王女の決意
凱旋パレートを見届け終えて、市民が解散したところでわたし達は一路王宮に向けて歩みだした。まだあの賑わいの余韻が残っているのか街中が熱気に包まれていた。ただ先ほどデボラに名指しされたせいでわたし達まで注目の的になってしまうのはどうしようもなかった。
そんな一幕がありながらもわたし達はルデヤの案内でアヴァロン王宮までたどり着いた。壮大にそびえ立っていた帝国の宮殿とは異なり王都の中心に広大な敷地があるらしく、門の外からはまだ建物の姿形は見えなかった。
「デボラの会わせたがっていた第三王女殿下ですが、今日遠征帰りだったんですよね? 謁見の許可を頂けるんでしょうか?」
「後日日を改めて、になる可能性も捨てきれないな。その場合はわたしの方で宿は用意させてもらう」
「じゃがまず帰還報告はせんとのぅ。そん時に姫様に話を振ってみるわい」
アヴァロンの王宮はさすが西方諸国でも有数の国力を有するだけあって豪華絢爛だった。ただ悪趣味なほど飾ったりはせず、かと言って地方領主や他国の使者に誇示する程には煌びやかで。絶妙な調和で成り立っていた。
わたしとアタルヤが通されたのは貴賓室だった。単なる帝国の一魔導師に過ぎないわたし達に対しては過ぎたもてなしじゃあないかと問いただしたら、帝国の使者を迎え入れた形で部屋を確保したとルデヤが語ってくれた。
ちなみにキエフの時は身体と衣服を洗って暇を潰したけれど、今日は二人してソファーにもたれかかるだけだった。だってアヴァロンまでの船旅が暇すぎて毎日風呂代わりに浄めていたから、対して汚れていないんだもの。
「ところでアタルヤさん。よければで構いませんので一つ教えていただきたい事が」
「世間話の延長程度で良ければ構わない」
「先ほどの赤髪の女の子に向けた一言ですが……」
わたしの言葉にアタルヤはわずかに目を細めた。並々ならぬ事情があるのは何となく察していたけれど、どうやらあの凱旋パレードでアタルヤが受けた衝撃はわたしが考える以上だったらしい。ただ彼女の心に生じた波はすぐに穏やかになる。
「生前の知り合いに似ていたものだから驚いてしまっただけだ」
「その生前のお知り合いの方って親しい間柄の人でも敵対者でもなかったのでは? 先ほどの反応から判断すると、どうもアタルヤさんにはとっても重要な方だったようでしたが……」
個人的事情に深く入り込んだ質問にもアタルヤは気分を害さず、何かを思い出すように遠い目をさせながら窓の方へと視線を向ける。
「……そうだな。ある意味では親よりも夢中になった相手だったかもしれない。私は結局奴を最後まで超えられないままで人生の幕を下ろしたからな」
「アタルヤさんが超えられなかったって、その方は相当凄かったのでは?」
「今から振り返っても奴は私がこれまで剣を交えた中で一番強かったよ。それが何より憎たらしかったし、同時に憧れもした。奴のような者にはもう巡り会えないと思っていたが……世の中とは分からないものだな」
「あの赤い剣士がアタルヤさんにそこまで言わせる方と瓜二つだった、と」
あの時、ルデヤとメトセラはそれぞれ赤竜の騎士王の帰還だと語っていた。一方でアタルヤは彼女を見て宿敵に似ていると断じている。これが結び付くとしたらアタルヤは赤竜の騎士王の物語にも名を連ねる歴史上の偉人に当たる。
そう言えばイゼベルはアタルヤを白竜の覇王だと呼んでいた。赤き竜と白き竜、この話は確か騎士王の物語でも序盤に書かれている。赤き竜が赤竜の騎士王の元に集った現住民族を指し、白き竜が侵略する蛮族を指したんだっけ。
思い返せばアタルヤは死者の都攻略の際も、キエフ公都防衛戦の際も、アタルヤが率いた軍勢は帝国を表す双頭の鷲と共に白き竜の紋章を旗として掲げていなかったか? それが私達だと固持するように。その旗の下での戦に誇りに抱いて。
「赤き竜が最初は優勢だったが白き竜が次第に盛り返した。それを衰退の証だと予言した、らしいな。あいにく私も本や詩の受け売りだが」
「……では、まさかアタルヤはその白き竜を表した者達の王だった、と?」
わたしが確信に踏み込もうとすると、アタルヤは「まさか」と軽く一蹴してきた。
「私のような者に物語として語り継がれる程人々の記憶として残った騎士王の相手だった者達の王が務まるものか。あいにく私は騎士王の物語には一切登場していない」
「そんなっ。白き竜を掲げるアタルヤさんを説明するのにこれ以上の適役は……!」
「言っただろう、私は敗北者だと。歴史にも残らず物語でも伝えられない、取るに足らない程度にしか世界に影響を残せなかった輩だっただけの話だ」
「……」
アタルヤは自分を卑下するような口調で哂ってきたけれど、その中でどうしても隠せない感情があるのが容易に聞き取れた。
後世でどう語られようと構わない。
あの時に駆け抜けた私達の道は誰にも否定させない――。
アタルヤが嘘をついてまで自分を偽る理由はわたしには特に思い浮かばない。けれど仮にアタルヤの主張が真実だったしても、何らかの形で彼女が赤竜の騎士王に関わっているのは疑いようもない。じゃあどうして物語には記されていないかはさっぱりだけれど。
とは言え、これ以上深く切り込む材料は特に無い。アタルヤの真実解明はまた先延ばしにするしかないだろう。ただ、この探求はわたしの好奇心を満たすだけじゃあない。アタルヤは自分を歴史に埋もれる存在だと語っていたけれど、違うと思う。
あの白き竜の軍勢を従えた王者としてのアタルヤは、決して忘れられてはいけない。
彼女の足跡を後世に語り継げるようにすべきだ。
そんな欲求がわたしには生まれていた。
■■■
「はぁいマリア。久しぶりね」
その日の内に謁見の時間が設けられた為、わたしはアタルヤと共に応接間へと足を運んだ。
玉座には先程凱旋パレードの時にも目にした王女エリザベトが腰を下ろしていて、傍らには同じく賢者ホルダと聖騎士デボラが起立していた。既にルデヤとメトセラは報告を終わったようでホルダとデボラとは逆側に控えている。
わたし達はある程度の距離まで進んで跪いた。慣れずにぎこちない仕草だったわたしと違ってアタルヤの佇まいは堂々としたもので、かつ相手側の威厳を損ねない程度には抑えていた。王衣を思わせる外套も羽織っていないし、ドレスも地味な物に着替えている。相手への配慮、か。
で、真っ先にエリザベトが述べてきた言葉がそれだった。久しぶりって、わたし達は初対面なんじゃあ……とまで疑問を思い浮かべて一つの可能性に思い至る。もしかして勇者一行として諸国を旅していたマリアが出会っていたんじゃあ?
そんなわたしの当惑を察したのか、エリザベトは低く呻り声を挙げた。
「ふぅん、ルデヤの言った通りみたいね。勇者イヴが復讐の果てに魔導師マリアの記憶、人格、そして信念まで何もかも消してしまった、か。デボラ」
「はいっ! なんっすか?」
どうやらルデヤは帝国での体験を洗いざらいエリザベトへ報告したようだ。マリア達勇者一行に向けられた勇者イヴの復讐劇も例外ではなく。ルデヤにとってエリザベトは真実を明かすに足る、忠誠を誓う主人らしい。
エリザベトはデボラを横目で睨みつける。デボラはごまかすように苦笑いを浮かべたものの、エリザベトは冷酷なほどに全く鋭い視線を緩めようとはしなかった。王女がデボラの名を呼ぶと彼女は威勢よく返事をしながら背筋を改めて正した。
「まさか魔王を討ち果たした勇者を六人がかりで始末しようとしただなんて信じられないっ! 勇者一行が聞いてあきれるわね。どういった了見かしら?」
「いや姫様聞いてくださいよ! あたしはサウルとかバラクなんかと違って大義の為に止む無くイヴに刃を向けたんっす!」
「確かに純粋にアヴァロンに忠義を誓うデボラが私利私欲に走ったとはとても思えないけれど。何かやむを得ない事情でもあったって?」
「それがイヴの奴、よりによって――」
とまでデボラは口にして、突然黙った。ハイエルフに相応しい容姿端麗ながら鍛え上げられた身体をさせた彼女の視線がわたしに向けられる。彼女は何も言ってこないけれど何となくデボラの意図は察する事が出来た。
彼女はわたし、と言うよりマリアに確認を取っているんだ。
イヴの動機の根底、即ち賢者アダムの真実を喋っていいのか、と。
わたしはデボラに向けて頷いてみせた。エリザベトに協力を仰ぐ以上は知ってもらいたい情報だ。それに当のイヴ本人がもう全く隠す気が無いのだから、わたし達が世間への影響を考慮して秘匿するのは無意味だろう。イヴが復讐劇を繰り広げる以上、いつか必ず暴かれる真相だろうし。
デボラは深くため息を漏らしながら自分の小さな三つ編みを指で弄んだ。
「イヴが勇者らしくしていたのって別に人を救いたいからじゃあないっす。単にアイツ、賢者アダムが勇者らしく振る舞うイヴを好ましく思っていたからに過ぎないんっすよ」
「はぁ? じゃあ勇者イヴったら惚れた男にいい所見せたいだけで世界を救ったの?」
「そう、アダムの虜になった果てに魔王を討ち果たした訳っすね」
エリザベトは呆れてものも言えないとばかりに顔をしかめた。デボラが平然と語る勇者の本音にルデヤもメトセラも驚きを隠せないようだ。それだけイヴが当時皆が理想とする勇者像であろうと振舞っていた証でもある。
「いや、イヴの魂胆が乙女心に溺れたいだけなら別にどうでもいいんですよ。肝心なのはアダムの方っすね」
「賢者アダム、そう言えば彼については魔王討伐を最後に聞かなくなったわね。アンタの報告じゃあその際に勇者と共に犠牲になったらしいけれど、これも嘘?」
「嘘は言ってないですね。イヴとアダムが誰に討たれたかをぼかしただけっすから」
「余計にたちが悪いじゃあないの……」
多分勇者一行の凱旋報告はそれぞれの個性が出ていたんだろうなあ。サウルだったら脚色を混ぜてイヴは名誉の戦死を遂げたとか言いそうだし、アダなら神の名においてその身を挺したとか美談にしそうだ。真面目なプリシラだったらその辺りは黙秘したのかな?
「それで、アダムがどうしたって?」
「アダムは自分だけの為に勇者として振舞う健気なイヴを好きだったんっす。うん、これは嘘じゃあないって思うんだけれど、マリアはどう思う?」
「……そうですね。互いに想いは告白しなかったようですけれど、相思相愛だったのは疑いようがないかと」
「別に人の恋路を邪魔する気は無かったですけれどアダムだけは駄目駄目っす! だからあたしはアダ達に賛同したんですよ。二人まとめて退場してもらうって!」
「貴様……っ!」
ルデヤが腰の剣に手をかける。その手首をメトセラが掴んで思い留まらせようとする。わたしやアタルヤは武具を謁見に持ち込めていないけれど、どうやら側近の聖騎士達は護衛用に所持を許されているようだ。だからって殿中の乱心はまずいだろう。気持ちは分かるけれど。
「堪えんかルデヤ! 刃を抜けば最後、お主は今の地位も名誉も失い罪人として投獄されるぞい!」
「お前達のせいで帝国に出向していた私の姉は勇者イヴに殺された! 賢者アダムが駄目だと? そんなくだらない理由のせいで姉は命を落としたと言いたいのか!?」
「っ! ルデヤはアダムを何も知らないからそんな悠長な事を言っていられるんだよ! 彼がイヴに勇者として魔王を討ち果たさせるまでに恋い焦がれた理由なんてさっぱりだけれど、あの時はイヴを返り討ちにするのが最善だったんだ!」
「返り討ち、だと? お前何を言って……!」
「知らないなら教えてあげるっすよ。勇者一行として旅をした賢者アダムは――」
――魔王。アイツこそ現代の魔王だ!
デボラの衝撃の暴露にエリザベト、メトセラは言葉を失って茫然自失とする。逆にホルダは面白おかしいとばかりに腹を抱えて笑い声を挙げた。アタルヤは特に何の感慨も湧かなかったようでただ静かに跪き続ける。
勇者が魔王を討ち果たした、とだけ語れば勇者物語の締めくくりだろう。けれどその実愛し合う二人が互いを殺し合っていたわけだ。更に言うとイヴはアダムが魔王だと知らないままだった。黙って見過ごした仲間達に裏切られたと思っても仕方がない。
イヴの復讐劇はその実自分が受けた仕打ちではなく愛する男を殺させた事に起因する。そしてイヴとなったアダムはそんな愛しいイヴに胸絞めつける想いをさせたわたし達を許せないからだ。……恋路を拗らせて巻き込まれるこちらはたまったものじゃあないとは言いっこなしだ。
「あっはははっ! 勇者と魔王が互いに想い合う、ですって? へえ、そうだったんだぁ。滑稽にも程があるわぁ」
「笑い事じゃあないでしょうよホルダ! ……で、生きていた勇者イヴの矛先は次にこの馬鹿に向けられるって?」
「既に残っているのはそちらのデボラと聖女アダだけです。可能性は高いかと」
笑い転げるホルダを余所にエリザベトは容赦なく馬鹿呼ばわりしたデボラを指差す。あんまりだとのデボラの抗議を聞くつもりは全く無いようだ。エリザベトは可愛らしい顔立ちなのに眉間にしわを寄せて頭を抱えた。
「……勇者イヴの復讐って、どんななの?」
「一番大切な者を奪わせたんだから逆に一番大切なモノを奪ってやる、って感じです」
マリアは家族と魔導師としての自分を、プリシラは故郷と尊厳を、サウルは地位と名誉と命を、バラクは理想と探求を、それぞれイヴは報復として奪ってきた。多分アダだったらかけがえのない自分の半身であるチラなんだろう。
「……それで、デボラの大事なモノって何かしら?」
「勿論生まれ故郷全般っすね! アヴァロンって国自体って言い換えてもいいっすよ」
「この、莫迦ぁ!」
「ああっちちちっ! 姫様酷いっすよぉ~!」
エリザベトは玉座の傍に置いてあったティーカップをデボラへと放り投げた。デボラは片手で見事に掴むものの、中に入っていた紅茶が彼女が身に纏った鎧を汚してしまう。まだ淹れたてだったらしくデボラは軽く悲鳴をあげながら踊るように身悶えた。
しかしまあ、デボラもよく全く淀みなく断言したものだ。大切に想うから迷惑をかけないよう嘘を付いて遠ざけるって考えもあっただろうに。単純に思った事が口に出たのか、それとも彼女にとってソレは決して曲げられない信念なのか。
「とにかく、この馬鹿の尻拭いをしなきゃいけないのは分かったわ。勇者イヴがこのアヴァロンのどこかに潜んでいるのは間違いないようだから、国を挙げて捜索しちゃいましょう」
「姫様! コイツの為なんかに危険に冒すなんて……!」
「……アレ、姫様? イヴの復讐に対処してくれるんっすか?」
「は? 何でよ」
やがてエリザベトから出た対処策は意外にも勇者イヴを迎え撃つとの内容だった。これにはルデヤとメトセラが驚きの声をあげた。当の本人であるデボラすら王女へ疑問を投げかける。そんな臣下達の狼狽をエリザベトは鼻で哂った。
「勇者イヴがアンタへ見せつける為にアヴァロン全土を焦土にするかもしれないんでしょう? だったらこっちは脅威として対処するまででしょうよ」
「いやーでも姫様、そんな面倒事にするよりあたしをさくっとお役御免にした方が早いんじゃあないっすか?」
「この私に我が身可愛さで弓使いプリシラを売ったリオネスみたいになれって? 冗談じゃあないわよ!」
エリザベトは立ち上がると脇に立てかけていた大剣を引き抜いて一気に振るった。それはデボラの首筋近くで止められたけれど、わずかに彼女の皮膚から血が流れ出ている。デボラもエリザベトが本気じゃあなかったって即座に察したようで、回避も防御もしなかった。
「土地も民も財産も、全部ひっくるめて国でしょうよ! 国に忠義を尽くす騎士からの恩を無碍にして何の意味があるの?」
「姫様……!」
「勇者が何よ! 上等じゃない……アヴァロンに復讐の刃を向けるなら返り討ちにしてやるわよ!」
エリザベトは強い意気込みと共に自信満々に笑ってみせた。それにデボラもルデヤも感銘を受けたようで、わずかに震えていた。わたしの隣で恭しくかしずくアタルヤはそんな光景を嬉しそうに笑みを浮かべる。
「いい君主じゃあないか。彼女が王になればこの国は更に栄えただろうに」
「……そうですね」
実際には第三王女の彼女が王位継承する時代は訪れないだろう。それでもこの王女と騎士のやりとりを見ているとこの国の未来も明るいだろうなぁ、と漠然と思った。
お読みくださりありがとうございました。