魔導協会支部長との邂逅
西の公都の中央には行政区がある。帝国は基本的に中央集権体制だけれど、公爵領にはある程度の自治権が与えられている。そのためこの行政区は公爵領の心臓部としての役割を果たしている。自警団の本部や司法局など、多彩な機関の施設が並んでいる。魔導協会の西公爵領支部も例外ではなく、行政区に大きな屋敷を構えていた。
その支部がある敷地の門の前にやってきた。西の公都の中心街とはいえこの辺りになると人通りもそこまで多くなく、けれどまばらほどでもない賑やかさがある。わたしが魔導師の証を守衛に見せると、格子造りの門がゆっくりと開かれた。
門をくぐって敷地内に足を踏み入れると、噴水を中心とした水路と綺麗に剪定された植え込みが広がる庭園になる。ここも屋敷までの道は舗装されていて、かつ段差のないタイルが敷き詰められていたので車椅子を押すわたしには大変ありがたかった。
わたしは賑やかな街と門を隔てて様変わりするこの静かな庭園が大好きだった。ここには魔導師を目指す子達が学びにも来れるから、昔はお世話になったなあ。
「魔導協会って随分とお金持ちなのね」
イヴが左右に視線を移しながら呟いた感想は、多分無駄に豪華で整う庭園を見ての事だろう。
「いえ、ここの敷地と屋敷は単におさがりを押し付けられただけですよ」
「あら、どこかの貴族様がお取り潰しにでもあったかしら?」
あいにく公爵領には公爵家以外の貴族はいないと言っていい。いるのは皆公爵家に縁ある者ばかりで、いずれも代々続いていく公爵本家を除けばやがては平民となる一代限りの貴族だ。いちいち親族に割譲していては領土と民が分断されてしまうからそう定めたんだろう。
なので、これだけ立派な屋敷を築けられるほどの力のある存在は限られてくるだろう。
「いえ、元はここが公爵邸だったんですけど、かなり昔にとある戦争で半壊したそうです。度々この公都も攻められて戦火に包まれましたからね」
「あら、そのわりには建物が随分新しく見えるけれど?」
「修繕したのはいいですけど、公爵家が新築された屋敷に移ってしまったんですよ。なので魔導協会が引き取ったんです」
「なんだ、てっきり協会とやらが公爵をゆすって金を搾り取った結果かと」
さすがの魔導協会にも帝国公爵を脅すほどの力はありません。……ないよね?
おさがりとは言え手入れは怠っていないから、現在の公爵邸にもひけをとらない規模と美しさを誇っている。おかげでここは広大な帝国領の中でも異彩を放つ存在になってしまっているけど。
「押し付けられたと言ったってこんな敷地を持つ協会って、そもそもどんな組織なの?」
「えっ、てっきりイヴは当然知ってるかと思ってたんですけど」
「何となくこうだろうな、程度には分かってもそこまで詳しくは知らないわよ」
あー、なるほど。確かに魔導師の組織であるぐらいの認識で、具体的にどんな目的で存在するのかまでは知りようもないのか。
まだ支部の屋敷までは歩くから、説明し始めても問題はないか。
「そもそも魔導協会とは研究機関として設立されたものです」
「あら、そうなの? てっきりもっと偉大なる悲願とか掲げて立ち上がったと思ってたのに」
「初めは大勢が集まれば一人で取り組むより効率よく研究に打ち込めると考える魔導師達が結集しただけですって」
探求こそが魔導師の命題ですから当然と言えば当然の成り行きだろう。一人孤独に探究を進める魔導師も少なからずいるけれど、それは自らの成果を他の者に明かしたくない意図があったり、単に考えの異なる者と組むのに嫌気がさしたりと、理由は様々だ。
効率性を考えれば一致団結する方が色々と便利なはずだ。
「結集をしたのはいいんですけど、魔導師の研究成果って転用すれば国の発展につながったり、果ては軍事力の増強にもなりかねませんよね」
「でしょうね。魔導師一人いれば下手な一個師団に勝るもの」
歴史上、魔導師が国や宗教の圧力に屈して自らの魔導を俗物に捧げる事は決して少なくない。いくら魔導師として優れていたって国が敵に回られては研究どころか衣食住すら奪われかねないのだからと、背に腹を変えられなくなるのだ。
「だから魔導協会は一人一人の魔導師を守るために、魔導を俗物達に悪用されないように、自然と織化していったんです」
「一方的に叡智や人材を無碍に扱われないように、かしら?」
「別に国に協力しても構わないんですが、魔導師の身柄やその魔導を保障するように、ってね」
現に国に属する代わりに研究資金を得る魔導師は結構多い。中には宮廷魔導師と呼ばれる純粋に国に忠誠を誓った魔導師達もいるぐらいだ。そのため、単に国家権力に屈したくないとか束縛されたくないのとはまた違う。
「もしかしてそれなりの規模の街に協会の支部があるのってその為?」
「ええ、地方で研究に取り組む魔導師を守るためかと」
と言っても、最初は魔導師を外部の脅威から守る為だった協会の在り方は今ではかなり複雑化してきている。例えば魔導師を悪魔や魔女呼ばわりする宗教家や愚者達から保護するために動く場合もある。魔導を外法だと責め立てる者はいつだって少なからずいるものだから。
「今となっては一般市民や環境を顧みない外道な魔導師の処断だったり、魔導師の研究成果の保管や管理だったり、活動分野は多岐にわたりますねー」
「魔導師にとっての便利屋みたいなのね」
ざっくばらんに言ってしまえばそうだろう。とにかく何でも相談すれば全てが解決しなくても何らかの進展は必ずあると言っていい。むしろ問題なのは、利便性がよくなったせいで事務員という魔導とは無縁の人達まで協会に属するようになってしまうほど規模が大きくなってしまった点か。
「もしかして今日ここに来たのって、帝都から引っ越ししてきたから?」
そう、今日ここを訪れたのも正直そういった事務的手続きのためだったりする。
「学院を卒業して帝都所属の魔導師見習いではなくなりましたから、ここの支部に所属変更を届け出ないと」
「なんか、思ってたよりずっと俗っぽいのね」
「ひ、酷い表現ですけれど否定できないのが悲しいですね……」
これには苦笑いで返すしかない。だって本当に魔導とは一切関係ない用事だし。西の公都に帰るとわたしが言い出した際、同級生からはここの支部に所属するとばかり勘違いされたけれど、魔導師としての用件はここにはない。
「あとは今日から住む家も協会紹介の物件なので、鍵を受け取って案内してもらおうかなと」
「本っ当にただの役所代わりね。そろそろわたしが持ってた印象返してもらえる?」
「返す言葉もありません……」
ま、まあ、そのおかげで物件探しや生活の準備みたいな煩わしさを省略できたのだから、文句も言えないよね。
そんな他愛ない会話をしながら広い庭園を抜けていくと、やがて左右に大きく広がる三階建ての建物が目に飛び込んできた。帝都の宮殿には遠く及ばないけれど、やはり元々公爵邸だっただけあって立派な造りに見える。実に維持費が高そうだ。
この辺りまで来るとそれなりに人の行き交いが出てきた。支部所属の魔導師だったり支部に雇われた一般市民だったり、支部を利用しに来た冒険者の姿も見られた。
「思っていたよりはここを利用する人が多いのね」
「先ほど門に守衛はいましたけれど、そこまで厳しく出入りを取り締まってはいませんから。冒険者が持つ札ぐらいの身分証で簡単に入れますよ」
「魔導師以外の連中がここ来て何するのよ?」
「図書室とかは生半可な本屋より充実してますし、教育施設として開放される場合もありますよ」
あとは昔の魔導師が創ったけれど用途がさっぱりな道具の鑑定とか、訪れる機会はいくらでも見つけられる。こういった開放的で身近な所もわたしは好きだったりする。
「けれど、これだけ世俗まみれだと協会の在り方を忌み嫌う輩もいるんじゃない?」
世俗まみれとは表現は悪いけれど、言われてみたら確かにそうかもしれない。
「ええ、世間一般と切り離した方が集中できて探求が捗るって考える魔導師も当然いますよ」
「それなら協会って一枚岩ではないんじゃないかしら?」
あー成程、閉鎖的組織に変革させる者達と現状維持を望む者達で一触即発しないか、か。確かにそれは無いとは言えないけれど、そこまで深刻な問題に発展してはいない。というのも……。
「そんな考えの人達は協会を見限って離れていきますから」
そういった考えの魔導師は独自の道を歩むからだ。単に引きこもるだけだったり、中には表舞台から姿を消す徹底ぶりをする者もいると聞く。そこまでして探求した結果得た知識を何処辺りに使うつもりなんだろうか?
聞いた話では協会とは別に組織を起こして裏の世界を歩む者達もいるらしいけれど、それはわたしのあずかり知る領分ではない。
「あら、脱退者には死を! とか言い出さないの? 魔導の秘匿のために」
「どこの悪の組織ですか。引き留めはするでしょうけど裏切り者扱いはしませんって」
まあ、守秘義務が無いとは言わない。それは協会内の研究室による。中にはイヴの言うように極度の秘密主義のために脱退を許さない部門も、わたしが知らないだけであるかもしれない。最も、協会では魔導師個人の権利も尊重されているから、そんな研究室は執行部から処分が下るだろうけど。
協会を健全に保つための自浄作用があるんです。腐敗した組織とは違うんですよ。
「あら、協会の仇をなすって分かれば容赦なく粛清するくせに」
「秩序を乱す輩に慈悲はいらないのでしょうね」
代わりに協会の害をなす存在には容赦ない。その相手が反逆を企てた一介の魔導師だろうと国だろうと宗教機関だろうと、協会は自分達の権利を守る為ならば容赦はしない。すなわち、円滑な探究という権利を死守するために。
「怖い怖い。私も協会は怒らせないようにしないと」
くすくすと笑うイヴだったが、その言葉にどれだけ冗談が混じっているかはわたしには分からなかった。勇者にまでなったイヴが協会を畏れてるって主張してもにわかには信じがたいけれど、徒党を組まれては勇者と言えども厄介だと考えているのだろうか。
「――そこにいるあなたも、そう思うでしょう?」
その言葉は誰に投げかけた言葉だったか。イヴは突然誰もいない筈の横に視線を向けた。その瞳は誰もいない空間の中で何かを捉えていて離さない。まるでそこに誰かが存在しているかの……いや、違う。わたしがそう錯覚してるだけで、本当は誰かがそこにいるのか?
目を凝らして観察してもその場所には誰もいないとしか思えなかった。イヴの視線の先は丁寧に手が加えられた植え込みがただ広がるだけだ。
「……あら、見つからないように隠れてたつもりだったけど、どうやって気づいたのかしら?」
しかし、突然その何もない場所から声が聞こえてくる。全くあさっての方向からではなく、本当にイヴが視線を向けた地点から声が出たようだった。
「姿が全く見えなくったって、気配が隠せていないわよ」
……信じられない。本当に誰かがそこにいるのか?
確かに人の話に花を咲かせる様子を魔法で遠くから盗み見たり聞いたりするのは常とう手段だ。また、光を屈折させたり周囲の空気を歪ませるなどでその場にいないよう装う魔法もある。けれど、視界が広がったこの庭園でここまで違和感なく風景に溶け込むなど不可能の筈だ。
気配の点で語ればイヴに指摘されて初めて気づいたけれど、成程、そこに誰かがいるような感じはしてくる。けれど周囲を見渡してもその場所には何ら違和感がないから、単なる気のせいとしか思えなかった。
考えれば考えるだけ混乱するばかりだ。
「ほ、本当に誰もいないんですか? 冗談ではなくて?」
「あら、ごめんなさいね。そこまで驚かせるつもりはなかったんだけれど」
そんな言葉が聞こえた直後、目の前の空間がガラス細工のように突然割れた。砕け散った空間の先は闇とも光とも表現しがたい絶えず渦巻く混沌が果てしなく広がっているようだった。見ているだけで精神を深く削り取り、不安と恐怖が心の中に広がるのを感じる。
その中でただ一人、端正な顔立ちをした妙齢の女性が佇んでいた。背はやや高く、独特の帽子を深くかぶり、手にした扇子で口元を隠していた。
「あまりこっちを見ない方がいいわよ。貴女が深淵を覗き込む時、深遠もまた貴女を見ているものですから」
彼女ははにかみながらこちらの世界、と表現していいのか実に迷うが、に足を踏み入れる。そして彼女が手を少しだけ上げて扇子を折りたたむと、瞬く間に先ほど砕けた空間が時間を巻き戻すように元に戻っていく。終いにはヒビどころか空間が割れた痕跡など一切残さずに修復された。
こちら側に残った女性だけが先ほどの現象が夢ではないのだと物語っていた。
「い、今のは……?」
「これは私の魔法、ここの世界とは位相が少し異なる異世界とを繋げる門です。残念だけど詳細な術式は明かせないけれどね」
これが魔導による現象……。とすると、やはり魔導とは私の想像を絶するほど奥が深く、神の御業としか思えない奇蹟すら容易く成し遂げる事も出来るのだろう。
彼女は手にした日傘を広げ、わたし達の方へと歩み寄る。とってもゆったりしたその行動は、しかし遅いとか鈍いとかの印象を全く抱かせず、逆に貫録をわたしに感じさせた。彼女はわたしの前に立つと腕まで覆っていた手袋を片方だけ取り、手をわたしの方へと差し伸べる。
「さて、黒曜のマリア。よく公都に残らず西の公都へ戻ってきてくれました。私達は貴女の帰還を歓迎いたします」
「あ、ありがとうございます」
わたしも慌てて手袋を取って彼女と握手を交わした。彼女の手は人形のように白く、それでいて瑞々しく、けれど少し荒れていて、どこか年季を感じさせる。
「あ、あの、もしかしてここの支部の方ですか?」
「あら、そう言えば私ったら滅多に研究室から顔を出さないから、もしかして私を見た事なかったかしら?」
少なくともわたしはここまでの事象を引き起こせる魔導師がこの支部に在籍すると聞いた覚えがない。これほどの腕を持ち協会の属しているなら、帝国中にその名が知れ渡っていない筈が……。いや、待てよ。良く考えてみたら心当たりがある。
わたしが魔導かじりたてのひよっこだった頃はこの支部で基本を学んだ。その何年かの在籍中、ここの研究室に属する先人達の評判は伝え聞いていたけれど、一切が謎に包まれていた魔導師が一人だけいたんだった。推測交じりで語られるだけのその人は……。
「その様子だと噂ぐらいは耳に入れているようね。多分想像通りで合っている筈よ」
「では、まさか貴女が――!」
彼女は堂々とした佇まいで静かに頷いた。
「私が西の公都で支部長を務めている魔導師、イゼベルです」
お読みくださりありがとうございました。