夕方の繁華街での買い物
開業魔導師としての店開きは一旦置いておき、生活の基盤をまず構築しなければならない。台所を覗くと食器はない調理器具はないで、現時点で貯水槽からの水を垂れ流せるだけ出来る。服もわたしは荷物に詰め込んだ数着しかないし、イヴは来ているもののみだ。掃除用具も欲しい。
後は自分の身体や洗った食器を洗ったり床や窓を拭くタオルが欲しい所だ。店開きしたら日中は缶詰めが決定しているから、今のうちに生活雑貨をそろえる必要性があるわけだ。
「あの、イヴ。悪いんですけど留守番頼んじゃっていいですか?」
「買い出しに足手まといは不要でしょう。遠慮せずいってらっしゃい」
出かける際のイヴとの会話はこんな感じか。さすがに車椅子を押しつつ荷物を持つ芸当はわたしには不可能だから、イヴの承諾は本当にありがたいものだった。ただ彼女の服もそろえるとなれば彼女と一緒の方がいいだろうし、イヴの物は明日改めてにするか。
家から歩いてすぐに位置するのは北地区の中で一番栄える繁華街だった。確か子供の頃もたまに足を運んできた覚えがある。夕方も近づいてきた今の時刻は主に食料を買い込む人であふれる。西の諸国と帝都との中継点でもある公都は物流の拠点にもなっているのだ。自然と近所では取れない果物なども店頭に並んでいた。
「おーい、そこの嬢ちゃんどうだ? 一つ買っていかないかい?」
「あー、折角ですが今は別な物を大量に買わないといけないので持てませんね。また後でで」
「おう、待ってるよ!」
いけない、臭いにつられて財布のひもが緩む所だった。食料を買うのは最後だろう。まずは雑貨を揃えて家に置いてを何度か繰り返さないと。
店頭で販売している人達は商売魂に溢れていて、引っ越ししてきたばかりで他人同然なわたしにも気さくに声をかけてくれた。そんな人たちにやんわりと断りを入れる度に尾ひれを引かれるけれど、誘惑につられて買った所で物理的に持てないししょうがない。
雑貨屋と服屋をはしごして必要なものを揃えていく。イヴと一緒に回っていたら話も弾んだんだろうけど、一人だけで買い物していると単なる雑用同然だ。日記に今日の出来事を記すとすれば、買い物をした以上、と一文で終わりそうだな。
「おー嬢ちゃん見かけない顔だねー。地方からはるばるやって来たのか?」
「いえ、今日引っ越ししてきたばかりです。なので今日から頻繁に顔合わせるかもしれないですね」
「そうかそうか、今後はご贔屓にってな!」
中にはわたしがよそ者だって気づく人もいたけれど、会話はそんなものだった。まあ一介の魔導師が来たぐらいで騒ぐ方がおかしいだろう。当たり前の反応だし、むしろこうでなくては困る。
そんなわけで特にこれと言って特筆するような出来事もなく淡々と買い物を済ませた後、一旦家に戻った。買いこんだ服とタオルを箪笥にしまい、食器と調理器具を棚に入れていく。実を言うと結構重かったりしたけれど、活性魔法で自分を奮い立たせて事なきを得ている。
留守番しているイヴが何をしているのかと思っていたら、ベッドの上で寝息を立てていた。確かにリハビリ以外では体の動かせないからとベッドに寝かせたけれど、ただ横になるだけとか、かろうじて動く左腕を駆使して本を読むとかしているかと思っていた。
折角イヴと共に紅茶でも楽しもうかと思ってティーセットと茶葉を買ってきたのだけれど、また後日にするか。少し残念。
これで雑貨はそろったから、次は消耗品各種か。最低限石鹸は欲しい所だ。身体や皿の汚れとかってタオルでこすっても中々取れないから石鹸で洗いたいし。ちなみにこの場合汚れた排水が出るので、魔法で浄水して再利用出来る構造にしている。生活に役立てる水属性が得意で本当に良かった。
「生活雑貨の大量買いお疲れさん! それで今度はどうだい?」
「あー、それじゃあその美味しそうなのを二ついただけますか? 家で人が待っているので包んでください」
「あいよ、毎度あり!」
再度出かけたついでに食料も買い込んでおく。どうせ繁華街まで歩いてすぐなのだからと数日分だけにしておいた。料理そのものについては一応学院時代も自炊はしていたから、その延長と思えば全く問題ないだろう。腕はまあ普通だろうか。
「嬢ちゃんが着てるみたいなローブって良く見かけるよなー。流行ってんのか?」
「馬鹿違えよ、帝国最高峰の学院があんな感じなんだよ」
「ん、そうなのか、おーい嬢ちゃん、頑張って学院行けるといいなー!」
「あ、はい、ありがとうございます」
どうやら学院にあこがれている魔導師の卵と勘違いする人もいるらしいな。否定するのは簡単だけど説明するのも億劫だったのでそのままにしてしまおう。そのうち気づくでしょうし。
そんなこんなで二回目も特に何事も問題なく買い物が終わり、再び家に戻ってきた。
「お帰りなさい」
「あ、ただいま戻りました」
イヴの部屋の前を横切ろうとした際、起きていたらしい彼女から声をかけられた。見るとベッドの彼女の傍らには数冊の本が置かれている。退屈が紛れるだろうからとわたしが所持していた本を置いたんだったっけ。
「怪我人って本当にする事が何もないのね」
「じっとして時間を過ごす方法が限られていますものね」
積み重なった本の山が二つになっているから、既に何冊か読破してしまっているようだ。この調子だとあの山は数日で消化されてしまうだろう、明日追加しておこう。イヴと一緒に本屋に出掛けるのも素敵だなって思う。
「何か、上手い具合に気分が紛れる方法でもないかしら?」
「本を読む以外にも編み物をしたり窓辺を眺めたりするらしいですよ」
「何よその深窓の令嬢、私の柄じゃあないわ」
「ふふ、確かにそのようですね」
多分このゆっくりした時間を苦痛に感じるのは、イヴが外の世界を知っているからだと思う。長く病気を患っていたり怪我で動けない場合、その退屈がやがて日常へと変わり、当たり前となってしまうからだそうだ。
イヴは今こそ四肢を上手く動かせていないけれど、やがて文字通り己の手足のごとく使いこなせるようになる筈だ。そのため、イヴにはその死者の手足を操る術に慣れてもらわないと。
「ねえマリア。片手で時間つぶせる方法、読書以外も考えてもらえない?」
「蓄音機でも持っていたら音楽が楽しめるんですけどねえ」
蓄音機、高名な魔導師が制作した魔導具だった。一度実物を見せてもらったけれど、自分の声を吹き込んだら数秒後にまた聞こえてきた時は、魔導の無限の可能性に感動したものだ。ただし費用が物凄くかかるらしく、実用化の目途もまたたっていないそうな。
片手で出来る事なんて限られてるから、難しいな。羊皮紙と羽根ペン、没食子インクでも用意して何か落書きでもして暇つぶししてもら……いや、待てよ。
「イヴってもしかして左利きですか?」
「? ええ、そうよ。右利きに矯正させられたけれど、結局左でやった方が色々と上手くいくし」
彼女の左腕が初めからなかったのは、もしかして利き腕をまず無力化されたからか? 道理で左腕の方が先に動かせるようになったわけだ。
なら話は早い。わたしは開業するにあたって先ほど買っておいた、筆記具一式ととある道具をイヴの目の前に置いた。その道具を見たイヴはとりあえず手にとると、振ってみたり珠を動かしたりしたものの、結局首をかしげてしまう。
「何、これ? 商人たちが金勘定する時によく使う……ええと、名前はとにかく忘れたけど、とにかくアレとは違うの?」
「あー、アバカスでしたっけ。あれと似たようなものですよ」
アバカスは枠に通した横向きの針金に珠を十個通し、それが十列ならんでいる道具だったか。用途は計算機で、最大十桁まで可能だったっけ。わたしは全く使ってないから暗算や筆算の方が楽そうではあるけれど。
対してこれは縦向きの珠が五つ、しかも針金は上側で区切られていて、珠は上に一つ下に四つの構造をしている。アバカスと同じ計算機で動かし方もアバカスと同じだけれど、こちらの方が小さくて片手で持ち運びできる。勿論、球をはじくのも片手で十分可能だ。
確か帝都で本当に偶然見つけたもので、変わった形をしていたから興味惹かれて大枚はたいて購入したんだったっけ。学院時代は金勘定で重宝したものだ。
「算盤って言って、絹の道を通ってはるか東方の計算機らしいですよ」
「へえ、十個球がないのは上の方で五以上を数えるからかしら?」
「アバカスと違って片手で素早く計算できますから」
熟練者は暗算する時も頭の中で算盤を想像して珠を弾くらしい。さすがにわたしはそこまで行ってないが、暗算や筆算よりは早くて便利だ。何より頭で考えなくても手で計算結果が出るようになるまで上達すると嬉しかったものだ。
これならイヴも使える筈だ。左腕が動くと言っても右腕よりましな程度で完治には程遠い。やり過ぎはご法度だけど指先の運動に使えていいリハビリになる。それに、暇を持て余すのが嫌ならばイヴにはご活躍していただこう。
「算盤で勘定をして、帳簿に記載していくだけです。後は座るだけの簡単なお仕事ですよ」
「……ちょっと待って。もしかしてマリア、わたしに――」
さすがにここまで判断材料を提示していたら察しが付くか。その通り、イヴが動かせるのは左腕だけ、後は座ってるだけしか出来ない。そして当の本人は寝たきりはどうも性に合わないから退屈しのぎをご所望。その全てを解決できる素晴らしい選択肢だと思う。
「ええ、受付嬢をやってもらいます。いいでしょう?」
「……」
にっこりと笑ったわたしを見たイヴは、苦笑いを返すのが精一杯のようだった。
いやはや、勇者兼受付嬢が爆誕してしまったか。これで受付係を雇う必要が無くなったな。イヴにはただ働きさせる形になってしまうけれど、報酬は衣食住と治療費とで相殺になる、で勘弁してもらおう。さすがにイヴの治療だって慈善事業ではないのだ。
「え、本当に?」
「いや、別に変な格好させて愛想笑いしろとは言わないですよ。普段通りの格好で受付と会計、あと事務作業するだけです」
まさか受付嬢で客を釣り上げるような店にするとは思ってないでしょうね? そんないかがわしい服装を制服にするだなんて全く考えていないからね?
それに何も部屋の掃除をしろとかわたしを手伝えとまでは言ってない。座っているだけの仕事をしてもらうつもりだ。こうすれば日中イヴは退屈せずに済むしわたしも仕事が捗るから、一石二鳥じゃないか。我ながら見事な案だと感心してしまいそうだ。
「算盤をはじいて文字を書ければ十分ですから、今のイヴでも出来なくはないと思いますが?」
「それはそうだけれど……」
イヴは少しの間唸りながら思考を巡らし、やがてため息を漏らす。どうやら観念……じゃなかった、賛同してくれたようだ。
「退屈よりはマシね。やった事もないし精度は期待しないでよ」
「大丈夫です、やるのはイヴのリハビリの為ですから。嫌になったり辛くなったりしたらわたしに遠慮せずに言ってください」
「あら、私は言われたからにはきちんとやるわよ。施されっぱなしは私も考え物だったしね」
「では契約成立ですね」
わたしとイヴは固く握手を結んだ。書面で確認し合う必要もないだろう。確かにお互い打算が多々含まれているけれど、絆も確かにあるんだとわたしが信じられるぐらいにはイヴと打ち解けられたと思った。
お読みくださりありがとうございました。