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本屋での新たな出会い

 帝国の本は主に写本が普及している。神の子の教えを広める教本や子供達次世代を担う者達への教科書など量産する本は木版印刷が主だろうか。最近になって文字を一つ一つ並べて絡繰り仕掛けで判子のように次々と生産する活版印刷が発明されたとか。

 ただ言えるのは、どれもこれも庶民が簡単に手を出せる安価なものではない。写本一冊買うだけで庶民が一体何日、何か月過ごせるだろうか? わたしも学院に入る前、公都の魔導協会支部で学んでいた頃の勉強は教科書を写しながらやっていた。だからか、活版印刷本を手にした時は結構感動した覚えがある。

 その為だろう、帝国では本屋よりも貸本屋の方が普及していると言っていい。本なんて大抵一回読めば満足できるし、また読みたいと思った時はまた借りればいい。どうしても手元に置いて読みたい時に読みたくなるほどの逸品に出会った時、初めて本屋の出番となる。

 ちなみにイヴが今日まで読んでいた本の数々の大半がわたしの写本だったりする。教材だったり協会支部の図書室に置いてあった本で特に気に入った物語だったりと、多岐な分野にまたがっている。しかしイヴが魔導の教材なんか読んで果たして楽しいのだろうか?


 わたし達の目の前に立つお店は公都でも数少ない本屋の一つで、あるのは知っていたけれど実際足を運んだのは初めてだった。確か貸本屋や古本屋にもなっていて、相応のお金さえ払えば写本も請け負ってくれると聞いている。

 というか、本を購入できる余裕がある貴族や商人なんかはわざわざ来店せずに本屋の者に品を届けさせるって聞くし、実際は貸本屋の方が本業になっているんだろうけれど。


「へえ、これが本屋。来るの初めてね」

「それは意外ですね。頻繁に足を踏み入れていると思っていましたが」

「本は嫌いじゃないけれど、お金を払ってまで自分の所有物にするつもりはなかったもの」


 なるほど、そういった考えもあるか。きっとイヴにとっては本はあれば読むけれどなくても別に困るほどではないのかな。


「わたしも実際来るのは初めてなので、実はちょっと楽しみだったりします」

「あらそう、眺めるだけで満足するんじゃない?」

「かもしれませんね」


 幸いカインのおかげで懐は温まったので、次に服を買う事を視野に入れても本に手を出す余裕はある。自作写本但し字の綺麗さの保証なし以外の本を自分の物にするのはわりと夢見ていたんだ。


 扉を開くとそこに広がるのはまさしく本の世界だった。わたしの背よりも高い棚が幾重にも列をなしており、そのどれもが本を所狭しと収納……と言いたかったけれど、何か所か空きが見られた。多分その部分は現在貸出し中なんだろう。店内はやや薄暗く、照明は窓から入り込む日光ぐらいだろうか。曇りとか雨の日はさすがに灯りをともすんだろうか?


「あら、このお店、床も木板で柱も木だし、木造建築なのね」

「本当ですね」


 土や石、レンガ造りの多い帝国で木造とはまた珍しい。確かはるか彼方の東方では木造建築ばかりな国もあるらしいけれど、実際お目にかかれるとは思ってもみなかった。火事対策とかはどうしているんだろうか?

 数多の本に目移りしてしまってここにいるだけで一日が潰れてしまいそうだから、早い所目的となる場所に行って目当ての本を探してしまおう。


「いらっしゃい、初めて見る顔ね」


 入口真正面奥の方から変声期になったばかりの幼さと若さが混じった声が耳に入る。視線をそちらの方へと向けると、作業机で筆と眼鏡装備の女の子が笑顔でこちらの方を覗いていた。随分と可愛らしい店員さんだけど、聞いた話では店主はもっと年齢を重ねていた筈だが。

 彼女はそのまま作業机に視線を移すと筆を再び走らせ始めた。執筆作業は尋常ではない速度で進んでいき、眺めている間にも彼女の手は次の羊皮紙へと伸びていく。


「ええ、数年前はここに住んでいましたが、来るのは今日が初めてです」

「そう、まあゆっくりしていって頂戴。何か用があったら声をかけてね」


 気になったので彼女の仕事の様子を窺うと、どうやら今は写本製作の作業中のようだ。筆を筆記具として使うのはまた珍しいな。これも確か東方ではペンではなくこの筆にインクを付けて書くんだったっけ。最大の特徴は文字の太さが一定にならないため、文章が無機質にならない点か。

 邪魔しては悪いし、本を探すだけならわたし達だけでやろうか。


「イヴ、この辺りが貸本ではない売本ですよ。手前が中古で、奥が新品のようです」


 わたしはイヴの車椅子を押して、売っている本が収められている本棚までやってきた。所々に『長時間の立ち読み厳禁』と書かれた張り紙がされている辺り、ただ読むだけで買おうとしない輩が頻繁に出没するんだろうか?


「古本? へえ、中古の本まで売ってるんだ」

「本は思ったよりは丈夫ですしまだ稀少ですからね。売ればお金になるし買えば新品より安く手に入ります」


 古本になると手垢で若干汚れが出てくるのだけれど、読み込まれているおかげか各頁の紙が新品より味わい深くなっているんだよね。わたしとしては余裕があれば誰もまだ手にしていない新品を買いたいんだけれど。

 ちなみに文字が書ける人の内職として写本造りもある。稀少な本なら時間と労力に見合う金額が支払われると聞く。文章の出来栄え、つまり文字の綺麗さ、整い具合、誤字脱字の有無でかなり上下するらしいけれど。美しい文字を書く人の写本は元となった原本より高くなる場合もあるとか。


「この辺りが古代、この辺りが近代の作品ですね。小説、戯曲、詩、寓話など様々あります」

「これだけの量あるとどれに手を付けていいか迷うわね」


 ふむ、どれに手を付けたらか。たまには小説ではなく伝記や旅行記にでも手の伸ばしてみるか? 何だったら料理本に手を付けて料理の腕を上げるのもありかもしれない。逆に今まであまり興味がわかなかった社会誌を読んでみるのもありかもしれない。


「わたしのお勧めは外典や偽典でしょうか」

「それ、正典から外れたり異端扱いされている教本でしょう? 宗教に絡んだ本はあまり気乗りがしないんだけれど?」

「読み物として割り切っちゃったら中々面白いんですけどね」


 聖職者が聞いたら形相を変えて襲い掛かってきそうな意見だけれど、この場には誰もいないから別にいいか。イヴもわたしの発言を聞いて呆れたのか軽くため息を漏らしてくれた。


「それにしても、この量はさすがに私の想像を超えているわね」

「圧倒されますよね、これだけ並んでる様子はさすがに圧巻と言いますか」


 図書室とほとんど同じでありながらまた別の雰囲気が出ていて圧倒されてしまうな。きっとわたしならずっとここにいたって飽きないだろう。昔は本に囲まれた生活を送りたいとまで真剣に考えたものだなぁ。

 イヴはいくつもの本を手に取ってみてページをめくるものの、その全てにおいて少し目を通しただけですぐに元に戻していく。あまりに数が多すぎて気に入る品が巡り会えないか?


「興味惹かれる作品が出てきませんか」

「いえ、いくつか興味深い奴はあったけれど、一回読んでしまったら飽きてしまいそうね」

「……つまり、買うほどではないと?」

「あれば読むし無くても別に構わないって程度」


 む、だとしたら新品で買う必要は全くないな。借りてしまえば費用もかさまなくて済むし、本の収納場所にも悩まない。だとしたらこちらではなく貸本の棚に移るべきか?

 いや、その前にわたし自身が興味惹かれる作品が無いか探したい。せっかく足を運んできたんだから、このまま収穫が貸本だけなのはあまりにも寂しい。

 ではどれに手を付けようか? 一回読んで飽きてしまう本を買っても勿体ないだけだし、かと言って読まない事には名作には巡り合えない。ここはやはり貸本から手を出して、気に入った作品を改めて購入する形で……。 


「レイア、頼んでいた品は出来上がったか?」

「ん? ああ、何だアタルヤか。てっきり新しいお客さんが来たかと思っちゃったよ」


 と、作業机の方から会話声が聞こえてくる。一度耳に入れた事のある声が聞こえてきたので振り返ると、金髪を頭でまとめた青いドレスを着た大人の女性が写本製作をしていた女の子に声をかけていた。こう見比べると親子ほどに年齢差が開いているかもしれない。

 レイア、と呼ばれた女の子は背後の本棚に納められた本を十数冊ほど取り、袖机から取り出した布で丁寧に包んでいく。端と端を縛るとそれをアタルヤと呼ばれた大人の女性へと差し出した。確か風呂敷と言ったか、あれもはるか遠くの東方から伝わってきたんだったっけ。


「はい、頼まれてた活版印刷本が二十冊。代金は前払いだったかしら?」

「ああそうだ。子供たちの授業で使う教科書になる」


 それを聞いて思い出した。彼女、アタルヤの声をどこかで聞いた覚えがあると思ったら、昨日会ったイゼベルの秘書として傍らにいた女性だった。服装や佇まいが全く異なっていたから全然気づかなかった。

 何と言うか、イゼベルと共にいた時は落ち着いた物腰で一歩引いていたけれど、今は風格すら漂うほど堂々とした佇まいだった。もしかして昨日はたまたまイゼベルに言われて雑用をこなしていただけで、本来は上に立つ人なのか?


「中身は本当に確認しなくていいの? 印刷の不具合や乱丁、落丁だってあるかもしれないのに」

「それは事前にレイアが確認しているんだろう? 私はお前の仕事を信じるまでだ」


 からかい半分で笑みをこぼすレイアだったが、イゼベルが当たり前のように返してきた言葉を聞いて、少しの間きょとんと彼女を見つめる。だがその後はすぐに自信にあふれた笑みをアタルヤに返した。馬鹿にするな、と彼女の瞳は強く語る。


「当たり前でしょう。何て言っても私の仕事だもの」

「なら問題ない。次は一年後だな」

「たまには教科書の更新以外の、写本の依頼くれたっていいのに」

「あいにく、お前ほどの職人に回す価値のある本には巡り合えていない」

「褒め言葉として受け取っておくよ」


 レイアは話半分に聞き流したように再び机の上へと視線を戻し、筆を走らせ始める。アタルヤの方は風呂敷に包んだ本を担ぐと、様子をうかがっていた私の方へと視線を向ける。

 そこまで意識して見つめていなかったのに、気づかれた……!?


「別に隠すほどの会話でもないが盗み聞きとは感心しないな、マリア」

「す、すみません……」


 アタルヤの方は別にわたしを咎める様子はない。ただ思った事を口にしただけで気にも留めていないのだろう。けれど確かに彼女の指摘は言い逃れも出来ない真実だったので、わたしは素直に謝罪と共に頭を下げた。

 ただそれだけではあまりにも気まずいので、自然と会話を続けるよう口が開く。


「教科書、更新していたんですね」

「ああ、何年かに一度は見直しし、不備や改善点があればそれを反映させている。マリアもここの支部で学んでいたなら古い教本を一冊は譲られたと思うが?」


 魔導協会では何年間か学んだけれど、確か教科書は一年単位でまとめられていたっけ。わたしはアタルヤが言うように、何故かある年の終わりに教科書の中身全てを学び終わった後に餞別だとばかりに渡されたんだった。と言うか昨日イヴが目を通していたのがそれだ。

 あれはもしかして、新調するからもう要らなくなる教科書を教え子に渡していたのか? そんな裏事情はあまり知りたくなかったなぁ。


「魔導はカビの生えた学問ではなく常に新しくなっていくからな。定期的に手入れしなければ骨董品どころかガラクタの価値すらない」

「古き概念には縛られず常に新しい風を、ですか」

「そう言えば、こちらからはまだ名乗っていなかったな」


 アタルヤはこちらの方へと歩み寄り手を差し伸べてくる。彼女の手は一見すると繊細そうだったけれど、握手してすぐさま認識を改めた。

 手が、硬い……! 皮膚が厚く荒れていて、その手は剣や槍などを振るう武芸者しか成れないものだった。ドレスの袖に包まれる腕は普通の貴婦人相応の細さに見えるのに、このままわたしが全力で振ってもびくともしない力に満ち溢れている。

 多分、このまま彼女が力いっぱい握ったらわたしの手は肉も骨も粉砕してしまうだろう。


「魔導協会でここの副支部長を務めているアタルヤだ。昨日は自己紹介できなくてすまなかった」

「い、いえ、わたしはマリアです。よろしくお願いします」


 アタルヤはわたしが知る副支部長とは別の方だから、きっとわたしが学院に行った後で交代したんだろう。威厳がありながらもどこか慈愛も感じさせる、不思議な人だ。


「ところで昨日の話では開業魔導師になると聞いていたが、今日は休日か?」

「はい、明後日から本格的に活動する予定です」

「そうか、だが本なら別にレイアの所ではなくても協会支部の蔵書で十分だろう」

「一応自分の物にしたいって我儘もあったもので……」

「成程」


 確かに協会支部には十分な量と質が揃っているけれど、この欲求には抗えない。経済的理由で諦めてた夢に手が届きそうになったから欲が出てきたとか。本を読むのも確かに楽しいけれど、やはり自分の本に囲まれながら、という所が重要なのだ。

 相づちを打つアタルヤの前髪が静かに揺れる。宝石を思わせる輝きを持つ碧眼は、やがてわたしの双眸から車椅子に乗るイヴの方へと下がっていった。


「彼女の為か。中々に友想いなのだな」

「え? え、ええ、まあ、そうですね」


 どうも少し勘違いしたか? いや別に間違いではないので一応返事は返したけれど。

 アタルヤはそんな困惑するわたしをよそに、古本が揃えられている棚に少し背伸びしながら手を伸ばし、高い段から一冊の分厚い本を取り出した。それは確か話には聞いた覚えがあるけれど、題名ぐらいしか知らないものだ。


「千年以上前に世界を救ったとある勇者の英雄譚だ。物語にされて多少真実とはかけ離れているが、概ね勇者の半生を網羅していたな」

「えっと、これがアタルヤさんのお勧めですか?」


 アタルヤはその本をわたしではなくイヴの方へと差し出す。彼女は表情を出さないまま左手を出してそれを受け取る。彼女はさっきまで我関せずと視線を逸らしていたのに、今はアタルヤの眼差しをを真正面から受け止めていた。

 その双眸は、まるで全てを見通すかのように深い色を湛えていた。


「世界を救った勇者が悉く諸手を挙げて歓迎されたと思ったら大間違いだ。歴史がそれを証明している」

「……っ!」


 とっさに身構えようと頭によぎったが、目の前の淑女は仮面でも被っているかのように表情一つすら変えないでいる。彼女に害意や悪意があるようには見えないが……。


「時間はあるんだろう? 先人たちがどうなったかを学ぶのも無駄ではないだろう」


 アタルヤは颯爽と踵を返しその場を後にしていく。ドレスから露出させた背中やうなじを見ても人を惹きつける貴婦人らしき華奢さと柔らかさしか印象を受けない。絶世の美女と表現すべき容姿とも合わせて無骨と表現すべき手とは全く結びつかなかった。

 呆然と去っていく彼女の方を見つめていたわたしだったが、ふとイヴが気になると途端に先が怖くなってくる。


「完全に気付かれていましたね」

「ええ、そのようね」


 アタルヤは、イヴが勇者だと見抜いている。


 真実に到達されてしまったら復讐の邪魔になりかねない、とイヴは思考を巡らせているかと思ったら、彼女はただ背中を見せるアタルヤを見つめていただけで、その瞳には敵意も覚悟を決めた冷酷さもなかった。


「あの人をどうかするとか、考えないんですね」

「私を売って役人共に引き渡そうって魂胆でもないようだから。別に私の害にならなければいいわ」


 それに、と彼女は続けながら目を細める。そう、敵意はなかったが、代わりにイヴは警戒感をアタルヤに隠そうともしていなかった。最も、アタルヤの方はそれに気づいてはいたようだが涼しげに受け流していたのだが。


「彼女、相当出来るわよ。今後も付き合いがあるなら用心しておいた方がいいわ」

「そうでしょうね」

「彼女、体もそれなりに鍛え上げてるんでしょうけど、それに付随させる何かがある筈よ」

「……彼女も魔導師なら、魔法で身体能力を向上させる術に長けているのかもしれませんね」


 あれだけの手をしているなら相当鍛えこんでいる筈なのに女性らしさを先に感じさせる大人の女性らしい柔らかさと豊満さ。この矛盾は、筋力の代わりに魔法で身体能力を向上させている為だろう。だったとしたらそこまでのがたいを良くする筋力は必要ないし、身体に動作を覚え込ませる鍛練もそれほど重要ではなくなる。

 やる特訓は、得物を振るう動作すら魔法の一部だと連想させ、自分の思い描いた動きを可能とする魔導の構成力、想像力の向上だろう。


 しかし、冥術の魔導書を世に放つイゼベルにあのアタルヤ、何故か幼いカインが奔走してたりとか挙句アンデッド軍は襲ってくるわで、こっちに帰ってきてからが濃厚すぎてそろそろわたしの許容限界を越えそうだ。


 わたしの故郷西の公都はどうなっているんだ、本当に。

お読みくださりありがとうございました。

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