都市防衛戦④・戦後処理、そして……
「まずはお疲れさま。ここまでやってくれるとは思っていなかったわ」
大地を照らし出すのは松明ではなく、東の空から昇ってくる太陽だった。辺りはまだ薄暗く風もまだ冷たい。辺りは戦場だったとはとても思えないほどの静寂に包まれていて、小鳥のさえずりすら聞こえてくるほどだった。
それでも日の光で十分に辺りの様子を確かめられる。今見渡す限り大地を埋め尽くしているのは、この公都を脅かしていたスケルトン兵の残骸、つまり白骨死体と彼らの武装だった。死屍累々とは正にこの事だろうが、元々死んでいたアンデッド共にも当てはまるんだろうか?
アタルヤの部隊は周囲の人型を保っていなくてもまだ動きを見せるアンデッドに止めを刺している最中。他の兵士達は担架で傷ついた兵士を運んだり、命を落とした仲間の冥福を祈ったりしているようだった。
戦いは快勝と言っていいだろう。だがその為に払った代償は決して少なくない。先ほど聞いた話ではこれまでで最も多くの犠牲者が出たらしい。敵の兵士達はアタルヤ達が蹴散らしたしみんなも奮闘していたからそう多くの犠牲は払わずに済んだ、とわたしは考えていた。なのに防衛に徹した今までと攻勢に転じた今回との違いがこうまで現れるとは。
「周辺見渡す限りの骨の畑が広がるばかり。随分と壮大な景色なものね」
「全滅させたアンデッド共が散らばるのを壮大と表現するのか。相変わらず悪趣味だな」
「けれどそう多くお目にかかれる光景ではないのは事実でしょう?」
そんな様子を興味深げに眺めていたのはイゼベルだった。早朝だからか何度か眠たそうにあくびをしている。こちらはイゼベルの命で徹夜してアンデッド軍に対処したから徹夜なのだが。適材適所だろうから別に怒りは湧いてこないが、理不尽この上ない。
ちなみに現在は不眠の為に格段に落ちている集中力を活性化させる範囲補助魔法をかけている状態だ。なのに魔導の持続で集中力を持っていかれている本末転倒な目に遭っているのだが、背に腹は代えられまい。それにアタルヤ達の為にも仕方がないだろう。
アタルヤは下馬してイゼベルと語り合っている。今回一番の活躍は間違いなくアタルヤだったが、そんな彼女は疲れの色が全く見えてこない。昨日の夕方に盛大な行進の際に見せた凛々しさそのままだった。ここまで飲まず食わずで不眠なのに、どうしてそうも平然としていられるのだろうか。
「イゼベルに頼むのはこの敵軍の後片付けと、戦利品として得た攻城兵器の収納だ」
「んー。確かにこの散乱する骨をこのまま放置しておくとまた変な事になりかねないわね」
「え? アンデッド軍は倒したのにまだ問題あるんですか?」
イゼベルが漏らしたぼやきにも近い発言に思わず反応してしまう。だって一晩かけてアンデッドの群れを討伐したのに、まさかそれが無駄になりかねないのか?
「今回犠牲になった人達はカインにお願いして公都の中に入れる手はずにしてもらっているわ。どうも聞いた話だとアンデッド軍は毎朝撤退する間際に犠牲者を回収していたらしいのよ」
「ええ、死体をアンデッド化させて死霊の軍勢に加えていたんでしょう。卑劣な手口ですね」
「いえ、正確には撃退したはずのアンデッドも、よ。スケルトン兵として撃破されても、無事に残っている骨同士をパズルのように組み合わせたらまたスケルトン兵が出来てしまうから」
「そんな!」
じゃあいくら倒したってアンデッドの数はそう簡単には減ってくれないのか。道理で退けても退けてもアンデッドの軍勢の勢いが収まらなかった訳だ。おそらくそれでも徐々に減らされる頭数はどこかの戦場跡や墓地で補充してくるんだろう。もしこちら側がアンデッド軍の勢いが落ちるまで粘る持久戦を選んでいたら、確実にいずれ負けていただろう。
イゼベルは人が誰もいない方向に口元を隠していた扇を向けると、少し振って開いてみせた。その扇には蝶と何らかの花の柄が描かれていて、少し幻想的だと感想を抱く。だが驚くべきはそれではない。
「天と地の境界」
突如彼女が扇を向けた先の大地がガラス細工を髣髴とさせるように割れたのだ。
アンデッド兵の残骸と武装は割れた空間へと落ちていく。漆黒の闇? 真紅の血の池? どんな比喩なら落ちた先の空間には適切だろうか? わたしが覗いた先では何かもわたしを覗いている、とはこの間イゼベルには忠告を受けたが、この空間がどんな代物なのかは相変わらず想像もつかない。
ただ一つ明確になった事がある。イゼベルの魔導は空間と別の空間を繋げるものだ。扉、隙間、門、色々な言い方はあるだろうが、物を転移させているわけではない。ただ境界をいじっているだけ。だから例えば矢を数多に空間に収納したとしても、それを勢いよく射出させるような戦法は出来ないだろう。
「ご明察よマリア。この隙間は、便宜上そう呼んでるんだけれど、あくまで空間同士を繋げるだけで速度や加速度を与える代物じゃないの」
「わたしの考えを読まないでもらえませんか?」
「あら、顔に書いてあるから呟いてみたんだけれど、当たってて良かったわ」
彼女は嬉しそうに笑みをこぼす間も人がいない場所を狙って回収作業を進めていく。
本来アンデッドと化した骨も元はわたし達のように生を歩んだ者達だった。永い眠りについた後に魔物として人類に刃を向けるよう仕向けるなんて。しかも、宗教観から火葬はご法度なのにアンデッド軍は死者そのままなグールではなくわざわざ白骨化したスケルトンになっていた。
わざわざ手間をかけて肉をそぎ落としたか焼き払ったのか。正に神を畏れぬ所業、死者への冒涜と断じていいだろう。
「イゼベルさん、疑うようで申し訳ないんですけど……」
「分かっているわよ。今回収しているアンデッドにされた死骸は全て弔うわ。元のお墓にはもう戻せないけれど、しないよりはマシでしょうから」
「そう、ですか。ありがとうございます」
わたしはしたいと思ったからではなく自然とイゼベルにお辞儀をしていた。彼女はそんなわたしの反応に驚き目を丸くしていたが、また絵画に描かれた聖母が浮かべるような微笑みに戻った。
「それでアタルヤ。貴女の事だからてっきり敵軍を駆逐したらその足で敵本陣まで攻め込むかと思っていたんだけれど?」
「思っていた以上に敵側の頭数が多くて張りきってしまってな。この場の後始末を済ませたら仮眠を取って、昼ぐらいの出陣を予定している」
「あらあら、久しぶりの合戦だから頑張っちゃったのね」
「少々浮かれすぎた。今斥候を出して連中の発生源を確認しに行ってもらっている」
ばつが悪そうに頭を掻くアタルヤの反応にイゼベルは随分と嬉しそうだった。この二人、単なる上司と部下じゃなくてもしかしたらもっと深い絆で結ばれている仲なんだろうか? お互い個性が違うからあまり意気投合しないと思っていたんだけど、意外に気が合うんだろうか?
……止めよう。交友関係を知りたがるなんて下衆の極みでしかない。何でもかんでも事情を無視して疑問に思ったり知りたがってしまうのは悪い癖だな。それとも魔導師として生きていたら当然の思考なんだろうか?
と、イゼベルが回収作業を突如止めてわずかに顔をしかめた。何事かと彼女の視線を追ってみると、その先にあるのは無傷で残った攻城塔だった。
「ねえアタルヤ。隙間は作るから誰かに命じてアレ押してもらえない?」
「そんな人員を回せる余裕はない。イゼベルならあれぐらい一人でも楽に収納できるだろう」
「可能でも魔法の構成が複雑だからあまりやりたくないんだけれど。下方向に開いちゃ駄目?」
「転移で壊れてもお前が修復してくれるんならいいぞ」
そうか、先ほどの弁にもあった通りイゼベルはただ空間を繋げるだけ。あのへんてこな亜空間に持っていくには別の力を加える必要があるのか。けれど確かアンデッド軍はこれを運ぶためだけにかなりの頭数を動員していた筈だけれど。それを今再現するとなると、戦いで疲弊したこちらの兵士達に頼むだけでも困難極まりないだろう。
かと言ってあのまま放置していたんじゃあ高くそびえ立つ城壁の意味が全くない。せっかく無傷で攻城兵器を手に入れたのだから、破棄するのは確かに勿体ないし。どうしたものか。
そんな中、イゼベルは深くため息を漏らすと、持っていた日傘の先をそちらの方向へと向けた。攻城塔を見据えるその視線は先ほどまでの温厚で気さくな彼女からは連想も出来ないほど冷たく、鋭かった。ただ傍らで見ているだけのわたしは無意識のうちに身震いをあげていた。
「生と死の境目」
宣言一つ、攻城塔と城壁の間の空間が割れ、深淵が前方に広がる。
「死界への躯手」
そして、手が現れた。手、そう、それは間違いなく手だった。
闇より暗く墨より黒い無数の手が空間から突然伸び出て、次々と攻城塔を掴んでいく。そして奈落の底へ引きずり込むように、ソレは攻城塔を空間の奥へと引っ張っていく。やがて攻城塔があちら側へと移動しきった直後、割れた空間がまき戻るように元の姿を取り戻していった。
腰を抜かさなかったのは杖があったからだ。漏らさなかったのは戦場を右左して汗水を多く流したからか。だが身体と歯の震えは一向に止む気配がなかった。
何だ、あれは。あんなの、わたしは知らない。
イゼベルはもう一つの攻城塔も同じように収納する動きを見せたが、今度は思わず顔をそむけてしまった。少し時間を経て顔をあげると攻城塔は忽然と姿を消していたから、同じように引き込まれたのだろう。
敵の攻城兵器である破城槌、投石器も次々と彼女は手際よく引きずり込んでいく。
「立派な攻城兵器を拵えたものね。感心しちゃうわ」
「ああ、これだけの代物を建造出来る知能と技術を持つ者が敵なんだろう」
「あら、それじゃあこの公都の軍で対処出来るのかしらね? カインも大変ねー」
「実際に確かめない事には何とも言えないな」
そんな間でもイゼベルとアタルヤは何も異常はないとばかりに世間話に華を咲かせていた。あまりにも自然な様子はまるでわたしの反応の方が異常だと言わんばかりだ。それとも、まさか本当にわたしの方が常識外れなのか?
「大丈夫よ、マリア。そんな怯える必要は無いわ」
心底から恐怖するわたしをどう思ったのか分からなかったが、イゼベルは優しくわたしに語りかけてくる。そんなわたしが抱いた想いは、間違いなく安堵だった。わたしはイゼベルの言葉に安らぎを覚えていた。そんな自分自身にすらわたしは恐怖を抱く。
「だって冥府の魔導を学んでいけば、貴女だっていずれは習得できるはずだもの」
「え?」
わたしのあげた声がどれだけ間の抜けたものだったか、明日のわたしに聞かせて是非感想を述べてほしかった。それだけわたしは酷く残念な声をあげていただろう。
「奈落へ引きずり込む、中々的を射ていていい比喩ね。普段の隙間はちょっと別の亜空間に繋げるだけなの。ああやって物を運ぶなら冥府へと繋げないと躯手が出せないのよね」
「冥、府……」
「生者があれに恐怖するのは当然の生理現象よ。誰だって死は怖れるものですからね」
だから躯手、なのか。死の恐怖を克服した者などそれこそ境地に達した一流の武芸者や悟りを開いた聖者ぐらいだろう。当然わたしはそのどれでもなく、ただ普通に喜怒哀楽する凡人に過ぎない。冥府の世界と対峙するのは当面先でいい。
しかしイゼベルの話が本当なら、腰の袋にしまう本を手に取った時からあちら側とは否応なしに関わっている。わたしもいつかあちら側を覗いても……いや、むしろあちら側に両足を突っ込んでも何とも思わない魔導師になるだろうか?
「別に今はそんな深刻に受け止めなくていいんじゃない? 物事なるようにしかならないわよ」
「……随分といい加減に言ってくれますね」
「気楽にいかないと人生楽しめない、って言いたいだけよ」
やがて、北の城壁外は昨日の夕方に眺めた景色を取り戻していた。兵器も、スケルトン共も、犠牲になった人達の姿もない。そこにはただ大地が広がるのみだった。設置された松明が無くなっていたり所々に血の跡が残っていなければ昨日の出来事が夢物語なのではと疑ってしまうほどだった。
イゼベルは自分の肩を揉んでから大きく伸びをする。あくびのおまけ付きで。
「こんなものかしらね。あー、今日は働いたわー。じゃあ帰ってゆっくり寝ようかしら」
「面白い冗談だ。今のは素晴らしくも徹夜明けの部下を早朝に労っただけで、これから通常業務に付くんだろう? 率先して下の見本となる優秀な上司を持てて私も鼻が高いよ」
「酷い、酷いわ。どうしてそんな残酷な宣告を平然と出来るの?」
「普段からイゼベルの仕事の何割かを肩代わりしてやっているんだ。たまには働いてくれ」
涙目でひどく悲しげな表情をアタルヤにこれでもかと見せつけるイゼベルだが、その発言は若干棒読み気味だから冗談を言い合っているだけだろう。
と、イゼベルは杖で何とか踏ん張っているわたしへと向き直り、肩へとそっと手を置いた。
「お疲れさま。戦場をアタルヤと駆け抜けてどうだった?」
「……疲れました。物凄く」
具体的には夜の戦いで負傷した人たちに回復魔法を施す気力すら根こそぎ無くなっているぐらいに疲労している。多分集中力向上の補助魔法を切った途端に身体が崩れ落ち、夢の世界へご招待されるだろう。というか、今すぐご招待されたい。
わたし自身はアタルヤに同行しただけでスケルトン共は一体も倒していないけれど、ずっと範囲補助魔法を行使し続けていたからな。更には戦場独特の張り詰めた空気に晒され続けたからか、ずっと緊張しっぱなしだったし。正直、いつ糸が切れてもおかしくない。
「そう、後はゆっくり休みなさい。今回の経験はきっとマリアにとって大きな意味を持ってくるでしょうから」
「何事も経験だとはよく言われますけど、そうなると良いですね」
アタルヤは昼にはアンデッドの発生源に攻め込むと言っているけれど、イゼベルからの任務に追撃への同行は含まれていない。つまりわたしは一夜過ごした現時点ではもうお役御免なのだ。確かにこの先がどうなるか気にならないといえば嘘だが、自分の状態と秤をかけるなら後者を優先する。
イゼベルの言葉をありがたく受け取って、とにかく帰ろう。多分布団に誘われるように横になった挙句に夕方まで寝る確信がある。そう言えば先日は今日何かしようと予定立てていたけれど、何だったかしら? まあ忘れるぐらいだから大した事柄ではないんだろう。
「それではわたしはこれで失礼――」
「きゅ、急報! 急報! 隊長はおられるか!」
ふらつきながらも門を目指そうとする最中、辺り一帯に聞こえ渡るほどの大声が耳に入ってきた。振り返るとアタルヤが少し前に送り出した斥候が馬を全力疾走させながら近づいてくるではないか。肩で息をしていて顔色が悪いのは大急ぎで戻ってきた為だけではなさそうだった。
斥候となっていたアタルヤの部下は下馬すると彼女の前に跪いた。焦っていてもその辺りの礼儀が行き届いている辺りからも彼女の部下達の優秀さが見て取れる。
「どうした。発生源でアンデッドが集結でもしていたか?」
帝国と隣国とは何度か血みどろの戦争を繰り広げていたから、アンデッドの素材になる犠牲者も当然昨晩の数だけでは済まない。アタルヤの弁はおそらく異変解決には元凶を倒すだけではなくもう一戦繰り広げるのを想定してだろう。
「い、いえ、違います……。た、大変な事態になっておりました。アンデッド共は件の地において……」
「あ、もういいわよご苦労様。あとはこの目で確かめるわ」
必死に息を整えて報告しようと努める部下を突如遮ったのはイゼベルだった。その言葉からは労いどころか一切感情が混じっておらず、完全にその者に対する興味が無いようだった。
「イゼベル。この者は私の部下だ。勝手な真似は慎んでもらおう」
「百聞は一見にしかず。確か極東から伝わった言葉だったかと思うけれど。貴女はこの者から後でじっくりと説明してもらえば?」
「……いや、お前がその気になっているなら私も便乗するまでだ」
ほらやっぱりね、とばかりにイゼベルはアタルヤに微笑みで返した。イゼベルはイゼベルでそんな彼女の反応に気分を悪くしたようだったが、わずかに表情に見せただけでそれ以上は自分の中に押し留めたようだった。報告を中断された部下はどうしていいか分からないのか、困惑の表情で二人の様子を窺うばかりだった。
イゼベルは横に腕を広げると、横にしていた扇をわずかに下へと向けた。
「外と内の境線」
すると、何もなかった空間が音を全く立てずに割れて、全く別の空間が姿を現した。攻城塔を引き込んだ躯手が伸びてきた冥府とやらとは違い、これは一番最初にイゼベルがやって来た時と同じ雰囲気を感じる。最も、少し長い間眺めているだけで気が狂いそうなほど異質なモノには変わりないが。
アタルヤは何のためらいもなくその空間へと足を踏み入れた。一、二歩と進んでいくと、次第に彼女の姿が空間へと溶け込んでいく。四、五歩辺りになると彼女はその空間へと溶け込むように姿を消していた。空間に飲み込まれた、それがわたしが正直に抱いた感想だった。
不意に肩を叩かれる。見るとアタルヤが自身が造った別空間への入口へと指差していた。
「最初は強烈な違和感で気持ち悪くなるかもしれないけれど、すぐに収まるわよ」
「……これも冥府の魔導の一部ですか?」
「いえ、空間魔法の一種ね。便利がいいから頑張って覚えたのよ」
つばを飲み込む。ここから先は完全にわたしの所掌外で、体を労わるならとっとと帰って休むのが一番だろう。が、真相を知りたい欲求が確かにあった。それにいくら何でもいきなり事態の打開に至るとは思えないから、確認のみして引き返すのも一つの手だろう。
わたしは意を決すると、アタルヤが開いた空間へと足を踏み出した。その空間は何があるかも、そもそも暗いのか明るいのかすら判別がつかない不思議な在り方をしていた。ただ無数の何かがわたしを覗き見ている、そんな視線があるような気がしてならなかった。
初めの一、二歩は何も変わった様子もない。気構えたのは取り越し苦労だったか? と拍子抜けしていると……、
世界が、一周した。
縦方向か横方向かも分からない。とにかく世界が回ったとしか理解できなかった。直後、わたしの前に広がるのは直前とは全く別の光景だった。
「こ、こは……?」
「西の公都から北に早馬で二時間強ばかりの所だな」
どうやら今わたしがいるのは森の中で、今のアタルヤの発言が真実ならあの一瞬でわたしは別の場所に飛ばされたらしい。隙間、か。あれが空間と空間を繋げるトンネルのような役目を果たしたのだろうか。
公都では晴れ渡ってた空は若干雲が出ていて、先ほどよりも空気が冷えている。確か地図上では北に行くほど高度が上がっていったから涼しいのは納得いくのだけれど、それでも急激に環境が変化すれば慌てるしかないだろう。
既に先に空間へと入っていたアタルヤがその場に佇んでおり、深刻な面持ちで一点をただ見つめている。彼女につられてわたしもそちらの方を眺めてみると、
「――っ!?」
その光景は、あまりにも想像を絶するものだった。
確か地図上はここは山間部とそのふもとに広がる平原に過ぎない。国境近くのため何度かここを舞台に合戦が繰り広げられたのは歴史で学んだ事はあるが、それもあってここには人の生活基盤である村や町はもうない。ただ静かな自然の営みだけがある筈だった。
なのに、眼前に広がるのは自然でもなければ、想定されたアンデッド共の群れでもなかった。
「これは……さすがに私も予想外だったな。敵が攻城塔を用意してきた時点で察するべきだったか」
「何、なんです、これは……?」
「目の前に真実がある、としか言えない」
それは、正に城塞都市だった。
山間部とそのふもとに幾重もの城壁が張り巡らされており、傾斜となっている山間部にある城壁と城壁の間には家や屋敷が立ち並ぶのも見て取れた。一番奥側、山の三合目辺りの高さだろうか、には白い城がそびえ立っていた。城壁の上ではアンデッドだろう兵士が厳重に警護している姿も見える。
おそらくここまでの立派な都市は帝国中探しても指を折る程度だろう。遠目で伺う限りでも整備が行き届いた造りをしており、例え西の公都が壊滅してもここに全住民が移住出来てしまうだろう。ただ決定的に異なるのは、山間部に見える街並みは生活の様子が全くと言っていいほど見られない点か。
死者の都、正にそんな例えが相応しいだろう。
「都市を築くアンデッドだと? 前代未聞もいい所だ」
やろうと思えば確かに不可能ではないのだろう。必要な資材と人員さえあれば都市建設は進められる。アンデッド共を総動員して次々と拡張していったんだろう。よく目を凝らせばまだ作業中になっている部分も点在しているようだ。
だが、誰がそれを実践したのだ? 何の為に? 都市を築き、軍を整備し、公都に攻め入る動機がさっぱり見えてこない。
「これを攻略するとなるとこちらも大規模な攻城戦を覚悟しなければならないな。どれだけ備えればいいだろうか」
「獲得した攻城塔を使うとかは……」
「外側を囲む大規模な城壁と網目状に張り巡らした小規模な城壁で構成される公都と違って、あれは城を中心に円周上に幾重にも城壁を設けている。あれでは攻城塔はせいぜい一番外側にしか使えないだろう」
イゼベルが内側の城壁まで攻城塔を持っていこうとしても、そばにある家や山の傾斜がそれを許さないか。大がかりな兵器が使えないから城壁を取り壊せないし、這い登って裏側に回るか門を突破するしかないだろう。
完全包囲しようが敵に籠城策を取られたら先に根を上げるのはこちらだろう。何と言っても相手は食料も水も不要な死者なのだから。一つ一つの城壁を時間をかけるしか今のわたしには攻略法を思いつけなかった。
「何でこんなものが建築されるのを誰も把握できなかったんでしょうか……」
「これまでは毎朝引き上げたアンデッド軍の兵士が日が昇っている間に周囲を警備していたと聞いている。この情報は今まで誰も持って帰ってこれなかった」
なるほど、それは合点がいった。今わたし達が眼前に捉えていても見つかる様子が無いのは先ほどの勝利があったからこそか。
かと言ってあの城塞はこの情報を持ち帰っても今すぐどうこう出来る代物ではない。じっくり話し合って攻略法を見つけ出さないと、無残に屍を晒す結果になるだろう。あ、それだけならまだ良くて、今回の場合はその屍を逆に敵の戦力にされてしまうのか。
「無理だなこれは。一旦引き上げてしかるべき者達に今後の方針を決めてもらおう」
「そう、ですね……」
これ以上ここにいてもわたし達には何も打つ手がない。わたしはただ呆然と眺めるしかない。
死者の都の方から冷たく吹く山風は、まるで亡者の笑い声のようだった。
お読みくださりありがとうございました。