魔導元帥な皇妹
中央区までやって来たからにはと魔導協会まで足を運んでみると、普段から解放されているとはいえいつもは人通りがまばらな正門は大盛況となっていた。帝国中探してもこれほど魔導協会の支部が賑わう場面はそう多くないだろう。
祭典の日ばかりは明確な身分証明が無くても帳簿に名前を記載して終わりらしい。最も帝国所属の魔導師であるわたしはいつも通り守衛に身分証をかざしてお終いなんだけれど。意外なのは魔王軍所属のノアが普通に冒険者の身分証を持っていた点ぐらいか。
「こうして公の催しに積極的に参加するなんて意外なんだけれど。魔導師って自分の知識は秘匿して明かさないとばかり思っていたから」
「帝国の魔導協会はそこまで閉鎖的ではありませんよ。時には一般市民と意見交換をして何らかの発想を得る場面もありますから」
こうした話を数か月前に車椅子に乗ったイヴと交わしたんだっけ。まだそんなに経っていないのに随分と時が流れた気がしてならない。その間巻き起こった出来事があまりに濃厚だったものでそう思うだけなんだろうか。
いつもより人の多かった庭園を抜けると左右に大きく広がる三階建ての建物が見えて……こなかった。庭園と支部施設との間の広間で人だかりが出来ていたからだ。確か災害が起こった場合の避難場所に指定されるぐらいには開けた場所だったけれど、それ以外何もなかった筈だが。
「すみません、これどうして皆さん集まっているんですか?」
「ああ、何でもこれから世紀の大実験を行うんだとからしいよ」
魔導協会の敷地で大実験、となると間違いなく魔導に絡んだ試験だろう。それを一般大衆の前でやるのは研究資金の援助者の発掘だとか認知度を増やしてより積極的に世間に魔導師の有能さを見せる意味もあるのだろう。
それにしてもわたしの背は大人の男性の平均的身長より低いので、人だかりに紛れても頭ばかりで先が全然見えないな。ノアにも促して少し離れた場所の台座に立って窺う。どうやら既に広場には魔法陣が展開されているようだけれど、まだ途中のようで自動的に少しずつ線が加えられる。
「けれど術者が何処にも見当たらないけれど?」
「あれ、確かにそうですね」
目を凝らしてみると誰もこの魔法陣を形成していると思われる魔導師がいない。魔法陣の周囲には支部職員と思われし魔導師達が控えているけれど、彼らは固唾を呑んでその光景を見守るばかりで術式の展開を補助しようともしない。
遠隔での術式開放? いや、周囲を見渡しても魔法を行使しようとしている者は見当たらない。まさか建物の中から外の情景を把握しつつ術式を展開する技法の披露だろうか? 術式からどのような魔法が起動するか読めればいいのだけれど、あいにくわたしにそんな技術は無い。
魔法陣が描き終ったのか、陣全体が輝いていく。大衆からは歓声が上がり、魔導師達からは驚きにも混じったどよめきが起こる。途端、天より巨大な光の柱が魔法陣めがけて降り注いできた。急激な眩いで思わず目を細めてしまったが、何とか一部始終を見逃すまいと努める。
特に今の事象で衝撃や突風とかも無く、一見するとただ巨大な照明の代わりになるよう光っただけだ。だが本当の結果はその後で判明した。光が収まると、魔法陣の内側には先ほどまでは姿の無かった魔導師達が大勢いたからだ。
その姿には見覚えがあった。帝都を守護する禁軍の中でも精鋭の魔導師が集う魔導兵団の制服は特徴的だからすぐに分かった。中には宮廷魔導師の制服を着る者もいるようで、正に帝国が誇る優秀な魔導師が目の前に集っている。勿論誰もが帝都に集い、この公都には一人たりとも配属していない者達だ。
「範囲転送魔法!」
そうか、これは魔法陣の中の者達を対象先に瞬間的に移動させる範囲転送の実験だったのか。瞬間移動と一口に表現しても方式は様々で、例えばイゼベルは空間に隙間を形成して向かう先への道を作る。対するこれは対象者を転送先に飛ばすやり方のようだ。
確かその場合は出発元での術式展開を前提として、到着先での術式展開も必要になってくる。これは行き先を明確にしないとあさっての方向に転移する可能性が大きいから。飛んだら地面に潜っていました、なんて洒落にもならない。
けれど今は到着先、つまりこの場所では自動的に魔法陣による術式が描かれていた。となるともしかして出発元から到着先を定めて飛んできたのだろうか? そんな空間座標の正確な把握なんて高度な演算はよほどの空間認識に長けた才能が無ければ……。
「良く見てごらんマリア。アレはどうも一人の魔導師が構築した術式じゃあない」
「……本当ですね」
ノアの指摘を受けて初めて気づいた。目の前の転送魔法陣は複数人が術式を分担して構築しているのだと。一人の魔導師に他の者が補助をする場合はあるけれど、複数人による共同作業はよほど息を合わせないと難しいだろう。
けれどわたしはこの技術を知っている。学院で常に頂点として君臨し、わたしはおろかマリアすらただの一度も魔導という学問では勝てなかった秀才。魔導師の名門を母方の祖とし、先帝を父とした帝国魔導を背負って立つべく生を受けた者。
「バテシバ……!」
イヴの姉、サライ陛下の妹、そしてわたしの同級生……いや、好敵手がそこにはいた。
■■■
大魔法の披露も終わって観衆も少しずつ解散していく。わたし達は転送魔法の成功に拍手を贈るイゼベルとバテシバが言葉を交わす様子を遠目から眺めていた。
「連携魔法、とも違う。アレは俺も知らない未知の理論に基づく魔導に思える」
「そもそも複数人による魔法の重ね合わせ、つまり連携魔法の技術は昔からありました。けれどこれは完成された術式により発動される結果が混ざって相乗効果を発揮する理屈です。バテシバが確立させた術式を複数人で構築させて一つの魔法を発動する理論とは違います」
「驚いた。よほど役割分担を明確にして連携を密にしないと上手くいかないでしょう」
「ええ、己の探求こそ全ての魔導師において組織としての向上を図ったバテシバの研究は革新的とも言えました」
それだけではない。バテシバの技術なら決して一人では成し遂げられない高度な魔法だろうと数人がかりで発動可能にしてしまうのだ。学院卒業前の発表で文献でしか記されない神の御業とまで例えられる事象を巻き起こしたのは決して忘れない。
ただ一つ個人的に不満があるとすれば、バテシバが彼女の協力者と共同で発表してしまった為に彼女個人の真価が全く分からなかったぐらいか。彼女が本気を出して術式を構築すればどれほどの現象を起こせるか、今でも純粋に見るのが楽しみなのだ。
「彼女とは同世代みたいだけれど、彼女とマリアはどっちが優れていたの?」
「卒業までの一年間は相手にもされない程彼女の方が優秀でしたよ。マリ……勇者一行として旅をする前のわたしとは一長一短でしたね」
いけない。ノアにマリアの話をしてもややこしくなるだけだ。マリアには悪いけれど全てわたしとして括らせてもらおう。
うん、思い返しても最後の一年は歯牙にもかけないぐらい相手にされていなかった気がする。落第寸前で右往左往していたわたしと違ってバテシバは常に先頭にいたし。ただ何故か彼女からわたしに何度か声をかけてくる事があったけれど、今思い返せばそれはわたしがマリアだったからか。
一方のマリアは実技ではバテシバを圧倒していた。ただ研究や学術ともなるとバテシバに軍配が上がっていた。総合成績ではマリアも彼女には一歩及んでいなかった筈だ。これも今思い返せばマリアは別に魔導師として心血を注ぐ気が無かったのだから当然か。
「ま、彼女からしたらわたしは無数にいる同級生の一人に過ぎません。見世物も終わりましたし施設の中に移動しましょうか」
「……そうだね」
ノアにしてはやけに歯切れの悪い返答が返ってきたけれど、何かバテシバに思う所があったかしら? 彼とバテシバには接点なんて全く……と、ここまで考えを巡らせて一つだけ思い当たる節があった。
バテシバ率いる魔導兵団は、この間のオデッサ攻略作戦で魔王軍を壊滅させたんだった。ノアはキエフ公都攻略に赴いていたから不在だったけれど、確か南方の魔王軍は魔人達で構成されていたと聞いているから、つまりノアにとってバテシバは部下の敵に相当する。
「ノア、バテシバに何か思う所でも?」
ノアの中に渦巻くだろう感情をそのまま放置してもいられず、わたしは思い切って踏み込んでみた。一見何も知らない小娘の無神経な質問にも捉えられるのだけれど、幸いにもノアはわたしの心中を察してくれたみたいで彼を覆う不穏な空気は無くなっていた。
「いや、この間のキエフ侵略失敗の時に俺が率いていた本軍は部下に委任していたんだけれど、手ひどく負けてね。どうやら彼女の仕業だったらしい」
「……彼女への復讐でも考えましたか?」
「まさか。思う様にやられたのは突撃するしか能の無かった俺の部下の責任だし。だから別れる前に念を押したんだけれどね。いくら能力で劣っていても徒党を組んだ人間をなめるな、って。甚大な被害は受けたけれど連中にはいい薬かな」
「だからって、自分の部下がやられていい気分の筈がないでしょう。大丈夫ですか?」
「マリアが気にかけてくれるのは嬉しいけれど、それが戦争だと割り切るしかない。そんなものだ」
「――……」
魔人達を率いていたノアがそう言うのであればわたしからはもう何も言えない。内心ではハラワタ煮えくり返っているかもしれないけれど、彼はぐっと私情を飲み込んだのだ。戦争で負ける、大局が決するとはつまりこういうものか。
最もあの戦争ではわたしは人類側としてノアと対峙した。わたしとバテシバが逆の立場だったとしたら同じように魔王軍を敵として倒す策を練っていただろう。あの時にノアの立場を考えて部下に配慮出来るほどわたしの腕は広くない。それは今でも変わり無い。
半端な慰めや気遣いはむしろ戦った相手に対してむしろ失礼に値するだろう。だからわたしは沈黙をノアへの回答とした。
「ところでマリア」
「何でしょうか?」
「さっき魔導師の部隊を率いていた女性がこっちに近づいてきているよ」
「ふぇっ!?」
思わず通り過ぎようとしていた人だかりの方へと顔を向けた。見たらなんと観衆が左右に分かれて魔法陣までの道が出来ていた。そして開いた空間をバテシバが闊歩し、わたし達の方へと向かってくるではないか。
彼女はわたし達の目の前で止まると、わたしを上から下まで見つめ、次にノアをやや睨みも含めて観察する。その後で再びわたしの瞳へと視線を合わせた。
「お久しぶりね、マリア。ご息災で何よりよ」
「お久しぶりです、バテシバ。卒業以来でしょうか」
顔見知りだからかわたしは落ち着いて彼女と言葉を交わせた。一方のバテシバは親しい間柄を築いた相手に向けるように温かみのこもった言葉のようだった。わたしはマリアではないので彼女の期待に応えられないのが実に残念ではあるが。
「今の実験を見ていたかしら? 範囲転移魔法、それも目的地には事前準備は何ら要らなくなるまで改良出来たのよ」
「ええ。それを複数人がかりとは言え成功させてしまうなんて、さすがですね」
「この理論は幅広く応用出来るのよ。魔導師でも傑出した者にしか習得出来ない最上級魔法も数人が息を合わせればご覧のとおり発動が可能になる。つまり、稀代の才能を持つ者や神童が生を受けるのを待つ時代はもう終わったと断言してもいいかしら」
「嬉しいですね。これで魔導はもっと人の世の役に立っていくでしょう」
実を言うとわたしはバテシバの研究を大いに評価している。己の叡智こそ全てと考える古い魔導師には受けが悪くても、彼女の理論は魔導の歴史を大きく塗り替えると確信している。極端な話、そのうち勇者や聖女のような神より遣われし者に頼る時代も終焉を迎えるかもしれないからだ。
そうすれば一年前の出来事だって今後は回避出来るかもしれない……。
心の底からの感想を口にしたつもりだったけれど、意外にもバテシバは目を見開いて軽く驚いていた。
「まさか素直に賛辞を述べられるとは思ってなかったかしら。相変わらずマリアは私を驚かせるのが上手なのね」
「そう言われてもどう返事したらいいのか分かりませんね……。わたしがバテシバと親しかったのは三年前まででしょう? あれからわたしにも色々ありまして」
「そうかしら? 確かに勇者との旅路を終えてからのマリアは別人のように鳴りを潜めてしまっていた。けれど私から言わせれば一年前も三年前もマリアの本質は変わっていなかったと思うの」
「わたしとマリアがですか?」
「マリアとマリア……?」
「あっ」
しまった。思わず口をつぐんだけれど遅かった。たった一言ではあるけれど聡明な彼女はそれを手がかりに真実を手繰り寄せる頭脳があるんだった。わたしが過去の自分をマリアと言う別人としてしか認識できない事も、マリアほどの才女はもういないって事も暴かれてしまう。
バテシバは少しの間眉をひそめた上で目を細めてきたが、やがて確信に至ったのか一つ頷いできた。
「マインドクラッシュとマインドオーバーライド。にわかには信じられなかったけれど本当にマリアが一度亡き者にされたなんてね。それならその変貌も当然か。犯人はイヴかしら?」
「……っ。今はそこまで考えを巡らせられるバテシバの冴え渡った発想力が恨めしいですね」
「何がマリアとイヴの間に起こったかを私が詮索するのは野暮、か。その方がいいのでしょう?」
「あいにくわたしも真実は人づてにしか聞いていないので……。すみませんが気になるようでしたらイヴから聞いてください」
バテシバにとってマリアは自分が認めた好敵手、イヴは異母姉妹。その胸中は複雑だろう。
ただバテシバはおくびにも出さずに朗らかな笑みを浮かべると、わたしに肩に手を乗せた。
「皆は今のマリアを落ちぶれたとか散々陰口叩いていたけれど、さっきも言ったように私にとって昔も今もマリアは貴女ただ一人よ。それは忘れないでね」
「……ありがとう、ございます」
わたしも微笑んで返事を返そうと思ったけれど、何故か出てきた言葉はわずかに震えていた。それがバテシバに今のわたしを認められたからか、それともわたしの真実に到達してくれたかはわたし自身にも分からない。
それでも彼女の言葉はわたしの心に来るものがあったのは紛れもない事実だった。
「それで、折角転移してきたのですからこの北の公都でゆっくりしていくんです?」
「いえ、このまま引き返すつもりね。宮廷でまだ仕事が残っているもの。偉い立場に就くと魔導とは無縁の雑務まで一身に降りかかってくるのだから考えものよ。マリアみたいに己の技術一つで生計を立てられたらどんなに良かったか」
「こればかりは仕方がないとしか言いようがありませんよ。文句は言いますけれどバテシバは自分の身分や立場を捨ててまで逃げ出したいとは思わないんでしょう?」
「当然。私は私自身、そして私の選んだ道に誇りを持っているもの。私が頑張れば皇帝を務める姉さん、そして勇者になったイヴの重荷を少しでも軽く出来るのだから。弱音なんて言ってはいられない」
多分、それがバテシバの根底にある願いだろう。少しでも陛下の責務、勇者の使命が軽くなるよう、姉妹の為に身を挺する。その為の習得した魔導、その為の確立させた理論、そしてその為の到達した立場に違いない。
今のわたしが平穏な日常を求めているのとは対称的だ。やはりバテシバは強いのだな。
関心と感銘を受けていると、ふとバテシバの生暖かい視線に気づいた。そして思い出す、今のわたしが普段と全く違った様相だったんだと。改めて意識して思わず顔が熱くなるのを自覚する。
よ、よりによってバテシバに見られたなんて……!
「バテシバ! こ、これはですね……!」
「それにしてもあのひたすら魔導に打ち込んでいたマリアの女の子らしい姿を見れるなんてね。他の同級生達が知ったら大層驚くんじゃあない?」
「いやいやいや、わたしだってたまにはこんな恰好だってしますよ! 別におかしくもなんともないでしょう!」
「次に会った時にでも詳しい話は聞かせてもらうとして今は大人しく退散させてもらおうかしら。私は馬に蹴られたくないんでね」
「~~っ!!」
完全に気遣われた……! 別にデートとかそう言うのでは……あ、いや、もしかしてこれってデートなのか? 違う違う今はそうではなくて、わたしとノアはまだそうした親しい絆を築いていないのだから踏み込むのだって早いだろう。
ただ、バテシバがわたしの隣で静観していたノアを見下ろす目は、当事者ではないわたしが身震いするほど冷たいものだった。しかもただ底冷えするばかりでなく、奥底には煮え滾る熱い感情が感じられる。これは……憤り?
「……イヴといいマリアといい、私の大切な人はどうして魔性に惹かれるんでしょうね?」
「っっ!?」
看破した!? ノアが魔人だと……! いや、タマルにも出来たんだからバテシバだって見極めても不思議ではないけれど……いや、それは重要ではない。今彼女は決して聞き捨てならない言葉を口にしなかったか?
バテシバは分かっていた? イヴが心惹かれた相手、勇者一行の一人だった賢者アダムが魔の者だったと?
「マリアをかどわかしたり不幸にするつもりならオデッサでのお前の下僕よりも悲惨な結末を与えてやる。それを肝に銘じておくがいい」
「大口をたたくのは立派だけれど、少なくともアンタと関わっている時よりは幸せな時間を共に過ごせるとは思う。どうぞご心配なく」
バテシバは冷淡な面持ちのまま踵を返すと魔法陣へと再び戻っていく。彼女が部下達に何かを呼び掛けると魔導師達が一斉に術式の構築を行い始めた。まず彼らの下に魔法陣が敷かれ、その中央から天高く細い光が伸びていった。やがて魔法陣が光り輝くと、今度は天に向けて巨大な光の柱が立ち上った。眩い光が収まるとバテシバを始めとした帝都の魔導師達の姿はその場から消えていた。
「すみませんノア。わたしの友人が不快な思いをさせてしまって……」
「彼女、マリアを按じて本気で怒っていた。いい友人を持っているじゃあないの」
「……! そう、ですね。わたしをずっと気にかけてくれる、わたしには勿体ない人です」
わたしはバテシバ達が去っていった空を見上げながら、嵐のように現れて去っていったわたしの同級生、わたしの友人、そしてわたしの好敵手へと思いを馳せた。光の柱が完全に消え失せるまでずっと、ずっと。
お読みくださりありがとうございました。