大会一回戦③・虹の魔導師の矜持
大会一回戦も順調に進み、帝国の誇る十二賢者のもう一人が登場する。顔にしわが刻まれて髪も髭も純白に染まった男性は観客の期待に応えずに物静かな様子で試合開始地点へと向かっていく。動きは街でよく見かける老人と大して変わり無く、対戦相手の傭兵らしき屈強な男性は多少その賢者を侮っているように嘲っていた。
たしかあの賢者は火属性魔導の第一人者だったか。炎をまるで生き物のように操る様は正にこれぞ魔導師と呼ぶに相応しいものと聞いている。属性魔法において最も威力が出るのは火属性魔法だから、戦闘においては彼が一番優れているかもしれない。
一方、同時に行われる試合の選手を見たわたしは軽く驚いてしまった。
「ノア……!?」
そう、あのノアが屈託のない笑顔で観客に向けて手を振っているのだ。彼はわたしに気付くとこちらにも手を振ってくれた。わたしも思わず苦笑いをさせつつ手を振り返す。タマルはそんな狼狽える私をからかうかと思いきや、真面目な表情で彼を見つめていた。
「魔王軍の軍団長自らが参戦……ですか。もう勘弁してくださいよーあたしが一体何をしたって言うんですかー」
「もはやわたし達が優勝するには今後の展開を祈るしかない気がします……」
ノアや十二賢者達が試合開始地点に立ってそれぞれの対戦相手へと向く。ノアは一切の構えをさせない自然体のままで、これはわたしやプリシラが対峙した時と同じか。一方の十二賢者は既に杖を構えて相手に意識を集中させているようだ。
ううむ、やっぱり試合開始前に術式を構築出来てしまうと俄然魔導師が有利になってしまうな。大会規定にその手口を禁止する文面が無かったのは想定外だからだろうか? だとしたら正直完全に失敗だったとしか……。
「そこの選手、試合開始前の術式構築は弓を引き絞る行為と同じと判断して反則としますよ」
司会者が選手の立ち位置を確認している最中、イゼベルが声を発した。彼女が釘を刺した相手は他でもない、今正に魔法の詠唱に入っていた十二賢者だった。
確かに大会規定では試合開始まで選手は何もしていない状態でなければならないと書かれている。剣を構えるのは問題ない、弓に矢を番えるもの許容される、投擲具を手にするのもいい。けれど引き絞った弓矢やクロスボウを相手に向ける行為は駄目、と試合開始直後に遠距離攻撃を放つ準備を制限してのものだろう。
魔導に関してまで細かく書かれていなかったから許容されると思っていたけれど、大会規定の解釈を広げてまとめてしまうのが運営委員の方針か。
「まさか帝国が誇る十二人の賢者様とあろうお方がそんなせこい真似はしないとは思いますが、一応忠告をしておきますので」
先ほどのやや鋭く低かった声を若干和らげたイゼベルだったけれど、その文言は明らかに十二賢者の痛い所を突くものだった。
確かに一見すると賢者は相手に注視しているだけだ。術式を虚空に描いたり詠唱も身振りも無いなら構築などしていないと言い張られたら探知魔法で見破る等よほどの手段を講じなければ暴けないだろう。それほど熟練した魔導師は術式構築を巧妙に隠せるものだ。
が、ここまできつく咎められてもなお続行すれば賢者の評判を地に落とす蛮行へと成り果てる。彼が賢者の称号に誇りを持っているのであれば彼自身が許しはしないだろう。むしろしてもらわないと他の魔導師が困る。帝国最高峰の賢者には恥も無いのか、と。
イゼベルの指摘を受けたかどうかは分からないけれど、幾分彼から感じられる重圧が減った気がした。あいにくわたしには彼が術式を構築しているか否かはそこまで詳しく判別出来ないので相手の様子を伺って総合的に判断しているのだが。
けれど隣のタマルは違ったようで、感心で呻り声をあげた。
「あの賢者さん、支部長に注意されて詠唱を強制終了させましたねー」
「えっ、分かるんですか?」
「マリアさんも上手く説明できないけれど何となく察しているんでしょう? 水属性魔導に秀でていると相手の身体の流れを見通す観察力が養われるんですよー。術式を構築していると魔力を始めとして流れがわりと激しく動きますからね」
「……ああ、そう言う事でしたか」
理屈は理解できた。あまりに漠然としているので実感はわかないけれど今後経験を積めば鍛えられる可能性もあるわけだ。相手の術式を見破られればあらかじめ対策を講じられるし、絶対損にはならないだろう。
そう言葉を交わしていると試合開始が告げられた。十二賢者は相手が飛び掛かるのを気にもせずに術式の構築をしていき……って早い!? 十二賢者の術式は凄まじい勢いで複雑で緻密に組み上がっていくようだ。魔導師であれば誰もが舌を巻く手並みだろう。
そして相手が間合いに入り込む前に十二賢者は杖を旋回させて、炎の波を解き放った。
「フレイムウェーブ!」
それは目の前の対戦相手はおろか少し離れた場所で試合を始めた残りの選手たちをも瞬く間に飲み込んでいった。灼熱の津波は十二賢者を中心に広がっていき、観客席に張り巡らされた魔導衝撃に衝突して火の波飛沫をあげる。あまりの迫力に最前列の観客からは絶叫があがった。
ただ火力はそれほどでもなかったようで、場外へと押し流された選手たちは誰もが服や髪を焦がして軽い火傷を負う程度で済んでいる。これで本気だったら骨まで残さず焼き尽くしていたに違いない。それこそ最悪の天災である火山噴火での溶岩のように。
舞台に立っていたのは魔法を発動させた十二賢者と欠伸をするノアだけだった。ノアの周りの床面は全く焦げていないので冷気を発して防御したんだろう。人を押し流す程度の熱量だったら彼にとっては朝飯前の対処でしかない。
呆気ないぐらいに短時間で試合が終了した。ノアはわたしの方に向けて軽く手を振ると十二賢者には目もくれずに舞台から退場していく。十二賢者はそんなノアへと警戒心を隠そうともせずに舞台から降りていった。
「あれほどの魔法を瞬時に発動させる力量、さすがは帝国の誇る十二賢者……」
「それより炎の波に対して即座に凍気で防御するなんて。さすがは魔人を率いる軍団長ですねー」
そう言葉を交わすわたし達二人だったけれど、嘆きこそ何度も口にするけれど、どちらからも諦めとか降参って言葉は出てこなかった。魔導師は己の叡智を元に探求をする存在、勝算が無いなら時間の無駄だとすぐ断念した方が効率的だ。
つまり、わたしもタマルもやってみなくちゃあ分からないって思えるぐらいには彼らを相手に勝てる算段があるんだろう。
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試合も滞りなく進んでいき、次の試合で武舞台に上がったのはタマルだった。彼女の相手は頭三つぐらい背丈に違いのある屈強な戦士だった。手にする斧は振るわれれば人を真っ二つどころか大木すら一撃でなぎ倒しそうなほど無骨で巨大だった。はち切れんばかりの筋肉の伴う腕がわずかに震える。
そんな相手を目の前にしてもタマルは一切怯まずに拳を握らずに両腕を前に出した。右腕と左腕で位置が若干上下にずれているのは上半身や頭部を守る方と腹部を守る方で分けているからか。遠くから眺めるわたしの目からもその構えは揺るぎがなかった。
試合開始と共に上段に振りかぶられた相手の斧が振るわれる。兜割り、重装鎧に身を包んでいてもその装備ごと人を両断してしまいそうな猛威が迫る中、タマルは顔の前で構えていた右手でほんの少し上げて斧の側面に触れた。
途端、斧はタマルを避けるように軌道を変えて空を切った。
ほんのわずかな動作でタマルは敵の攻撃をいなしたんだ。
右手の挙動に合わせてタマルは大きく踏み込んで相手の懐に入り、左手を突き出して相手の腹部に触れた。直後、タマルが左手をほんのわずかに動かしただけで相手は大きく後方へと吹っ飛ばされた。勢いは場外まで落ちず、最終的に相手は場外に落下して転がり回る。
会場が大きくどよめいた。魔導師のタマルがどんな魔導を見せてくれるかと期待半分不安半分だった観客の予想を覆す接近戦での圧倒だ。しかもあれだけ体格に違いがあったにも拘らず瞬きする間に勝負を決してしまうぐらいに差があったんだから。
「そうか、これがタマルの戦い方か……!」
水属性魔導で自分の身体の流れを操作して身体能力を向上、更に一切の無駄の無い動きをさせる効率化を実現させていたんだ。無論それを可能にするぐらいタマルは自分を鍛えていたんだろう。衣に隠れていてよく分からないけれど、実際袖をまくってみたら筋骨隆々かもしれない。
更に言うと相手に手を触れた段階で相手の身体にも魔導を叩き込んでいたと思われる。でなければ筋力を上げて技を駆使してもあそこまで勢いよく相手を吹っ飛ばせるとはとても考えられない。人体の流れを精密に把握してなければ出来ない芸当だ。
タマルったら謙遜してくれちゃって。
貴女だって十分凄腕の魔導師じゃあないか……!
タマルが目指していた休暇漫喫は更に遠のきつつあるのを実感した。と同時にわたしは凄い選手ばかりの登場に俄然やる気が出てきた。わたしの魔導がどれだけ通用するのか確かめたい衝動を覚えるのだから、やはりわたしは魔導師なんだと自覚させられた。
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ようやくわたしの出番がやって来た。
対戦相手は西の公都所属ではない魔導師らしく、わたしを一瞥して鼻で哂ってきた。「若輩者が、目に物見せてやる」って語りかけてきているような侮りにわたしは全く気にも留めなかった。それが気に障ったらしく怒りを露わにしてわたしを睨みつけてくる。やっぱり涼しい顔で受け流しておいた。
司会者の紹介でわたしは舞台へと足を運んでいく。そんなわたしを待ち受けていたのは会場が割れるのではと思わずにはいられないぐらいの大歓声だった。思わず耳をふさぎたくなる衝動を堪えながら辺りを見渡して呆然としてしまう。
イゼベルと目が合った。彼女は軽くため息を漏らしてわたしへと閉じた扇を向ける。口にこそしなかったけれど彼女の眼がわたしに悠然と語りかけてきた。
「マリア、貴女自分が勇者一行の一人だったって忘れていないかしら?」
「あっ……」
すっかり忘れていた。何しろ勇者イヴと共に人類圏を救ったのはマリアだったから。
けれどよく考えてみたらわたしはこの間の死者の都攻略戦やキエフ防衛戦で勇者イヴと共に戦場を駆け抜けたんだった。学院出身で勇者の傍らにいる魔導師マリア、って聞けばわたしが人類に平穏をもたらしたマリアだって思われても仕方がない。
いや、見方を変えたら実際その通りなんだけれど。マリアとしての自覚が無いだけにわたしがそう扱われるのは結構違和感があるものだ。と言うかいつの間にわたし自身がマリアだって認識されたんだって話なんだけれど。
うわ、何か対戦相手の魔導師がわたしの方を目の敵ってぐらいむき出しの感情を向けてくるんですけれど。そんな恨まれるようなやましい事は何一つしていないんだけれどなあ。知名度が上がるのってやっぱ考え物だ。
戸惑うばかりのわたしの視線が今度はバテシバと交わった。彼女は観客席の最上段からこちらを見下ろしてきている。そんなバテシバを一目見てある考えが頭に思い浮かんだ。それはこの試合だけを考えたら全くの無駄でしかない愚行だけれど、大会全体で見たら決して無駄じゃあない。
試合開始と同時に相手魔導師は詠唱を開始した。力ある言葉での術式を構築は一般的な技法だからそれ自体は何ら問題は無いんだけれど、頭の中で術式を組み立てていくわたしから見たら非効率的この上ない。だから、こんな風に先手を打った妨害も出来る。
「サイレンス」
わたしの魔法発動と同時に相手の顔が驚愕に染まった。何かを言おうと、叫ぼうと必死になって口を開閉させているけれど、吐き出されるのは多量の吐息だけ。彼が述べようとしている言葉はゆっくりと歩み寄るわたしの耳にすら届きやしない。
「魔導における術式の構築はこの世界に自分の思い描いた事象を実現させる為の、一種の自己暗示でもあります。一般的な力ある言葉での詠唱は口の動きや自分の声で認識出来るので便利と言えば便利ですけれど、弱点もあるんですよね」
魔導師は必死になって杖をこちらに向けて何かをしようとしてもその努力は空回りに終わるばかり。近づいてくるわたしに対して段々と恐怖の色がその顔に宿ってきた。
「声、って言うより音は空気の震えで伝わる事象です。壁越しでも聞こえるのは空気の震えが壁を震わせてまた空気の震えに変換されるからですね。逆を言えば空気が震えなければどんなに必死になって叫んでも声、音として伝わっていきません」
魔導師は顔を青ざめさせながら杖を振るってくるけれど、イヴの一閃に比べたら遅すぎて欠伸が出てしまうぐらいだ。まあ一般的な魔導師は己の魔導に誇りを持っているから身体能力を鍛えないのは別におかしくもなんともないけれど。
わたしは振り下ろされる杖を自分の杖で払って、その先端で相手魔導師の腹部を捉えた。
「さっき放った魔法は貴方の周囲の空間に干渉して空気を停滞させる風属性魔導です。貴方が言葉での詠唱以外に術式を構築出来れば全くの無力だったんですけれど、その様子ですともう詰みなんでしょうね」
と偉そうに講釈垂れる自分も意外なんだけれど、わたしって水属性魔導以外てんで駄目じゃあなかったかしら? これだと全属性を無難に使いこなしたって謳われる虹のマリアみたいだ。……わたしがマリアを最も近しい家族であると同時に自分自身とも認識しているから、彼女の技量、構築力にわたしの想像が追い付いてきている?
その事実は嬉しくもあり誇らしくもあり、同時にマリアとわたしの境界線が失われつつある寂しさも感じてしまった。
「ガスティウィンドカノン」
わたしの杖の先端を起点に突風が吹き荒れた。魔導師は抗いようもなくその身体を飛ばされて場外へと落ちていく。呆気ないほど簡単に勝敗はここに決した。
もう一度バテシバの方を眺めると、彼女は転落防止の手摺を両手で握り締めてややこちらへ前のめりになっていた。興奮で目を見開きながらもその口は大きく笑いを浮かべていて、普段の優雅な佇まいからは考えられない程感情を露わにしている。
それもそうだろう。何しろ今の試合、一連の行動は彼女への意趣返しだ。わたしが得意とするのは水属性と無属性魔導、なのにわたしが今敵に何もさせずに勝負を決した術はあまり得意ではない風属性のみ。無属性魔導を使用したバテシバとは丁度対称的になる。
わたしは自分の杖を旋回させてから背負い直す。そのついでにバテシバに不敵な笑みを送ってあげた。
「上等よマリア。学院では貴女に逃げられっぱなしだったけれど丁度いい機会だし、ここで雌雄を決しましょう」
「そうですねバテシバ。再会を祝してお互いの魔導師としての力量を確かめ合うのも悪くありませんね」
歓声に包まれて騒がしい会場内でもバテシバの声ははっきりと耳元で聞こえてきた。これはキエフでも使った風属性魔導の応用、さっきとは逆に対象に向けて音の伝達、空気の震えを滞りなくさせる技術か。
帝国魔導の頂点に君臨する魔導元帥、そんな最高峰の魔導師を相手にどこまで自分が通用するのか。そんな楽しみに心躍らせながらわたしは一回戦を終えた舞台から降りていった。
お読みくださりありがとうございました。




