死者の都への侵入⑥・死霊王をやり過ごす
ワイトキング、文献でしか見た事のないスケルトン系列のアンデッドモンスターで、エルダーリッチに並んで最上位。その強さは熟練の冒険者でもまるで歯が立たないほど。数体が集まれば一国を攻め滅ぼせるとまで書かれる程の脅威だ。
当然これほどの高位の魔物が自然発生などする筈が無い。確実に魔導を用いられて意図的に生み出された者達だろう。しかし人類史を紐解いてもワイトキングほどの存在を使役した魔導師はいない。そこまで冥府の奥深くまで足を踏み入れた者はいないのだ。
それが二体ほど扉の前に配置されていた。デスナイトが尖兵だったからひょっとしてとは思っていたけれど、まさか本当にこれほどの強敵な死霊が警備に当たっているとは。今まで何事もなく無事でここまで来れたのが不思議でたまらない。
やっとの思いで扉から身体を離せたわたしの代わりに廊下を覗き見たロトが途端に表情を固まらせた。ダニエルは顔を青くして首と手を大きく横に振り続けている。わたしも彼に同意を示すよう頷くのが精一杯だった。
「冗談じゃねえ、軍の精鋭が袋叩きにしてやっとな相手じゃねえか……!」
「これは廊下を使うのは諦めた方がいいでしょうね……」
わたしはそっと扉を閉じる。相手側がまだこちらに気づいていないのは幸いと言うべきだろうか。まだダニエルやロトの真の実力は未知数だけれど、それを差し引いてもあの強豪を相手に出来る算段はとても思いつかなかった。
想定外にも程がある。引き返すなら間違いなく今だろう。死者の都内の残存勢力はあらかたトレアント達が蹴散らしていて、未知数なのはこの城内のみ。これなら明後日辺りに公都から軍を派遣してもらって攻め落とすべきだろう。
だが、そんな怖ろしい個体が警備を任されているこの最上階はとても重要な何かがあると言う裏返しの筈だ。何しろ今まで雑兵ばかりが見回っていただけだっただからね。もはや比べるのも失礼なほど雲泥の差だ。ここは廊下に出ずに部屋を行き来する方法を考えるべきか。
「すぐ下の階に降りて、あのワイトキングが守っている部屋の真下まで行くのはどうです? そこから今までと同じ要領で昇ってくれば……」
「いや待て、この先を確かめる事前提かよ」
「さすがにマリア達二人まで連れてこれる装備がないぞ。俺一人なら何とかなりそうなんだが」
「いやお前も何で平然と思案してるんだよ。引き返すって選択肢は?」
あっていいとは思うけれどわたし達が受けた依頼は異変の調査であって敵本拠地の攪乱じゃない。このままだと情報量があまり多くない、と言うか乏しいと言っていいだろう。せめて異変は何某のせいでした、ぐらいは報告できるようにしたい所だ。
迂回が使えないとなると部屋の壁を壊しながら進むか外を窓越しに移動するぐらいか。前者は轟音で一発でばれそうだし後者は蜘蛛じゃあるまいし装備無しで出来るわけがない。うん、正直今日は詰んだかもしれない。
「なあ、マリアはさっきのレイアみたいな使い魔召喚とか出来ないのか?」
「えっ、どうしてです?」
半ば諦めかけてきた所でロトに質問を投げかけられたので軽く吃驚してしまった。思わず理由を問いかけてしまったけれど、良く考えたら何となくロトの考えが分かってきた。
「使い魔で敵の注意を引いてその隙に、ですか。わたしが得意としているのは水属性魔法ですから、レイアが木を素体にしたように大量の水を素体にしないと無理ですよ」
生活用水は基本的に井戸から必要分だけ引き揚げてくるものだから、城の最上階で簡単に手に入る代物ではない。雨が降っていれば話は別だが今日はあいにくの曇り空。一番確実なのは中庭にある噴水まで戻る手段だけど、そうして作った使い魔は地を這っているので梯子を昇れない。
覚悟を決めてわたし一人で使い魔と共に正面玄関から乗り込む囮役を引き受けるか? あのワイトキングどころかデスナイトの部隊が現れても生きて帰れる保証が無いな。あの強敵をやり過ごすには今のところそれしか思い浮かばないが……。
だがロトはそんな悩みを巡らせるわたしの前に馬鹿に思えてくるほど容易く水を差し出してきた。樽に入っていた水の量は大よそで風呂桶二杯分ほどだった。悩んだ末の決断なのか渋い顔をしている。おそらくこの水の出所が出所だからだろう。
「なら問題ないな。コレ使ってくれ」
「さっきまで使ってた昇降装置用のじゃありませんか! それがなくなったら万一の時に逃げる術が……!」
「もう必要ないよ。逃げるならここから梯子で城を抜けて、後はただひた走るだけだからな」
確かに、廊下を挟んですぐそこに真実が潜んでいるなら、退路は確保できているも同然。新たに道を開く装置の原動力になる樽の水も不要になるのか。
わたしは深く頷いてからロトの樽を受け取った。頭の中で思い描くのは水が人型を成して動く様だ。それを現実のものとするための術式構築を脳裏で進めていく。
「分かりました。それでは頂戴します」
「けれどこの水でどんな使い魔を召喚するんだ?」
「厳密にはレイアの魔導と同じで作り出すんです。クリエイトウォーターエレメンタル!」
力ある言葉と共にわたしは両手から樽越しに水へと魔法を発動させた。
確かな手ごたえで成功を実感したわたしは樽をひっくり返す。水は床にぶちまけられ……ずに弾力を持って床にほんのわずかだけ跳ね返った。やがて平べったい丸になった水は震えたかと思うと、上と左右の三方向に延び始めた。それは見る人が見れば頭と両腕に見えるだろう。
右手上げて、左手上げて、首を右に、前に進め。確かめるようにわたしは水の使い魔を動かしてみた。どうやらわたしの狙い通りに手足の延長のようにわたしの意思で動くようになったようだ。
クリエイトウォーターエレメンタル、それは自由自在に水を操る水属性の魔法。習得にはそれほど苦労はしないものの、行使する者の技量で一度に素体に出来る水の量や単純な強さが左右される。わたしの場合は学院の中ではそこそこだったか。
ゴーレムとの最大の違いは素体が水だから関節とか歩行とかを全く考えなくていい手軽さにある。腕は鞭のようにしなるし、地面には広い面積さえ接していれば後は水の流動で移動出来る。傍目から見ればこの使い魔は滑るように動いているだろう。
「わたしが上に手を伸ばした先ぐらいの大きさが作れたら戦力になるんですけど、この小ささでは時間稼ぎが精々かと思いますよ」
「囮になれば充分だろ。これ命令すれば自動的に動くのか?」
「あいにくウォーターエレメンタルは完全手動制御です」
生み出した魔導師が一から十まで動かさないとかかし同然どころか形を維持できずにただの水に戻って飛散してしまう。なので、この場合は囮に使う使い魔の挙動はこちらが全て操縦しないとならないのだ。その分習得難易度はあまり高くないようだが。
果たしてワイトキング相手にばれずに操作し続けられるだろうか? わたしは扉の取っ手に手をかけて一回深く深呼吸をした後、ゆっくりと音をたてずに開けた。廊下では先ほど見た時と全く変わらずにとある部屋だけを厳重に警護していた。
不定形な性質を利用して指一本分の隙間から水の使い魔を廊下に滑り込ませる。わたしの膝にも満たない大きさだけれど嫌がらせぐらいは十分に出来る。使い魔を動かす要領は操り人形の操作と同じ、少しわたし達のいる部屋の扉から距離を離して敵ワイトキングに向けて腕を突き出させる。
「ん? 水に形を持たせて殴りかかるんじゃないのか?」
「あいにく殴って敵を負傷に追い込む質量がありませんので。相手の注意を引ければいいんです」
と言っても豆を飛ばす程度では意にも介さない可能性もある。相手の注意を引くにはそこそこの威力のある攻撃を仕掛けないと。打ち出す水の量が少なくても圧力と初速さえ出れば十分な効果を発揮するから……こうだな。
「ハイドロニードル……!」
水の使い魔の手の平から、と表現していいかは迷うけれど、射出されたのは水の針だ。裁縫に使う針よりも細く鋭い、それでいて速度も出ている。鉄は無理だろうけれど人体なら貫通出来る威力を持たせておいた。ただ打ち出す際に圧力を解放したためか、無視できない大きさの音が出てしまった。まあ囮って意味ではむしろ効果的か。
針は障害物も何もなく一直線に敵ワイトキングに突き進んでいく。ねらい目は頬。生物だったら利き目を狙えば効果的って誰かに聞いた覚えがあるけれど、骸骨にそんなものないし。鋭利な水の針は敵の髑髏に吸い込まれるように突き刺さ――。
「……っ!」
――らなかった!? 右手に持つ剣で弾きも左手に装備する盾で防ぎも、ましてや身体を捻って避けもしなかった。相手は少し顔を背けただけでやりすごしたのだ。水の針は兜に当たったものの敵に傷を負わせられていない。
「それなら……!」
基本的に術式の構成は一度発動させてしまうと一からやりなおしになってしまう。けれど繰り返し再発動させる構成はそこまで難しくない。直前をなぞればいいだけなのだから。なので、一度で効果が無いなら連射して相手の気を引く……!
使い魔を後退させつつ二体のワイトキングを交互に対象として水の針を次々と射出させる。さすがに無視できないと判断されたのか、扉の前で起立していた二体の死霊の王は床を蹴って飛びかかってきた。
は、速い!? 背丈は長身の男性ほどもあるのに予測をはるかに超えた俊敏さに大いに驚いてしまう。投射しつつ後退する使い魔に対して敵は盾を前に構えながら突撃する速度を緩めない。これでは追いつかれて一刀両断、破砕させられるのは時間の問題だ。
「今しかねえ! 早いとこあの部屋ん中滑り込むぞ!」
「ああ!」
冷や汗を流すわたしを押し退けるようにダニエルとロトが部屋から飛び出す。既に二体のワイトキングは大分持ち場から離れており、部屋から部屋に移動するだけならわたし達の方が断然早いだろう。
問題は部屋に入り込んでも敵が追撃してくるかもしれない点だが、ああいった類は持ち場を守護するよう命じられている筈だ。部屋の中までは担当外だと願うしかないだろう。
廊下に躍り出たダニエルは扉の取っ手を捻って引っ張り……金属の接触音が聞こえたかと思うとほんのわずか動いただけで開きはしなかった。焦って何度も扉を引こうが結果は変わらない。
「か、鍵がかかってやがる!?」
「嘘、こんな所まで来て!?」
「どいてくれ! 俺が開ける!」
ロトもあせっているのか半ばダニエルを突き飛ばすように取っ手の下にある鍵の差込口に針金二本を差し込んだ。それを差し入れしたり捻ったりと、どうやらシリンダー錠内部の仕掛けをいじっているようだ。それ思いっきり盗人の手口じゃあ、と思いかけたけれど道具屋のロトは鍵についても専門内なんだろうか?
一方、水の使い魔を猛追していたワイトキングは大きく踏み込むと剣を一閃させた。飛び込み斬りと呼べるもので、体勢がやや崩れるものの普通の正面斬りよりはるかに間合いが広い。さすが突撃ながら飛び込んでくるのは予想外だったけれど。
耐久力も何もない水の使い魔はたった一撃で弾け飛んだ。ほんの一部のかけらだけはまだわたしの思うように動くようだけれど、大半はただの水に戻ってしまって辺り一面にぶちまけられる。もはやこれ以上の悪あがきは無駄だろう。
鬱陶しい輩を排除した後は、当然守るべき扉の前に群がる侵入者の始末をするつもりだろう。二体のワイトキングは反転してこちらめがけて突撃を開始した。もはやこの期に及んで隠密行動とか言っていられない。とにかく時間を稼がないと……!
「マジックアロー!」
わたしは即時発動可能な攻撃魔法を敵めがけて解き放った。本当ならもっと威力のある高位魔法で迎え撃つべきだろうが、さすがに迫りくる複数体の敵に対して短時間で牽制できる魔法をわたしは会得していなかった。威力は度外視、数でとにかく攻める。
狙いを絞らず廊下一面に散らばるようにばらまいたからか、盾で防げなかった魔法の矢が次々とワイトキングに命中していく。体勢を崩しかけて脚が止まりそうになるものの、敵の損傷は軽微なもので支障は見られない。
「予想はしていましたけれど、効果が薄いですね……っ!」
「ロト、早くしねえとこっち来ちまうぞ!」
「ちょっと待ってくれもう少し……よし、開いたぞ!」
ロトは鍵穴から針金を抜き取って道具袋にしまうと、勢いよく扉を開く。もはや敵に察知される云々など言っていられる場合ではないのだろう。飛び込むようにしてロトもダニエルも部屋の中へと突入していく。
「マリアも早くしろ!」
「はい……っ!」
これでもかと言いたくなるほど高密度の弾幕を最後にばらまいて、わたしも身を転がす思いで部屋へと飛び込んだ。直後、わたしがいた場所を轟音を立てて鉄の剣が床に突き刺さっていた。背筋が凍る。少しでも長く粘っていたら今頃わたしはなまず切りだっただろう。
ワイトキングの姿は今も開かれた扉から確認できる。しかしこちらに顔を向けてくるだけで部屋の中のわたし達に襲い掛かってくる気配は見られなかった。
ある程度覚悟は決めてナイフを構えていたダニエルが首を傾げる。
「? 何アイツ等突っ立ってるんだ?」
「どうやらこの部屋の中は彼らの守備担当の範囲外のようですね。おかげで助かりましたが」
「何だ、融通が利かないんだな」
「知性の無い魔物が命令を厳守すればこんな感じですよ」
わたしは恐る恐る扉をそっと閉じた。出来れば金輪際ワイトキングの顔を拝む事の無いように願いながら。相手はわたし達を捉えながらも手を出してこようとせず、そのまま扉によって姿は見えなくなった。
これで目先の危機はどうにか脱出できた。ひとまずほっと胸をなで下ろすが、これで身の安全が保障されたわけではない。何せあれほどの者達が厳重に守護していた部屋だ。何が潜んでいたっておかしくない。
「ロトさん、この部屋ってどんな感じです?」
「いや、特に危険はなさそうだが……」
ダニエルと背中合わせになって部屋の中の方を警戒していたロトは武器らしき装置を構えていた。クロスボウにも似たそれもやはり何かを飛ばす道具なんだろうか? わたしが目にしたことのないからくりをした装置ばかりで見ていて楽しくなってくるものだ。
外が問題無くなったのでわたしも内側をざっと見回してみた。部屋の作りは縄梯子を設置した最上階の部屋より更に豪華になっており、しかしうるさくない質素さも兼ね備えている。住む者の事を考えて思考を凝らしている、と言えばいいだろうか?
あまりこういった物を褒め称える言葉に乏しいのは我ながら残念でならないけれど、とにかく圧巻の一言だろう。一日中眺めていても退屈しなさそうだ。家具の一つでも失敬して自宅に持って帰れば充実し満足した日常となるだろう。
だが、ここは今までの部屋と決定的に異なる点があった。それは……、
「――そこにだれかいるのですか?」
――居住者がいる事だろう。
その人物はベッドの上で上半身だけ起き上がらせていた。わたし達はレイアの魔法で夜でも辺りを見る事が出来るけれど、曇り空でカーテンも閉め切っていてはこの部屋は完全に暗闇に包まれている状態。とてもわたし達を見つけられないだろう。現に扉から騒音を立てて転がり込んだわたし達の方に顔は向けているけれど焦点が合っていない。
「……どうするんだ?」
「……声をかけてきたなら話し合う余地があります。わたしが話しかけます」
「分かった、なら俺達は扉から離れて寝具の裏側に回る」
好都合だ。目の前の人物は暗くて侵入者がいると分かっていてもその人数まで把握しきっていない筈だ。何者か分からない以上戦闘に発展する可能性も考慮して、わたしだけがその人物の注意を引けばいい。ダニエルとロトが物音を立てないようにゆっくりと回り込むのを傍目に見つつ、その人物を見据える。
容姿は……さすがに暗すぎてよく分からない。声からすると女性か。肌は暗い中でも目立つ白さ、やせ気味で、深窓の貴婦人とでも言い表すべきか。寝巻は厚手のものを着ており、髪はまとめ上げていた。きっと昼間にドレスを着ていれば映えるだろう。
「夜遅くに失礼。わたしは帝国西の公都より派遣された魔導師マリアと申します」
「マリア……!? では貴女は……!」
「動かないで。失礼ながら貴女がこの死者の都でどういった身分の方なのかをお聞かせ願います」
彼女がベッド近くの棚に手を伸ばそうとしたので先に忠告する。彼女には分からないだろうがわたしは杖を構え、先端を深窓の貴婦人へと向けている。彼女がどんな動きをするか分かったものではない以上、敵と判断した直後に行動に移す為だ。
と言っても今彼女が手を伸ばした先にあるのは燭台。部屋を明るくして暗闇で姿を潜めるわたしを確認したかったからだろう。わたしは無言で背後に回るダニエルとロトに合図を送る。しぐさで見当がついたのか、二人は身をかがめて彼女の死角に入るようにした。
「……姿も分からない相手に話す事はないわ」
「ゆっくりです。ゆっくり動いて照明を付けてください」
彼女はわたしの忠告に従ってゆっくりとした仕草で燭台の蝋燭に火を灯した。そしてそれを持ってこちらの方へと振り向く。
そして照らされる貴婦人とわたしの顔。それを見たお互いが言葉を失った。
「えっ……!?」
「そんな……!」
危うく杖を取り落としそうになるのを何とかこらえた。彼女もまた燭台を取り落としそうになり慌てているのが分かる。
彼女は……イヴだった。いや、正確にはイヴにとてもよく似た女性だった。
お読みくださりありがとうございました。