公爵邸での晩餐
「ようこそアタルヤさん、マリアさん。どうしたんですかこんな夜更けに?」
公爵家の住まう城には意外にも簡単に入れてしまった。全く予定にない訪問な上に時間も時間だったので門前払いされるかと思っていたのに。ダキアの魔導協会支部副長って肩書が本当に効いたのか、それとも訪問者がアタルヤとわたしだったからかはあえて聞かないでおこう。
既に天空は数多の星がちりばめられて輝いていた。そして城の窓から望む城下町たる公都もまだ眠る気配が無く街灯や建物からの灯りで照らされている。天空と大地、それぞれが同じ様相を見せている景色には思わず感嘆の声が漏れそうになった。
公爵家の三男坊……もとい、ついこの間公太子が公爵の座に付いて公弟となったカインはわたし達の突然の来訪にも気分を害する事無く温かく迎え入れてくれた。だがアタルヤは彼を前にするや膝をついて頭を垂れた。
「まずは突然の訪問につきましてお詫びいたします。そしてこの度は貴重な時間を割いていただきました事に感謝いたします」
「そ、そんな! 顔をあげてください。そんなに慇懃にされても僕が困ります」
カーテシーは跪いてドレスが汚れないように貴婦人や令嬢が取る礼だが、アタルヤはドレスと称しても通用するローブが汚れてしまうのも厭わずに一介の戦士としての礼を取ったのだ。カインは一人の友人、人生の先輩としてわたし達に丁寧に接してきたのに対して、だ。
まあ、街中ならまだしもここは公爵家の城。まずは公爵と言う統治者の庇護下にある市民として礼をするのはさほどおかしな話でもないが、あまりに他人行儀過ぎないだろうか?
「そうは参りません。畏れながら申し上げますが、カイン様はもっとご自分の立場を自覚なされた方がよろしいかと。寛大も度を過ぎれば侮りを招きかねません。お気を付け下さい」
「は、はい……」
「……と、堅苦しい挨拶はこれぐらいにして、だ。すまない、夜も更けているのに邪魔をして」
「えっ……? ちょ、アタルヤさん?」
注意されて意気消沈するカインだったが、アタルヤは立ち上がって軽くローブを手ではたくと彼の頭をなでる。アタルヤの背は大人の男性と比べてもそん色ないほど高いので、アタルヤが少し腕をあげただけでもう子供のカインの頭に触れられるようだ。
最初は驚いたカインだったがまんざらでもなさそうで、恥ずかしがりながらも笑みをこぼしていた。
「用件は手短に済ませるからお構いなく」
「あ、いえ、そうはいきません。来ていただいたんですから最低限のもてなしはします。客間が開いていますから案内しますね」
カインは傍らで控えていた侍女に声をかけると、彼女は恭しく頭を下げた後にわたし達を案内する。ごく自然にカインが侍女に命じる姿には幼いながらも頼もしくて不覚にも動揺してしまった。成長したらどうなるんだ、とは考えないようにしよう。
さすがに帝国が誇る公爵家の居城だけあって内装は非常に豪華な作りとなっていた。死者の都でのミカルの居城やキエフでのエステルの宮殿も凝っていたけれど、緻密な模様が描かれる壁紙、彫刻が施された柱、床に敷かれた踏み心地の良い絨毯など、帝国の豊かな経済力が結集したような世界がわたしの周りには広がっていた。
「マリアさん方は夕食は取っていませんよね。何でしたら食べていかれます?」
「別に食事を頂きに来たわけでは……」
「いえ、厚意はありがたく受け取ろう。けれど趣向を凝らさなくても簡素なものでいい。料理人のまかないだろうと私達庶民にとってはご馳走だ」
「そうですね。ではすぐに用意させますので」
通された客間にはテーブルクロスがかけられた大きめのダイニングテーブルが置かれていた。これでは客間と言うよりちょっとした食堂だろうか。公爵家が一堂に会する食堂にしては小さいから、こうして少人数で食事をとる場合に使う為の場所だろうか?
侍女達が椅子を引いてくれたのでわたし達は礼を述べつつ席に座った。カインもそれが当然とはせずに侍女達に感謝の意を述べている。侍女達も笑いかけながらお辞儀をし、二人ほど残って部屋の片隅で控えたのを除いて退出していった。
「ここは食堂を会食として使う場合に備えて、だそうです。他にも食事が一緒じゃあなくなってしまった場合はこれぐらい小さい食堂の方が寂しさを感じないとかでしょうか」
「大勢でにぎわった方が食は楽しいだろうに。私には貴族の食事は窮屈で理解が及ばないよ」
「そうなんです? ですがアタルヤさんを見ていると、何というか上手く説明出来ないんですけれど、仕草が洗練されているような……」
「一応こう見えて最低限の礼儀作法を学べた身分の出だからな。ただ帝国のように華やかではない田舎出身なもので、貴族社会ほど形式ばった世界ではなかった」
少し待っていると配膳台に乗せられて料理が運び込まれてきた。簡素とは一体と疑問を投げかけたいぐらいのご馳走が食卓に並べられていくけれど、確かに皿の数は自分が思い描く貴族の食事風景と比べると少ない気がする。あと無駄に飾り立てられてもいなかった。
神に祈りを捧げて料理を頂く。さすがに上質な素材と優れた料理人に料理された逸品は極上の味わいをもたらす。語彙のないわたしが下手な比喩を並べるのは止めておくけれど、こんなのを毎日食べていたら舌が肥えてしまって繁華街の出店とか行けなくなってしまいそうだ。
「そうです? 僕は街に出た時に買い食いとか良くやりますけれど?」
「庶民の食事に手を伸ばすぐらい飽きるほど豪華料理を堪能したんですね分かります」
「いえ、料理人が腕を振るってくださるのは嬉しいんですけど、僕にはちょっと重くて……」
「あー、成程」
しっかりしているからあまり気にならないけれど、カインはまだ子供なのだ。堅苦しい料理ばかりでは食べきれなかったり口に合わない時だってあるだろう。それに貴族の食事が市民のそれを必ずしも凌いでいるとも思えない。素材さえよければ後は料理人の腕次第、城勤めの人より店を営む人の方が美味しいと思わせる逸品を提供するのは決して夢物語ではない。
それに、常に厳格な家族やかしずく使用人達に囲まれた食堂より気さくに声をかけられる素朴な食卓の方がいい、と思うのは決して悪くはないだろう。
「ところでアタルヤさん、今日こちらにいらした理由を窺ってもいいですか?」
「ああ、そうだったな。次の安息日に行う予定の祭りで開かれる大会について問い質したい。今回ぶら下げている賞品についてだが……」
「賞金については公爵家の財産から捻出しているんです。祭りで出た利益については来年の祭りの運営費に補填させていただこうかと思いまして」
「あ、いや。別に金には興味が無い。私が知りたいのは副賞の方だ」
成程、賞金は自前で用意していたのか。大きな催し物は少なからず開催する貴族側やそれに協力する商人の懐が潤う魂胆もある。けれどダキア公爵家は損得関係なしに祭りが盛り上がるよう考えているようで好感が持てる。
ただ探求に没頭する生粋の魔導師と比べてわたしもアタルヤも他の目的に活かす用途で魔導を専攻しているから、研究資金が少なくて済むのよね。他の魔導師達からすれば耳を疑う暴言だろうと金に困っていないのは本音だろう。
「副賞って、旅行のお膳立てですか?」
「旅費や宿泊代はともかく、休暇を取った事での損害の責任を負う点について詳しく」
「ああ、それはですね、実は僕の発案なんです」
「ほう?」
「安息日と言われていますけれど実際は一年中働いている方もいますし、生まれた村から出ていない方もいると聞いています。旅行に招待されてもいない間に仕事が立ち回らなくなるって考える人も少なくないと思うんです」
例えば農村の人、例えば牧場の人。安息日に休息を取るぐらいは出来るかもしれないけれど長期間に渡って留守には到底出来ない。そんな己の責務を全て忘れた行楽なんて一生のうちに数回可能か不可能かだろう。交代制でやればと思うかもしれないけれど、そんな人員を遊ばせておく余裕があれば別の仕事をやらせた方が効率的だ、と考える者は少なくない筈だ。
「だからこちらで責任をもって留守の間は任せてくださいって言うんです。そうしたら前向きに検討してくれる方もいると思うので」
けれど休暇が公爵家のお墨付きかつ損失を補ってくれるのなら遠慮する理由は全て解消される。それなら有難くって考える人も増えて大会もより盛り上がっていくだろう。
それにしても提案されたのではなくカインの考えだったとは。心底感心してしまう。
「例年のように賞金だけでも十分盛り上がったのでは? どうしてわざわざこのような副賞を?」
「……毎年祭りは欠かさず開催してきましたけれど、こうして平穏な時に開けるのは随分と久しぶりですから」
「そう、でしたね……」
そうか。魔王軍の侵攻、そしてアンデッド発生の異変でここ最近は情勢不安定だったんだ。市民が気兼ねなく祭りに参加出来る久々の機会だったとは気付かなかった。安息とは程遠い毎日を送っていれば旅行なんて夢のまた夢だっただろう。
「なので今回は休息って副賞を思い切って付けてみたんです。これで大会がより一層盛り上がればいいんですが……」
「いや、心配しなくても目の色を変えて飛びついてくる者ばかりだろう。義務ややむを得ず働き三昧だった者にとってはまたとない褒美だからな」
「そうですか! そう言ってくれると僕も嬉しいです」
アタルヤは顔をほころばせ、カインは顔を輝かせた。みんなを思ってカインが考えた安息と言う副賞はきっと彼が考えるより人からは魅力的に映るだろう。きっと大会は例年以上に盛況になるに違いない。
最も、参加者が増えればそれだけ優勝から遠のくのでタマルにはご愁傷様と言いたい。わたしは別に特段こだわりは無いし。
豪華ながらも慎ましい晩餐はその後も和やかに進んでいった。その様子はおそらく貴族の晩餐とは程遠い姿だっただろうけれど、わたし達三人は楽しく会話を交わせた。けれど今度はこちらがカイン達に食事をご馳走したいものだ。
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「そんな感じだったので運営も本気で長期休暇の約束は果たしてくれるようですよ」
「それを聞いて安心しましたー。アタルヤ副支部長が参戦するのは完全に予想外でしたけど」
「……そんなに衝撃でしたか?」
「だってあの副支部長ですよ? 勝てる気がしませんってー」
次の日の朝、わたしは昨日の晩餐での顛末をタマルに報告した。彼女は口調こそいつも通りだけれど、頭を抱えてがっくり項垂れていた。開店前なので店の準備と掃除を済ませる時間は確保したいのだけれど、そうも言っていられない程に打ちのめされているようだった。
「確かに彼女は優れた魔導師であり騎士ですよね。わたしも勝つ算段が全く浮かびません」
「いえ、副支部長が普通の人間だったら苦戦こそするでしょうけれど勝てない相手じゃあありません」
「えっ?」
「彼女はアンデッドなのが一番厄介なんですよねー。相性最悪ってどころじゃあありません」
これにはわたしの方が驚きの声をあげるしかなかった。
アタルヤがアンデッドだとタマルが知っていたのも意外だったけれど、彼女はあのアタルヤを相手にしても互角に戦える自信があるのだ。あれほどの個の強さと軍の統率力を兼ね備えた、戦場においては間違いなく最良の魔導師だろう彼女と相対しても、だ。
アタルヤがアンデッドだと何がまずいのかは結構疑問だけれど、種明かしは聞かないでおこう。タマルの全容は大会で明らかになるだろうから、その間色々と憶測を巡らせるのも面白いかもしれない。
「ですけど大会は総当たり形式ではなくトーナメントと聞いていますよ。順番をどう決めるのかは知りませんけれど、アタルヤさんが早々に負けるかもしれませんよ」
「マリアさんー、それ本気で言っています?」
「アタルヤさんが強いのは知っていますけれど、だからって無敵ではないでしょう。足元を掬われるかもしれませんし、単にあの人より優れた戦士が現れるかもしれない」
「んー、理想としては副支部長がどなたか強豪とつぶし合う展開を期待したいですねー」
世の中にはまだ知られていない達人がいるかもしれない。アタルヤだって肩書だけを見れば単なる魔導協会の地方支部に務める魔導師の一人に過ぎないのだから。優勝するためには彼女が厄介には違いないけれど絶望するほどではない。立ち回りと運次第でいくらでも対処出来る範囲だ。
最も、それはアタルヤだけを要注意人物と想定した場合の話だ。彼女以外の強者が参戦しないなんてまず考えられない。予想もしない実力を秘めた人が唐突に現れたって不思議でも何でもないだろう。要は今から心配したって無駄ってだけだ。
「それにしても、街も少しずつ賑やかになってきましたね」
「祭りが近いんだって実感しますねーここまで来ると」
祭り開催日が近づいているのもあって街はより一層活気づいていた。飾り立てや出店の準備も始まっていて、機材や商品の搬入とかで多くの人が行き来しているのが家のテラスからでも眺められる。当日は大勢の人で大いに賑わうに違いない。
ちなみに安息日に開かれる、と言っても祭りはたった一日ではなく三日間に渡って行われる。これは安息日と一口に言っても教会の定めた安息日だけではないからだ。獣人国家の西と南の公爵領では原則金曜、聖地付近では土曜だったか。西方諸国が人類圏と呼ぶ帝国本土、ダキア、キエフの日曜が絶対の安息日ではないのだ。最も、三日間開催になったのは帝国領土の半分以上が獣人生活圏となってかららしいが。
大会が開かれるのは土曜に当たる。円形闘技場では他にも催し物が開かれるらしいがわたしからすればそれはどうでもいい。肝心なのは折角の祭りが大会への参加で丸々潰れる心配は無いって点に尽きる。
「タマルさんは祭りの三日間は全て楽しめるんですか?」
「あいにく初日は仕事ですねー。これでも無理して大会が開催される二日目を休みにしちゃいましたからねー。そう仰るマリアさんはどうなんです?」
「わたしも一日だけ楽しめればいいかなーって思っていたので初日は店にいようと思います。特に一緒に見て回ろうってお誘いがあるわけでもありませんし」
「平日に祭りを開かれてもねーですよねー。帝国が広いのも考え物ですー」
ついこの間領土拡大に手を貸した身であるわたしは苦笑いしか浮かばなかった。最も、仕事があるからって日が沈むまでの間だ。最終日以外は夜も少しだけ続けられるらしいから、夜のお祭りを楽しむのもいいかもしれない。
そんな思いを巡らせていると玄関のノッカーが叩かれる音が二階のテラスにまで聞こえてきた。はて、今日はカインが家具屋に行く日ではなかった筈だから彼ではないし、別に自宅まで届けられる品を購入した覚えもないのだが。
「ちょっと行ってきますね」
「お構いなくー。食器は洗っておきますからねー」
「あ、どうもありがとうございます」
わたしはタマルが食器を片づける音を後ろに足早に居間、廊下、階段を通り過ぎて一階玄関の戸を開けた。その先で待ち受けていたのはわたしが全く予想していなかった人物だった。
「お久しぶり。元気にしてた?」
彼女……いや、彼は靴や服や帽子どころか長い髪と肌まで純白だった。ただ深き蒼の双眸が美術館や宝石店で飾られる青玉のように輝いていた。少女人形を思わせる彼はわたしを見上げながらにこやかに笑いかけてくる。
わたしはただ彼の姿を捉えて呆然とする他なく、少しの間全く反応できずにいた。ようやく我に返って何とかぎこちない返事をする。
「ひ、久しぶりです」
「祭りが催されるって聞いたから来てみたんだけれど随分と賑わっているね。遠路はるばる足を運んできたかいがあった」
わたしの目の前には二か月以上前にキエフの地で二度に渡る死闘を繰り広げた魔王軍の軍団長、魔人ノアがいた。
お読みくださりありがとうございました。