閑話・公爵邸でのやり取り
今回は第三者視点になります。
-閑話-
東レモラ帝国に三家存在する公爵家は国と呼んでも差し支えないほど広大な領土を有している。西の公爵領もその例にもれず、国境を接する国々と同程度、またはそれ以上の規模だった。帝国と西方諸国は同じ人類圏ではあったが宗教観の食い違いで相容れない仲の為、西の公爵領では頻繁に戦争が勃発していた。
そんな公爵家の三男として生を受けたカインは、生まれて初めて父親である公爵の意図が全く分からないでいた。
「此度の亡者の軍への対処はカインに任す」
公都を脅かす死霊の軍勢に対し、公爵は誰もが耳を疑う宣言をした。公爵の意志は固く、周囲の懸念、反対を押し切りカインは幼いながらも責任者に抜擢される形となった。
初めに命を受けた時、カインは自分が期待されていると思った。対応する上で様々な権利を一時的に行使できる許可ももらったため、戯れに責任を丸投げされたわけではなかった。そのため、彼は父親の意に応えようとまだ年を重ねていない華奢な身体に鞭を打って方々を駆けずり回った。
だが、アンデッド軍の猛攻が深刻化していくにつれて期待は疑問へと変わっていった。確かにかろうじて敵軍の襲来を退けている。だがそれは常に綱渡りを続けている状態であり、いつ谷底へと転落するか分かったものではないという確信があったからだ。
援助を要請しようといくら公爵家の者であり現場責任者だからと子供の要請に耳を貸す者は帝都では皆無だった。公爵本人が帝都へ要請すればすぐさま討伐軍が組織され、防戦一方な危機的状況を打破出来る筈なのに。
現場で働く将軍や兵士達は始めはお子様の介入に辟易したものだったが、ひたむきなカインを徐々に認めていき、やがて気さくに頼られるようになった。そんな彼らの期待に応えるべく一刻も早くこの異変を解決に導きたいとカインは心から決意していた。
そしてこの事態を打開しようと色々と手をつくし、やっとの思いである程度の余裕をもったまま敵軍勢を撃退出来た。ようやく手繰り寄せた光明を手繰り寄せようとした時、彼の前に立ちはだかったのは無慈悲な現実だった。
死霊達は、その発生源に城塞を築いている。
その報告をマリアから聞いた直後、カインの目の前は真っ暗になった。防衛すら手一杯な状況でどのように攻城戦を実行できるだけの軍隊を揃えればいいのだ、と。
「だから公爵に鶴の一言を発してもらって、今度こそ帝国軍を派遣してもらうと?」
「それぐらいしかもう手段はありません。父上の説得は凄く難しいでしょうけど、きっと現状を分かってくれる筈です」
公爵家の居城、その廊下を一人の少年、カインと一人の淑女、イゼベルが闊歩する。カインは北の城壁から帰ってくるなりすぐに着替え、上質な布で作られた気品あふれる服に身を包んでいた。イゼベルは朝マリアやアタルヤ達の前に姿を見せた時と同じ服装だったため、手にする大型の日傘が室内では目立っていた。
カインは今すぐ走り出したい衝動に駆られていたが、その度にイゼベルが他愛もない話を振ってきていた。その為、何とか心を落ち着かせてた。本当だったら着替える時間すら惜しかったが、父親であろうと帝国の要である公爵への謁見を考えると正装にならなければ門前払いされるため、逸る気持ちをかろうじてこらえていた。
カインが向かう先は公爵の執務室。公爵は日中の執務をほとんどその部屋で行っており、既に朝食時間を過ぎた現在時刻なら確実に執務室にいるだろうとカインは考えていた。
執務室の前までやってきたカインは、一旦間を取って深呼吸して心を落ち着かせる。焦っていては話にならないと自分を説得させながら、彼は扉をゆっくりと叩いた。
「どちら様でしょうか?」
聞こえてきたのは彼の父親の声ではなく公爵に仕える執事のもの。
「カインです。朝早くに失礼しますが、お目通りを」
「……入れ」
カインの伺いに反応を示したのは威厳に満ちた低い声だった。許可をもらえたカインが扉を開こうと手を伸ばそうとすると勝手に開く。単に執事が内側から扉を開けただけだったが、すぐにはその可能性に考えが及ばなかったカインは軽く驚いてしまった。
広々とした執務室では彼の父親である公爵が机を前にして山積みとなっている書類の一つに目を通しており、扉の傍らで執事が待機、公爵に仕える秘書官二名が公爵とは別の机の前で筆を走らせていた。
心臓が高鳴るのを自覚しながらカインは公爵の前へと足を進める。イゼベルは彼の斜め後ろに位置しながら平然とした顔で堂々と歩んでいく。やがて公爵の前で立ち止まると、カインは恭しく一礼した。イゼベルは軽く会釈する程度に済ませる。
「お時間を取っていただいてありがとうございます。本日の北の防衛戦ですが……」
「報告なら既に別の者から受けている。用件はそれだけか?」
公爵は机に目を落としたままでカインに視線を向けようともしなかった。カインはあくまでも他人事な自分の父親にわずかに腹を立てたが、今に始まった事ではないので怒りを堪えた。
「敵軍はアンデッドの発生源と思われる地帯に城塞を築いていて、今の戦力ではとても攻略出来ない状態になっています。ですから責任を預かる身として改めて援軍の派遣を要請します」
「ならん。現在帝都では例の件の処理で手一杯になっていて、とても軍を差し向ける余裕はない。現状の戦力で何とかせよ、との返答は先日も伝えただろう」
「しかし父上、このままじゃあ……!」
「くどい。防御線を突破されたわけではないだろう。ならお前に対する返答はいつも通りだ。要請は却下する」
はらわたが煮えくり返る思いのカインを意にも介さずに公爵は淡々と述べるばかりだった。唇と拳の震えが自分でも抑えられなくなるが、何とか公爵に詰め寄りたい衝動に耐える。
公爵は目を落としていた書類をそばに置くと筆を走らせ、山積みとなった書類からまた一枚取り出して読み始める。
イゼベルはふと周りの反応が気になったので辺りを見渡すと、秘書官は二人して机に視線を落としていたが、公爵の冷たい突き放しには明らかに何か思う所があるようで公爵にもカインにも視線を向けようとしない。執事はさすがに表面上の態度に出していなかったが、やはり気にはなっているようで落ち着かない様子だった。
「それに魔導協会の者が死霊の軍勢を返り討ちにしたと聞くぞ。奴らとて無限に湧いて出てくるわけでもあるまい。形勢が逆転した以上、持久戦に持ち込めば最終的には勝てるのではないか?」
「防衛戦を展開している軍は連日の戦いでもう限界に近づいています。またアンデッド軍が来ても勝てる保証はありません」
「その時にはまた魔導師共の力を借りればいいだろう。その為にお前には権力と資金を一時的に与えているのだからな」
「それは、そうですけど……っ」
理屈は分かっている。次もまたアンデッド軍が襲いかかってきても、また先ほどと同じようにアタルヤの部隊で一掃すればいいだけの話だ。アンデッドに出来る死体が有限な以上、長期戦となればいずれは枯渇するだろう。勢いが衰えるまで粘った後に攻城戦を仕掛ければいいだけだ。長い戦いになろうと死者の都と北の公都は一日足らずで往復できる距離なのだから、疲弊、消耗はある程度抑えられるだろう。
それを待たずともアンデッドを発生させる諸悪の根源を叩けば済む話だ。カインにはその手段が全く思い浮かばなかったが、隣にいるイゼベルやマリアに相談すれば何かしらのいい案を提示してくれるだろうと考えていた。
確かに異変解決への道筋は今もなお幾つかあるのだが、今カインの憤りは見通しの立った異変ではなく、むしろ父である公爵本人の態度に原因があった。
「話は以上だ。私は忙しい。用が済んだら下がれ」
「……僕には理解できません。一歩間違えればこの公都が攻め滅ぼされる瀬戸際なのに、どうして父上は僕なんかに任せるんですか?」
とうとうカインは自分が抱いていた疑問を投げかけた。状況がわずかに好転した今だからこそ投げかけられる質問だろうとの確信が彼にはあった。
公爵本人が対応しないのはまだ分かる。現にカインでも何とかこなせているのだから、当人が出るまでもないと判断したのだろうから。だが後継者である長男や彼を支える役目を負う次男すら飛び越えて三男の自分が割り当てられた理由がどうしても思い浮かばなかったのだ。
「僕に経験を積ませるより兄上や姉上達の方が適任だった筈です。父上にも何かお考えがあると思うんですが、それを聞かせてほしいです」
「お前に話せる理由などない。私がただお前なら適任だと判断したまでだ」
公爵に一蹴されたカインは唇を噛んで目の前の理解できない相手を睨んだ。行き場のない怒りをかろうじて飲み込むと、彼は公爵に一礼した。
「ではそのご期待に応えられるよう、僕も頑張るだけです」
「そうするがいい」
カインは踵を返すと、結局最後まで視線を挙げようとしなかった己の父をしり目に退室する。イゼベルもまた笑顔のまま無言でカインに付き従って部屋を後にした。
執務室の扉が静かに閉められた後、イゼベルはカインの肩にそっと手を乗せる。
「中々様になっていたわよ、カイン。立派じゃないの」
「……立派だったからって父上を説得できなくちゃあ意味がありません」
俯くカインの声には怒りに混じって悔しさがにじみ出ていた。結局事態は進展しないまま説得も失敗に終わり、あまりにも無力な自分に涙さえ流れるほど彼は打ちのめされていた。
そんなカインの顔にイゼベルは両手を触れ、無理矢理自分の顔へと向けた。カインとイゼベル、二人の目と目が合う。イゼベルの端正な顔立ちは子供ながらカインの鼓動を早くさせるが、彼女の瞳は彼を飲み込んでしまいそうなほど深く濃い色を湛えていた。
「確かに公爵を説得して帝国軍を送ってもらうって目的だけを考えたなら今回の謁見は失敗だったんでしょうね。けれど今回で色々と分かったから決して無意味ではないわ」
「な、何か分かったんですか?」
疑問符を浮かべるカインに対してイゼベルは力強く頷いた。彼女の自信に満ちた動作にカインはどこか安心を覚える。
「公爵は決して貴方に目を合わせようとはしなかったわよね」
「あれはいつもの事です。今回の異変なんて父上にとっては取るに足らない――」
「いえ、あの瞳の動きじゃああまり書類を読めていないわよ。事務作業に没頭していて片手間に貴方の話を聞いていたならこう、視線を左から右へ、左から右へと動かしていた筈だもの」
「えっ?」
言われてみて改めて謁見の際の公爵を思い出してみる。確かに異変の報告をする時の公爵は普段の仕事の様子とは少し違うような気がしてきた。今までは漠然とした違和感しか覚えなかったが、指摘されてみたら確かに執務を行っていたがあまり集中できていないようにも思えた。
「執務に没頭なんてただの建前。単に貴方と視線を合わせたくなかっただけね。つまり、公爵は何らかの後ろめたさを抱えている、と推察出来る」
「じゃあ父上は嘘をついていたと?」
「いえ、嘘は口にしていないけれど巧妙に本音を隠しているようね。カインなら適任だって判断したのは事実なんでしょうけど、だからって実際に子供の貴方を任命する理由にはならないでしょうよ」
「あっ……!」
声を上げるカイン。少し離れた位置で掃除を行っていた侍女が急な声に酷く驚いて道具を取り落としそうになった。カインはそんな侍女に深く頭を下げながら、目から鱗なイゼベルの指摘は正に衝撃的だった。
会話の内容や表面上の態度だけが全てではない。それを今目の前の淑女は語っているのだ。
「貴方に話せる理由はない、って彼は語っていたけれど、単に気まぐれだったら「理由などない」の一言で済むでしょう。つまり現場責任者にした貴方にも言えない事情が彼にはある」
「事情って、父上が動かない理由ですか?」
「常に滅亡と隣り合わせの危機的状況に陥っている現状で公爵自らが動かないのだから、よほど深刻なものなんでしょうね」
カインにはそんな動機は全く思い浮かばなかった。彼の知る父は立派な貴族であり、常に領土の民と土地に気を配る明主だった。そんな彼が突然己の民や都に無関心になる要因など、一体何だというのだろうか。
ますます頭を混乱させるカインをよそに、イゼベルはわざとらしくため息を漏らした。
「いっそ執務室を盗み聞き出来れば良かったんだけど、隙が無いぐらい立派な対魔導の措置があの部屋には施されていてねえ。さすが帝国の重鎮たる公爵の仕事部屋だけあったわ」
「そ、そんな事まで考えていたんですか!?」
「あら、ただ頑張る貴方を見守りたかったわけではないのよ」
カインは目の前で笑みを絶やさないイゼベルがふと恐ろしくなった。一体どれだけの事を考慮し、あの短時間でどれほどの情報を掴んだのか、彼には想像も出来なかった。最もイゼベルの方は別に情報を隠し持つ気は特になく、カインに問われれば簡単に口を滑らせるつもりではあったが。
「とにかく今回で分かったのは、公爵は動けないんじゃなくて動かない。何らかの意図で静観を決め込んでいる、かしらね」
「別の思惑、ですか……」
カインはそこまで深く考えてこなかった。今まで目の前が慌ただしかったのもあるが、そこまで己の父を見通せなかったのが一番強かった。その発想に思い至らなかった自分を恥じたが、それも一瞬だけだった。
彼は力強く前を見据え、廊下を歩みだす。やるべき事もやれる事も沢山ある。それを整理し、今後の方針を決めなくてはならなかった。
「どの道僕が出来るのは、異変解決に向けて全力で取り組むだけです」
「そう、頑張ってね。私も応援しているわ」
「えっ? 協力してくれないんですかぁ?」
「そんな間の抜けた声を出さないの。こっちだって慈善事業じゃないんだから、もらうものはちゃんともらうわよ」
鈴の音を鳴らすように笑うイゼベルと笑顔を取り戻したカイン。再び二人が廊下を反対方向に横切っていく姿を目撃した侍女の一人は、先ほどとはまるで違う様子をカインが見せていて驚いた。
思いつめていた少年はもうそこにはいなかった。目の前を通り過ぎる人物は、紛れもなく次に向けて力強く歩むカインだったのだから。
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「よろしかったのですか?」
「構わん」
カインとイゼベルが立ち去ってからしばらく後、秘書官が休憩の為に席を外している執務室にて執事が己の主へと心配そうに問いかる。公爵はそんな彼の言葉にも全く動じずに執務を淡々とこなすべく目を書類へと走らせる。
「ですがせめてカイン様には事情をお話になられた方が……」
「くどい。私からカインに言う事情など一切ない」
冷たく突き放す返答をする中で、公爵が思い返したのはカインと同様に公爵へと詰め寄る彼の子供達だった。
「父上、何故カインばかりに任せて父上は動かれないんですか! せめて私もカインに協力させてください!」
「父さん、やっぱりおかしいって! 一体何時もの父さんは何処に行っちゃったんだよ!」
「お父様、静観するのは何か事情がおありなのでしょうけれど、それは果たして公都やカインと引き換えにしてでも成し遂げたい悲願なのですか?」
誰もが立派に育ったものだ、と公爵は笑みをこぼす。異変を前にして不可解な行動をとる父を嗜める姿で実感するのは何とも皮肉な話だ、と自虐混じりではあったが。
「こんな時、奥さまがご存命でいらしたら、きっと貴方様を嗜めた事でしょう」
「言うな。彼女は三年前に死んだ」
公爵は手にしていた書類を机の上に置き、椅子を回転させる。彼が視線を向ける先の壁に立てかけられていたのは一人の女性が描かれた肖像画だった。だが描かれた淑女は現在この公爵家の居城には存在していない。
そう言えば、と公爵は先ほどやってきたカインを思い出す。自分達の子供の中ではカインがこの描かれた女性を一番思い起こさせるだろうか。
「彼女は怒るだろうし悪いのは全て私だ。だが、私の罪を我が子に背負わせるわけにはいかん」
「……はは。お心のままに」
公爵は再び席を戻して執務に取り掛かる。それ以上公爵と執事との間に言葉は交わされず、静寂に包まれた執務室が賑やかさを取り戻すのは、休憩を終えた秘書官が戻ってからだった。
お読みくださりありがとうございました。