大会六回戦②・過去は忘れた頃にやってくる
観客席が騒然となるのは決してレイアが重傷を負ったからではなく、普通の人間にしか見えなかったレイアから蒼い鮮血が流れ落ちている点だろう。わたしは思わず隣にいたバテシバへと視線を移してしまったけれど、彼女もまた驚いている様子だった。
試合自体はレイアが勝利したけれど場外負けの無い真剣勝負だったら……いや、もしもの話をした所で意味がない。限られた規定の中でレイアはノアを下した。その事実は覆りようがない。現に負けたノアは特に不満を抱いていないようだし。
試合終了が司会者から伝えられた直後にわたしは飛び出した。勿論今にも胴体が切り別れそうなレイアを治療する為だ。ノアとの戦いの最中で治癒の術を使っていたようだけれど明らかに自己処理出来る軽傷ではない。
「しっかりしてくださいレイアさん、今治療しますから……!」
「ご、ふ……ぅっ!」
意識はまだあるから全力を注げば大丈夫だろう。わたしは意識を集中させて頭の中で術式を丁寧に編み込んでいき、一気にレイアへと注ぎ込んだ。
「リヴァイヴ!」
「ベネディクション!」
わたしとバテシバの手が重なってレイアの身体に降ろされた。バテシバの手は熱くなっていて、わたしの手を経由してレイアへと力が注ぎ込まれていく。
ベネディクション、確か瀕死の重傷だったりと命が危うい人を現世に繋ぎ止める最上級魔法だと記憶している。懸命の治療も空しく命尽きて天に召される人が少なからずいる現実を何とか克服しようと編み出されたんだっけ。わたしも一応会得しているんだけれどリヴァイヴばかり使っていて出番が全く無いんだった。
「バテシバ……」
「無駄口は後よ。マリアは傷の治療を、私は気付をするから」
「分かりました。お願いしますねバテシバ」
「任されたわ」
二人がかりなのもあってわたしの負担が軽くて済む。さすがに体力回復と傷の治療を並行していると効率が結構落ちるから。苦しみ悶えていたレイアは激しく咳き込んで喉の血を吐きだしていく。両手とも魔法発動に使っていてこれ以上出来ないのが悔しい。
と思っていたら、駆け寄ってきたノアが彼女の喉の通りを良くするためにレイアの顎を少し上げる。更に呼吸しやすいように少し口を広げさせた。
「これでいいかい?」
「ありがとうございます、ノア。レイアさんには失礼ですけれど、試合お疲れ様でした」
「お互いこの限られた中での試合での試合だったし、今回はしてやられたよ」
わたしは復活魔法に注力しつつもノアへと頭を下げる。彼は大岩の直撃を受けてもそれほど大きく負傷していない上に既に治ってしまっている。わたしやプリシラと対峙した時もそうだったけれど、この頑丈さもまた彼の真骨頂なんだろうか。
「マリア。どうして真っ先の飛び出したの?」
ふと、バテシバの声が耳に入ってきた。怒気を孕んでいたので見上げるとバテシバは明らかに憤慨しつつ批難の眼差しをわたしに向けていた。当然そんな事される謂れはないので無性に腹が立ってきた。
「西の公都の大会は死亡や後遺症が残らないようダキア支部でも優秀な白魔導師が運営委員に加わっているでしょう」
「そうですね。ですがあの場ではわたしが一番早く駆けつけられましたから」
「分かっているの? マリアはまだ試合を控えている。ただでさえ魔王軍の軍団長を一人で相手して消耗しているのに復活魔法まで行使して」
バテシバは睨むように目を細めてきた。
あー、理解できた。要は専門家に任せてわたしは残った魔力を温存すべきだろうって言っているんだろう。何で相手選手に忠告を? 決まっている、この後順当に勝ち進めばわたしはバテシバと相対するからだろう。余力のあるわたしと向き合いたいから。
だからってバテシバ、自分の事を棚上げするのは卑怯じゃあないかしら?
「バテシバだって人の事は言えないじゃあないですか。教授と死闘を繰り広げているのに祝祷魔法なんて。後の事なんて考えていなかったのでは?」
「私は帝国魔導師の長としての責務があるわ」
「ならわたしは生まれ故郷に住む一人として見過ごせないんです」
「なんて強情な」
「意地っ張りなのはそちらでしょう」
「何ですって?」
「何ですか?」
「はいはい止め止め。そろそろ彼女の容体も安定してきているから、後は大会運営に委ねてもいいと思うよ」
レイアの上で火花を散らすわたし達の肩に手を当てて引き離したノアは遅れて駆けつけてきた西の公都支部の魔導師達を手招きした。確かにとわたしとバテシバは魔法を打ち切って一息入れる。彼女の言った通り折角回復しかけた魔力と精神力をごっそり使ってしまった。
バテシバも同じだったようで、屈んだ体を起こそうと試みるもののふらついて満足に立ち上がれていない。わたしは杖を支えにして反対側の手で彼女の腰に手を回して力を貸した。驚いた様子でわたしを見つめてきたものの、すぐに彼女は舞台出口を見据えた。
「礼は言わないからね」
「単にわたしのおせっかいです。礼は求めませんよ」
レイアを救ったわたし達の退場に何故か観客達から拍手が送られる。別に名声を得ようって気は無かったのでこの反応は意外だったけれど、悪い気はしなかった。
■■■
「そう言えば、結局レイアさんって何者なんでしょうね?」
舞台と選手控室の間の通路に設置してあった椅子に腰を落ち着けたわたしは同じく隣でくつろぐバテシバに問いかけた。わたしと同じ年でありながら魔導元帥にまで上り詰めた彼女なら何らかの知っているかも、って思ったからだ。
蒼い血の生命なんて聞いた事もない。動物も魔物も鮮血は赤かったから血は赤いって固定概念があった。魔人のノアもそうだったんだから、より一層レイアの正体が謎になる。
「マリアは気付いた? レイアの技は魔導ではないって」
「ええ。似て非なる技術でしたね」
死者の都への侵入の際は魔導師って名乗っていたけれど、今日目の当たりにした彼女の数々の術は魔法ではなかった。どうも術式の構築をしていないようなのだ。どちらかと言うとその技法は魔導ではなくプリシラ達エルフの精霊術に類似している。
けれど夜を基本とした立ち回りはエルフとはかけ離れている。森の住人であるエルフ達も人間と同じで夜は眠りの時間だから。闇と月光と星が支配した真夜中を象徴にする種族なんて聞いた覚えが無いな。
とは言っても人類が把握している世界なんて狭い範囲でしかない。大陸の南側なんて未知の領域だし、人類圏の西に広がる海の果てが果たして教会が唱えるように円盤世界の端なのかだってさっぱりなんだから。だから外来者って線も十分考えられる。
「ナイトエルフ、と呼ばれる種族ですよ」
「えっ?」
いつの間にかわたし達の前には優雅な物腰でイゼベルが佇んでいた。今現在アタルヤの試合中だったのに抜け出していていいのか、なんて疑問はこの際些事だった。ナイトエルフ、初めて耳にする単語だった。
「人類を始めとして私達の住む大陸より海を隔てたもう一つの大陸で夜の森林に生きるエルフ達よ。私はこちら側の昼を生きるエルフと区別したかったからナイトエルフって呼んでいるけれどね」
「う、海の向こう? そんな話は聞いた事も……」
「当然でしょうね。だって人類圏の東西の端から端と同じぐらいの広さがあるもの。今の人類圏の航海技術じゃあ辿り着けないんじゃあない?」
人類圏の端から端って、もしかして獣人国家群も含めて? 帝都に広がる海だって十分広いけれどそれが豆粒に感じてしまうぐらい途方もない広大さになる。想像できるような規模じゃあない。わたしなんかは一生無縁の世界だろう。
「エルフも人間と比べて生き物として優れた種族だから長命だけれど、ナイトエルフは魔人や悪魔に匹敵する生命力を誇ります。多分この地上を生きる中で最も優れた種族でしょうね。夜を基本としている以外はエルフと同じと思ってもらえればいいわ」
「ど、どうしてそんな世界の果てからこちらに……?」
「人類圏や迫りくる魔の者達の監視らしいけれど興味無いわね。エルフ以上に排他的で森から出ようとしないから、こっちの大陸とは接触しようとしないでしょうし」
「非常に興味深い話ですね」
人類が触れていない文化文明、そして交流の無い種族との邂逅。一体どんな感じなのか想像して胸躍らせる者は少なくないだろう。わたしだって専門外だけれど少し胸が高鳴るのを自覚してしまうし。
だがこれには大きな疑問がある。どうして目の前の淑女はそんな知る由もないはるか彼方の種族に付いて熟知しているのだろうか? いくら空間を隔てて簡単に海の反対側に移動出来たとしたってそれは手段であってまず発見しなければ話にならないだろう。
「どうして知っているのかって顔をしているわね。実際に向こう側に行った事があるから」
「実体験に基づいているんですか!?」
「大ぼら吹くのもいい加減にして。空間転移にしろ上空飛行にしろ人類圏の端から端までの距離を通しでこなせるほどの魔導師はいないわ」
「飛んで行った、とだけ言っておこうかしらね」
イゼベルはなおも疑問が残ったわたし達を置き去りに扇を持った手を上下に軽く動かして空間に隙間を形成する。そして長い髪と魔導衣を揺らしながら隙間の中へと潜り込んでいった。待ちなさい、と手を伸ばすバテシバの手が空しく虚空を切った。
折角レイアの謎が解明したのにまた新たな謎が浮上してきてしまった。わたし達は若干呆れも混じりながら顔を見合わせた。
「結局、イゼベルって何者なんでしょうね?」
「私にだって分からない事ぐらいあるわ……」
イゼベルの正体、それは迷宮入りしそうな気配すら漂っていた。
■■■
「そう言えばマリア。姉さんはどうしたの?」
六回戦も後半に突入して呆気なく勝ち上がったわたしにバテシバが声をかけてきた。彼女の試合は六回戦の最後なので残り二試合を挟んだ形になっている。他愛ない話で盛り上がるだけの時間はあるだろう。
わたしがイヴと共にいたとはおそらく陛下から聞いたんだろう。彼女がイヴの現状をどこまで把握しているのかは分からないけれど、やはり真実はイヴの口から語られるべきであり、いくらイヴとバテシバ双方を知っているわたしからでも明かせない。
「一か月ほど前に旅立ちました。帰ってくるのは早くても二か月後ではないでしょうか?」
「へえ、もう一人旅が出来るぐらい回復したのね。長い間の治療お疲れ様」
「え、ええ、ありがとうございます」
まさか賛辞を受けるとは思っていなかったので少し驚いてしまった。てっきりどこに何しに行ったのかって根掘り葉掘り聞かれるとばかり思っていたものだから。同時に少し恥じてしまった。イヴの治り具合を心配していたバテシバの想いを邪まな目で見てしまった自分自身に。
「それで、実際のところはどうなのかしら?」
「どう、とは?」
「イヴの回復具合よ。万全の状態に戻ったわけではないんでしょう?」
「……その問いへの答えはバテシバがどこまで把握しているかによります」
内心で驚きながらも一応平然を取り繕えたと思う。我ながら名演技だ。けれどそんなわたしの思惑の奥底まで見透かすようにバテシバはわたしの瞳を覗きこんできた。
「現在のイヴの両腕両脚は禁軍の騎士から奪ったもの」
「……っ!? どうしてバテシバがそれを……!」
「サウル旗下の騎士団全滅は教授……アンナが調査していたから。捜索隊や軍部には報告が行っていないようだけれど、私にはあがってきているのよ」
なんてことだ、あの一連の顛末をよりによって教授が調査していたなんて。あの人だったら間違いなく土地に刻まれた記録を呼び起こして真相を暴いてしまうだろう。すなわち、勇者一行の剣士サウルを始めとする騎士団一行がは勇者イヴに討ち果たされた、と。更にはわたしが女騎士の遺体から四肢を失敬したんだと。
「身体の部分のすげ替えはとんでもなく高度な魔導が必要よ。帝都の宮廷魔導師にだって何人出来るやら。更に言えば日常生活を送る程度には戻っても昔みたいに十全の力を発揮するまで回復させるなんて厳しいわよ」
「わたしもあまり自信がありません。わたしには分からない違和感を感じるらしいですから」
怪我から復帰しても完治するとは限らない。一流の達人であればあるほど僅かな硬さとか張りとか何かしらの違和感を覚えるらしい。今後変化してしまった箇所とどう向き合っていくかも重要になるんだとか。
けれどイヴの場合は勝手が違う。四肢を一気に繋ぎ合わせる為にわたしは水属性の回復魔法ではなく冥府の魔導に手を染めてしまった。四肢の切断面にくっ付けた屍骸の手足を遠隔操作させる状態にしてしまったんだ。
「冥府の魔導でイヴの四肢は腐敗せずにいるから、後は少しずつ骨、肉、神経、皮膚を繋いでいけばいずれは借り物はイヴ自身の血肉となる。その思惑は上手くいったの?」
「それなりにはいったんですけれど、やはり難しいですね」
確かに糸繰り人形のように動かしていた手足は長い治療の末に肉と神経が繋がった。頭から動けと指令を送れば指先まで動かせるようになっている。けれどキエフ防衛戦における対エヴァ戦からも分かる通り、やはり完全には間隔を取り戻せなかったらしい。
これは女騎士の身体能力がイヴに劣っていたからばかりではないだろう。わたしの、マリアの魔導の限界。それをまざまざと見せつけられる結果なのだ。折角死者を冒涜してまで決行したのにこの体たらく、イヴにも女騎士にも申し訳がない。
「……あの時はああする他無かったとはいえ、いつか女騎士の墓前に謝りに行かないといけませんね」
「私達魔導師は教会が謳う死生観なんて知った事ではないでしょう。遺体を辱めたのかって批難されても仕方がないけれど、もう一度その場面に遭遇しても同じ事をしたんでしょう?」
「ええ、断言していい。あの選択に後悔はありません」
「なら胸を張ればいいわ。謝ったっていいけれど間違いを認めるのだけは止めなさいね」
バテシバの視線はわたしではなく舞台の方へと向けられていた。次の七回戦でわたしの対戦相手になる選手が得物を交えている。片方ははち切れんばかりの筋肉を纏って斧を振り回し、もう片方は鎧兜の上に外套で身を包んで剣を振るっている。
体格差が激しいな。外套を羽織っているのに屈強な戦士よりも二回りほど小柄だ。それと学院時代帝都で帝国軍兵士の演習風景を見学した際に目の当たりにした剣の振るい方と少し違う。帝国にいる限り剣術の基礎となる部分は似る筈なんだけれど……。
「もとよりそのつもりです」
「ならいいわ。ちゃあんと過去に向き合いなさい。私もそうするから」
「? 何を言って……」
「イヴの四肢の持ち主はね、アヴァロンから交換留学の形で加わっていたのよ」
小柄な剣士が一閃させた剣が斧を手にした戦士の指を切り落とす。支えを失った斧が放り出され、その隙を付いた剣士が戦士の懐に入ってその腹部に得物を突き立てた。戦士はそのまま腹を横に引き裂かれ、その巨体を舞台に倒した。
歓声にこたえる剣士はここに来て初めて外套を脱ぎ、そして兜を脱いだ。空気にさらされたのは意外にも中々整った顔立ちをさせた女性だった。良く見ると小手や具足で覆った手足も丁度いい細さと長さで、普通に社交界でドレス等で着飾っても問題は無い感じだ。
「アヴァロンからって、まさか……」
「そう、勇者一行のデボラと同じ聖騎士の末席だったそうよ」
あの剣士には見覚えがある。目にしたのは当然初めてだけれど、彼女は似ているのだ。そう、丁度話していたイヴの四肢の借用元、あのバラクが従えていた騎士団の紅一点の女騎士に。
「そう言えば、この大会にも何名かはるばるアヴァロンから足を運んできた聖騎士が参加しているそうね。一体何のためかしらね?」
過去は忘れた頃に突然降りかかってくる。今は正にそんな状況だった。
お読みくださりありがとうございました。




