贈り物は指輪
これで百話目だそうです。
「マリアさーん!」
「カイン!」
わたしとノアは色々な店と催し物を見て回りながら中央区へと向かっていると、カインが駆け寄ってくる姿が目に映った。どうやら今日は社会見学でもお忍びでもないので、カインは貴族らしい正装を着こなしていた。こうされるとぐっと大人っぽく見えるから困る。
彼はわたし達の目の前までやって来ると、息を切らしながら見上げてきた。
「今回の運営委員ってカインじゃあないんですか?」
「いえ、僕はただ手伝っているだけです。運営委員長は兄さんがやっていますから」
「今の公爵……じゃあなくて下の方のお兄さんですかね」
「はい、そうです」
アンデッド異変の責任を取って引退したカインの父である元公爵には三人の息子がいる。カインは三男坊で長男の公太子が現公爵、つまり間の次男が今回の祭りで運営を取り仕切っているのか。
だからって公爵家に連なる者が祭典の最中に席を外して遊び呆けていい訳ではないだろう。それとも少しの間許可をもらって離席しているんだろうか? 賢いカインの事だから後者だと信じたい所だ。
と、何故かカインはわたしの方を見つめて呆けている。そんなに見つめられても面白くもなんともない思うのだが……って、今のわたしはいつもと全く違う格好をしているんだったな。確かに劇的に変化している自覚はあるけれど、やはり珍しいのだろうか?
「あの、カイン? どうかしましたか?」
「あ、いえ、いつもと全く違う服装だったので……その、とてもよく似合っています」
「ありがとう。いつも魔導師と分かる外見をしていましたからね。たまにはいいでしょう?」
「……ところでマリアさん、そちらの方は?」
ノアに視線を向けられた彼の笑顔は曇っていた気がした。ノアがカインの気分を害する様子は一切無いと思うのだけれど。強いて言うならこうしてわたしと祭りを楽しんでいるのと、大勢が行き交う中ではぐれないよう手を繋いでいるぐらいか?
「こちらはキエフの方からいらっしゃった魔導師のノアです。凍気を得意としているんですよ」
「よろしく」
「ノア、こちらはダキア公爵家の公弟のカインです。この祭りの運営補佐をしているようです」
「よ、よろしくお願いします……」
カインはわずかに笑顔をひきつらせながら、ノアは澄んだ微笑みでお互いに会釈をした。
ちなみにノアの紹介については嘘は言っていない。キエフの方角から来たのは間違いではない……ただしもっと奥の人類未開領域だけれど。魔導師でもある……その前に魔人だけれど。カインが嘘を察知する魔法を使えるとは思えないけれど一応の方便だ。
「マリア、それじゃあ俺らは行こうか」
「すみませんカイン、忙しい中で呼び止めてしまって。また休日にでも時間が開いたらゆっくり過ごしましょう」
「あ、はい。どうか楽しんでいってくださいね」
わたしはカインに手を振りながら別れを告げてその場を立ち去る。途中までは彼の方を後ろ向きに見ていたけれど、視界に映らなくなる前に彼から視線を外した。ノアは何故か面白おかしそうに笑い声をあげていた。
「彼、マリアに好意を持っていたようだけれど良かったの?」
「好意……アレを好意って呼んでいいんでしょうかね? 単に年長者への憧れって気もしますし」
それが楽観的観測なのは自分でもよく分かっている。どうもカインはわたしに好感を超えた好意を持っているような気がするのだ。それが異性に向けての恋心なのかは彼自身も良く分かっていないようで、単に自分より優れた存在への尊敬の念な気もする。
しかし今はカインの想いがそのどちらでも良かった。何故なら……、
「あいにく今日はノアの付き添いです。ノアを蔑にしてまでカインと親しくしたりはしませんよ」
「そうか。俺を選んでくれたとは嬉しいね」
これに尽きる。先約がある以上はそちらを優先すべきだろう。残念だけれどノアとの約束を破ってまでカインへの配慮で心を砕くつもりはなかった。どうやらわたしにとってカインは親しい友達ではあるけれどそれ以上ではないらしい。
では私に面向かって好感を露わにしてきたノアはどうなんだろう? もしも逆にカインが先約を取っていてノアが後から現れたらそれでもカインを優先するだろうか? 理性で判断すればカインを選ぶだろうけれど、今の気持ちを抱えたままでその場に遭遇したら、理性に基づいた選択をするんだろうか?
……正直、今のわたしにはうまく想像出来そうもなかった。
■■■
「そう言えばマリアが身に付けているアクセサリーって飾っているだけ?」
「ええ、いつもはしませんけれどたまには付けますね」
昼ごろになりわたし達は露店での簡易テーブルに腰を落ち着けた。普段お店では口にしない珍味が並んでいたので興味本位で昼食を選んでみたけれど、意外に中々美味しかった。けれどこの辺りでは収穫できない食材をふんだんに使っているらしいので、きっとこのレシピは広まらないだろう。
他愛ない会話を交わす中でのノアの疑問にわたしは考えを巡らせてみる。わたしが身にするアクセサリーは銀細工品が多い。決して安価ではないけれど細かい造りをしていれば宝石がちりばめられていなくても十分に女性の魅力を引き立たせると感じるのだ。
色彩が多様だと派手だし金は趣味悪く感じてしまったので、色々と試した結果好みは銀細工に落ちついた。まあ、着飾った所で殿方を自分のモノにする意欲も無いので、単純に自分の好みで自分を可愛くしたいだけなのだけれど。
「いや、そうじゃあなくてさ。俺が言いたいのは魔導具にはしないのって所?」
「ああ、魔導の術式構築の補助としての用途ですか? あいにくわたしは道具で自分の魔導を補ったりはしません」
確かに首飾りや指輪に刻まれた術式によって魔法の効果を増幅させたり術式構築の補助をしたりと、様々に効果を付与するのは可能だ。魔導師の象徴たる杖も魔法の術式構築や発動、効果の方向性を定める欠かせない代物だろう。
ただわたしは己の実力に下駄を履かせるのは何か違うような気がするのだ。自分の思い描いた通りに一から十まで術式を構築した魔法を発動させるのが嬉しいのもある。単に見栄を張っているだけなのだけれど、わたしはそんなつまらない信念で魔導具としてのアクセサリーは一切身に着けていなかった。
「ふうん、じゃあその背丈より長い杖を相手に奪われたらどうするの?」
「実はあまり支障ありませんね。例えばノアに仕掛けたレイ・シュトロームを例に挙げれば、一回目は杖から解き放ちましたけれど、二回目は腕から発動させましたよね。単に今の好みが杖を介しての魔法になっているだけで、別に手や足でもさほど問題ありません」
他の魔導師ならいざ知らず、わたしの場合は技術的に杖だろうと手からだろうと問題なく魔法は発動出来る。杖から魔法を発動させると世間一般が思い浮かべる魔導師の姿そのものなので、個人的に格好いいと感じるだけだ。別にわたしは杖を魔法発動の補助器具には用いていないし。
とはいえそうやって慣れてしまうと杖から手が離れた際に無防備になってしまう。そうなる前に大局を決してこその魔導師とも思うけれど、今後も危険が及ぶ事態に遭遇するものなら杖無しでも術式構築し慣れた方がいいだろう。それこそマリアみたいに。
「それだったらもう少し宝石でも水晶でもいいから芸術性のある装飾品にすればいいのに」
「ノアの好みがそうなんでしたら次からそうしますけれど?」
「いや。別に俺にとってはそもそも本物の宝石だって魔導の触媒に過ぎないし、硝子で金剛石を真似られても何の感慨も湧かない。けれど女性はそうした光り物を好むって印象だったもので」
「宝石もその輝きは美しいとは思いますけれど、多くの財を切り崩してまで手に入れたい代物ではありませんね。それならこうした素朴な味わいのある銀細工の方がいいです」
宝石がちりばめられた豪奢な装飾品も社交界における女性の武器として価値があるのは理解するけれど、幸いにもわたしはそうした煌びやかな世界とは無縁でいる。それなら別に背伸びする義務も意思も無いだろう。
昼食もとり終わってわたし達は散策を再開した。昼を過ぎて人の通りも増えてきているようだ。祭りは盛況と言っていいだろう。数か月前まで公都を覆っていた異変の重苦しい雰囲気はもうどこにも見られない。わたしが記憶する故郷、穏やかだけれど活気あふれる街がそこにはあった。
「それならマリアはああいったのはどう思う?」
しばらく露店や路上での行われる演技や演奏に目移りしていると、ノアは露店の一つを指さしてきた。どうやらアクセサリー店のようだけれど手作りだとか民芸品とかではなかった。少し場違いにも思えてしまうほど豪奢な装飾品が並べられていた。
「派手なのはちょっと気が引けますね」
「作りと見た目と値段が釣り合わないからでしょう。これぐらいなら検討の余地無い?」
「……思っていたよりずっと安いですね」
「色々とわけがありそうだからかな」
ノアは装飾品に付けられた値札をわたしに見せて無邪気に笑ってみせた。わたしは相場の何割かしか数字の書かれていない品よりもノアの屈託ない笑顔の方が気になり、思わず笑みがこぼれてしまった。
開かれた露店の中には明らかに胡散臭い品を売っている店も存在する。例えば上質な材料を使っていたり保証された貴族御用達の工房の作品と偽って本来の価値より盛った値段が値札に書き込まれていたりする。他にもこの地域では売っていない品物だとどれだけの価値があるのか知識がある者はそう多くないのもあって値段なんて書きたい放題だ。
それはアクセサリーも同じで、例えば見た目は金や銀でも全く異なる材質だったりするのは良くある話だ。精巧に創られた偽物では鑑定士ならまだしも一般の人が真贋を見極めるのは難しいだろう。なので貴族社会ではそうした価値の保証を受けた工房に宝飾品を造らせるとか何とか。
露店に売り出す物として考えられるのは粗悪品、本物だけれど横流し品等の訳有り、またはまだその腕を認められていない無名の工房の作品とかだろうか。売り物の本当の価値を見極めて掘り出し物を手にするのも露店の楽しみ方の一つになる。
「面白そうだからちょっと覗いていこうか」
「ええ、そうですね。見るだけならただですし」
自分一人だったら視界に映る程度で通り過ぎていただろう露店もこうして他の人と巡っていれば立ち止まれる。こんな楽しみ方もいいなあ、とわたしは感慨深かった。
ノアはアクセサリーを売る胡散臭い露店の前でしゃがむと売り物を物色していく。店主があれこれと話しかけてくるもののノアは適当に返事してあしらうばかり。自分の求める品は自分の目で見定める、だろうか?
ノアの後ろから眺めてみると一つ一つが思った以上に精巧に造られているようだった。これでは例え偽物だとしても普段宝飾品と全く縁の無い一般庶民では見分けなんて付かないだろう。そして偽物だと割り切るにしても値付けに記載されている金額は購入を躊躇させるぐらいには高かった。
いや、そもそも真贋よりはるか以前の問題として自分の好みと合わないんだよなあ。このルビーが埋め込まれた指輪とかいつどこで付けろって言うんだろうか? 購入してもらったとしてもその場は嬉しくても結局は箪笥の肥やしになるだけだろう。
「どう、欲しいのはあったの?」
「ありませんね。別にお店は他にも沢山ありますしここで無理して検討しなくてもいいのでは?」
「それもそうなんだけれど……」
ふと、アクセサリーを確認していくノアの手が止まった。そして彼は一見白銀に見える指輪を手にすると天にかざして目を細める。やがて一つ呻るとそれを店主へと差し出して特に値切りの交渉もせずに金を支払った。白銀にしては大層お安く、鉄屑だとしたら大損でしかない金額だった。
彼が購入した指輪は銀色に輝いた本当にリング形状なだけの至って単純な作りだった。精巧な彫刻も無くかと言って宝石がちりばめられてもいない、ただの輪っか。どうも魔導で何らかの術式にも似た文字が刻まれているようだけれどわたしには解読出来ない。
「その指輪、白銀ではないですよね?」
「白金だと思う。純度が高いから思わぬ宝が見つかった」
「白金って、金よりも産出されない希少金属でしたっけ? 古代の南の公爵領では装飾品で利用されていたって聞きた覚えがあります」
融点まで加熱する技術が未だ確立されていなので魔導を駆使して精錬させるらしい。博物館でも展示されていないので実際目にするのは初めてだ。けれどそんな逸品がどうしてこんな露店に銀よりも安く売りに出されていたんだろう?
「銘が無い上に細工もされていなし銀と同じ工程では溶かせない。見る人から見れば銀じゃあない鉄色の金属なんて鉄屑も同然って考えてもおかしくないと思う」
「これ、何か文字が刻み込まれているように感じるんですけれど」
「これも興味深い。魔の者が古代に使用した言語みたいだ。王が一人の女性に恋い焦がれる詩の一部みたいだね」
「凄く情熱的な逸品なのは良く分かりました」
ただこれを身に着けたからと何らかの影響があるわけではなさそうだ。付けた途端に魔の者の虜になったり価値観が反転するなんてまっぴらごめんだし。本当にただ装飾品として造られた代物なんだろう。
それにしてもこの指輪の大きさからするとノアの細い指には上手くはまらないだろう。親指にはめるには少し小さいし。多分わたしの小指……いや、薬指ぐらいが丁度いい大きさだと思われる。
「それで、その愛溢れる指輪はおみやげにするんです?」
「いや、こうする」
完全に不意打ちだった。ノアは指輪を持っていない手でわたしの左手首を掴んで引き寄せてきたのだ。そのか細い腕からは考えられない力強さだったものだから体勢を崩さないようにするのが精一杯で、何をされたのか初めは全く分からなかった。
混乱するわたしをよそにノアは先ほど購入した白金の指輪をわたしの指にはめてきた。思った通り丁度良いしわたしの第一関節先の指の肉をほんのわずかに圧迫してくるのがむしろ心地いい……じゃあない。
薬指に? わたしの? 左手の?
「ちょっと、何ですかコレ……!?」
「今日案内してくれたお礼。ほんの気持ちだから受け取って欲しいかな」
「いやそうじゃあなくて、どうして左手の薬指に……!」
「その指輪に合う太さだったから、って誤魔化せばいいの?」
「……っっ!!」
生命の象徴たる心臓は左にあり薬指は心臓と最も繋がっているとか古代では言い伝えられていたんだとか文献で読んだ覚えがある。で、指輪は途切れる事の無い永遠を象徴するらしい。なので結婚と言う儀式の際に指輪を送って左手の薬指に付け、永遠の愛の証を誓うらしい。
恋話とは無縁のわたしだってその程度の情報は知っているのにノア程の人が無知の筈がない。たまたま丁度いい大きさなんて苦しすぎる言い訳だろう。わたしをからかっているだけだろうって思いたいけれど、さっき言われた彼のとんでもない発言が頭の中で反芻して止まらない。
「ノア……こ、これにはどんな想いが込められているんですか……?」
何とか絞り出せた疑問をしゃべった声はどうも浮ついていて自分の物とはとても信じられなかった。ノアはわたしの左手首を掴んでいた手を離し、わたしの左手を両手で包んだ。先ほどの尋常ではない力を発揮した手とは思えない程優しく温かい。
「それはさっきも言ったから今度はお預け。また今度でいいから返事を聞かせてほしい」
「そ、そんなの急に言われても困ります……!」
「迷惑だったら外してくれてもいいし小物入れに入れっぱなしでもいい。売るのはさすがに心にくるから俺の見ていないうちにしてほしい」
「そんな、迷惑だなんて……!」
こんな風にされてもどうしてか迷惑だなんて全く思わない。答えるかはさておき想いを向けられて嫌だとは感じないし、むしろ嬉しくさえ思う。ただ男女間の恋愛として受け入れるとなるとどうも踏ん切りがつかないのも事実だ。ノアは確かに初めて出会った時から好ましく思うけれど、それとこれとは話が違う。頭が茹った今ではなく冷静になった時に身の振り方を慎重に考えた方がいいだろう。
ただ、今ばかりは正直に答える事にした。それが彼への誠意だと思ったから。
「いえ……素敵な贈り物をありがとうございます。すみませんが返事は待っていただいてもいいでしょうか? どうも気持ちの整理がつかなくて……」
「構わない。むしろ一方的に想いを押し付けられて拒絶されるんじゃあないかって内心不安だったぐらいだから」
「ふふ、ノアでも不安を覚える事もあるんですね」
「あのね、さすがにそれは酷いんじゃあない?」
わたし達は二人して笑い合う。まだ昼も過ぎたばかりでまだ半日以上ある。まだまだ遊べそうだしノアと二人で色々と廻れそうだ。露店ばかり巡るのも飽きたから大きな催し物を開いている場所にまで移動してみるのも有かな。
「行きましょう、ノア。まだまだ色々な場所を巡りましょう」
「分かった。それじゃあ行こうか」
わたしはノアへと手を差し伸べ、それをノアが軽くつかむ。ノアを手を握ったわたしの手の指には彼の送ってくれた指輪が輝いていた。
お読みくださりありがとうございました。