新たなるお家
魔導協会支部を離れたわたし達は北地区へと足を踏み入れた。その中でも比較的賑やかな繁華街からちょっと外れた辺り、住宅地の一角にわたしの住居は建っていた。この少し奥にあるために家賃が安くなっているのだから、立地に文句を言うつもりは毛頭ない。
見た目は周囲の住居とあまり変わらず、店舗だから窓が少し大きめになっている程度か。扉はガラス張りになっていたが、格子にはめられているから破損されても中には侵入できないようになっている。それに中が見えるのは手前側の一室だけで、奥の部屋は扉で区切られていた。
「ふうん、結構広いじゃないの」
「そうですね」
屋敷と呼べるほどの大きさではないけれど、一階が店頭とは言え二階建て構造だし、二人で住んでも十分広そうだ。
「間取りってどんな風になってるの?」
「口で説明するより実際見てもらった方が早いですね」
この家には入口が二つあって、一つが開業魔導師としての店舗の扉で、もう一つが住居用の玄関だ。玄関は建物の脇側の目立たない所にある事もあって、店側が主な建物のように映る。
わたしがイゼベルからもらった鍵を使ってゆっくりと扉を開けると、広がっていたのは少し小さめの待合室だった。入ってすぐ診察室になっていないのは、診断を他人に見られたくない人達への配慮だろう。でも事前に聞いた通り、そこまで多くの人数は入れそうにないな。
「あら、受付があるけれど誰か事務員を雇うの?」
「ゆくゆくはそうしたいですけど、しばらくは繁盛しないでしょうからわたしが兼任になりますね」
どれだけ人が来訪するかは正直未知数な所があるから、初めは様子見だ。閑古鳥が鳴った時を考えたら支出は最低限にしておきたいし、当分節約だ節約。不自由しているイヴに受付嬢をやらせる考えは……リハビリがてらに手伝ってもらうのも一つの手かもしれない。
なお、待合室はお手洗いを備えている。まさかの長時間待ちになった場合でも大丈夫な構造なんだろう。というか、お手洗いが必要になるぐらい繁盛できるのかしら?
「診察室は引き戸になってるのね。お年寄りや体の不自由な人が扉を開きやすいように?」
「ええ、ちょっとの力でも開くよう上下に車輪も付いてます」
これはわたしの希望を通してもらった。理由はイヴの推察通りだけれど、追加で費用が発生したのは言うまでもない。無論学生に出せるわけがないので、この他にも改造した個所については家賃と言う形で月々の返済が決定している。頑張って稼がないとなぁ……。
わたしは件の引き戸を開いて診察室へと入室した。ここは簡素に本棚と机と二つの椅子、それからベッドがあるぐらいだ。患者の状態を見て回復または治療魔法をかけて終わり、なのだからそこまでの備えはいらないのだ。ただし患者の診療録が入れられる棚は用意してある。いつどんな時でも情報は大事だし、治療した患者の記録を収めるつもりだ。
診察室を一通り見まわしたイヴはベッドにしばらく視線を固定させた後、わたしを上目づかいで見上げてきた。少し首を傾けた事で長髪に隠れていたうなじが少し見えて、妙に色っぽく感じた。
「それはいいけれど、わたしはどこに寝かせられるのかしら?」
「長期に渡って治療が必要な患者が出てもいいように小さな部屋があるようです。後は二階でわたしと一緒に住んでもらうって選択肢もありますよ」
診察室は手前側と奥側の両方に入口があって、奥側から廊下に出ると反対側には部屋があった。ここも引き戸になっているので開くと、そこにはベッドが三つだけありカーテンで仕切られていた。袖机ぐらいはあるけれど、それ以外はまだ特に置かれていなかった。ゆくゆくは少し飾るか。
廊下の奥にはトイレ付バスルームに続く扉もある。当たり前だが河から直接水を引いていないので貯水槽に貯めた分しか使えない。使いたいなら共同井戸か河の間を往復して、水を貯水槽に貯める作業が必須だ。わたしの場合は幸いにも水の術がまあまあ使えるから、往復一回で貯水槽を満杯に出来るのだけれど。
お湯? 火属性魔法の腕はからっきしだから、薪で火をたく重労働から開始である。正直言ってしまうととても面倒だから可能な限りこの作業は省きたいんだけどなあ。一応煮沸消毒が必要になる場面は出てくるだろうから、使うかどうかは未来のわたしのやる気次第だな。
「……。長期入院患者を選択したら、この一つに私は寝る事になると」
「ええ、そうなります」
あからさまな拒絶の表情を隠しもしないのはかえって感心してしまう。そりゃあそうですよねーこんな所で長期間滞在はしたくないだろう。
正直言ってしまうと、長期と銘打っていても実際は数日単位の滞在しか想定していない。イヴみたいに月単位で治療が必要な患者は最低限の治療を施して協会支部へ丸投げ……もとい、紹介して移送、終了とするつもりだし。そこまで抱え込むほどわたしは善人ではないのだ。
「ちなみに二階とやらにはベッドはいくつあるの?」
「わたしはいらないと言ったんですが、客人用を含めて三つでしたっけ」
廊下のバスルームとは逆側の奥の扉を開くと、そこは住居側になる。普段は鍵を閉めて行き来できないようになる仕組みで、住居側一階は玄関とこの扉、そして二階への階段しかなかった。これ、現在のイヴにとっては完全な詰みじゃないかしら?
「ご覧のとおり、二階に住むとなるとイヴは当分外に出られなくなるんですが……」
「……あの部屋に押し込められるよりはマシね。とりあえず見てみましょう」
そうだな、一階部分はこれで全部案内できたはずだし、二階に早々と移って問題はないだろう。
「分かりました。では二階まで運びますね」
「えっ?」
わたしは息を吸って、吐いて、呼吸を整えると一気にイヴを抱きかかえた。や、やっぱり人を抱く時って抱かれた人は抱く相手に腕を回したり寄りかかったりするからそこまで大変じゃないけれど、手足を力なくたれ下げるだけのイヴを抱くのは、正直つらい……!
「ね、ねえ、大丈夫なの? 途中で力尽きたりしないわよね?」
「だ、大丈夫、ですよきっと……!」
「きっとって、そんな歯を食いしばって言われても不安になるんだけど?」
これ以上会話する余裕すらなくなったので、とにかく一段一段確実に階段を上っていく。何とか階段を上りきった頃には息も絶え絶えで、かろうじてイヴを床に降ろせた。わたしも壁に寄りかかってその場に座り込んでしまう。倒れなかっただけ自分をほめたい。
「ちょ、ちょっと……ここで、勘弁してください……っ」
「それでも階段を休憩なしで登りきれたんだから大したものよ」
もう頭がぐるんぐるんしていて、イヴをベッドまで運ぼうとしていた気力は根元からへし折れてしまっていた。これはちょっと家の構造は考え直すべきかもしれない。自動でイヴを車椅子ごと一階と二階で行き来できるようなからくりぐらいは考えないと。
何とか深呼吸を繰り返して息を取り戻していく。自分でも笑ってしまうぐらい手と足が棒みたいだ。まだ一階に残した車椅子を運ぶ作業が残ってるのになあ。こんな事だったらもうちょっとぐらいは身体づくりをしておけばよかったかもしれない。
「ちょ、ちょっと車椅子取ってきますね……」
「脚が笑ってるわよ。力抜けて階段から転げ落ちないでね」
「だ、大丈夫ですよ。階段備え付けの手すりに体重を預けながら降りますから」
と彼女の心配には返事しておいたけれど、空元気と言っても間違いじゃない。本当にこの調子で車椅子を運ぶどころか階段をまともに降りられるんだろうか? 膝から力が抜けて転がり落ちるなんてまっぴらごめんなんだけど。人々を治療するためにはるばる戻ってきたのに治すのは自分自身とか笑えない冗談だ。
「というか、ちょっと不思議に思ったんだけれど、マリアって特異な属性は水よね」
「? ええ、そうですけど?」
階段の手すりに手をかけた所でイヴが怪訝そうな口調で問いかけてくる。どうしたんだろうか改まって。わたしの得意分野については馬車の中でも散々話題にしたような覚えがあるけれど。
「活性の魔法は使えないの? 疲労回復や身体能力強化の効果があった筈だけれど」
……。
…………。
………………その発想はなかった。
そ、そうだった。水属性は流れを司る系統、身体の流れを整えての疲労回復とか効率良い力の入れ具合とかの調整もお手の物だったんだった。何と言う灯台下暮らし! 開業魔導師として魔法を人々の生活に生かそうとしてるわたしが日常生活に生かさなくてどうするんだ。
思わず膝を屈してとその場にうなだれるわたし。目の前が真っ暗になったとは正にこれか。
「それ、もっと早く言ってほしかったです……」
「えっ、だって失念してるだなんて思わないわよ。そういった方針なんだなって素直に受け止めちゃったし」
い、今なら十分に挽回可能だから嘆いても仕方がない。気を取り直しつつわたしは立ち上がり、杖をわたし自身の上へと掲げた。
とにかく思い描くのは自分の身体の流れが清流のごとく隅々まで澄みきった様子だ。今はまだ脈動が激しい様子は濁流、かつ腕に力が入らず情けなく震える有様は閉塞だと例えて思い浮かべる。その流れを安定させ整えるのがイヴも言った活性の魔法の原理だ。
「アクティベイション」
わたしが術式を解き放つと淡い光が自分自身を覆う。すると身体がほのかに温かくなり、覆っていた倦怠感が和らいでいくのを実感できた。この魔法、疲労の溜まった身体にかけてから布団に入ると感動できるぐらい素晴らしく快眠できるんだよね。
あまりの心地よさに眠気まで発生してしまうが、そこは気合を入れ直す。身体を動かしてその軽快さを実感するとわたしは一階へと降りて、イヴの車椅子を持ってまた二階に戻る。うん、短時間しか魔法をかけていなかったけれど、その割には結構快調だ。
と、二階に上がってきたわたしを出迎えたのは、軽く驚いて目を大きくするイヴだった。あれ、そんなおかしな事はしてない筈だが。
「……驚いたわね。マリアの活性魔法ってそんなに効果あるの?」
あー、成程。確かに他の一般的な魔導師と比べたら著しい効果と呼べるかもしれない。
「回復魔法と同じぐらい数少なく自慢できる魔法ですね。イヴにもかけましょうか?」
「また今度でいいわ。機会があったらね」
活性魔法は回復魔法や治癒魔法と並んでわたしの学院生活を支えてくれた技能と言っていい。わたしより達者な腕を持つ魔導師はまだいたけれど、それでも自分と言う魔導師が誇れるのはこの三点と断言してしまっても過言ではない筈だ。
イヴを再び車椅子に座らせた私は、まず一番手前の部屋の扉を開けた。部屋の中はベッドと机、椅子、箪笥、棚があるぐらいでまだ必要最低限と言った所か。窓は広く取られていて、カーテンはまだかかっていなかった。これは後で買ってこないとなあ。
「ここが客間だった筈です。あと一つ空き部屋がありますね」
「引っ越ししたばかりなんだからここと似たようなものだと思うけど、どうなの?」
「学院で見せていただいたここの資料では、確か同じだったかと……」
部屋を一旦出て廊下を挟んで反対側の部屋の扉を開けた。間取りが違うだけで内装は後ろの部屋と同じようなものだった。選ぶのなら日照ぐらいしか判断材料が無いようだ。
「どっちでもよさそうね。ならこっちを選ばせてもらうけど、いい?」
「ええいいですよ。思う存分使っちゃってください。ひとまずここでくつろがれます?」
「別にそこまで疲れてないし、この家を全部見て回りましょうよ」
そうか、イヴがそう言うのなら。イヴの荷物は件の森に放置してきてしまったから部屋に置く物も特になく、そのままイヴの車椅子を押して部屋を後にする。
階段口から見える二階の間取りは書面上で見たよりも広く感じた。部屋が三つ、バスルーム、台所、ダイニングぐらいだったか。一つ一つの部屋がそこまで大きくなくても、窓辺まで続く廊下を端にある階段から見ると違うものなんだな。
「外から見たよりも広々としてるのね」
「二階は部屋が三つとバスルーム、台所、リビング兼ダイニングでしたか。一階の店舗と同じ広さがありますから、確かに住居としては広いかもしれません」
「あら、部屋が三つでそのうちの二つが客間? ならマリアの部屋は一つ?」
「ええ、そうですよ」
別に物がかさばる趣味を持つつもりはないし、部屋いっぱいになるほどの服なんて欲しいとも思わない。本を読んだり寝るだけなら書斎兼寝室が一部屋あれば十分だ。別に驚くほどでもない筈なんだけど?
「魔導師なんでしょう? 研究室とかは造らないの?」
「ああ、成程」
魔導の探求には研究がつきもので、没頭できる空間はやはり欲しいものだ。それに探究をすべく魔導の触媒となる数多の材料を揃える必要も出る場合があるから、その収納場所も兼ねる。後は他の者が立ち入らないようにして己の英知を秘匿するとかか。
けれどわたしの場合、新たな探究の場は人と向き合って己の魔導を実践する診察室、つまり下の階だ。わざわざ改めて研究の場を設ける必要は皆無に等しい。別に特別な道具や素材なんてこれっぽっちも必要としていないしね。
「別に大がかりな儀式を欲してるわけでもありませんし、無用の長物ですね」
「ふぅん、そんなものなの」
まさかとは思うが、イヴがわたしと比較している魔導師はあのマリアじゃあないでしょうね? 彼女ほど魔導師と呼ぶに相応しい人はいないだろう。と言うかあそこまでの本気勢と比べられてもわたしが困る。
次に案内したのはわたしのとなる予定の部屋だったが、まだ内装は他の部屋と同じで簡素なものだった。これからここがわたしの色に染まっていくんだろうと思うと心が逸るというものだ。とりあえずわたしは部屋の隅に自分の荷物を置く。
「引っ越してきた割には随分と身軽なのね」
「現地調達可能なものは全て帝都で処分してきましたから、この程度で十分なんですよ」
いちいち帝都からこっちまで衣装箪笥や生活雑貨を運ぶとなると、量的に業者に頼まなくてはならなくなる。そんな金をかけるぐらいなら処分してこっちで一新した方が安上がりなのだ。別段お気に入りの服も日常用品もなかったし、丁度いい機会だった。
ただしこれには欠点がある。それは現時点では生活雑貨の一切合財どころか今日を過ごす食料すら皆無なのだ。この後買い出し必須である。
「あとはこのちょっと広いリビング兼ダイニングですか」
次はリビング兼ダイニングになる。ここは比較的間取りが広くとられていて、非常に開放感に溢れていた。今の時間帯は日差しが入ってくるからか、ランタンや蝋燭に火をともさなくてもとても明るい。ここには絨毯一枚の上にテーブルと四つの椅子があるぐらいで、まだリビング側には何も置かれていない。
「ねえ、これって元々一人暮らしを考えていたんでしょう? 無駄に広すぎないかしら?」
「し、仕方ないじゃないですか。診察所として機能する物件の中ではここが一番家賃と間取りの天秤が取れているんですから」
ちなみに最初から置かれている家具一式はこの借家に付いてきたもの。揃える手間を省けるのはありがたいけれど、損傷させたら弁償だそうだ。別に愛玩動物とか子供がいるわけでもないし、早々破砕したりはしない筈だ。
最後に台所か、と思って視線を逸らそうと思ったら、ふとリビング外の空間が目に移った。
「へえ、ベランダ付きなのね。下級の貴族辺りの屋敷に匹敵する規模なんじゃない?」
「あ、本当ですね」
ベランダか。そんなものまであるのか。位置としては丁度一階待合室の上あたりかな。戸を開けて外の様子を窺うと、澄み切った青空の下に広がるのは西の公都の街並みだった。ここからだと隣接する繁華街が良く見える。多くの人々が行き交い、とても賑わっているようだった。
わたしが元々住んでいた地区とは少し離れているけれど、その雰囲気は記憶にあるものと同じだった。とても懐かしい思いに駆られる。
両親は元気にしているだろうか? こっちの生活がある程度落ち着いたら顔を出しに行こう。どんな風にわたしを出迎えてくれるんだろう? アモスが言ってたように歓迎してくれるかな? わたしなりに頑張ってきたんだから。
「戻って、来たのね……」
ここにきてようやくわたしは故郷に戻ってきたんだと実感がわいてきた。これからどんな日常を送るのかは想像もつかないけれど、それでもきっと素敵なものになるだろう、この西の公都を眺めているとそう思わずにはいられなかった。