実家帰りでの思わぬ真実
結局あの後マリアは遠まわしにわたしに促すばかりで核心を述べようとはしなかった。うんざりしたわたしはおざなりに返答し、停留所にも着いていないのに乗合馬車から降りてしまった。まだ走行中だったけれどそこまで速くなかったから、わりと簡単に着地できた。
東の地区の街並みはさすがに数年間離れていると結構様変わりしているようだったが、それでもわたしが見慣れた景色が広がっている。ここから学校に通ったし、協会支部まで行ったりもしたっけ。大通りも建造物も行き交う人たちも、何もかもが懐かしくてつい感無量になってしまう。
「それで、どうしてマリアまでわたしの後についてくるの?」
それでマリアさえいなければ完璧だったんだが。イヴと一緒だったらこんな気持ちにはならないのにどうしてマリアとだとこう多少癇に障るのだろう? マリアの事は別段気にも留めていなかったしむしろどうでもいい筈なのに、自分でも謎だ。
彼女もまた辺りを見渡していて、どこか感動を覚えているようにわたしには映った。
「もう実家はないけれど、わたしもこの辺りが出身だった」
「あれ、そうだったの? それなら中央区の協会支部で学んでいたなら顔を合わせる機会も多かった筈だけど?」
「謎」
その一言だけで片づけるとは魔導師の風上にもおけないな。探求にはそういった謎の究明だって含まれている筈なのに。単に神秘が関わらないから食指が捗らないか?
マリアと会話をしていて熱が冷めたからか、ふと違和感に気付く。確かに数年間離れていればそれなりに変化もあるだろう。だがそれにしたって新しい建造物が多い気がする。よくよく周囲を窺うと今でも建築中の建物がいくつもあり、今まさに発展途上だと思わせる節が多分に見受けられた。
「……マリア、学院出てからこっちに戻ってきた事ある?」
「何度かは」
「新しい都市開発計画でも持ちあがったの? ここら辺って既にある程度整備されていたからあえて再開発する必要なんてないと思うんだけど」
「三年前がきっかけらしい。まだ復興中」
三年前……。三年前は確か、マリアが学院から立ち去った時期だ。何の為に? 勇者一行と同行する為だ。どうして? 己の探求心を満たす為に……いや、違う。それはマリア個人の願望であってイヴが旅をする理由ではない。じゃあイヴが勇者として剣を振るっていたのは?
決まっている。勇者として人類世界に殺戮と破壊をまき散らす魔物から人々を救うために。
吐き気をもたらす程の嫌な予感が頭をよぎる。まさか、ここも今の北の地区と同じように何らかの脅威に晒されていたんだとしたら……?
「まさか、魔物の軍勢がここにも……!?」
「正確には違うけれど概ねその認識でいい」
わたしはマリアに構う事無く駆けだした。ここからなら家もそう遠くないのもあるが、一刻も早く何があったか確かめたい衝動に駆られたからだ。視界の左右を後ろに抜けていく建物も見覚えがあるものあれば記憶に無い真新しいものが入り混じっている。それがまるで異界に足を踏み入れたような錯覚を覚えさせた。
息が切れて苦しくなってこようが無我夢中で走り続けた。一体ここで何があったのか、ただこの目で確かめたくてたまらなかった。
「――……ぁ」
声にもならない。吐息だか嘆きだかが入り混じった何かが喉から出てくる。
その場所にはたどり着いた。わたしがずっと過ごしてきた、わたしの過去そのものがあった場所に。わたしの帰るべき家があった所に。
けれどわたしの前にはもう思い出の形跡はなかった。眼前に広がるのは今まさに別の家が建てられている最中の更地。辺り一帯が同じように建設現場となっていて、街並みが生まれようとしている場面に出くわした形だ。
こんなの、わたしは夢でも見ているんだろうか……?
「あ、あの……!」
あまりに衝撃的な現実を目の当たりにして崩れ落ちそうになる身体を何とか杖で支えて、近くにいた現場の職人らしき男性に声をかける。彼を含めて周辺の人達がわたし、というより魔導師の到来をもの珍しそうに眺めていたが、すぐに自分の仕事の専念に戻っていく。
職人は作業を中断すると手拭いで汗を拭き、わたしの方へと歩み寄ってきた。背が二回りほど高いからわたしが見上げる形になる。
「どうした嬢ちゃん、道に迷ったのか?」
「この辺り一帯が再開発されていますけど、何かあったんですか?」
「ん? 嬢ちゃん知らないのか? 三年前起こった厄災を」
厄、災――。
知らない、少なくともわたしはそんなの聞いていない。
すぐそばで大鐘を鳴らされたように頭がうなる。今にも意識を手放してしまいそうだ。慌てだす職人がわたしの肩を持って支えてくれるのをかろうじて認識できた。
「どうした嬢ちゃん、顔が真っ青だぞ……!」
「い、いえ、大丈夫、大丈夫です……」
「大丈夫なもんか、おい誰か椅子持ってこい!」
職人が若い職人へ一声かけると、テントが張られた場所から木製の椅子が運ばれる。呆然とするわたしは職人に支えられながらその椅子に腰かけた。
頭の中がごちゃごちゃしていてまともに思考が働かない。
「まさか、しばらくぶりにこっちに帰ってきたとかか?」
「……――」
声を出そうとしても乾いた息が漏れるだけで意味をなさなかったが、それでも職人は事情を察してくれたようだった。そのまなざしはどこか温かく、しかし悲しみを帯びていた。彼は自分の頭を片手で抱えてわずかにうつむく。
「そうか。それは何て言えばいいか、気の毒に」
「何、があったん、ですか?」
かろうじて自分を落ち着かせるよう努めてながら言葉を絞り出せたものの、片言が精一杯だった。職人はわずかに躊躇ったものの、やがて重い口を開く。
「丁度世界各地で魔物共が人類を脅かしててよ、勇者が現れたってぐらいだったか?」
「北東に広がる人類未開地域から帝国にも魔の手が伸びてきやがってな」
「一度は国境も突破されてこの西の公都も市街戦が勃発したんだが、何とか東の区域だけに被害を抑え留められたんだ」
「犠牲者も多く出ちまったが……今はその再建中ってわけさ」
もう少し詳しく説明してくれていた筈だが、今のわたしが理解できたのは大体それぐらいだった。
苦しい、痛い。喉が、胸が張り裂けそうだ。頭を抱えるが涙が出てこない。
わたしが安穏と学院生活を送っている間に父は、母は、妹は無残にも命を落としたと? 炎で苦しんだのか? がれきが降り注いだのか? それとも直接魔物の牙にかかったのか? 何で、どうしてこんな事に……!
どうしてわたしは、そんな大事を知らずに今の今まで過ごして――!
「今更嘆いたって無意味。もうとっくに過去になっているのだから」
いつの間にかわたしの傍らにはマリアがいた。その時わたしがマリアに向けた形相はどんなものだったのか。少なくとも我を忘れて彼女に掴みかかりたくなる憤りで熱くなるが、歯を噛み締めて自分で自分の腕を強く握り、何とか思い留まった。やった所で完全に八つ当たりだったから。
いや、待て。決めつけるのはまだ早い。今のところ分かっているのは実家を失ったってだけだ。家族は逃げ延びていて別の場所にいるかもしれないじゃないか。嘆き悲しむのは全てを確認し終えてからだろう。
「あ、あの! 生き残った人達が何処に行ったかご存じありませんか!?」
わたしがあまりに必死だからか、突然立ち上がって相手の肩を掴んだ際浮かべた彼の表情は少しひいていた気がする。
「い、いや、あいにく分からねえな。散り散りになったって話だしよ。ただ再建中のここに戻ってくる人はあんまいないみたいだ」
「そう、ですか……」
いくら住んでいた場所であっても爪痕が残るこの地に戻って来ようとしないのは惨劇を思い出すからか。だったらどうやって探したものか? 魔導協会に頼み込むか、それとも冒険者に依頼するか? いっそカインにお願いしてしまうのも――。
「なら逆に死亡してるか確認したらどうだ? 共同墓地があっちの方に設けられたから、行ってみるといい」
焦りばかりが積もるわたしを見かねたのか分からないが、わたしの思案を打ち切るように職人が意見を提示してくる。その発想はなかったので正直助かった。
「分かり、ました。行ってみます」
わたしは説明して下さった親切な職人に深々とお辞儀をすると、足早にその場を後にする。振り返りはしない。もはや実家が無くなったここにわたしの居場所はないのだから。きっと二度と戻って来る事はないだろう。
「……マリア、まさか貴女は知ってたの?」
並走するマリアに向けた言葉は自分でも怖ろしくなるほど冷たく尖っていて、更には怒気をはらんで熱を帯びていた。反省は後でいくらでもするし謝罪だってしよう。それでも、マリアに非が無いのは頭では分かっていても何かに、誰かにこのどす黒く渦巻く感情をぶつけたくてたまらなかった。
そんな投げかけられ方をされたのに、マリアはいつも通りに無表情のまま進行方向を見つめていた。今はそんな彼女がわたしの憤りを受け止めてくれているように思えて、悔しいが嬉しくなってしまった。
「まず三年前ここを焼野原にしたのは魔物の群衆じゃあない。人類未開発領域から進軍してきた正規の魔王軍。わたしが耳にしたのは既に全て終わった頃だった」
「わ……わたしは聞いてない……っ! マリアと同じクラスで学んでいたならわたしだって耳に入れていた筈なのに!」
「覚えが無いのは当然。マリアは絶対に思い出せない」
「それ、どういう――!?」
「おしゃべりは終わり。見えてきた」
マリアに言われたとおり、いつの間にかわたしは共同墓地までたどり着いていた。敷地中に入って墓石に刻まれた名前を片っ端から見ようと飛び出しかけて、マリアに腕を掴まれた。思わず頭に血が上って振り払いそうになったが、マリアの事だから考えがあるのだろうと何とかこらえる。
「こんな広大な敷地の中をくまなく探すなんて非効率的。ここの管理人に場所を聞いてくるからここで待ってて」
「マリア、わたしの家族の名前知っているの?」
「……失念してた。教えて」
確かに頭が沸騰しているわたしが感情に任せて乱暴に訪ねるよりは、冷静なマリアの方が聞きだしやすいだろう。わたしはマリアに家族の名前を教えて、彼女が足早に去っていくのを眺めながら大木に寄りかかった。
わたしが思い出せないって、どうして? 三年前、確か人類社会のいたる場所で魔物が人々の平穏を蹂躙していた。人類圏でも有数の国家であるこの帝国ではそういった日々の被害状況が伝達されやすく、帝都にある学院にも情報が随時もたらされていた覚えがある。どこそこの国が攻め滅ぼされた、とある騎士団が町を救った、とかだ。
帝国が国境を破られて攻め込まれた危機も何度かあったと記憶している。西の公都は地理上の理由で狙われにくかったけれど、それでも日々凶暴な魔物の対応に追われていた。けれど、ここ東の地区が市街戦になるまで深く入り込まれたなんてわたしは聞いた覚えが……。
本当に知らなかった? 思い出せない、それはわたしが聞いていたけれど忘れている。どうして忘れている? 分からない、日記も特につけていないから確かめる術もない。第一どうしてマリアがわたしが忘却していると断言できる? 考えれば考えるほど謎ばかりが生まれて、わたしの頭の中の霧は晴れるどころか深くなるばかりだった。
程なくマリアが戻ってくる。早歩きでこちらに向かってくるが、走れよと言いたい衝動に駆られた。そんな彼女にわたしの思いが伝わったのかは分からないけれど、右手で何処かの方向を指し示してきた。
嗚呼、指し示せる方向が、あるのか。
「場所分かった。あっち」
「……あったん、ですね。場所が」
「……――」
走る気力も根気も失せたわたしは前を歩くマリアの背中に引っ張られるように歩みを進める。共同墓地は草木が丁寧に整えられていて、景観としては中々見ごたえがあるものとなっていた。昨日死霊の軍勢の相手をしたばかりだからか、こう手入れされているならアンデッドは自然発生しないだろうな、などと考えが頭に浮かんだ。
やがて、マリアが立ち止る。彼女が指し示したのは三つの墓石。
「これで間違いない」
「……ありがとう、マリア」
そこには父の、母の、妹の名と、生没年が刻まれていた。
不思議な事に悲しさは感じなかった。胸にこみ上げてくるのは懐かしさ。脳裏に過ぎるのは家族と過ごした時間、楽しかったり辛かったりした、とても幸せだった思い出だった。そして次第に喪失感がわたしを容赦なく押し潰してくる。
天を仰ぐ。空は青く、白い雲が所々で流れている。一筋の涙がわたしの頬を流れる。
どれだけの時間が流れただろうか。ようやく心が落ち着いてきたので視線を下に降ろした。目元と頬が乾いた涙で乾燥してしまって気持ちが悪い。マリアはただわたしの傍らに佇み、わたしの家族が眠る墓標をただ見つめていた。
「ねえマリア、貴女ももしかして家族を……」
「失っている。今はこの共同墓地で眠っている」
そう、か。出身地が同じだったら境遇は同じか。マリアもこの現実に直面した時は同じ想いをしたんだろうか? わたしからしたらこの災厄は既に過去のものとなっているけれど、当時のマリアからしたら現在進行形でなおも続く異変だった。だとしたら……、
「もしかしてマリアがイヴ達に同行したのって……」
「敵討ちもあったけれど、それだけならイヴ達に任せておけばよかった。わたしの目的はもっと別」
「……家族が殺されたのに、それよりも優先する目的って何よ?」
「決まっている。わたしは魔導師。その魔導で不可能を可能にする存在」
マリアが指差したのはわたしの腰にかけた袋……いや、正確にはその中に入った魔導書だ。マリアがわたしに授けた、冥府の叡智が記される書物を。
って、まさか、マリア貴女は――。
「失ったものを取り戻す。その魔導書の入手こそが悲願だった」
亡くなった家族を蘇らせるつもりだったのか――!
「死者の蘇りは何も聖女などにしか行使できない光術、蘇生魔法の特権ではない。冥術による反魂魔法も該当する」
「けれど冥府の魔導書は学院はおろか帝国最高機関も所持していなかった。だからイヴ達に同行して各地を回って探索した」
「ふとしたきっかけで入手できたけれど、わたしでは到底無理だと思い知らされた。だから、大規模な儀式を行って才能を補おうとした」
「それにはイヴがどうしても邪魔になると分かっていた。だから他のみんなと共に勇者イヴを陥れた」
淡々と説明するマリアには一切の感情も交じっておらず、まるで物語を朗読するかのように他人事だった。だが彼女は確かに言った、自分の家族もここに眠っていると。つまりは……。
「失敗、したの? その、冥術での蘇りは」
「何とか目的の魔法を習得できてやっと悲願が叶う。そう思った時に……」
――イヴが戻ってきた。自分を裏切った者達に復讐を遂げるために。
冷たい風が流れた。わたしとマリア、二人のローブが少しだけ揺れる。わたしとマリアはお互いにその似通った顔を見合わせ、視線を相手から離さない。
「蘇らそうとしていた家族の亡骸はイヴに骨も残らず灰にされた。わたしも取り返しのつかない報いを受けた」
「そう、だったの……」
灰にされてしまったらどんな奇跡だって生き返らせるのは不可能だろう。マリアは正に悲願達成の間際に全てをその想いごと打ち砕かれたのだ。
それがマリアの選択に対するイヴの返答、イヴがマリアに果たした復讐……。もしマリアがイヴに願いを述べていたら少しは違った結果が選択出来たかもしれない。イヴがマリアに真摯に向き合っていたらその想いに気づいたかもしれない。
しかし、今がマリアとイヴが選択した結果だ。間が悪かった。そう表現するしかない、か。
「マリアに譲ったそれはもうわたしには不要だし、そもそももう使えない。マリアが上手く使って」
「……わたしが自分の家族をこれを使って蘇らせても?」
「そう試みたら最後、マリアもわたしみたいになる」
それは彼女の体験談であり彼女からの警告でもあった。神が定めた摂理を覆そうとしてマリアは破滅した。わたしにはイヴのような目に見えた抑止がいないが、それでもきっと何らかの要因で必ず失敗するだろうと言っているのだ。
神への反逆、しかし先日イヴに施したように冥府の魔導でも使い方次第では手助けにもなる。
考えよう。この先わたしがこれを使ってどうしたいのか。ついこの間まで思い浮かべていた平穏な日常もいいかもしれないけれど、何か他にもわたしに出来る事がある筈だ。だってわたしにはマリアが全霊をかけて探し出した幻の叡智が記されている書物があるのだから。
「……質問、いいかな?」
「どうぞ。答えられる範囲でいいなら答える」
「どうしてわたしにそんな貴重な魔導書を?」
そんな重要な本だったらしかるべき機関や一流の魔導師に預けた方がいいんじゃあないだろうか? それにイヴがどんな復讐を成し遂げたのかは私には知る由もないが、それでもマリアはわたしの目の前にいるのだから彼女には明日はある。いつかまたマリア自身がこれを必要とする日だって来るかもしれないのに。
なのに、どうしてぱっとしないわたしなんかにこれを譲った?
「いずれ分かる。ただ、わたしにはマリアも納得する動機があった」
「……そう、分かった」
マリアの答えはわたしの望むものではなかったが、彼女は答えをはぐらかしていないだろう。それは時間が経てばいつか判明する真実だと述べているのだ。
学院時代は同級生というだけで特に気にも留めていなかったが、今のマリアは他の誰よりもわたしに近しい存在に思えてならなかった。
お読みくださりありがとうございました。