煙幕弾ならこれは閃光弾、相手の目を眩ますのが目的のものか。
「っ! へえ、面白いね……!」
予想もしなかった効果ではあったけれど、これでアダムの気は逸らせた。次はわたしがこの場を脱出する一手を指すだけだ。
手本はあったのだ。今朝、わたしの目の前でソレは行われた。
才能もあるらしい。現に私は彼女に手を差し伸べる事が出来た。
つまりは、これが今のわたしに出来る最適解なのだろう。
「シェロルゲート」
突如、先ほどアダムから逃げるために窓から飛び出した時と同じような浮遊感がわたしを襲う。原因は、今なお溢れるばかりの光で眩しい周りの中にあってなお大地に広がるこの黒か赤か分からないが濃い色をする空間が広がっていたからだ。
イゼベルはこれを『天と地の境目』と名付けていたっけ。彼女は冥府の魔導を学んでいけばいずれは、と語っていたけれど、まさかその日のうちに必要となるなんて思いもよらなかった。
別空間へと落ちていくわたし達とアダムとの距離は見る見るうちに離れていくが、程なくわたしが割った空間はガラス細工が時を巻き戻すように修復されていく。
逃げ切れた、そんな思いで安心したからか。そう時間もおかずにわたしは意識を手放した。
お読みくださりありがとうございました。