閑話・竜騎士の姫君
今回は前話の数日前になります。
―閑話―
「ねえ、いつになったらミエナに着くのよ?」
「ルーシ公国連合の地に踏み込んだばかりじゃあないの。まだ日数がかかるでしょうね」
アヴァロン王国第二王女エリザベトは飛竜を闊歩させながら深くため息を漏らした。彼女はただでさえ小雨が降る中での進軍にただ気が滅入るばかりだった。数えるのも億劫になるほど何度もこぼした愚痴への対処にも側近は慣れたもので、無難な答えを返すばかりだった。
「遠征じゃあなかったら全力疾走させるのにさ。ホント面倒よね」
「ルーシ公国領土全域で魔の者がはびこっている以上、兵站は西に位置するポラニエ王国からの補給線に頼らざるをないでしょう。強行軍は危険じゃあないの」
「分かっているわよ。だから前線を少しずつ押しあがるよう軍を進めているんじゃあないの」
「分かっているなら総司令官の姫様が愚痴をこぼしていると士気に関わるわよ。そろそろ止めてもらえないかしら?」
ルーシ公国が魔王軍残党により攻められている。その一報を受けたアヴァロン王国は他の西方諸国に先駆けて王女であり聖騎士でもあるエリザベトを大将として軍を組織させ、かの地に派遣させた。海路でポラニエ王国東側の港町に上陸したアヴァロン軍は途中ポラニエ王国や神聖レモラ帝国等周辺諸国からの援軍もあり総勢五万となり東進を開始させた。
「そもそも、私って今回の救援部隊に参加する必要あったかしら? だって別に私自身が軍を指揮しているわけじゃあないし?」
「旗頭が必要だったからに決まっているじゃあないの。今回の遠征、姫様の出番なんてありやしないわよ。後方でふんぞり返っていればいいんじゃあない?」
「何よそれ! 私だって剣を振るいたいわよ! ただ戦場を眺めるなんて退屈なだけじゃあないの! お父様にも前線で戦わせてって言ったのに!」
新たな人類連合軍を率いる形になったエリザベトだったが、彼女の意欲は完全に沈み込んでいた。何故ならエリザベトはあくまで聖騎士として参加したかったのに、蓋を開けば国を代表する者として立場を弁えろと厳命されたからだ。
エリザベトが聖騎士を志した理由は現アヴァロン国王がかつて栄華を誇った赤竜の騎士王の時代を見習って円卓の聖騎士制度を立てた事にある。上に二人の兄と一人の姉がいたエリザベトが国王たる父に認めてもらうなら聖騎士となるしかない、と固く心に決めて女ながらに剣を振るい続けた。結果、エリザベトは若いながら聖騎士として認めてもらい、円卓の席に座る程となっていた。
なのに父親はそんな聖騎士としての一面ではなくあくまで軍に同行できる王族としてエリザベトを選んだのだ。エリザベトは祖国を出発して大分経つにも関わらず酷く落胆し続けていた。
「大体それを言うなら王太子のお兄様方がいらっしゃるのにどうして私を指名してきたのか理解に苦しむわね。王位継承順位も低い私なんてそれなりに好き放題したっていいじゃあないの」
「だからでしょうよ。陛下はアヴァロンこそが人類国家の盟主であると誇示したいんだもの。見栄を張って大軍を派遣したけれど、本音で言えばルーシ公国が危機を迎えたからって全く困らないでしょうね」
「次に攻められるのは地理的にポラニエかキエフだから、近隣の神聖帝国や東帝国が疲弊すればいいって考えなんでしょう? じゃあ私ったら厄介事押し付けられただけじゃあないのよ!」
「だから王太子殿下や第二王子殿下ではなく姫様が選ばれたんでしょうねえ」
エリザベトは頭痛でもさせたように頭を押さえつつ傍らで戦闘用馬車に乗りながら優雅に紅茶を飲む側近、賢者ホルダを睨みつけた。
なお、他の参謀や周囲の兵士は先ほどからのエリザベトとホルダの会話をただ黙って聞き流していた。代わり映えしない風景の中での進軍に辟易している中での賑やかな応酬は退屈しのぎにはもってこいだったからだ。
「辛辣で敬いの欠片も無い言葉を投げかけられるのはいつもの事だけれどさ、もうちょっと配慮ぐらいはしてもいいんじゃあないの?」
「配慮ぉ? 私の辞書にはそんな単語は乗ってないわね」
鈴を転がしたように笑うホルダにエリザベツは頭を抱えながら顔を左右に振った。そんな反応を面白いとばかりにホルダは紅茶の入ったカップを口元へと持って行く。進軍中とは思えないほど落ち着いた様子だった。
「何でこんな時にルデヤとメトセラがいないのよ……! しかもよりによってホルダを参謀にしないといけないぐらい深刻な人材不足だなんて!」
「あら、私とじゃあお気に召さないかしら?」
「有能なのは認めるけれど旅の同行者としては御免こうむりたいわよ」
「そう? 私は姫様と一緒だと退屈しないで済むから楽しいのだけれど」
エリザベツは深くため息を漏らしながら自分の周囲をゆっくりと見渡した。
彼女の位置は進軍する人類連合軍の列の丁度中間付近。アヴァロンから派遣された非戦闘員を含めた総勢三万名は隊列の先頭となっている。種族に富んだ国柄もあって人間、エルフ、ドワーフ、ホビットの四種族共が参加しており、多種多様な部隊構成となっていた。
特にアヴァロンが誇るのは騎乗兵、それも馬ではなく人間より数倍程度の大きさしかない飛竜と呼ばれる魔物を駆る竜騎士だった。前後左右の平面でしか戦えなかった人類は空を飛ぶ魔物を飼い馴らす事で空を飛ぶ三次元的な戦術を可能とさせた。とりわけ竜騎士を導入するアヴァロンが他の人類諸国より抜きん出ている。
飛竜に乗る王女エリザベトもまた竜騎士を務めている。
「あら、周囲の警戒に散開していた飛竜の部隊が帰ってきたようね」
「ホントね。ちょっと待ってなさいよ……」
エリザベトが上空を見渡すと確かに遠くからアヴァロン騎兵の乗る飛竜が向かってくる姿が見えた。彼女は腰にぶら下げた袋から望遠鏡を取り出してそちらへと向ける。騎兵は手綱を持ちながら手と腕を複雑に動かしてくる。
「……どうやら周囲に魔の者の軍勢はいないようね」
エリザベトは手信号での報告を受けて軽く返事を返した後、とうとう飛竜の上にうつぶせに寝そべってしまった。
「何よぉ、ルーシ公国連合の領土全域で魔王軍の攻撃を受けているって報告があったのに、これっぽっちも魔物がいないじゃあないの」
「けれど村や町は荒らされた後なんでしょう? 襲撃が終わって撤退したって考えてもいいんじゃあないかしら?」
「無人になった荒野をただひたすら歩く。退屈なんてもんじゃあないわね」
「確かに妙よね。わざわざ国土に散開させた魔物をまた撤退または集結させるだなんて」
これまでアヴァロンが主体となった人類連合軍は未だに魔物と大して遭遇していなかった。現れたとしても少しばかり群れを成した低級の魔物ばかりで、正規の魔王軍に率いられていた脅威の化身は全く姿を現さなかった。
しかし進軍中に立ち寄った村や町は全て破壊しつくされて生存者はほとんど残っていなかった。国境付近の住人達は既に隣国に避難していたとは言え犠牲は多く、再びルーシ公国が復興するには長い年月を要するだろう。
だからこそ魔の手が伸びているこの土地から魔物が姿を消している点が不可解であり、エリザベトを始めとして軍全体に不安が積み重なっていく。
「……何を企んでいるのかしら?」
「それを言うならどうして魔王が打倒されて一年後の今更攻めてきたのかしらね? 復興で実った果実をまたもぎに来たのかしら?」
「一年前は勇者やデボラ達と一緒になって私達もこの地で戦ったでしょう。結構思いっきりやっつけてやったから、軍の再編が大変だったんじゃあない?」
「それとももっと別の思惑が働いているのかしら、ねえ?」
結局エリザベトとホルダの会話はその日の進軍が終わるまで延々と続いた。
■■■
人類連合軍がルーシ公国に侵攻して数日。未だに敵軍勢と遭遇できず。
その間人類連合軍は立ち寄る崩壊した村や町の復旧要員を残して進軍を続行させていた。中には貴族の館を中心として構築された地方都市もあったものの、防壁は破壊されて街は瓦礫の山と化していた。そして調査する度に夥しい人数の亡骸が見つかった。
「復興要員と築城要員を残して軍を進めるわよ」
復興要員として残したのは力仕事を伴う労働者や地属性に優れた魔導師達。瓦礫を撤去して建造物を修復するだけでも十分に防衛機能は取り戻せる。これは戦争の後を考えてばかりならず、万一撤退戦を繰り広げる破目になった場合の避難先としての選択肢を増やす為だった。
エリザベトは防御性能を失っている地方都市に立ち寄らずに軍を進める。
「こんな事だったら飛竜部隊を先行部隊として公都に向かわせても良かったわね」
「相手がどれだけの規模か分かったものじゃあないのに軍を分けるなんて愚策じゃあない?」
「……言ってみただけよ。私達がもたついている間にもルーシ公国連合の人達は魔の手にかかってしまう。けれど焦って私達がやられちゃったら元も子も無いものね」
「ふふっ、分かっているならそれでいいのよ」
それから更に日数が経過し、ルーシ公国連合の公都まであと一、二日に差し掛かった辺りで変化が起こった。周囲の警戒に当たっていた飛竜の部隊が慌てた様子で戻ってくるのだ。エリザベトは尋常ならざる雰囲気を感じ取って気を引き締め直す。
「手振りでは分からない。誘導するから直に報告しろ、と」
「音より光の方が正確だから手信号を採用、ね。夜の場合はどうするんだったかしら?」
「夜間の飛行は月明かり任せね。折角暗いのに松明燃やしたり音を立てたりしたら夜襲の意味が無くなっちゃうじゃあないの」
「ふぅん、そうなんだぁ」
やがて、竜騎兵が飛竜から降りてエリザベトの前で跪いた。大急ぎで戻ってきたようで息があがっているのもさることながら、動揺していて落ち着かない様子だった。エリザベトは臨戦時なのもあって多少の見苦しさには目を瞑った。
「報告を聞くわよ」
「申し上げます! 公都方面よりこちらに向けて魔王軍が急速に接近中です! その数、おおよそ五万程になります!」
「こっちは非戦闘員を水増ししても五万弱なのに……」
報告を聞いていた将兵に動揺が走る。人類総勢五万名と魔物が五万匹、数の上では互角なものの個の強さは一般兵より魔物の方が勝っている。敵の種族が確認出来ていない以上断言は難しかったが、中々に絶望的な戦力差ではあった。
「それで、会敵まであとどれぐらい?」
「敵軍の進行速度が速く、おそらく多く見積もっても一刻ではないかと」
「大変……! じゃあ今すぐ準備しないと!」
「じゃあ各部隊には私の指示に従ってもらいましょう」
エリザベトはホルダに視線を向けるとホルダは軽く頷き、矢継ぎ早に軍全体に指示を送っていく。進軍の為に縦長になっていた隊列は慌ただしく組み変わっていき、それぞれで陣形が構築されていく。各陣形が進行方向に対して横に広く並べられて迎撃体制は整えられた。
固唾を飲むエリザベト達にも敵影が見えてきた。報告にもあった通り人間では考えられない速度でそれぞれの個体が突撃してきている。数多の個体が密集しているせいで黒い波が押し寄せてくるような錯覚を覚えた。
「……ねえ、ホルダ」
「何かしら?」
「アレ見てどう思う?」
「アレって、迫ってきている魔王軍の話?」
エリザベトは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。微笑を湛えたままだったホルダも不愉快だとばかりにやや眉をひそめた。
魔物の群れは獰猛な魔獣で形成されていた。しなやかに四足走行させる牙を剥く個体、二本足ながら全身が体毛で覆われた前傾姿勢の個体、更には大きな翼を羽ばたかせた鋭い嘴を鳴らせる個体など、様々な種族の魔獣が接近しつつあった。
前列を構成する巨大な盾を構えた重装歩兵はその獰猛さと凶暴さに戦慄と動揺を隠せなかった。
「魔獣の群れね」
「おかしいじゃあないの! 魔獣で構成されていた魔王軍は他でもないこの地でやっつけた筈なのに!」
「残党もこの一年で駐在していた人類連合軍が地道に掃討していたし、アレだけ大挙を成す程残っていたなら事前に見つかっていたでしょうね」
「まだ私達人類が踏み込んでいない未開発領域に残っていた個体だとしても、軍団長は勇者が打倒したでしょうよ! まさかまた新しい軍団長が就任したとかかしら……?」
「想像するのは後からでも出来るでしょうよ。今は目の前の脅威に備えましょう」
「そ、そうね」
気を取り直してエリザベトは魔獣の波を見やった。既に後列の弓兵は弓を引き絞り、投擲兵や工作兵は各々の武器や兵器の装填を完了させている。後はどれだけ敵を引き寄せてどの時点で攻撃開始するか、指揮官の合図待ちだった。
「じゃあホルダ、お願い」
「悪いけれど馬鹿正直に迎え撃つつもりは無いわぁ。あんな本能で暴れるだけしか能の無い連中なんてちょっといい気にさせた所で討ち取るに限るでしょうね」
「は? どうするつもりなの?」
「姫様にも協力してもらうわよ。作戦は――」
ホルダはエリザベトの飛竜に乗り移ると彼女に耳打ちした。甘ったるく艶めかしく呟くものだからエリザベトはこそばゆさに背筋を震わせた。更にホルダはエリザベトの鍛えながらも華奢さを残した胴回りに腕をからませる。
「ほうら、行きなさい。私達の姫様」
「覚えていなさいよねホルダ……!」
エリザベトは飛竜を羽ばたかせて大空へと飛んだ。後方の位置より最前列上空へとやってきたエリザベトは眼下を見やる。ホルダは「上出来よ」とエリザベトの肩に手を乗せると、飛竜の背の上で立ち上がった。
途端、彼女を中心として幾重にも魔法陣が描き巡らされていく。
「ファイヤーウォール」
そしてホルダが力ある言葉を発すると、待ち構える人類連合軍から少し離れた位置に空高く燃え上がる炎の壁が形成された。目の前に立ちはだかった火炎にもひるまずに魔獣達は突撃していく。前衛の者が熱を感じる程の火力にも拘らず魔獣達は燃え盛る火炎の中を突き進む。
「ドメインウォール!」
エリザベトが自分の背丈より少し短い程長い大剣を掲げると、薄い天幕が炎の壁出口付近に張り巡らされた。火炎を突破しようとした魔獣達は直前で障壁に激突して進行を止めてしまう。爪や牙を振り下ろしても淡い透明の壁はびくともせず、その身を炎に焼かれ続ける。
「突撃ばかりしか能が無いからこうなるのよ。後退したくても後から次々と別の個体が押し寄せてくるものだから、押し込められ続けるってわけね」
「うええ、こっちまで肉が焼け焦げる臭いがしてきそうなんだけれど」
「生焼けになる程度の火力にした覚えはないわぁ」
「これで地上の連中はある程度時間を稼げるわね」
エリザベトは改めて自分達と同じ高度で飛行してくる獰猛な鳥共に視線を移した。さすがに二人が構築した二重の壁も高くまでは効果が及ばず、次々と飛び越えてくる。皆地上の魔獣を一方的に焼き殺す輩を屠ろうとその鋭い嘴と鉤爪を向けようとしていた。
「サンダーストーム」
ホルダはそんな単純な反応を嘲笑いながら次なる力ある言葉を向けた。するとただでさえ曇りだった空に暗雲が立ち込めていく。そして天が呻り声を上げると、轟音と共に多くの雷を降り注がせた。それらは瞬く間に飛行する魔獣達に直撃、その身体を焼け焦がせて墜落させていく。
「先制攻撃としてはこれで十分。後は各々の活躍に期待しましょう」
「飛竜部隊出撃! 迎え撃つわよ!」
「姫様、どさくさに紛れて厳命を忘れたふりをしたって無駄よ。役目は終わったんだから後は部下に任せておきなさい」
「んもう! 抜け目ないわね!」
エリザベトとホルダに呼応するように人類連合軍陣地から次々と飛竜を駆る竜騎兵や竜騎士、グリフォンを駆る鷲獅子騎兵達が次々と飛び立っていく。そしてエリザベト達を追い抜いていくと、次々と残った魔獣の群れと交戦を開始した。
やがて地上の方も二重の壁の効果が切れ、黒焦げの炭となった同胞の死骸を踏み越えて次々と魔獣の群れがなだれ込んでいく。弓兵や投擲兵達の飛び道具が次々と射出されて魔獣の群れに大きな損害を与えていくものの、なおも勢いは衰えない。
そして、重装歩兵の構えた槍を恐れずにその身を突撃させた魔獣が大盾と激突する。
人類連合軍と魔王軍の戦の火蓋が切られた。
―閑話終幕―
お読みくださりありがとうございました。




