死者の都への侵入②・外城壁の突破
舗装されていない脇道を馬車に激しく揺らされる事しばらく、特にアンデッドとの鉢合わせもないまま目的の場所にたどり着いた。地図上では死者の都の南に広がる平原から南南東方向にやや外れた林の中で、昼間や月明かりのある夜だったら肉眼でも城塞を確認できただろう。
けれど雲に覆われた空模様は出発時から変わっておらず、星の明かりも月明かりもない、文字通りの意味で一寸先は闇だった。相手側に気付かれないよう松明の火を消しているせいで隣にいるアモス達すら見えない。これだと闇に目を慣らしても改善する気配は無いだろう。
正直死者の都だろうと都市が築かれているなら夜に明かりぐらい灯っているかと思っていたけれど、予想は外れて夜を照らす松明等は一切なかった。辺りは耳が痛くなるぐらい不気味な静寂に包まれている。本当、目の前にあるのは生きる者が誰もいない死者の都なんだなあ。
「これじゃあ何も分かりませんし進むのもままならないですね」
「つっても松明とかランプ使ったんじゃあ向こう側から丸わかりだしなぁ」
城塞の外に広がっている平原には接近にうってつけな身を隠せる岩や丘のような遮蔽物がどこにもない。明かりを持ったまま接近ては狙ってくださいと言わんばかりだし。最も、あったところで右も左もわからないこんな状態じゃあ手探りで進むしかないのだけれど。
隠密行動に長けている間者とかなら真夜中の活動も平気だろうけれど、あいにくわたしは昼間に生きる普通の人なのでね。夜行生物は人の何倍も発達した視覚や聴覚のおかげで夜でも周囲を知覚できるらしいが、そんな機能はわたしにはない。
だから、足りない能力は補助魔法や道具で補うしかないだろう。
「暗闇でも見えるようになる魔法とかないのか?」
「暗視の魔法ですか。あいにくわたしは収得していませんね」
語りかけてきたのはアモスだろうけれど、すぐそばにいる彼の姿も見えていない。わたしはそういった暗視魔法を始めとする補助魔法の腕があまりよろしくなく、使っても効果が薄いのだ。
大体目で見ているかも分からないアンデッドにとっては昼も夜も関係ない気もするけれど。だから昼間に出直してもいいとも思うのだ。まあ、ここで愚痴をこぼしても始まらない。
行くなら行く、退くなら退く、だ。腹をくくるしかない。
「アモス、今って辺りがどうなってるか分かりますか?」
「いや、もうちょっと晴れてて明るければ分かったんだが、こりゃさすがに無理だな」
「ダニエルは?」
「アモスに同じくだな。出直した方がいいんじゃねえか?」
「レイアは?」
「城塞の門は格子が降ろされているわね。城壁とか櫓には弓兵が結構な数が配備されていそうよ」
「ロトは?」
「……いや、さっぱりだ」
四人が四人共こんな調子じゃあ本格的に引き返すのも検討した方がいいんじゃあ……って、ちょっと待った。今とてつもなく違和感を覚える返答を聞いたような。
レイアの声がした方向に顔を向ける。やはりすぐそばにいるだろう彼女の姿は全く認識できない。
「レイアさん、こんな暗闇の中でも見えるんですか?」
「私にとってはむしろ昼間の方が明るすぎて屋外でサングラスかけいるんだけれど。ほら、この前うちの本屋に来てくれた時も店内は日光が入ってくる窓辺以外はあまり明るくなかったでしょう?」
言われて思い返してみれば確かにそうだった。ただ店内でのレイアは普通の眼鏡をかけていたから、彼女は作業用と屋外活動用で使い分けているのか。それにしてもこんな闇に支配されている中で結構な距離がある城塞の様子を確認できるなんて、視力がいいどころの話じゃない。
「何か補助的な魔法を使っているんですか?」
「いえ、普通に見えているわよ。単に種族的な能力の差じゃない?」
種族的? わたし達、つまり人には無理でレイアには可能だと? レイアの言葉にはアモスやダニエル達も違和感を覚えたようで、少し辺りがざわめいた。
「ん? あんた、『人間』じゃないのか?」
「帝国の定める『人類』よ。ただ西方諸国の定める『人類』には当てはまらないかな」
哲学的な言い回しにも聞こえるそれは、納得のいく答えではあった。
『人類』、その括りは帝国のみならず人類圏において非常に重要な意味を持つ。この世界にはわたし達人間以外にも知性を持つ生命が存在している。その中でも『人類』と呼ばれる種族はわたし達人間以外にも当てはまるのだ。
定義としては、『神の像と肖』であるか否か、だろうか。神が自身の象と肖に従って人を創造したならば、その形である者は神の子なのだ。この場合の神とは人に信仰される唯一神であり、主を他の人類が信じているか否かはこの定義において問題ではない。
しかし、どこまで人類に当てはまるかは西方諸国と帝国とでは全く異なっていた。歴史上非人類圏と常に接し、更には現在半分以上の領土を非人類圏とする帝国では西方諸国より広い種族を人類としている。確か西方諸国では人間を含めた四種族が人類で、あっちでは亜人などと蔑称される獣人や鳥人等が帝国では人類として含まれるんだったっけ。
レイアの場合はそうした人類の中でも夜を生きる種族で、この闇夜も平気なんだろう。それにしてもいくら帝国が多種族国家だからって西方諸国に近い西の公爵領に住む者達はあまり多くなかった気がする。
あと、今の彼女はどこからどう見ても普通の人にしか見えない。変化の魔法でも使っているのだろうか? 誰にも覚られる兆候もなく彼女は西の公都に普通の人として溶け込んでいたなあ。
「ところで、やっぱりまだ見えてこないの?」
レイアの言葉はわずかに不満混じりだったが、実にごもっともだろう。何せ彼女には辺りがしっかりと見えていて何の支障もない。見えていないわたし達が足を引っ張っているのだから。
「……灯りを消して結構経ちましたけれど、一向に見えてきませんね」
「そう、なら少しじっとしていて」
直後、急に視界が開けた。いや、辺りの様子は全く変わっていないけれど、わたしに起こった現象はこう表現して正しい筈だ。さすがに昼間とまでは言わないけれど、月夜の明るい夜ぐらいには周りが分かるようになったのだ。
瞬きしたり自分の顔を触ってみる。やはり視界が鮮明になったままだった。隣ではレイアが得意そうな顔をして胸を張っている。
「どう、これで問題ないかしら? これ以上明るくすると急に眩しくなるとかえって危険だと思うんだけれど」
「……いや、コレで十分だ。どうやったんだ?」
「闇夜でも物を見通せるようにする『ナイトスコープ』って補助魔法の一種ね」
レイアの意気揚々とした説明をかいつまむと、夜は雲で覆われていようとわたし達が認識できないだけでほんのわずかには明るいらしい。それを見えるように魔法で視力を強化しているそうだ。その為、急に明かりを目にすると目が焼かれてしまう欠点もあるとか。
それと窓の無い建物や洞窟の中など一切の明かりが無い場所では役に立たないらしい。夜に効果があるのであって闇を克服する魔法でない、が彼女の弁である。そういった闇の中では聴覚を強化して視力代わりにして辺りを探るのだとか。
「に、してもよ……。あれが話に聞いてた死者の都って奴か。確かに凄えな」
「あんなものが公都の近くに建造されてたなんて……」
見えるようになって目の前に窺える城塞を実感できる。死者の都は夜となってより一層不気味な佇まいをしているようだった。冷たく佇む城壁も、その上で彷徨う死者の兵士達も、背筋の凍るような恐怖を否応なしに覚えさせた。
城塞の城壁は西の公都のそれより大分低い。けれど防衛には十分な高さがあり、さすがにあの敵に気づかれずに城壁内側に侵入するのは無理なんじゃないだろうか。誰かが囮になって陽動……いや、そんな手段に頼るぐらいなら初めから日中に軍を向かわせて正面から攻めればいいだけだろう。
カインの事だからこのパーティーで依頼は達成できるようになっている筈だから……。
「レイアさん、何らかの召喚魔法って使えます?」
「召喚は出来ないけれど使い魔を造る魔法なら使えるわよ」
「ん? 召喚? 使い魔? 何だそれ?」
「ふふんっ」
レイアは得意げに鼻を鳴らしながら手にしていた杖を一周回転させて――、
「百聞は一見にしかず、とは極東の言い回しだったかしら。つまり、こんな感じよ」
静かに、しかし鋭く大地に杖を突きたてた。
その動作の効果はそう時間も経たずに現れる。静寂に包まれたこの辺りから乾いた軽い音が次々と轟いてきたのだ。あえて例えるなら木を切り倒した時とか大きな枝を折った時みたいな感じか。
だがその例えは決して比喩ではないのだとわたしは思い知らされてしまった。
「木が、動いている……?」
わたし達よりもはるかに背丈のある大木が、その枝を腕に、その根を脚にして動き始めたのだ。気のせいか木の模様にまるで目と鼻と口が浮かんでいるように見えてならない。それも、複数体だ。彼らが一歩一歩重く脚を踏み出すたびに地面が揺らされるような錯覚さえ覚えた。
これは知っている。動く石像であるゴーレム生成、生きる粘性流体であるスライム生成、などと同じ原理で魔導師の意のままに動く魔物を生み出す魔法に分類される。けれどまさか本物を目の当たりにするとは思ってもみなかった。
「く、クリエイトトレアント……」
トレアント、人類圏からはるか遠い地に生息する生きる樹の種族だと文献には記されている。
本物を見た者はおらず、その生態は一切不明。そんな伝承だけの存在を再現する試みはゴーレム生成の魔法であるクリエイトゴーレムの延長で行われ、現在では他の使い魔を生成する魔法と同じように確立された技術となっている。
問題なのは習得の手間に比べて応用力が乏しい事か。土や鉱物さえあれば作り出せるゴーレム、液体を使うスライムと違って、トレアント生成の素体とするのは樹だけだ。木ならクリエイトゴーレムでもウッドゴーレムも作れるし、わざわざ発動条件が限定されている上に学びづらい魔法と言えた。そんな非効率的な手法に誰が手を出すのだろう?
だからこんな魔導もあるのだと知識としては知っていても、使用者がいただけで驚いてしまったわたしの反応は間違っていない筈だ。
「とりあえずこの林の木を何本かトレアント化して正面からけしかければ囮にはなると思うわよ」
「す、すげえな。魔導師ってこんな事まで出来んのかよ」
いいえダニエル、全ての魔導師がこんな優秀だなんて思わないでください。わたしにこんな高度な魔導を求められたって非常に困ります。
「だったらこいつらをけしかけて時間差で俺達も城壁に向かって走ればいいんだな」
「気があっちに向いている間にってか。よし分かった」
ひーふーみー、……十二体か。さすがにこの林を丸裸にして頭数を揃えたら環境破壊になってしまうだろう。囮としてはまあ充分な数だろうか?
「さあ、じゃあ行って、お前達!」
レイアに作られたトレアント達は彼女が高く掲げた杖を前方へと向けた途端、その巨体を動かし始めた。進む動作自体はゆっくりとしていたけれど歩幅がとても大きいため、あっという間にわたし達から遠ざかっていく。
突然の襲来者に対して城壁上のスケルトンアーチャー達から一斉に矢が放たれる。万全の備えで迎え撃った昨日の防衛戦よりはるかに弾幕としては薄かったが、それでも空高く飛ぶ矢は次々とトレアント達に降り注いでいく。
しかし、魔導で造られたトレアントはゴーレムと同じで痛みで怯みはしない。あの巨体にちっぽけな矢が何本刺さろうとトレアントに支障はない。現に彼らはその侵攻速度を緩めようとしなかった。
やがてトレアント達は城塞城壁のそばまでたどり着く。背丈があるとはいえ城壁の高さには到底及ばないし、門は格子が降ろされ固く閉じられている。ただ城壁の前にたたずむだけならただの木偶の坊に過ぎないし、どうやって攻めていくつもりだろうか。
「レイアさん、あのトレアント達、このまま狙い撃ちさせたままにしておくんですか?」
「まさか。折角手間かけて作ったんだし、まだまだ暴れてもらうわよ。城壁ならこっちに来て面白い物を学んだから、それをちょっと実践してみようかなって思っているしね」
「面白い物?」
「組体操って奴ね」
聞き慣れない単語を耳にした次の瞬間、わたし、いや、わたし達は信じられないものを目にした。目を輝かせて満面の笑みを浮かべるのはレイアだけで、きっとわたしやアモス達は顎を外すぐらい口を開けて呆然とその光景を眺めていたに違いない。
まず三体のトレアント達が城壁に寄りかかりつつお互いに肩を組んだ。そのトレアントの肩に別の二体が昇って同じようにお互いに肩を組む。更にまた別のトレアントが一段目と二段目の個体を昇っていき、二段目のトレアントの肩の上で城壁上部に手をつく。
そして、残り六体のトレアント達が次々と計六体で構成された木製のピラミッドを昇っていく。三体分の高さもあるそれを昇っていくといかに高くそびえ立つ城壁も大して役にたたず、城壁上にトレアント達が到達するのにもそう時間は要らなかった。
「公都北の城壁ぐらい高かったらタワーを五段ぐらいにしなきゃならなかったし、そうなると一段目に六体、二段目に五体に最低でもしなきゃあいけなかったのよね。倍よ倍。今回はそんなに高くなくて助かったわ」
「は、はあ……」
曖昧な返事しか出来ないでいるわたしをよそにトレアント達はその巨体を生かして城壁上のアンデッド兵達を次々と蹴散らしていく。公都に襲来するアンデッド軍は数の暴力が凄まじかっただけで一体一体はそこまで脅威ではなかったが、城塞の警護をしているスケルトン兵達もあまり大差ないようだ。
「よし、じゃあ行くかお前等!」
アモスが意気込みが混じった合図と共に駆けだす。それに続くのはロトとダニエル。気を取られていたわたしがその後に続いて、トレアントの操作に注意を向けるレイアが最後に足を動かし始めた。
想定通りあの巨大なトレアント達の襲来に対応するためか、相手側がこちらの接近に気付く様子はない。だが問題は接近した所でどうやって内部に侵入するか、だろうか。
土属性魔法に優れている魔導師は岩と土で造られた城壁に穴を開けたり地面を掘ったり出来たと聞いた事がある。風属性魔法に秀でている魔導師は空すら飛翔するともまた。無論、どちらもわたしには不可能な夢物語だ。
「アモスさん、意気揚々と突撃するのはいいんですけど、何か城壁を超える策はあるんですか?」
「心配すんな、マリアがいない間に話進めておいた。ロトが何とかしてくれるってさ」
親指でアモスはロトの方を指さす。そう言えばロトの装備が馬車を降りた時から変わっていた。彼は大がかりな装置を荷物から出していてそれを構えていた。弦が無いからクロスボウではないし、引き金らしきものがあるようだから何かを射出するものなんだろう。どんなものなのか見当も付かないけれど。
やがてわたし達も城壁の前にたどり着いた。こちらの城塞にも堀は無い為、後はこの高くそびえ立つ城壁を昇るだけだ。西の公都といいここといい堀を設けないのは外側に発展させていく余地を残したいからだろうか?
不意に、何かが弾けるような大きな音がロトの方から聞こえてきた。あまりに突然だったものでひどく驚いてしまったが、顔を向けると彼が構えた装置から城壁上に向かって鉤爪が付いた金具が高速で昇っていた。装置と金具の間は縄で繋がっていて、金具に引っ張られて高く高く伸びていく。
「それ、昇降用ロープの射出装置だったんですか?」
「ん? ああ、そうだな。金具を高速で飛ばすように俺が作ったんだ」
「でも、クロスボウみたいに弦を張って飛ばしたんじゃあないですよね?」
「原理は樽一杯に水を張り込んで空気を押し込める水砲と同じだな」
ああ、一定の体積の中の圧力を高めて一気に水を噴射させるあれか。水を圧縮させて飛ばす技術は魔導にも存在していて、水属性に優れた魔導師が効率のいい応用方法を日々研究していたっけ。わたしも水属性ならそれなりに出来なくはない。
けれどロトはそれを装置だけで形にしたのか。義肢といいこれといい、道具製作職人として彼は若いながらも優秀な証だろう。
金具はその速度が落ち切る前に城壁上に引っかかる。ロトは紐を引っ張って上手く固定されているのを確認すると、今度は装置に備え付けられたハンドルを勢いよく回転させだした。すると縄は装置に巻き取られていき、やがてロトの身体が張られた縄で持ち上がった。
「ど、どうなってんだありゃあ?」
「多分あのハンドルを回して縄を回収してるんじゃあないかと……。わたしの想像ですけど」
「いや、それにしたってあんな簡単に人の身体が持ちあがるもんなのか? あんま力入れてねえだろあの様子だとよ」
「歯車比と同じ考えではないかと。ハンドルを多く回転させる必要がある分、力はさほど要らないんじゃあないでしょうか」
ロトは身体に固定されたその道具に体重を支えられながら器用に城壁を歩いて昇っていく。多分彼の横で首を水平に傾けたら普通に歩行しているようにしか見えないだろう。普通に縄をよじ登った方が楽な気もするけれど、縄の回収の手間や製作した道具への自負があるからか?
やがてロトは城壁上にまでたどり着く。すると、彼は今度は背負っていた大荷物から何かをたれ下げてきた。何かと思ったら指二、三本分ぐらいの太さで出来た縄梯子ではないか。しかも昇りやすいように足の踏み場が木の板で出来ている。
「こんなものまで用意していたんですか……」
「あれじゃあ大荷物にもなるわけだな」
わたし達は城塞内に侵入できる算段が立った喜びより、いとも容易く侵入経路を確保したロトの道具に驚くばかりだった。
お読みくださりありがとうございました。




