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旧死者の都にて

 旧死者の都までは定期乗合馬車が走っていて今回はそれを使う事にした。城壁上から眺めた通り馬車や旅人など多くの往来があった。北へと伸びる街道も舗装されているので馬車の乗り心地は悪くないどころかむしろ良いと断じていいだろう。

 馬車が走りだしてどれだけ経ったか、やがて死者の都の城壁が見えてきた。壮大な佇まいなのは相変わらずだけれど、以前と全く異なるのは生命の息吹を感じさせる点に尽きる。よく伺うと城壁上には兵士達が見回りをしていて、今は生きた都市なんだと実感した。


 城門で手続きを済ませて久しぶりに足を踏み入れた。街は予想以上に人で溢れており生活を営んでいるようだった。街並みは同じはずなのに見違えてしまった。とてもこの間までアンデッドが蠢き、帝国軍の声明を吸い尽くした死者の都市とは思えない。

 やや早歩きで街を見て回ったもののさすがに空き物件も多く見られた。それはそうだ、規模で言えばここは南に広がる西の公都に匹敵する。いくらキエフからの難民を始め多くの新参者を受け入れていたってすぐには埋まらないだろう。


「随分と栄えていますね……」

「家や故郷を失った人達が新しい住む場所として選んでいるみたい」

「さすがに西の公都の祭典には便乗していないようですけれどね」

「西の公都に赴いているせいか、心なしか人が少ないような気もする」


 最奥にそびえ立つ城まで続き表通り沿いは多くの人が往来していて、忙しそうに荷馬車が動き回っていた。物流も滞っているようには見えず、新たな需要と供給が生まれているようだ。そのうちここの工芸品類の生産物が西の公都にも流通するかもしれない。


 かつてデスナイトと対峙した場所を抜けて第二の城壁まで足を延ばしたた。再び検問を受けたのでどうやらそれぞれの城壁全ては分け隔てられたままらしい。魔導協会所属魔導師なのもあって意外にすんなりと中区に通される。


 この辺り一帯はかつて貴族や大富豪が住んでいそうな屋敷が空虚に立ち並んでいた。それが今では新たな居住者を招き入れていて、全く異なった華やかな印象を覚えさせた。行き交う人も庶民より着飾った商人や厳かに練り歩く貴婦人や紳士が多い。

 冥府の公妃が操るアンデッドが整備していた町がこうして活用される姿は個人的に感慨深かった。


「ついでですし奥の方の城も見ちゃいます?」

「次の城門を通れるの? 今の調子だとわたし達では止められると思う」

「大丈夫だと思います、多分。だってこの都市は魔導協会が管理していますから、正規所属者のわたしがちょっと見て回っても大丈夫ですよね?」

「その理屈には賛同できないけれど、試してみる価値はありそう」


 わたし達は大屋敷群が左右に広がる街道を進んでいき、やがて第三の城壁の前に立つ。外の城壁は外敵から守るために警備兵が多く配備されていて、第二の城壁は不審者の行き来を防止するために最低限の人員が割り振られていて両極端だった。居住者無き城を守る警固はどうなんだと思ったら、意外にも前者と同程度に兵士の姿が見られた。


「……庭も城も芸術的価値はあると思いますけれど、こんなに人を投入して守るほどでしたっけ?」

「もしかしたら居城が居城としての役割を再び果たすようになったのかもしれない」

「そうは言ってもキエフからの難民を受け入れるようになってから魔導協会の者は誰も滞在していない筈ですよね。誰を守護しているんでしょうか?」

「悩むより確かめた方が早い」


 マリアが足早に第三の城門へと進んでいく。わたしも彼女を追いかけて駆け出し、肩を並べたのは兵士が何名も固く守る城門手前辺りだった。ただ思った以上には人の往来が多く、今回も身分証明をして簡単に入門を許可された。


「入場の度にお金取られるのはどうにかしてほしかったですね……。これで三度目です」

「仕方がない。人件費と設備の維持費はどこかで徴収する必要がある」

「奥に行くにつれて料金が値上がりするのは、やっぱ強気な値にしても払ってもらえるって自信があるからでしょうか?」

「その辺りは実にどうでもいい」


 かつてリッチとの激闘を演じた門をくぐって広がっていたのは相変わらず圧倒される程素晴らしい中庭だった。けれど前回までと大きく異なるのは多くの人が鑑賞に訪れている点だ。中央の細かく彫刻が施された噴水の周囲では貴婦人達が花を愛でながら談笑していた。

 更には庭師が剪定ばさみと脚立を手に動き回っている。死者が無機質に手入れしていた庭に人が手を入れているのか。


 私には花を咲かせている植物の銘柄はとんと分からないけれど、目を楽しませるには十分だ。ここに来て毎度思うけれど、きっと一日中いたって飽きないだろう。今度昼食を持参してのんびりと時を過ごすのも悪くないかもしれない。


「マリア、奥を見て」

「……厳重に守りを固めていますね」


 中庭から奥にそびえる白き城へと続く道は中庭の景観を損なわない程度に封鎖されていた。その前には兵士が二人武器を携えて目を光らせている。あの様子だとどうやら城までは開放されていないようだ。

 趣向を凝らした豪奢な内装は無人だったら博物館のように見世物にしても良かったのに。きっと経済的余裕がある商人とかだったらこぞってお金を落としてくれただろうに。とすれば城は本来の役目を果たしている最中、主を迎え入れたんだろう。


「あの、すみません」

「ん? 何だ、どうした?」


 とりあえずわたしとマリアは疑問を晴らすべく警備担当の兵士に声をかけた。職務に忠実で無碍にされるかとも思ったけれど、どうやら平穏な暇には勝てなかったようだ。


「今このお城ってどなたが住んでいるんですか?」

「……あー、それぐらいなら教えてもいいか。今は先代公爵閣下方が住まわれている」


 成程、合点がいった。前公爵がカインの兄にその座を譲ったのはつい先日。その後公都には留まらずにこちらに移り住んでいるのか。アンデッド異変の経緯が経緯だけに現公爵閣下に影響力を残さないように離れた、辺りだろうか。

 ……待てよ、だとしたらもしかして公爵夫人のミカルって戻ってきた形になるのか? 折角彼女を死者の都から救い出すべく死闘を繰り広げていたのに。いや、納得はするんだけれど内心結構複雑なのよね。


「そう、分かった。ありがとう、それじゃあ」

「ちょっと待ってくださいよマリア。もう引き返すんですか?」


 わたしは淡白に踵を返すマリアの袖を掴んで止めた。マリアはあまり表情を変えず、けれど不機嫌そうに振り返ってわたしへと透き通るような瞳を向ける。あ、いや、彼女を褒めるってもしかして自分自身に見惚れるのと同じなのかしら?


「そろそろ帰路につかないと公都に戻った頃には日が暮れてしまう」

「ですが公都行きの乗合馬車は珍しく夜便もあるようですけれど? こちらで夕食取ってから家に戻ってもいいのでは?」

「これ以上見て回る場所が無い。それともマリアはお店巡りでもしたいの?」

「いえ、別にそう言った訳では……」


 確かに粗方は旧死者の都を散策したから、これ以上となると単なる暇つぶしの一環でしかなくなるのよね。別に物欲も大して無いので店に入りたいとも思わない。キエフからの移住者が多いので公都との距離が近くても料亭や雑貨で扱う品の違いは大きいようだけれど。

 白い城の内部まで見て回れたら満足だったんだけれど、まあ別にこの辺りで切り上げても十分に楽しめたとは思う。それに今日は祭典の最終日だし、盛大に祝われるに違いない。公都の方が賑やかな夜を過ごせるだろう。


「マリア……」


 予想もしなかった方向から声をかけられた。わたしとマリアが二人して声の主へと振り向くと、日傘を差して散歩の途中だった質素ながら上質な布地で丁寧に創り込まれたドレスに身を包んだ貴婦人が佇んでいた。


「ミカル……」



 ■■■



「……お久しぶりですね」


 この旧死者の都を建造した当のミカルとの再会がこんな偶然からだなんて。彼女は従えた侍女たちと共にこちらへと歩み寄ってくる。マリアは立ち止まって視線こそ彼女に向けているものの、ミカル個人を快く思っていないのか我関せずの構えだ。

 相変わらずイヴに酷似した顔立ちで困惑するばかりなのだけれど、憑き物が落ちたのか少しばかり穏やかにも見える。日常は日常だと割り切って公都での日々を過ごしていたイヴにますます近づいたような気がした。


「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

「ええそうですね。夫が息子に爵位を譲った際にはこうなるだろうって薄々は予想していましたけれど、まさかまたこの城に戻ってくるなんて……」


 ミカルはそびえ立つ壮大な白き城を見上げた。つられて私も視線を送ってみるけれど、相変わらず無駄に作り込まれている。しかし居住にも問題ないような内装をさせているし。ミカルは都市計画どころか建築にも才能を持っていたのだから驚きだ。


「今の公爵様が前公爵様やミカルをこちらへ?」

「いえ、夫から申し出ました。先日の異変の責任を取る形での継承でしたから、やはり同じ屋根で過ごすのはまずいだろうと意見したので」

「……余生を過ごすにはまだ早い気がしますが」

「ダキア全体の統治は息子たちに任せておけば問題ありませんよ。私共は私の身勝手で命を落とした方々への祈りに残りの人生を捧げるのです」


 確かにアンデッド異変の責任は死人に口なしとばかりに魔王アダムに全部押し付けて元凶であるミカル、そして根本的原因になったわたしは無罪放免にされている。だからって犯した罪が消えるわけではない。ミカルは自分の所業を真正面から見つめて償うつもりか。

 ミカルの決意は固いようで、神妙にしながらも強い瞳をさせて今度はふもとに広がる多くの人が集うようになった都市の方角に顔を向けていた。……わたしも他人事ではない。わたしがマリアとして起こした悲劇と惨状は受け止めなければ。


「ではこの都市の統治は?」

「息子……公爵閣下の命もあって今は夫が務めています。有能な人材を遊ばせる余裕はない、ですって。私も微力ながら力添えしていますね」

「そうでしたか……。この都市がますます発展していけばいいですね」

「ええ、死者と生者の交わりしこの都市をどのように栄えさせればいいか。真剣に向かっていこうと思います」


 折角私が嗜好を凝らして作り上げたんですもの、とは彼女は語らなかったものの、微笑みからそんな意向が窺えた。侍女や多くの来訪者がいる手前、異変の真相に繋がる事柄はおいそれと口に出来ないわけか。今後も心の中で懺悔はしつつも公にせずに胸の内にしまっていくのだろう、かつて抱いた魔性の愛情と共に。


「ところで今日は公都では祭典ですけれど、楽しまれないのですか?」

「一昨日親しい人と見て回りましたし、昨日は闘技場での大会に参加したので。今日は賑やかな所から少し抜け出してこちらに足を運んでみたわけです。夜の締めくくりは楽しもうかと思うので、少ししたら帰ろうと思います」

「そうでしたか。カイン達は頑張っているのですね」

「……そうですね」


 言われて思い出したけれど爵位を譲ってから初めての祭典になるのか。時代が次世代に移ってまだそう日が経っていない。ごたごたが続くうちにカインが主体になって一大祭典を任されたんだから大変だったに違いない。特にカインには親しい友人の一人として労いの一つぐらいは送るべきかしら。


「では、今日はお一人でこちらにいらしたのですか?」

「いえ、今日はマリアと……すみません、何でもありません」


 危ない、危うくもう一人の自分とここに来ましたって暴露する所だった。ミカルはわたしの事情を知っているからまだしも、お付きの侍女を困惑させる必要は無い。現にミカルお付きの侍女はやや首を傾げた様子を見せてきた。ミカルはそんなわたしの慌てふためきが面白かったのか、鈴を転がしたように笑った。


「あら、ではイヴとは来ていないのですね」

「イヴでしたら随分前に新たな旅に出ました」

「……あぁ、苦楽を共にして世界を救ったとされる勇者一行に会いにですか」


 行方をくらましていた勇者再び、って情報は既にアンデッド異変の際に広まっている。そして彼女が帝国皇族の一員、即ちミカルの親族だとも追悼式の際の陛下来訪で知れ渡った。なので勇者イヴを名指ししても特に侍女や周囲にいた人たちが驚く様子は無かった。

 ただ、彼女達は知らない。イヴはかつての仲間への復讐を果たす為に旅を続けているんだとは。残りは聖騎士デボラと聖女アダの二名。剣士サウルから受けた傷を癒して本調子を取り戻しつつある彼女は本懐を果たすまで帰ってこないかもしれない。


 ミカルは姪の憎悪を思い返しても口角を吊り上げる反応をさせただけだった。


「ところでマリア、この間サライ……陛下がいらっしゃった頃からずっと確認したかったのだけれど、いいでしょうか?」

「わたしの知っている事情でしたら」

「そう、では遠慮なく言わせてもらうけれど……」


 ミカルがわたしに向けた眼差しに嫌な予感が脳裏に過った。けれど彼女は要人、この場で彼女の口を強引に閉ざそうとすればわたしの気が触れたと思われても仕方がない。そして耳を塞ぐにもその場から一目散に逃げ出すのもおかしい。

 結局わたしは何でもないふりをしながら聞くしかなかった。


「イヴってまだ生きているのですか?」


 元死霊の公妃が発した核心を突く問いかけを。


「……生きているも何も、この間陛下と共にミカルを訪問したじゃあありませんか」

「冗談はよして。 サライ陛下も確信していたようだけれど、彼女はイヴであってイヴではない。違いますか?」

「少なくともイヴの記憶、経験、魂、身体を有した女の子なのは間違いありません」


 嘘だ。こんなの建前に過ぎない。だって魔王アダムを救うために勇者イヴの全てを捧げた。イヴが身も心も魂も全部愛する者に捧げた。勇者イヴと魔王アダムは全部混ざり合いたった一つの存在へと生まれ変わっている。

 愛し合った相手の全てを受け継いだ彼……いえ、彼女は術者のわたしが違和感を感じない程忠実にイヴとして振舞っている。イヴと長年過ごした陛下が何となく察するぐらいで魔王に従っていたノアやサロメすら気づかない程に完璧に、だ。

 じゃあイヴは犠牲になったのか? アダムは生きているのか? それは一言では言い表せないと思う。少なくともイヴにとってはアダムとイヴは今後どんな場面になろうと決して離れない程固く結ばれたって認識だ。

 彼女にとっての真実がそれなら、わたしからは否定出来やしない。


「イヴが帰ってきたら直接本人に問いかけたらどうです? きっと私はイヴだって答える筈ですよ」

「……そう、でしたか」


 ミカルは天を仰いだ。きっと彼女が思い返すのはイヴではなくて、蘇った後にアダムと過ごした死者の都での日々だろう。彼女も陛下と同じように分かってしまったんだ、イヴの真実に。そして愛しい人は幻から覚めて決してもう彼女に振り向きやしない、とも。


「やはり私の入り込む余地なんて何処にもなかったんですね」

「ミカル、貴女は……」

「家族への想いはお陰様で取り戻しました。けれど、いくら現実は泡沫の夢だったとしても、あの頃の想いは決して夢幻ではないんです。こればかりは否定出来ないし、したくありません」


 その想いは魔王アダムに向けられたもの。けれど彼は賢者アダムとして勇者イヴだけに惹かれたのだから、決してミカルには答えない。それでもいい、よかった、と目の前の貴婦人は語っているのだ。溺れた盲目的な愛だったとしても、本物だったのだから。


「けれどあの一幕はもう過去です。こうして新たな一歩を踏み出した以上、後ろ髪を引かれてばかりではいられませんね」


 ただミカルは晴れやかに笑っていた。いつまでも魔王の魅力に取りつかれて狂気に陥っていた公妃の面影はどこにも見られなかった。


「……強いのですね」

「あら、正気に引き戻してくれたのは他でもない、マリアの一言ですよ」

「えっ?」

「ほら、陛下やイヴと一緒に来てくださったじゃあないの。あの時の私を想ってくれる夫や子供達を思い出させてくれた。あの」

「あっ……!」


 昔のように家族と日常を送って欲しい、ってわたしの言葉か! わたしはただ自分の願いを語っただけなのにミカルは覚えていてくれたのか。正直人を動かせた、立ち直らせたって事実は嬉しいものがあった。


「私はここで頑張っていきますよ。それが今の私がやれる事ですから」


 都市方向へと向けたミカルの眼差しは前を見ていて、とても力強かった。

お読みくださりありがとうございました。

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