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閑話・深紅の少女

今回は本編より一年前までの出来事になります。


 ―閑話―


 旧ルーシ公国連合は人類圏の東端に位置する。人類未開発領域、即ち魔の者が跋扈する大地と接している。いついかなる時代においても魔の者は東から現れ、真っ先にその土地に殺戮と破壊をまき散らす。故に失われた命、滅んだ国家は数知れない。

 それでもなお人類がこの地に住まうのは西に広がる人類圏諸国を守る為になる。言わば旧ルーシ公国連合は魔の者達の軍勢を最初に食い止める役目を背負い、兵士や物資の援助を受ける代わりに人類圏に平和をもたらしているのだ。

 それでもなお旧ルーシ公国連合は度々滅亡している。蹂躙された大地は地獄と化し、悲劇が至る所で繰り広げられる。魔の者の奴隷となり、餌となり、家畜となり、玩具となる。物へと成り果てた人々は初めはいつか必ず救われると信じるものの、やがては現実を受け入れて死後に安息を求めるようになる。


 歴史は繰り返す。

 四年前に新たな魔王が出現し、突如として旧ルーシ公国連合は攻め込まれた。大敗を喫した国家群は魔の者の跋扈する土地と成り果てた。尊厳を失った人々が救われたのはそれから三年後、勇者と共に呼応した人類の大反撃の時だった。

 魔の者を率いていた魔王は討ち果たされた。人類圏に平和が戻った。

 しかし、魔王軍の全てを駆逐出来たわけではなく、依然として旧ルーシ公国連合は魔の者の脅威にさらされ続けるのだった。

 西方諸国は魔王軍残党から人類圏を守る為、人類連合軍を治安維持を名目として旧ルーシ公国連合に残した。王を失った魔の者達は依然として人類に災厄をまき散らす為、日々掃討作戦に明け暮れる形となった。


 途絶えて久しいルーシ公家の跡継ぎには隣国の縁戚より選ばれた。国を統べる公爵と言う立場ではあるがその実西方諸国の傀儡に過ぎない。更にはいつまた魔の者が襲い掛かるか不透明な有様で、命の保障は無い。公爵とは名ばかりで体の良い生贄にしかなかった。


 それでも少しずつではあるが魔の者の排除は進んでいて、ルーシの地に平穏が戻るのも時間の問題。誰もがそう思っていた。


 ――再び魔王軍が攻めてくるまでは。


 魔王軍の侵攻はルーシ公国の南に位置するキエフ公国への侵攻に呼応するように開始された。キエフへは妖魔と魔人が攻め込んだのに対し、ルーシへは魔獣および堕落種の軍勢が攻め込んでいった。双方共に一年前の人類連合大反撃の際に軍団長を討ち果たされた上に軍自体も大敗を喫しているため、残党軍の寄せ集めになる。

 それでもルーシ国土各地に散らばり掃討作戦に明け暮れていた人類連合軍にとっては脅威以外の何者でもなかった。たちまちに各地で一方的に負け続け、瞬く間にルーシ公国全土が魔の者の恐怖に怯える事となった。

 キエフと全く異なるのは人類圏最大の軍事力を誇る帝国からの救援が見込めない点と、魔の者を払う勇者が現れない点であった。誰かの助けを待つ人々を嘲笑うように魔の者が手を伸ばし、その身と魂を穢していった。


 救いは無い。人々は絶望に包まれた――。



 ■■■



 少女マルタは忌み子だと蔑まれてきた。


 血のように真っ赤な瞳と髪をもって生まれて来た為、魔の者に魅入られているなどと存在すら否定されてきた。しかし亡き者としたらどんな災厄が降りかかるか分かったものではない、とも恐れられた。結果として彼女は物心ついた頃から愛を知らずに育っていった。

 赤子のうちに親に捨てられた彼女は都市部の荒廃した地域で食い繋ぐのに必死だった。略奪、薬物、人殺しなど罪を重ね続けてでも生き延びていった。刃物を向けた裕福な相手は主に救いを求める事もあったが、その度に彼女は嘲笑った。


「例え神がいたとしても、私達のもがき苦しむ様子を楽しく眺めていたのかな?」


 そんな彼女の転機は四年前に突如として侵略してきた魔王軍による蹂躙だった。彼女が住んでいた都市は瞬く間に壊滅し、魔の者の手に落ちた。彼女は逃げ惑ったり現実を直視せず主への祈りを捧げたりもしなかった。魔の者に取り入る、生き残るために幼い少女は堕ちていった。

 媚を売り、身体を売り、能力を売り、しかし魂は売らない。尊厳など初めから無かったマルタはしかし食らい付くように生に執着した。玩具と成り果てた人間達は侮蔑し、魔の者達は面白いとばかりに嘲笑う。それでも彼女は決して生を諦めなかった。


「私は……私の生きる意味を知りたい……!」


 誰にも明かさない彼女の願いの為に。


 そうして魔の者に弄ばれる日々に幕が下りたのは一年前、人類連合軍が満を持して反転攻勢を仕掛けた際だった。魔性へと堕ちた都市は瞬く間に戦果に包まれ、少女を欲望のはけ口としていた輩は悉く切り伏せられた。


「もう大丈夫ですよ。立てますか?」


 物言わぬ死骸と化した魔の者を恐れもせずに彼女、聖女アダは少女マルタに手を差し伸べる。少女を屈服させる暴力的な手とは全く異なる透き通るような白く繊細な手は、しかしマルタにとっては救いの手となり得なかった。

 穢れも知らぬ聖女に身を穢し泥を啜って生きてきた私の何が分かるんだ。軽々しく大丈夫だなどと口にするな。どうせその手だってお前が課せられた義務から来るものだろう。お前なんかに私は救えやしない――!


 マルタはアダが差し伸べた手を思いっきり振り払い……損ねて逆に伸ばした手を掴まれた。

 軽く驚くマルタへアダは微笑を浮かべる。それはいつかどこかの荒廃した教会に飾られた聖母像を思わせた。未だ魔の者と人類とが殺し合いをしている中で、アダは周囲を意にも介さずにただマルタを見つめ続けていた。


「貴女が思っているほど私が無垢の筈ないじゃあないですか」

「えっ……?」

「ここまで来る為に私達はどれほどの魔の者が流す血で手を染めてきたでしょうか? 皆等しく主により創造された命だと言うのに。主よ、罪を重ねる私をお許しください」

「皆、等しく……」


 アダの懺悔はマルタにとって未知の考え方だった。皆が、それこそ魔の者や自分すらも平等などとは思いもしなかった。世界は理不尽な程に差が生じており、自分は間違いなく底辺に近いんだと確信していた。それだけに今の言葉は少女マルタの心を洗い流していった。

 マルタはアダの手を取った。しかしアダはマルタを引き上げようとせず、そのまま微笑を絶やさないでいた。マルタが少しアダの手を引いてみようとするものの、力が込められていて聖女の身体は微動だにしなかった。


「何をしているのです?」

「えっ?」


 怪訝に思っているとアダから質問が投げかけられた。彼女の言葉は今まで感じた事の無いほど優しい暖かなものだったものの、同時に突き放すような冷たさも感じられた。


「さ、私の手を支えにして起き上がりましょう。ここはまだ危険ですしね」

「……あ、ご、ごめんなさい」


 成程、とマルタは納得した。手は差し伸べた、しかし身体は引き上げない。自力で立てるのだから立ちなさい。そう聖女は自分に語りかけているのだ。マルタは聖女の手を持つ腕に力を込めて自分の身体を起こした。

 目の前の聖女は左右に顔を振って部屋を見渡す。ただ何かしらの目的が達せられなかったのか、アダは首筋に手を持って行ってわずかに眉をひそめた。


「悪いんですけれど貴女の服はどこでしょうか? さすがに生まれ落ちたままで出歩くわけにはいかないと思いますので」


 言われてマルタは今更気が付いた。己が一糸まとわぬあられもない姿なのだと。人類連合が攻めてくる直前にもなってなお己の欲をまき散らそうとしたこの場で死体となって転がる魔の者には呆れ果ててものも言えないが、素直に受け入れようとした自分も自分か、とため息を漏らす。

 どの道事に及ぶ時間が多い日々が続いていたので服を着込む方が珍しくなっていた。歪んだ日常を歩んできたマルタは別にこのまま動き回っても良かったのだが、そう言えば外では服は大事だったっけ、と思い直した。


「い、いえ、多分この部屋には無いと思う……ます」

「……困りましたね。さすがに私の祭服を貸すわけにもいきませんし」

「ちょっと、そこで何をしていますの?」

「もうこの城は焼け落ちるから早く脱出を……その子は?」


 マルタの不意を突く形で開け放たれた扉から姿を現したのは人間の魔導師とエルフの弓使いだった。ここに来るまでに激戦を繰り広げていたのか、魔導師は崩さない表情の中にも疲労が感じられ、エルフの身体は返り血で深紅に染まっていた。

 聖女は二人を招き入れてエルフには寝具を指し示し、魔導師にはマルタの手首と足首に繋がれた鎖を指し示した。


「ああ、プリシラ、マリア。丁度いい所に来ました。プリシラは寝具の布地を切ってこの子を包む即席の服を作ってください」

「……よろしくってよ。さすがにそのままにはさせられませんし」

「マリアはこの子の拘束具を外してください」

「分かった。焼き切るから少し離れていて」


 マリアと呼ばれた魔導師は指先から白く光り輝く炎の刃を形成させると一つ一つ丁寧に鎖を切断していく。下手をするとマルタの腕をも傷つけかねない繊細な作業は、しかしマルタに火傷一つ負わせずに完遂された。

 プリシラは手早く寝具からタオルケットを抜き出して、腰からナイフを取り出すと中央に穴を開けた。その穴からマルタの頭を通し、寝具を覆う豪奢な柄の天幕を細長く切り刻んで作った即席の帯を腰に回して結んだ。


「下着はさすがに作れませんわね。今は肌を隠すだけで我慢してくださいまし」

「ここはもう危ない。アダも早く行こう」

「ええ、分かっています。さ、行きましょうか」

「あ……はい」


 マルタは聖女に手を取られて共に駆けだした。住居と言う名の牢獄だった魔城からは所々火の手が上がっており、廊下の至る所で人と魔物の物言わぬ身体が倒れていた。途中でプリシラとマリアはまだ城内を調べると別れ、アダがマルタを出口へと連れていく。

 固く閉ざされていた門は開け放たれていて、その先にはマルタがかつて何度も目にした凄惨な光景、しかし今までと違い人類側が魔の者を追い詰めていく光景が広がっていた。その中をアダは恐れもせずに隙間を縫うように駆けていく。


「現在人類側がこの城を本拠地としている魔王軍の一派を攻めている最中です。包囲している人類連合軍の陣地まで貴女を導きます」

「ま、待って! でも、私……」


 人類側に身を預けるのは構わない。けれどその先に待ち受けているのはまた忌むべき者として石を投げつけられる毎日ではないか? それだったら例え玩具だとしても自分を必要とされる魔へと堕落した日々の方が価値があるのではないか?

 そんなマルタの悩みを見透かすようにアダは笑いかけた。


「その深紅の瞳と髪、ですか? 外見で差別されるのは仕方がありません。人とは罪深き存在で、自分と異なる者を愛せないのですから」

「……っ! そこまで分かっているなら……!」

「で、それが何だと言うんです?」

「……は?」


 アダはマルタの生まれてから常に晒されてきた理不尽をばっさりと切り捨ててきた。怒りで賺したような顔を殴ってやろうとまで思ったものの、前を見据えるアダからは有無を言わさない迫力を感じてしまった。


「主は子である私共に試練をお与えになるばかりで決して救いは与えられません。私共に出来るのは頂いた生を全うする事です。故に、私は貴女の足掻き、苦しみは必要だったと考えます」

「じゃあ……じゃあ、私はどうして生まれたんですか?」

「それは主や他人から教わるのではなく、自分で見つける他無いと思いますよ」

「そんなの、とても聖女の言葉とは思えません」


 マルタの思い描く聖女像は主に魔王軍襲来前に貧民窟で言葉を交わした大人達や、魔の者の所有物となってから語られる話から出来ている。曰く、主により子である人類を救済すべく奉仕する者。曰く、魔を浄化して世界に光をもたらす者。曰く、主より授かった奇跡を体現する者。その中の一つに、聖女は主により選ばれて誕生する、と言うものがあった。

 神に授けられた使命にもとづいて行動している筈の聖女が生まれた意義を自分で見つけるとどうして言えるのだろう? マルタは不思議に感じざるを得なかった。それでもアダがあまりに確信を持っているように断言するので、決して感情に任せて疑問を投げかけはしなかった。


 そんな疑念もお見通しのようで、アダはマルタに視線を向けてきた。アダの目からは強い意志を感じられた。決して義務感からではない己の意志を。


「確かに私の行使する奇蹟は主より授かったものです。ですが聖女となって人々に手を差し伸べるんだと決めたのは私です。神の僕であろうと私は私の考えで私の運命を選択したんですよ」

「与えられた運命を選んだのも自分の意志だと……?」

「どうして私は生まれ、聖女に選ばれたのか。それは未熟な私にはまだはっきりと掴めていません。ですが、まだ誰にも言っていませんが私には悲願があります。私はその為に今を懸命に生き続けているんです」


 戦場と化した城外の敷地を駆け抜け、ようやく二人は門とその先の深い堀にかけられた橋までたどり着いた。城を包囲していた人類連合軍の兵士達は聖女の姿を見ると歓喜の声を挙げる。人類連合軍の布陣より豪奢な鎧に身を包んだ中年の男性が現れ、聖女へと駆け寄ってきた。


「よくぞご無事で! それで城内は?」

「敵軍団長はイヴ……勇者が討ち果たしました。現在は掃討作戦中になります。来たるべき最終決戦に備えて一匹たりとも魔の者を逃してはなりません」

「お任せください! 不肖我々、必ずや平穏を取り戻してみせます!」


 アダは目の前の中年男性を人類連合軍の司令官だとマルタに紹介した。マルタは別に彼を偉いとは微塵も思わなかったものの、一応軽く会釈した。アダはマルタから手を離し、彼の方へと行くよう促した。マルタは怯えながらもおずおずと司令官へと歩み寄った。


「この子は魔の者に捕らえられていました。申し訳ありませんが一旦手厚い保護をお願いできますか? この戦争が終わった後は教会の方で預かりますので」

「容易いご用です。この子以外にも囚われの身となっている人々がいるかもしれませんな」

「助けなければいけませんね。しかし救出するばかりに気を取られて人質にされてしまった場合ですが……」

「その先は聖女様が仰ってはいけません。苦渋の決断を下すのは軍人である我々だけで十分です」

「そうですか……ありがとうございます。では、この子はよろしくお願いいたします」

「任されました。さあ、行こうか」

「は、はい……」


 司令官の男に促されてマルタは人類連合軍本陣へと案内されていく。逆に聖女アダは単身で未だ魔の者が跋扈する城内へと踵を返した。その後ろ姿は幼いマルタから見てもとても小さく華奢で、しかし先を切り開く力強さを携えていた。


「あ、あの!」


 マルタは思わずアダを呼び止めていた。アダも立ち止まってマルタへと振り向いた。アダはなおもマルタを安心させるように微笑みを浮かべっぱなしだった。


「何でしょうか?」

「聖女様、お名前を教えてください! 私はマルタって言います……!」

「あー、そう言えば名乗っていませんでしたね」


 アダは祭服の頭被りを取り、優雅な仕草で一礼した。その場にいた人類連合軍の兵士や将官達は神々しさすら感じて感嘆の溜息を洩らしたが、マルタは純粋に授けられたこれから歩む光射す道を指し示したアダへの感謝の気持ちでいっぱいだった。


「アダ、です。主の御導きがあったならまたお会い致しましょう」

「……はいっ!」


 この攻城戦で旧ルーシ公国連合を占拠していた魔獣の軍勢は大打撃を受けた。軍団長は勇者イヴの手で討ち果たされて指令系統は壊滅。人類連合軍は攻め落とした城を足掛かりに更に東へ進行、やがて魔王軍を退けるまでに至った。

 とは言えそれは少女マルタにとっては関係の無い話。彼女にとっての魔の者の脅威はこのやりとりで終焉を迎えたのだから。



 ■■■



 孤児だったマルタは教会に引き取られて修道女となった。


 生きる事に精一杯だったこれまでと異なり主に仕える日々は退屈ではあったが新鮮なものだった。主の教えが正しいかはまだ分からない。それでも無法の場に身を晒してきた中で送り始めた規律正しい生活は、確かに彼女の荒んだ心を変えていった。


(ん~、でもやっぱりまだ私ってどうして生まれて来たのか分からないや)


 そうして一年が経過した。神の教えを学んでもなおマルタから存在意義への疑問はくすぶったままだった。先輩の修道女や司祭との語り合いを経てもやはり解消されない。このまま晴れないままなのか、と落胆を覚え始めた頃だった。


 ――ルーシ公国連合が魔王軍の再侵攻を迎えたのは。


 ―閑話終幕―

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