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閑話・惨劇の結末

今回は第四章時点のお話になります。

 ―閑話―


 光を手にしたマルタは公都ミエナを我が物顔で蹂躙する魔の者達を次々と倒していった。マルタの勇姿に奮い立った人々もまた再び魔の者達へと立ち向かう。真偽がどうであれ誰もが次々と口にした。新たなる勇者の光と共に、と。


 光と剣と共に過去の勇者が経た膨大な経験値も継承していたマルタは戦いなど未経験なのにも関わらず健闘した。

 最初のうちは歴戦の記憶に付いていかずに身体や精神が悲鳴を挙げ、激痛と疲労で夜も眠れぬ日が長く続く有様だった。それでも何度も危機に瀕したり死闘を繰り広げるうちに次第に光はマルタの身体に、心になじんでいった。蓄積される彼女本人の経験で心身は鍛え上げられた。

 公都ミエナに侵入した魔の者の大半を退けた頃にはマルタは光の剣無しでも魔獣に立ち向かえる程に成長を遂げていた。


(世界に平穏を取り戻す、立派な使命だけれど……)


 しかし、マルタは魔を払う勇者としての使命を授けられてもなお自分の生きる意味を見つけられないでいた。

 気が休まる日時が無いままひたすら剣を振るうばかりで落ち着いて考える暇が無かったのもある。それを差し引いても勇者の使命が自分の存在意義と合致しているとはあまり思えなかったのだ。迫る脅威を薙ぎ払う度に違和感は少しずつ増していった。


(ううん、みんなも一緒に戦ってくれるし。それにみんな私を励ましてくれる)


 ただ、最初は新たな勇者の出現に喜ぶだけだった人々が次第に肩を並べて共に剣を振るう姿は頼もしく、そして嬉しいものだった。もしかして使命をやりきれば自分が生を受けた意味を掴めるかもしれない、そんな希望もまたマルタは抱き始めていた。


 そんな勇者の活躍を遠くより眺める影が二つ。


 一人は長身で細身ながら筋肉が乗り引き締まった身体つきをした男性。端正な顔立ちではあるが何処か醜悪な歪みがにじみ出ていた。背負った大鎌は正に人を刈る死神像をそのまま形にしたようだった。

 もう一人は傍らの男性の腰あたりまでしか背が無い華奢な少女。マルタと同じように深紅の髪と眼をさせ、大きめの帽子と厚手の上衣とスカートが一体となったドレスで身を包み、肌は幼さがはっきりとした顔しか露出していない。何より目を引いたのは彼女が背負った熊の縫いぐるみだろうか。彼女自身よりも大きく、まるで少女に抱き付いているようにしか見えなかった。


「成程な。新たな勇者が誕生したんなら、あんたの話も嘘じゃあなかったって事か」

「そう。魔王を打倒した勇者イヴがいなくなった。そして次の勇者の出現が意味する事は一つだけ」

「魔王の座が継承されたか、または俺達の魔王がどんな理屈かは知らねえが生きてたってわけか」

「成りたての勇者はまだ未成熟……今のラバンでも十分に倒せる筈」


 少女は男の、かつて堕落種を率いていた軍団長の名を口にした。そんな少女に対してラバンと呼ばれたダークエルフは睨みつけるが少女は意にも介さない。彼女はただ剣を振るうマルタへと視線を注ぐばかりでラバンを気に留めていなかった。


「……まあいい。あんたは餓鬼だろうと婆だろうと俺を蘇らせてくれた。サロメの奴に便乗してここルーシ公国を攻めろって命令された時は驚いたけれどな」


 ラバンは一年前の人類大反撃の際、勇者一行に加わっていた賢者アダムにキエフの地で仕留められた。その際にラバンはアダムが魔王である自分を偽って潜り込んでいる事実に気付いたのだが、従っていた主からの容赦ない斬首は恨みを抱かせるには十分だった。

 その対象は魔王アダムの興味や想いを全て攫っていった勇者イヴにだった。


 そうして魔王に切り捨てられて生を終えたラバンだったが、気が付けば彼や魔獣を率いた軍団長ガトーの軍勢の多くがこの世に引きずり戻されていた。ルーシ領土に散らばる魔物を動員して再侵攻を実行に移せたのは蘇ったラバンが率いてこそだった。


 そんな彼にも傍らの幼女の目的は分かりかねないでいた。そもそも彼は少し撫でれば骨が折れてしまうと思わせる脆そうな体躯をした少女の正体はおろか名前すら知らない。担い手が稀少と伝えられる冥府の魔導に卓越している事からも、ラバンは見た目不相応の相手を油断ならないと認識していた。


「私は魔王の世界侵攻も勇者参上も興味が無い。けれどラバンは違うのでしょう?」

「違いないね。とは言え最初にけしかけた連中はあらかたやられちまったみたいだな。周辺地域の人間狩りに回していた連中をかき集めるか」

「それでいい。いくら勇者に覚醒していても絶え間ない攻勢にはいつか根を上げる筈」

「さあて、どこまでやれるかお手並み拝見って所だな」


 ラバンの命令によりまだ未成熟な勇者を仕留めるべく旧ルーシ公国連合領土の方々に散らばっていた魔王軍の残党は戦力を公都ミエナに結集させた。マルタと公都住人の人々は果ての無い戦いに誘われたのだった。


 公都ミエナから逃げ延びる者は徘徊する魔の者達の餌食となって大地へと還った。新たな勇者が健闘していた分同じ地獄でも周辺地域よりは公都の方が安全だと認識されたのか、地方で生きながらえた人々は逆に公都に逃げ延びる。

 わらにもすがる思いでたどり着いた先で人々が巡り合ったのは懸命になって戦う一人の少女だった。幼い子を戦わせて自分達はただ怯えて縮こまるのか、と奮い立った大人達は鍬や木の槍、包丁を手に立ち上がった。

 勇者と共に皆が一丸となってこの乗り切る、決意は一致していった。


 そうして一月が経過し、新たな勇者マルタは最終局面を迎えた。



 ■■■



 公都ミエナを包囲した魔獣および堕落種の軍勢はその悉くが勇者マルタに退けられ、無数の魔の者はいつしかその絶対数を大きく削がれていた。とうとう痺れを切らした残党軍を束ねる首魁のラバンは直接新たなる勇者を始末すべく公都へと踏み込んでいった。


「あっ……!」

「そんなものか、勇者の力は!」


 屈強なダークエルフであるラバンが振るった大鎌はマルタを剣ごと弾き飛ばし、主無き家の壁へと叩きつけた。声にもならない悲鳴をあげたマルタはその場に膝を付くが、剣を支えにしてかろうじて倒れまいとした。


 既に死闘が始まって一刻以上が経過していた。その間ラバン配下の魔の者が公都に残った人々と交戦する。個人で敵わなくても結集して戦術を立ててば対抗できると多くの犠牲を払って学んだ人々は善戦し続けるものの、次第に劣勢へと追い込まれていった。

 肝心のマルタは終始追い込まれるばかり。かろうじて目の前の相手を凌いでいるだけに過ぎなかった。ここまで健闘出来たのも敵がマルタを弄るために手を抜いている事情もあった。それでも少女は絶望せずに魔の者へと立ち向かっていった。


 しかしマルタにはもはや限界が迫っていた。脚は震え、身体は重く、視界は揺れ動く。もはや彼女の身体で傷ついていない箇所はどこにも無く、完全に満身創痍な状況だった。そんな勇者を見つめたラバンは腕を回しながら口角を吊り上げてにじり寄る。


「来ないで! じゃあないと……!」

「じゃあければどうするつもりだ? そんなおぼつかない手で何をするつもりだ? 笑わせんな!」


 マルタは咄嗟に剣先を相手に喉元へと向けてくるものの怯む様子がない。ラバンはむしろ意気揚々と歩行の速度を上げて接近してくる。今にも剣を取り落としそうなほど力の出ない腕は頼りなく、眼前の脅威を切り伏せるどころか何も切れはしないだろう。


「これで俺達魔に生きる者を脅かすお前さんも終わりってわけだ」


 ラバンが手の平をかざして作り出したのは紅蓮に燃える火炎球だった。森の民であるエルフにとって木の大敵である炎の行使は禁忌でしかないが、魔性へ魅了されて堕ちたダークエルフにとってはむしろかつての退屈で怠惰なエルフとの決別を表すものだった。

 もはや剣では勝負にならないと判断したマルタは一か八かの賭けに出る。


「じゃあないと、こうします……!」


 マルタは光の剣を天高く掲げると、ゆっくり上方で一回ほど旋回させる。それに伴って光の粒子が剣から流れ出て、一周した頃には白銀に輝く輪が形成されていた。そしてマルタが光の剣を両手で担ぐと、光の輪は剣へと収束する。

 雲に覆われ薄暗い中で剣は燦然と輝き、辺りを照らし出す。


 人々は見た。その光明に希望を。魔の者は戦慄した。これから身に降りかかる滅びに。


「オーレオラ・セイバー!」


 マルタが剣を振り下ろすと眩い光の奔流が解き放たれた。ラバンは迫りくる光の斬撃に向けて渦巻く炎を放出させるが何の抵抗にもならずに引き裂かれる。そして膨大な光の帯は一切衰える事無く瞬く間に魔性の者を飲み込んだ。

 しかし魔を払う光の一閃にもラバンは両断されない。歯を食いしばって腕を前に構えて足を踏ん張り耐え凌ぎ続ける。マルタは更に光の剣を持つ手に力をこめ、放出させる光の奔流の勢いを更に増していく。


「お、おのれえ勇者! だがこのまま終わると思ったら大間違い……!?」


 歯を食いしばり光に耐えるラバンだったが、その身体に突如異変が現れた。ダークエルフの身体が突如マルタの光の奔流を吸収し始めて膨張したのだ。これには光を放つマルタや周囲の人々、魔物はおろかラバン自身も驚きに染まった。


「アイツ、俺の身体に一体何をしやが……ッ!」


 マルタが危機を感じた時にはもう遅かった。膨張したラバンだった物体は今度は逆に圧縮されて手の拳ほどの大きさに収縮する。


 そして、ラバンを起点として大爆発が巻き起こった。


 爆発はマルタを、戦いを繰り広げていた人々や魔の者を、そして広大な公都ミエナ全体を覆った。更に巻き起こった爆風は公都周辺の畑や林を巻き込み、近くを流れる川の水を蒸発させ、更には天を覆っていた雲までが吹き飛ばされて太陽が輝く晴天を覗かせた。

 

 マルタが意識を取り戻した時にはどれほど経っていただろうか。少女は自分の身体の上に散らばった瓦礫をどかして身体を起こす。彼女を包んでいた淡い光の膜は儚く解けていき、身体中を引き裂かれる程の激痛が襲った。

 しかし、そんな痛みや眩暈が気にならない程の凄惨な光景が辺りには広がっていた。


「あ、ああ……」


 周囲には何もなかった。あらゆる建造物が瓦礫の山と化し、公都を囲っていた城壁も半分以上が崩れ落ちていた。復興しつつあった民家や繁華街、そして人々の希望となるべく壮大な規模で再建された公爵の居城も、全てが原形を留めない程に砕かれていた。

 そして何よりも彼女以外にこの場に立っている者がいない事実が愕然とさせた。先ほどまで必死になって戦っていた人々も、攻め込んできた魔の者も、勇者の勝利を応援しつつ避難していた一般市民達や祈りを捧げていた聖職者達も。誰一人として見当たらなかったのだ。


「そん、な……。守れなかった、の……?」


 生活の面影も戦争の跡も何も残されていなかった。この一年間過ごした思い出も優しく接してくれた人達も失われた。全てが過去のモノとなった戦場跡でマルタ一人がただ立ち尽すばかりだった。

 光の剣がマルタの力が失われた手から零れ落ちた。大地へと転がる剣は色褪せていき、輝き無き無骨な武器へと変わる。マルタは膝から崩れ落ち、そして天を仰ぐ。暗雲が散り太陽が射す世界となった中、その恩恵に与る者はこの場には誰もいない。


 魔の者は全て払えた。しかしその犠牲はあまりに大きい。


「あ、あああ……うああぁぁあああっ!!」


 マルタは空しい勝利を得た。

 これまで送ってきた平穏のひと時での全てと引き換えに。



 ■■■



 深い絶望へと叩き込まれたマルタは必死になって廃墟と化した公都で生存者を探し続けた。広大な公都を彷徨い歩き、瓦礫を取り除き、声を張り上げて呼びかけながら。地下があった家屋も軒並み爆発により大地が抉れていて、隠れ潜んでいた者の生存も確認出来なかった。


 ただ空しく、それでも無駄な希望に縋らざるを得ないままにマルタは公爵の居城へと足が向いていた。頑丈に作られた建物の一部の壁は残っていたものの、ほとんどが見る影もなく崩壊していた。絵画や陶器も残骸と化していて、取り戻そうとしていた栄華は夢幻と消えていた。


「あ……っ!」


 マルタは身体を引きずるように足を進めていたせいで瓦礫に躓いて勢いよく倒れる。その拍子に拾い上げていた剣が滑っていく。マルタは咄嗟に手を伸ばしたが、剣は彼女を嘲笑うかのように瓦礫の隙間に広がる闇の中へと消えていった。

 今更光の剣を取り戻して何になる、と諦めの感情が芽生えたものの、数少なく残されたモノのを捨て去る程割り切れもしなかった。マルタは何とか身体を瓦礫の隙間に潜り込ませたものの、目を凝らしても剣は見当たらなかった。


「……階段?」


 代わりに視界に入ったのは下へと続く階段だった。身をよじってその場所まで辿り着いたマルタは階段を下りて、その先に転がっていた剣を拾い上げる。壁にかかっていた燭台に火を入れて辺りを見渡すと、石造りの地下階層には部屋がいくつか設けられていた。

 地下深くにあったので爆発にも巻き込まれずに原形を保っていたんだと悟ったマルタは次々と扉を開けて確認していく。しかし抱いた期待は倉庫や備蓄庫として活用されるばかりの様子に呆気なく打ち砕かれる一方だった。

 マルタは最後の部屋の扉を開けた。中は他と同じように売れば一財産築ける程の宝物が山積みされるばかりだったが、一つだけ違いがあった。


「……ぁ」


 マルタの口から感嘆の声が漏れた。

 部屋の片隅には薄い部屋着を着たあどけない少女が身体を小さくしていた。彼女はマルタを確認して驚いて竦みあがる。そこでようやくマルタは自分が必死の形相で彷徨っていたんだと自覚する。とても大きな縫いぐるみに身体を包まれた少女は怯えた視線をマルタに送ってきた。


「お姉ちゃん、誰……? もう怖い魔物はいなくなったの……?」

「ああ……っ」


 マルタは涙をこぼしながら少女へと駆け寄って思わず抱き寄せていた。困惑する少女に構いなくただマルタは感動と感謝の言葉を口にするばかりだった。絶望と地獄が広がる世界でたった一つ巡り会えた奇跡と希望に向けて。


「ありがとう、生きていてくれて本当にありがとう……!」

「お姉ちゃん……泣いているの?」

「もう大丈夫だから……。怖い魔物は私が追い返したよ」

「本当に……!?」


 安心させるよう諭すマルタだったがその実彼女の方が救われていた。たった一人だろうと自分にも守れた存在があった事実に心の底から安堵した。そして、これまでの戦いが決して無駄ではなかったんだと分かって。

 落ち着きを取り戻したマルタは少女に手を差し伸べる。少女が向けてきた小さな手を握ったマルタは彼女を立ち上がらせ、大事にしていた縫いぐるみを背負わせた。自分が持つと提案したものの少女は頑なに聞き入れなかった。よほど大事にしているのだろう、と納得した。


「もうこんな暗い闇の中にいる必要は無いから、私と一緒に行こう」

「ねえお姉ちゃん。他のみんなは?」

「……っ! 他の、みんなは……」


 少女の問いにマルタは答えられない。どうせすぐに発覚する事実なのに口に出せないでいる。自分が巻き起こした惨劇を直視できなくて、己の無力さに苛まれて。結局勇者となっても何一つ成せずに無価値な生を貪る。意味なんてあるのだろうか?

 そんなマルタの手を少女は優しく握り返してきた。思わず少女へと振り向いたマルタは、笑いかけてくる少女を目にした。自分と同じ深紅の瞳がマルタへと語りかける、自分には彼女がいるのだと。


「行こう。これからがきっとあるから」

「……そうだね。進まないと。私はマルタって言うの。貴女は?」

「アビガイル」

「アビィ……そう、良い名前ね」


 マルタは悲劇的結末での絶望の中、たった一つ手にした希望と共に歩んでいく。

 いつか自分が生まれた意味を掴みたいと願い続けて。


「……短期間でラバンを倒せるまで成長するなんて。マルタなら私の悲願も……」

「えっ? どうかしたのアビィ、何か言った?」

「ううん、何でもない」


 ――そんな偽りの希望、此度の元凶は内心で万事が上手く動いた事にほくそ笑んでいた。


 ―閑話終幕―

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