都市防衛戦①・夕暮れ時
茜色に染まる空の下、夕日に彩られる大地を見下ろす。わたしが今いるのは昨日は眺めるだけだった西の公都の北に位置する城壁の上。ここから見下ろす景色は正に絶景と呼んで差支えなく、城壁内側を見れば公都が隅から隅まで一望出来るほどで、外側を見れば一面に広がる草原や荒野、その奥には森や河、果てには山脈まで視界に納められるほどの壮観だ。
「凄い景色ですねー。わたしがいない間にこんな規模の建造物が出来ていたなんて」
「この公都では城や教会をしのいで一番高い筈です。国境の壁より高かった筈ですよ?」
状況が許されていたなら人気の観光場所になるだろう。ここで食事を取ればどれだけ気持ちのいい事だろうか。散歩道にしてしまうのもいいかな。全てに片が付いた暁には一般市民に開放するようカインに進言してみる価値は充分にあるだろう。
だが、今この城壁に待機する者達は一般市民からはほど遠い者ばかり。誰もが緊張感に張り詰めた様子で外の様子を窺ったり、武器防具の手入れに勤しんでいる。仲間同士での会話も耳に入ってくるものの、世間話ではなく真面目に今夜について語り合っている。
兵士や傭兵達の間では疲労感はある程度漂っていたものの未だ絶望感は見られなかった。昨日は乗り切った、今日も乗り切ろう、でも明日は? そんな後ろ向きな発言も聞こえてはくるわりには士気が落ちていないような気がする。先の見通しが立たない戦争なんてやる気が急落する一方だと思っていたのだけれど。
「果てのない戦いにみんなうんざりしているようだけれど?」
「これでも戦略面の情報をは一部の高官にしか伝えていなかったから助かりました。もし帝都からの援軍を期待していて、それが破綻したと知れ渡ってしまったら……」
成程、具体的な情報は流していなかったか。おそらく禁軍の騎士団全滅の一報は既に公都に流れてしまっているだろうが、それをカインが当てにしていた帝都の援軍と結び付ける者は現れないのか。中々情報の統制が上手いものだ。
わたしは昼食の後予定通り家と店の整理整頓をしてから軽く夕食を取ってからこちらに足を運んできていた。どうやらわたしが助力するという情報は既に伝えられていたらしく、身分証明しただけで通された。でなければただの部外者がここ、防衛の要である城壁の上には来れないだろう。
わたしの隣ではカインが真剣な面持ちで城壁外を眺めている。毎晩アンデッド軍が来襲してくるその方角を。表情にはやはり疲れが見て取れたが、毎晩死闘を繰り広げている筈の兵士達と比べても一段階ほど深刻なような気がする。
「カイン、ちゃんと睡眠時間は取っています? 最前線で奮戦する他の兵士達より疲れているように見えるんですけれど」
「だ、大丈夫です。徹夜はしていませんから」
「そう言う問題ではないでしょう。本当だったらカインはここにいる誰よりも長く寝ないといけないのに。自分がまだ子供だって事実を忘れていない?」
「……他のみなさんが命を賭してこの公都を守っているのに僕だけ惰眠を貪るわけにはいきません」
使命感に燃えるのは構わないがそれで潰れていたんでは話にならないだろう。こんな年を重ねていない少年に全部押し付ける大人たちも大概だが、その期待に全て答えようとしているカインもカインだろう。もっと他の暇人たちに投げつけても文句は言われないだろうに。
とはいえ、カインがこの場に現れると次々と兵士たちが砕けた口調で気さくに話しかけてきたし、部隊長や将軍と思われる者も彼に報告していた。カインがお飾りで据えられた責任者だったらこんな扱いにはならない筈だから、評判は良いのだろう。むしろ彼を守ろうと意気込む者までいるから、士気も向上しているかもしれない。
だからと彼が戦場の自陣にいていいという理由にはならない。
「今日はいつものようにお屋敷に帰らないんです?」
「いつもは事務仕事の処理をするために帰っていただけです。今日はこちらの方が重要なので、未届けに来ています」
「そんな押したら倒れそうなへろへろな状態で?」
「……それでも僕がこの場にいる利点の方が勝ります」
むう、強情な。実際彼を押し倒して分からせた方がいいのかもしれないが、魔導師がそんな実力行使に出たのではあまりに馬鹿げている。かと言って見過ごせば今夜繰り広げられるだろう防衛戦に始終付き添って徹夜しかねないな。その後屋敷に戻って床に付くつもりか?
仕方がない。要するにカインの疲労を取ればいいのだから、妥協案を提示すればいいのだ。
「少し寝たらどうです? 陣営に戻れば簡易寝床ぐらいはあった筈だから横になるといいじゃない。心配だったらアンデッド軍が襲来しそうになったら起こしてもらうよう頼んでおきますから」
「そ、そうはいきませんよ! 開戦前にこちらの軍を全部視察しないと」
そう言えばそうだった。カインは現場を見て回っていると黄昏ていた私を見かけて声をかけてきたんだった。自分の目で状況を把握する心がけは確かに立派ではある。しかし些か過剰だろう、今後はもっと力の抜き方を覚えた方がいいかもしれない。
「活性魔法をかけてあげますから一時間半ほど仮眠を取りなさい。そうすれば一晩寝た場合と同じぐらいの疲労回復効果が見込めます。すっきりしますから」
「えっ、そんな事も出来るんですか?」
「ええ可能です。少しは休み気になりました?」
わたしが自信を持って頷くのを見てカインは静かに考え込んだ。やはりなんだかんだ言ってカインも疲れを自覚しているのだろう。こんな脇に見える兵士の半分も人生を歩んでいないような子供が過労で倒れるなんて洒落にもならないし。いっそ催眠魔法で強制的に夢の世界にご招待してしまおうか?
そう時間を経ずにカインはわたしに向けて首を縦に振る。笑みを浮かべてはいるものの、先ほどと違って疲れはもう隠していなかった。
「そうですね。その提案、ありがたく受け取りたいと思います」
「じゃあ一旦城壁から降りて本陣に戻りましょうか」
城壁上には守備隊が展開しておりそこにも陣はある。だが本陣は城壁を降りた所、昨日訪れた即席の野戦病院近くの建物が臨時に当てられている。これは何も戦いは城壁上で弓を射て石や火を投擲するばかりではなく、門を出て敵陣を蹂躙する突撃隊の出番もあるからだ。守ってばかりではいずれは疲弊すると判断されての戦術なのだろう。
とはいえ、公都のどの建造物よりも高くそびえ立つ城壁の上に登るのも非常に疲れたが、降るのも疲れるものだ。何せ城壁内側に階段が設けられているから、反対側は縄が張られているだけで下が丸見えなのだ。少し体勢を崩したら奈落の底に真っ逆さまだな。
階段を半分ほど降った辺りだろうか、北の門に続く大通りの方から歓声が聞こえてくる。士気向上の為に自分達を奮い立たせているわけではなく、これは自然に発せられたものだ。けれど、この盛り上がり様はどうも尋常ではない。思わずわたしとカインは顔を見合わせてしまう。
「……合戦前はいつもこんな感じになるんです?」
「いえ、普段はこんな風にはならないんですけど……。何かあったんですかね?」
自然とわたし達の足も速くなる。今日の開戦に向けて階段を昇っていく兵士達が多い中、わたし達だけが階段を降っていく。階段を降り終えたわたし達は会話を交わす事なく足早に大通りに向けて進んでいった。
その光景は今から果てのない戦いが待っている筈なのに凱旋ではないかと錯覚するほど壮大なものだった。まるで国の象徴たる軍勢の行進を目の当たりにしたかのような熱気が大通りわきに避けた兵士達に広がっていた。だが実際に大通りを行進するのはただの一部隊で、戦局を劇的に塗り替える大軍が現れたわけではない。だからこそこの光景は正に異様と言っていい。
兵士達を興奮させる部隊は総勢百名ほどの騎乗兵で構成されていた。目を見張るのは、その部隊が先日遭遇した帝国の象徴たる禁軍で構成された騎士団より整然としている点だろうか。装備は実用性重視で見た目が無骨なもので固めており、そのどれもが使い込まれていてどこかしらに傷や汚れが入っている。
だが、百名の部隊もさることながら、この場の誰よりも注目を集めていたのは先頭で馬を駆る騎士だろうか。身に付ける全身鎧は細部にまで丁寧な装飾が施されており、盾には帝国の国章でもある双頭の鷲が彫り込まれている。だが宝石の類は一切はめ込まれておらず、儀礼用のパレードアーマーにも見えるが実戦用であるものとうかがえる。逆に手にする槍は豪奢と断じて過言ではなく至高の逸品、帝立美術館に展示してある伝説の武具を髣髴とさせる。兜は外していて盾を装備する方の腕に抱えている。紫色の外套を羽織る様は王者の風格すら漂っていた。
「凄い、ですね……」
この場の責任者である筈のカインはその様子に圧倒されていて、ただそうつぶやくのが精一杯のようだった。魔導師であるわたしもこう心が騒ぐ自分自身に驚いているのだから、長く異変に関わってきたカインにとっては言葉に出来ないほどの感動があるのだろう。
威風堂々とした行進は本陣の前で向きを変える……と思いきや、顔すら向けずに素通りしてゆく。これには周りの兵士達も意外だったようでにわかにざわつきだした。本陣を通り過ぎたら後は店も陣営も無いに等しく、ただ城壁と門が眼前に広がるのみだが。
そんな中、偶然先頭の騎士とわたしの目と目が合った。凛とした佇まいをさせたその騎士は直後に手を挙げて部隊の行進を止める。何を、と思った矢先、その騎士だけが下馬してわたし達の方へと歩み始めた。わたしを含めて進行方向にいた者達は一斉に仰天してしまう。
やがてその騎士はカインの前へやって来ると、膝をついて臣下の礼を取る。
「カイン殿。魔導協会より派遣されましたアタルヤ以下百名、要請に応じ馳せ参じました」
「えっ……!?」
カインは思わずわたしの方に顔を向けるがそんな眼差しでわたしを見ないでほしい。わたしの方が逆に事情を詳しく伺いたいぐらいなのだから。
歴戦の騎士団を髣髴とさせるこの部隊を率いていたのはアタルヤ。そう、この部隊は昼にイゼベルとも語った魔導協会より派遣された者達なのだ。あの場を話半分で切り上げたわたしはアタルヤに率いられた実戦向きの魔導師の部隊がやって来ると思っていたのだが、まさかこのような騎士団同然の部隊を率いてくるとは。
それにしても首を垂れるアタルヤの方が責任者のカインより威厳があるように見えてしまう。年期や経験の違いがあるから仕方がないのかもしれないけれど、現場の者達がこれを目の当たりにして抱く感想はどうなんだろうか?
カインは心を落ち着かせる為か、何回か深呼吸をした後に背すじを正した。
「と、突然の要望に応えてくださって本当にありがとうございます」
「本来なら本陣に報告をするべきなのでしょうが、準備を整えるのに手間取ってしまいこの時間となってしまいまい申し訳ございません。つきましては直ちに出陣いたしたく」
「あ、あの、その武装を見るに、やはり打って出る方針で?」
「はい、我々は開戦前から門の外で待機いたします。守備隊の方々においては弓、投擲にて我々の援護をしていただくようお願いいたします」
「わ、分かりました」
アタルヤ率いる部隊は重騎兵で構成されており、その装備はほぼ突撃槍で統一されていると言っていい。腰に剣を携えてはいるが、弓などの飛び道具は一切見られない。おそらくは文字通り敵陣になだれ込んで蹂躙するべく構成されているのだろう。
しかし、どこからどう見ても魔導師が率いる部隊には見えない。むしろ本当に魔導協会から派遣された者達なのかも実に怪しい。と言うかここの支部に百人もの魔導師を捻出するだけの人員なんていたっけ? 目の前のアタルヤがいなかったら間違いなく疑っていたんだけど……。
アタルヤは立ち上がると、待機していた者の一人に向けて手を挙げて合図する。先ほどの行進の時にアタルヤの左右にいた者の一人に向けてだったが、その二人だけは他の者と違ってアタルヤと似た武具に身を包んでいる。ただしアタルヤよりは若干簡素な装飾ではあるが、それでもれっきとした騎士にしか見えなかった。
合図を受けて連れてこられたのは、乗る者がいない騎乗用の馬? これはもしかしなくても……。
「マリア、イゼベルから話は聞いている。お前の為に馬を用意してやった」
「や、やっぱり冗談じゃあなかったんですね。支部長のあの発言」
昼間の一件、つまりわたしがアタルヤ率いる部隊に同行する旨は残念ながら本当だったらしい。けれどあえて申し上げるなら、これだけ規律正しい部隊に部外者のわたしが入ったって戦力になるどころかかえって足かせになりかねないと思うのだが。
「あえてわたしがこの部隊に加わる利点を感じないのですが」
「別に槍をもって戦えとは言わん。範囲魔法が使えるなら馬に乗って我々に付いて来ればいい」
「いや、確かに馬に乗った事はありますけど、戦場を駆ける芸当はとてもわたしには……!」
「この馬ならお前に乗馬の経験さえあれば問題ない。勝手に走ってくれる優秀な馬だからな」
なんという事でしょう。逃げ道を見事に塞がれたとしか言いようがない。おそらく連携だの実力だのを理由に挙げても臨機応変に対応すると言われて一蹴されるのが目に見えている。彼女は余計な助っ人が加わり利点と不利益を吟味した上でわたしの参加に同意したんだろう。
かと言って全てわたしの判断にゆだねられても困るしかない。開戦まで時間が迫っているから詳細な打ち合わせは無理だろうが、せめて指針だけでも明らかにしておかないと。
「わたしはアタルヤさんの部隊に同行して回復魔法などで援護する。それでいいんですよね?」
「ああそうだ。強いて言うなら攻撃魔法の使用は控えてもらいたい。その分我々がお前の矛となり盾になろう」
「分かりました。その方が助かります」
良かった。攻撃魔法もいくらかは使えるけれどあまり自慢できた腕ではないから、それを当てにしてもらうのは実に困る。ただ禁止すると言わなかったから、おそらく自分の身を守る際は使えと暗に言っているのだろう。その辺りの判断は任せる、辺りか。
わたしにあてがわれた馬ははみ、あぶみ、くらと必要な馬術装備は整えられており、アタルヤが率いる部隊の者達が騎乗する馬と大差ないように見える。あえて違いをあげるなら少しこの馬の方がおとなしいぐらいか。これならわたしでも乗る事が出来る、ような気もする。
「見ての通り我々は今晩の戦いでアンデッドの群れがいつも通り壁際まで迫った後、敵陣に突撃し蹂躙する予定だ」
「あの、すみませんがわたしにはただの騎馬軍隊にしか見えないのですけれど」
「ああそうだろうな。私が率いているのは正にその騎馬隊だ」
目が点になるとはこの事か。まるで当たり前のことを口にしたように断言してくれたが、魔導師がどんな風な経緯で騎馬隊を率いてくるのだろうか。ここの支部に実戦部隊がいたのも驚きなのに、これはそう言うものなのだと自分を納得させるにしろ些か無理があるのだが。
アタルヤもわたしの疑問に気づいたようで、申し訳なさそうに顔をわずかにしかめた。
「すまない、説明不足だったな。ここの魔導協会支部所属は私だけ。先ほどの行進の際私の両隣にいた両名がこの部隊の副官、と言えば分かるか?」
「ええ、わたし達も行進の様子は見ていましたので。では他の者達はまさか傭兵ですか?」
「私の私兵と思ってくれていい。全くイゼベルも、あと一日でも時間をもらえれば百人隊に留まらずに千単位で集められたものを」
「私兵をこの短時間で百名も揃えたのですか!?」
これは驚きを禁じ得ない。イゼベルの人選は今日昼頃だったから、数刻しか経っていない筈だ。それなのに百名の人選も馬も装備も整えてこうして現れたというのか? イゼベルが空間を割って無理矢理人員を招集したとしてもあまりに手際が良すぎる。
ひょっとしたらアタルヤもイゼベルもこのような展開になるとあらかじめ読んでいて、いつでも参戦できるよう部下達をある程度の数だけ待機させていたのだろうか? 一体どこまでがイゼベル達の手の内なのだろうか。敵対もしていないのに末恐ろしくなってくる。
アタルヤが副官に向けて手を挙げて合図を送ると、再び彼女の部隊は行進を開始する。向かう先は門を隔てた公都の外側。門扉は開かれ落とし格子は上げられており、部隊はそのままわき目もふらずに公都の外へと足を踏み出していく。
「では我々も行こう。日が沈む前に部隊を東側へ移動させなければ敵軍の横腹を貫けなくなる」
「あ、城門の前に展開するわけではないんですね」
「百人ばかりで正面から猪突猛進して勝利できるほど戦は甘いものではないからな」
わたしは恐る恐るアタルヤの用意してくれた馬へと乗ってみる。指を折る程度しか馬を駆った経験が無いものだから不安だけしかなかったが、予想より容易くいけた。多分部外者のわたしでも乗れるような馬を選定してくれたのだろう。
アタルヤも大地を蹴って颯爽と騎乗する。身体がまるで振れずに外套がたなびくその姿は部隊長どころか王者を髣髴とさせる優雅さすらある。これでは彼女は絶対に一介の魔導師ではないだろうと疑いたくなってしまうな。
彼女は期待も不満もなく、ただ無表情でわたしの目を見据えてくる。
「開戦前の内に言っておくが、私はそこまでお前には期待していない。だが足手まといになるとも思っていない。先ほども言ったが我々がお前の矛となり盾となるから、お前はお前の判断しうる最善の選択をしていればいい」
「ええ。その配慮、ありがたく頂きます」
この評価は実は意外だった。過大に期待されるか初めから数にも入れていないかの両極端とばかり思っていた。今の口ぶりからすると彼女は部隊に加わるわたしの経歴、成績を調べた上で使えるか否かを冷静に判断したのだろうか。わたしの参加はイゼベルの思いつきも多分に交じっていただろうに、すぐさま対応したわけか。
ならわたしは、彼女の足かせとならないよう精一杯頑張るとしよう。これは進展の有無に関わらずに勝たねばならない戦いなのだから。
お読みくださりありがとうございました。