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野戦病院

「社会勉強しろと父上に言われまして。いずれ公爵の位は嫡男の兄上が継ぐでしょうし、そうなれば僕自身が貴族のままでも僕の子供達は貴族じゃなくなります。ですから今のうちに手に職を付けようかと思ったんです」


 少年店員ことカインが家具屋に務めていたのはこう言った経緯らしい。随分と立派な子なんだな、わたしが彼ぐらいの年だった頃はもっといい加減だったような気がする。両親には本当に悪いが、これが育ちの違いなんだろうか。


「では接客業務を主に?」

「いえ、普段は工房で家具を製作しています。今日はたまたま接客を担当していた方が体調を崩されまして、急きょ僕が」

「そのわりには様になってたような……」

「三男坊でも社交界に出る機会は多いもので」


 わたしはカインと共に公都の北門に向かう大通りを歩いていた。現在北門は日が沈んでいる間は完全封鎖されるため、日が傾いたこの時間帯にもなると冒険者や商人の姿はほとんど見られなかった。


「それで、わたしはどこに案内されるんです?」

「野戦病院、と言うのは変なんですけど、今は病院として機能している建物になります」

「アンデッド軍との戦いに備えて城壁近くに病院を建てた、と」

「……アレを病院と呼んでいいかどうかは迷いますけれど」


 カインの沈んだ表情を見るに、事態は相当芳しくないようだ。いや、徹夜どころか深夜遅くまで働かされるなんてわたしはごめんだからね? まだ言ってはいないけれど、場合によっては今日は目途だけ立てて明日辺りから頑張らせてもらおう。


 城壁が近づいていくにつれて市民の姿を見なくなってきた。建物は依然あるのだけれど、窓から見える姿は屈強な兵士達や従軍するような小間使いだけになっている。もはや城壁付近は戦場さながらの光景なんだろう。


「未だ城壁は破られていませんが、アンデッド軍の攻城兵器を破壊するために場合によっては門から出撃する必要があるんです」

「逆にその隙をついて門を突破される可能性もあると?」

「それに最近ではアンデッド軍にも魔法を使う個体まで現れ始めて、城壁の弓兵や魔導兵にも被害が拡大しています」


 苦々しくカインは吐き捨てる。わずかに歩調も早くなったようで、わたしも少し足早に彼の後を追う。行き交う兵士達は活気あふれる様子から次第に緊張感に包まれた殺伐としたものへと変化していった。


「いくら撃破していってもアンデッド軍の勢いは増すばかりです。受けに回っていたら近いうちにこちらが負けるでしょうね」

「え、でも近いうちに討伐軍が組織されるって聞きましたけど?」

「帝国としては国境に接する公爵家には頑張ってほしいのですが、力をつけすぎても都合が悪いんです。多分、討伐軍の派遣はもっとこちらが疲弊してからになるんじゃないかと」


 うわ、嫌な大人の事情を聞いてしまった。しかもそれを発言したのがこんな少年なのだから、世の中は狂っているかもしれない。


「アンデッド軍はどうしてか夜明け前には退却していきます。それまでに余力があれば追撃戦を行えるんですが……」

「その余力が今はないと?」

「怪我人が続出してしまっていまして……防衛戦で精一杯なんです」


 その辺りの事情もわたしが呼ばれた要因の一つか。今怪我をして戦えなくなっている人達が戦線に復帰したら余裕が生まれて、逆に攻められるようになると。随分と考えているものだ。

 いや、むしろ今の状況がカインをここまで立派にさせてしまっているのか? 本当だったらこれぐらいの年の貴族だったら箱入りで家庭教師を付けられて勉学を、社交界に参加して己を磨くとかしているぐらいじゃないか? 学院時代の同級生貴族から聞いた話ではあるけれど。

 だとしたら、なんとも悲しい現実に思えてきてならない。


「マリアさん、こちらになります」

「……」


 カインに案内された場所は急いで建造された即席としか思えない病院だった。成程、確かにこれは野戦病院だろう。ここまで来ると通り過ぎる人たちは何らかの怪我を負っていて、まだ建物に入っていないのに嫌な、と言うより不安になる雰囲気が漂ってくる。


「これ、もしかして相当状況悪いんじゃあ……」

「行きましょう、ここの責任者になってる方をご紹介します」


 気分を悪くして口元を抑えるわたしをよそに、カインは躊躇う事無く建物に足を踏み入れていった。慌ててわたしも彼に付いていく。


 病院となったこの建物の内は苦しむ声やうめき声が響き渡っていた。清掃する余裕すらないのか、所々吐瀉物や鮮血もぬぐい切れていない。椅子や床にまで怪我人が寝かせられていて、人々はそんな横になった患者を避けるように行き交いしていた。

 正直、ついさっきまでの繁華街からは想像もできない凄惨な光景が広がっている。


「先生、助けになる人を連れてきました!」


 しばらくそんな有様の中を進むと、カインは患者の一人を診断する男性に大声で呼びかけた。彼はカインに気付くと、疲れを隠しきれない面持ちの中でも笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってくる。


「ありがたい、今は猫の手でも借りたいぐらいなんだ!」

「マリアさん紹介します。こちらの方がこの病院の責任者になります」


 先生と呼ばれた男性はカインの紹介の後で自己紹介してきた。わたしも自分の名を名乗って頭を下げる。彼はローブを羽織り杖を持っていたので、医者ではなく魔法使いまたは魔導師なのだろう。責任者はわたしの名を聞くと、希望を見たように顔を輝かせてくる。


「そうか、君が学院からこっちに来てくれた期待の新星か!」

「いや、何ですその聞いてるこっちが恥ずかしくなる言い回しは?」

「現状は……いや、説明する必要もないかな」


 言われるまでもなく酷い有様の一言に尽きる。これでは怪我人の治療もままならずに、けれど戦争は熾烈になっていくのだから、減るどころか増える一方だろう。そうなれば更に治療が行き届かなくなり、と悪循環に陥っている。


「お願いだ。人助けだと思って、力を貸してもらえないかい?」

「わたしは軽傷患者を大勢診ればいいんですか? それとも重体の患者に注力すれば?」

「軽傷患者を大勢の方だね。今の有様じゃあ彼らの治療すら滞ってて状態を悪化させる一方だから……」


 だろうなあ、比較的軽い傷でも放置すれば致命傷になる場合だってある。だから力を入れたい重体になった兵士にも手が回らずに詰みになるのだ。そちらが改善できれば、と言った所か。

 しかしこれ結構大規模な建物だけれど、ここだけで何人いるんだ? おそらくここに全員が収容されてる筈がないから、空きが出れば続々とまたやってくるに違いない。これ真面目にやってたんじゃあ下手すると今日徹夜どころか長期間缶詰にされかねないぞ。


「それじゃあ上の階からやってもらっていいかな? 今からでも大丈夫だよね?」

「嫌です。面倒くさい」


 もちろん、平穏に過ごしたいわたしにとって長時間束縛される事態は勘弁願いたい所だ。かと言って引き受けると言ったからにはそれなりにはしないと報酬がもらえないし、第一この場を放置しては目覚めも悪くなるだろう。

 責任者とカインはわたしの拒絶に息をのむ。そして当然だろうけれど次第に怒りを露わにしてくる。


「何で一人一人を診ていくなんてだるい事しないといけないんです? わたし、今日は長旅の後ですし人待たせてますし」

「そんな事言ってる場合じゃあ――!」


「だから、全員一斉に回復させちゃいましょう」


「「……へ?」」


 間の抜けた声を発してくるカインと責任者。特に責任者なんかは顎が外れそうなぐらい口を大きく開けてくる。挙動がいちいち大げさなのは精神的に参っているせいだとしておこう。

 わたしはそんな彼らをよそに自分の想像を術式に変換し、杖を高く掲げてそれを解き放った。


「サルベーション!」


 杖から発せられた光は天井を貫通して天高く昇っていった。途端、急激な脱力感がわたしを襲い、思わず壁に手を付いたもののそれだけでは収まらず、身体から力が抜けて崩れ落ちてしまった。


「マ、マリアさん! 大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫、です。ちょっと大がかりな魔法を使っただけですから」


 や、やっぱり上級魔法を使うと精神力だけじゃなく体力まで奪われるのは考え物だ。学院時代からあまり改善していないし、もう少し魔導師としての腕をあげていかないと話にならないかもしれない。今後も上級魔法の出番がないとは限らないのだから。

 けれど、わたしの魔法は次第に効果を現しだした。少し落ち着いて深呼吸をしただけで立ち直り始めてきたのだ。それは目の前にいた責任者も同じで、青ざめていた顔色が徐々に良くなっていく。


「カインさん、終わりました。今この建物に収容してる軽傷患者分の報酬は頂きますね」

「え、えっと……」

「それじゃあお疲れ様でした」

「ま、待ってくれ! ちょっと待ってくれ!」


 まだよろける体を何とか立ち上がらせ出口に向かおうとしたわたしを、責任者が肩を掴んで引っ張ってきた。思わず体勢が崩れそうになる所を何とか踏みとどまる。


「……何です? もうわたしは回復魔法の一つも絞り出せませんから、帰りたいんですけど」

「い、今君は一体何をやったんだ!? この効果はまさか……!」

「何って、一人一人診ていくのが嫌だったから……」


 全体自然治癒魔法をかけました、と答えた。


 絶句。それが責任者とカインの反応を表す言葉としては最適だっただろう。責任者は今度は腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。カインは辺りを見渡して、徐々にうめき声が小さくなっていったり、痛みに苦しむ人が静かな寝息を立てる様子を確認していた。


「手足を失っていたり内蔵を切り裂かれていたりしている重傷の人にはあまり効きませんからお願いします。それと掃除もしてないこの有様じゃあ自然治癒してもまた悪化するだけですから、早急に完全した方がいいかと」

「全体自然治癒の、魔法……? こ、効果はどの範囲まで?」

「病院内は覆うようにしたつもりですが、ここを起点に円状に展開しましたから周辺にも効果が及んでるかもしれませんね」


 半球形にも出来たけれど立体に術式を展開するのは骨が折れるのだ。円状に展開した術式の上にいる人達に効果が及ぶようにした。なお、効果がどこまでの高度まで及ぶかは把握していない。


「こ、効果はどれぐらい持続するんだい?」

「魔法の維持は他の魔導師でも出来るよう術式を構築しましたから、後はよろしく頼みます。一日に一回ぐらい調整すれば効果はずっと持続する筈ですし、問題ないんじゃないです?」


 長時間魔法を維持するとなるとそれだけ負担が増す。そんなのはまっぴらごめんなので、わたしの場合は他人にその負担を押し付けられるよう改悪した。改悪と表現するのは、一人で何でもこなすべきなのに他社の力を借りるなど魔導師の面汚し、などという考えがあるからだ。

 そんな魔導師の自負なんて知った事ではないね。効率性が第一だろう。


「は……ははは、まさか、夢でも見てるのかな? それともとうとう幻覚でも見ちゃってるかな?」

「いや、まだ現実逃避するほど追い詰められてはいないでしょう。しっかりしてください」


 確かに学院でもこれほどの大規模魔法が使える人はあまりいなかったな。それでもわたしが別段優れているわけでもなかったから、まるで奇跡を目の当たりにしたみたいな言い回しは止めてほしいのだけれど?

 伝えるべき諸事情は伝えたから、これ以上彼と付き合っても仕方がない。わたしはまだ辺りを見渡すカインの方へと顔と身体を向ける。


「カインさん」

「……あ、いえ、カインで構いません」

「ではカイン、わたしはもう帰りますけれど、どうされます?」

「ぼ、僕は……そうですね。もう用事は済んでしまいましたし、僕も帰ります」


 言葉をどもらせながらも彼はやがて納得したように頷くと、わたしの方へ視線を移した。


「マリアさん、本当にありがとうございました」

「報酬分働いただけです。そこまで深く感謝される仕事はしていませんよ」


 魔法一発行使して後は放置なんだから、これは酷い対応だと言われても仕方がない。だからカインが感謝をこめて頭を下げる事はない。


「これが学院出身魔導師の腕前、なんですか……。初めて目の当たりにしました!」

「あれ、公爵家にもなればわたしなんて及びもつかない優れた魔導師をお抱えにしたり、手紙一つで協会から派遣してもらったり出来るんじゃあ?」

「そんな、マリアさんほどの方をお呼びした事は一度だってありません!」


 え、何か高く持ち上げられすぎて後で転落するのが凄く怖ろしいんだけど。うーん、これ認識を改めてもらうにはわたしより優れた人を連れてくるしかないのかな?

 まあいい、とにかくこの病院の状況は改善されたから、多少はマシになっていくだろう。あれ、でもここまでしてしまったらここに怪我人連れてきたら自然治療されてしまうから、開業魔導師のわたしの店には誰にも来なくなるんじゃあ……。

 い、いや、不安になる想像はよそう。逆にいい宣伝になったと思えばいい。


「マリアくん!」

「?」


 出口へと向かうわたしを再び責任者は呼び止めてきた。けれど振り返ると今度は追いかけてきておらず、患者のそばで手を振っていた。


「ありがとう! 君のおかげで凄く助かったよ!」

「ええ、どういたしまして!」


 どうやら喜んでもらえて何よりだ。これでこそ開業魔導師冥利に尽きるというもの。わたしも彼に思いっきり手を振って答えた。


 出口に着くまでに通り過ぎていくと、来る時と違って多少落ち着いた様子を見せていた。上手くわたしの魔法が効果を及ぼしているようでほっとした。これなら数日も経てば停滞せずに上手く回転していくようになるだろう。


「マリアさん、これから我が公爵家にいらっしゃって一緒に食事でもどうですか? 父上達には僕から説明しますから」

「あ、いえ、さっきも言ったように人を待たせてますから、また今度の機会で」

「そうでしたか……残念です。これほどの腕を持つ魔導師が僕達の公都に来てくれたんだと報告したかったんですが」


 帰り道、既に日は沈みかけていて、夜がもうすぐやってくる時刻になっていた。アンデッド軍がやってくるのはもう間もなく、わたしが背にしている城壁での戦いはここからが本番なのだろう。攻撃魔法にあまり優れていないわたしの出番は、あそこにはない。


 そんな中、わたしはカインと一緒になって大通りの帰路についていた。公爵家の子息だったら馬車を利用すれば、と言ったのだが、どうやら家具屋に務める際は馬車を使っていないらしい。これもまた社会勉強の一種なのか、と自分を納得させた。


「マリアさん、重ね重ね今日は本当にありがとうございました」

「満足してもらえて何よりです。今後とも『適度に』ご贔屓に」

「はい、今後もよろしくお願いします!」


 いや、適度にって強調したよね。こき使われるのは勘弁願いたいからわざわざそうしたんだけど、そのにこやかな微笑みを見ると皮肉交じりの一言は全然通じていないようだ。ここまでくると実はわざとそう振舞ってるんじゃないかと勘繰りたくなる。

 それでも、そうだな……。


「ええ、よろしくお願いしますね」


 そう悪い気はしないかな。

お読みくださりありがとうございました。

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