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故郷で迎える久々の朝

 朝、わたしはまだ日が昇り始めた時間に目が覚めた。

 ベランダに出るとまだ空気が冷たく、息を吐くと白い煙が昇るほどだった。夜中響いていた戦争の音が嘘のように静かで、朝の冷ややかな風が耳をなで、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 街全体がまだ眠りに包まれているのか、それほど人の影は見えなかった。繁華街の方で城壁から兵士や傭兵達が帰ってくるぐらいだろうか。どうやら話に聞いた通り、夜明けとともに死霊の軍勢は退却していったらしい。

 公都で迎える朝か……随分と久しぶりだ。


 まずは家を出て、昨日買い物に出るついでに探しておいた井戸の場所に足を向けた。個人の家まで水を運ぶ水道という存在を耳に入れた事はあるけれど、この都市はそこまで整備されていない。そのため、井戸から地下水をくみ上げる作業が毎日何回かは必須になる。

 最も、横着な自分は一往復するだけで済ませてしまうんだけれど。


「おはようございます」

「おはよう。あら、見かけない顔だねえ。どちらさんだい?」

「今度近くに引っ越してきた者です。これからは毎日顔を合わせるかと」


 井戸の前に着くと既に何人かが先に水汲みを行っていた。いくら朝早かろうとも日が昇り始めてしまえば活動し始める人はいるか。年はばらばらだったが女性ばかりで、誰もが着飾らずに動きやすい簡素な服に身を包んでいる。

 わたしは水を汲み終わった初老の女性に頭を下げ、釣瓶を使って水を汲み上げる。それを周りにいた人たちは不思議そうに見つめてきた。それもそうだろう、わたしは杖だけしか持ってきておらず、水汲みに来たのに手ぶら同然なのだから。


「あんた、桶はどうしたんだい? 顔を洗いたいだけなら――」

「桶が無くても運べるので問題ありません」


 ローブと杖装備だから察する人は察してくれるだろう。わたしは釣瓶で汲み上げた水に杖をふれ、頭の中で思い描いた魔導の術式を流し込んでいく。


「ハイドロショット」


 力ある言葉を発した直後、桶で汲み上げた分の水が球状になってわたしのそばで浮遊した。静かに揺らめくそれに指を刺すと、入れた分だけ指が水の中に沈んでいくが、水の球は形を崩さないまま浮遊し続ける。うん、どうやら上手くいったようだ。

 それを見ていた人達から驚きの声が次々と上がる。


「これ、まさか魔法って言う奴かい?」

「凄い芸当だ、初めて見たよ」

「驚いたねえ、こんな事まで出来ちまうのかい!」


 水に術式を組み込んで意のままに操るのは水属性魔法の基本と言っていい。まずはコップ一杯の水を逆さにしてもこぼさない訓練から始めて、最後はこのように自分の周囲に水を留まらせるようになる。この魔法は本来なら水の球をそのまま敵めがけてぶつける投擲魔法なのだが、単に水を運ぶだけにも使える。

 わたしは肉体労働しないで済むし魔導の鍛練にもなる。正に一石二鳥だろう。


「もしかしてあんた、前へんちくりんな物を造ってた魔導師の家に来たのかい?」

「あー、多分その物造りの魔導師の所で合ってますね」


 前の居住者が誰かは全く知らないし興味もない。あの家も全面改装されているので誰かがいた足跡が完全になくなっているのだ。

 わたしは近所の人達と喋っている間にも水を何度も汲み上げていく。あいにくわたしは直接手か杖で触れない限り水に術式を書き込めないけれど、熟練者は遠く離れた水に術式を飛ばして意のままに操るそうだ。歴史上では水を竜のごとく操る魔導師もいたらしい。わたしには夢物語だな。

 水球が四つ出来た段階で作業を終えた。これ以上操ろうとすると意識がそれぞれで分散し、ふとした拍子に制御から離れて落ちてしまうだろう。この四つを家に運んで貯水槽に注げば作業終了だ。


「あんた、水を操る魔導師って事は、治水かなんかのやりにきたのかい?」

「いえ。主に白魔導師をやりますので、よかったら気軽に訪ねてください」

「え、白? ほ、本当に白の魔導師なのかい!?」

「ええ、その白です」


 本当はただの魔導師と名乗りたかったけれどこの表現の方が聞こえがいいのだからしょうがない。わたしは一礼するとその場を立ち去る。何やら騒ぎになっている井戸端の人達を背にして。


 貯水槽に水を溜めたら次は朝食の準備だ。火を起こして水を温めながら玉子を炒めて、ベーコンを焼く。今日はパンと紅茶だけのつもりだ。玉子はスクランブルエッグにしてベーコンと共にパンに載せる。サラダは面倒になったので諦めた。昼食にご期待ください。


「あら、おはよう。マリアも随分と朝が早いのね」

「ああ、イヴ。おはようございます」


 丁度ベーコンが焼きあがる時に声をかけられたので振り返ると、寝巻のままのイヴが車椅子に乗ってこちらの方に向かってくる。左手だけで巧みに車椅子を操縦している。表情は崩していないものの、うっすらと汗を流している上に左腕を痙攣させていた。


「声を出してもらえればすぐに駆けつけましたのに」

「自分一人でどこまでやれるか試したかったのよ」


 昨日の晩に車椅子をイヴのベッドのそばに展開させたまま置いておいた。朝目が覚めたイヴは左腕だけを駆使して自力で車椅子に乗り、そのまま片腕運転でここまで来たんだろう。いくら少し使えるようになったからって、なんて無茶な。

 けれどわたしの心配をよそに、イヴはここまで自分一人で来れて多少満足しているようだった。


「それで、結果は?」

「腕が限界で棒のようね。朝食はちょっとテーブルを汚しちゃうかも」

「もう、せめて余力が残るぐらいにしてくださいね」


 良く見たら寝巻も胸が隙間から見えるほどはだけたままじゃないか。指は左手でも思うように動かせないから直せないのは分かるけれど、それならそうと早く言ってほしかった。女同士とは言っても恥じらいぐらい持ってほしい。

 彼女を椅子に座らせてから朝食をテーブルに並べる。わたし達はいるかも分からない神に祈りを捧げて、朝食を口にしていく。あら、このパン中々おいしいな。昨日繁華街でパン屋の主人に薦められたものだけれど、推すだけはある。これなら贔屓にしてもいいかもしれない。


「あら、もう機嫌直したの?」

「? 何の話です?」


 パンを半分ほど胃に流し込んだ後だったか、イヴがわたしに問いかけてくる。あまりに唐突だったものでそう返答はしたものの、少しばかり後にその意図に気付いた。


「ああ、昨晩の事です? 考えたら虹のマリアとわたしは別に特別な関係とかもないですし、気に掛けるほどじゃありませんでした」

「そう? そのわりに昨日は結構狼狽えていたように見えたけれど?」


 虹のマリア、わたしと同じ名を持ちながらわたしとは全く異なる魔導師。わたしは別に彼女の事をどうも想っていない、とわたしは思っていたけれど、どうやら自分でも気づかない何かをわたしはマリアに感じているようだった。

 まあいい。その正体が何であれ、今のわたしにはもはや関係のない事象だろう。


「それよりイヴ、今日は日が昇りきる前に家具一式が運ばれてくる予定です」

「あらそう。私は別に何もしなくてもいいのよね」

「ええ、店の人が全部配置してくれるそうなので。内装に拘りがあるのなら配置に口出ししてもらってもわたしは構いませんよ」

「ここはマリアの家だもの。どうぞご随意に」


 わざとらしく恭しく頭を下げる辺り、慇懃に振舞うのはからかい半分か。わたしはそれがどこかおかしくて、思わず笑いをこぼしてしまう。


「その後ですが、食材を買うついでに服を買いに行きませんか?」

「服なら昨日買ったでしょうよ」

「最低限は、です。毎日洗濯するとしても雨の日は乾かないでしょうから、何着かは揃えておかないと」


 特にイヴのものは寝巻と今日の着替えを選んだだけだし、大きさも目測に過ぎない。改めて上下一式は揃えたいな。後は下着とかか? さすがにこればかりは自分の好みをイヴに押し付けるわけにもいかないから、自分で確認して選んでもらわないと。


「そうね、もう私の旅人の服は土と汗と血で悲惨な状態だもの。着られる服がもうなかったんだったかしら?」

「一応イヴが昨日まで来ていた服は籠の中にありますけれど、直さずに処分してもいいです?」

「ええ。この際だから新調してしまいましょう」


 これで決まりだ。今日はイヴと一緒に街を見て回っての買い物を楽しもうじゃないか。


 朝食も終えて皿洗いを終えようとした辺りで、玄関の扉が誰かに叩かれる音が聞こえてくる。慌てて階段を駆け下りて扉を開くと、目の前にはにこやかに笑うカインが二人の屈強な男を引き連れていた。その後ろには既にわたしが昨日購入した品の数々が運ばれている。

 いつの間にここまで? そんな物音には気づかなかったのだけれど。専門職はやはり違うようだ。


「おはようございますマリアさん。昨日ご注文いただきました品をお届けに参りました」

「あ、どうもありがとうございます」


 わたしは風で閉じないように玄関の扉を紐で固定して開きっぱなしにする。あ、玄関見て思い出したけれど、靴もちょっと考えないとなぁ。さすがに一足ずつだと何かと不便になるだろうし、今日出かける際に靴も選んでおくか。


「あ、それでなんですが、家の中にお邪魔しても大丈夫です?」

「ええ、大丈夫ですよ。中にも人が残っているのでそこだけ気配りいただければ」

「それではお二人とも、よろしくお願いします」


 カインが合図を送ると屈強な男性二人は準備運動をしながら気合を入れる。そして息を吐くとソファーを一気に持ちあげて、そのまま家の中へと入っていった。イヴは確かリビングのテーブルで読書していたから、特に問題はない筈だ。

 その場にはわたしとカインの二人が残される。カインは家の前に置かれた家具一式の見張りの為に残っているのかな? それにしたって社会勉強の為だからって、こんな朝早くに公爵家のご子息がわざわざ足を運んでくる必要もないのに。


「マリアさん、昨日の依頼の報酬を持ってきました。受け取ってください」

「へっ?」


 そんな風に考えていたら、いつの間にかカインが昨日も見せた夏の花のような笑顔いっぱいで、両手ぐらいの大きさに膨らんだ袋をこちらに差し出していた。


「もしかしてわざわざカインが足を運んできてくれたのって、このためですか?」

「ええ、勿論です」


 何てこった、まさか御足労かけてしまうとは。そう言えば報酬の受け取り方については全く話し合わなかったんだったな。ならこれはわたしの手抜かりと言ってもいい。反省しないと。


 受け取った袋は見た目よりも結構重く、思わず取り落としそうになってしまう。口を縛ったひもを緩めて中を覗き込むと、見た事もないほど多くの帝国大金貨が詰められていた。日の当たるテーブルに並べたらさぞ煌びやかな事だろう。

 ……何か、思っていたよりもはるかに大金なんですが。一人頭の金額は提示したのにこれほどになるとしたら、逆算するとあの時病院には怪我人でひしめいていたんだろうか。


「随分と多いんですね」

「マリアさんのご要望通り、あの時にいた患者の数と提示された金額を掛け合わせました。本当ならその後収容された負傷兵も含めたかったのですが……」


 どうやら律儀に人数を数えてくれていたようだ。よく袋の中を確認すると小金貨や銀貨も入っているから、わたしの要望通りのお値段にしてくれたようだ。自分が言いだした金額とはいえ、完全に昨日購入した家具どころか生活雑貨等、今回引っ越しにかかった費用全てを足してもおつりが来るなこれは。


 屈強の男二人が家から出てきた。次はクローゼットを持ち上げ、再び家の中へと入っていく。いつの間にか何往復かしたのか、後ろにあった家具類の数がもう半分ほど無くなっていた。

 思わずにやけが止まらないわたしの方をカインが怪訝そうに見つめてくる。


「マリアさん、どうしてこれだけの金額を提示されたんです?」

「えっ? た、高すぎましたか?」


 まさかの苦情か? いや、いくら初回だからって値切るつもりはない。ここは断固として戦わねば。


「逆です、あの見事なお手並みにしては低すぎるんです」

「低い? そ、そうでしたか?」

「アレだけの上級魔法を使うよう協会に依頼したら、この程度じゃあ前金にもなりません」


 杞憂だったか。思わずほっとしてしまった。

 確かにわたしの提示金額は相場より安い。それだけ一般的な魔導師は己の技術に誇りがあり、研究費用への足しにしたい魂胆がある。けれどわたしはそんなのどうでもよくて、これで納得しているのだから問題はないと思う。ただ、それでは払うカインの方が納得いかないのか。


「カインはわたしの提示金額の根拠って何だかわかります?」

「えっ? いや、魔導の相場としては安いとしか……」

「西の公都に住む一般市民の平均年収と比較してもらえたら分かりますよ」


 カインは息をのんだ。どうやらわたしの言いたい事が分かったらしい。

 つまり、公都に住む一般市民でも極力節制を心がければ払えなくはない程度に設定しているのだ。これ以上の高額にしてしまうと市民には手が出せなくなり、資産のある貴族や商人の御用達になってしまかねない。金に目をくらませたくはなかった。

 それに相手する客次第で請求額を変えてしまったら公平性に欠けてしまう。だから、どんな身分だろうと関係なく、症状の度合い次第で費用を上下させるのだ。


「多く払ってくださる気持ちは嬉しいんですけど、そうすると市民の方が払いづらくなっちゃいますからね。街医者みたいなのを目指していますから」

「……なるほど、他の皆さんを考えてでしたか」

「おっと、頭を下げるの禁止」

「うっ、ご、ごめんなさい」


 危ない危ない。大方考えが足らなかった、とか思い至って頭を下げようと思ったんだろう。


「それにあの魔法には重症患者を治す力はありませんよ。なので人数分あの金額だけいただければ十分なんですよ」

「……本当に素晴らしい考えです、マリアさん」

「ふふっ、褒めたって紅茶ぐらいしか出せませんよ」

「僕は率直な感想を述べただけですって。そんな謙遜なさらなくても」


 どうもカインの中でわたしの評価が竜が飛翔するがごとく昇っていくけれど、早めに認識を改めてもらわないとそのうち墜落しかねないな。してもらってもわたし個人は別に構わないが、店の評判に響くのは御免だ。


 男達は最後に柱時計を持って家の中へと入っていく。あれだけ敷き詰められていた家具は全て我が家に吸い込まれていったらしい。カインとの話に没頭して時間を忘れたか、男二人の手際が良すぎたのか。おそらく両方ともなんだろうなぁ。


「これで終わりかと思いますが、後は何かご入り用でしょうか?」

「いえ、今はこれで十分です。不便を感じたらまたお邪魔させてもらいますよ」

「それではお手数ですが、こちらの方にご署名お願いできますか?」


 カインが提示してきたのは今回の仕事に付いて事細かく記された羊皮紙、つまりは報告書だった。丁寧に羽根ペンとインクまで用意されている。

 けれど、あいにくわたしは立ったままで署名できるほど器用でもなかった。


「中に入ってお茶でもどうです? その間に確認しますので」

「えっ、う、うーん……。分かりました。ではそうさせていただきます」


 わたしからの提案にカインは少しの間悩んだものの、快諾してくれた。ふむ、この様子だと一仕事終えたからと客の厄介にはならないように言われているんだろう。店の方針なんだろうが、随分と立派なものだ。

 引っ越しして二日目にお客様を招き入れる、か。中々幸先がいいなぁ、などという考えが頭をよぎった。

お読みくださりありがとうございました。

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