魔の森④・ひとまずの収束
――そうして、時は今に戻る。
「黒曜の、マリア……?」
「そう、それがわたしです。決して虹のマリアじゃあない」
自己紹介はしたけれど、イヴはいぶかしげに眉をひそめるばかりで剣はやはり離さない。
マリア達勇者一行がどんな形で勇者イヴを裏切ったかはこの際どうでもいいとして、どうやってイヴにわたしがマリアじゃないって納得させればいいんだ? どんなに説明したって言い訳ってみなされて一蹴される展開にしか繋がらないように思える。
「戯言はそれでお終いかしら?」
「いやいやいや、だからわたし達は初対面なんですって。信頼関係すら築いてないのに裏切るも何もあったもんじゃありませんよ」
だからって黙っていたら無残に落命した騎士団の後を追いかねない。そこで命を失った騎士団長の後追いなんてわたしは御免だ。一言では無駄でも畳み掛ければどうにか乗り切れる算段が立てられるかもしれない。ここは怯まずに面と向かうのみだ。
「貴女が悲願を果たす一歩手前で奈落に突き落としてやったのに、またわたしの前に魔導師として現れるなんてね……! 助けた程度で償ったつもり?」
「いや奈落って、わたしはそんな酷い目にあった記憶がないんですけれど」
「……それなら黒曜のマリア、貴女にとって魔導って何なの?」
「魔導?」
唐突な質問に疑問符が沸くものの、質問の意図を考えるより問いかけに答えようと思考が巡っていた。
魔導、わたしにとっての魔導か。他の魔導師なら万物の探求を持って全知に至るために学ぶもの、とか言いそうだな。けれどわたしにとって別に全知でなかろうと普段の生活には困らないし、知識ばかり増やしたって料理が美味しくなるわけでも掃除が捗るわけでもない。
だから、他の魔導師達に白い目を向けられようとわたしの答えはもう決まっている。
「日常生活を少し便利にする手段です」
「――……」
その言葉を聞いた途端、イヴは間の抜けた顔をしたかと思うと剣を取り落とし、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。
え、いや、わたしは何もしてない、よね?
「ごめんなさい、命の恩人に剣を向けちゃって。私ったらなんて事を……」
どうやら本当に執念と気力だけで立ち上がって剣を構えていたらしく、緊張が緩んだ直後にはもうもたなくなったようだ。むしろそんな状況に持ってこれただけでも驚愕するしかないのに。
そうか、魔導に対する考え方でわたしとマリアを判別したのか。マリアだったら剣を突きつけられていようが己の信念、探究心を口にしていた筈だ。言われてみたら確かにわたしの考えからマリアを連想させるのは無理があるな。
「復讐を一旦晴らして気分が昂っていたんでしょう。誰だって間違う事はありますよ」
涙を流しながら謝罪を繰り返すイヴをそっと起こす。にしても思い返せば騎士団長もわたしをマリアだと勘違いしてくれたけど、そんなにわたしはマリアに似ているんだろうか? 共に過ごした学院時代は別に間違えられた記憶はないんだけれどなあ。
マリアが旅してる間わたしを騙っていたとかいう恐ろしい可能性はこの際考えないようにしよう。それならもっと多くの人がわたしに反応していただろうし、そんな事はない……筈。
「ば、バラバラだった手足が繋がってる!? 魔法ってすげえな……」
と、どうやらダニエルが担架を持ってきてくれたようだ。これ以上この場の状況を複雑にしたくなかったし、丁度いい時に来てくれた。
「ん? どうしたんだこの空気は?」
「手足を繋げたのはいいんだが、立ちあがった途端に倒れただけだ」
その空気を察したらしいダニエルの質問に答えたのはアモスだった。彼は既に剣を収め、周囲の警戒に当たっているようだった。ていうか、あの状況だったらアモスがイヴの剣を叩き落とせば全部済む話だったんじゃあないか?
「黙って見ていないでその場を収めてくださってもよかったのに」
「あんなへろへろな状態なら俺が何かしなくても自分で対処出来たんじゃないか?」
「……まあ、それもそうなんですけど」
不満そうに愚痴を言ってみるものの、アモスは事も無さげに答えてきた。確かにわたしも杖は持っていたからいくら勇者が相手でも満身創痍なイヴなら剣を振り払えただろう。けれどわたしは魔導師であって前衛じゃあない。なるべく危険は犯したくないんだけれど?
まあいい、今更不満をぶちまけても仕方がない。わたしはイヴが取り落とした剣を拾って鞘に収め、彼女の荷物と一緒に背負った。うん、思った以上に軽いから、わたしでも十分持てそうだ。
さて、とわたしは担架を持ちあげたばかりのアモスに近寄る。彼とは一つ、話を合わせておかなければいけない。アモスをそれを察したようで少しわたしに身体を傾けてきた。
「それでアモスさん、イヴの件ですが……」
「俺達は何も見なかった、にした方がいいな。帰還しなかった勇者が生きていて帝国に追われてて、挙句に仲間だった勇者一行に復讐を遂げようとしてるとか、荷が重すぎる」
さすがアモス、話が分かる。わたしもそう提案しようと思っていたところだ。
思い浮かべるのは馬鹿正直に役人にしゃべった後の展開。勇者が言う裏切りがどんなものかは想像もつかないが、帝国が敵に回るほどの重大なものだとしたら、関わっただけのわたし達の身の安全すら保証されない可能性がある。最悪口封じだってあるかもしれない。
勿論勇者の言い分を全部鵜呑みにするのは危険だけれど、比較対象があの横暴な態度だった騎士団長だけな現時点では勇者の告白を信じる他ない。
なら遭遇しただけのわたし達は、極力関わらないようにすべきだ。
「騎士団一行は討伐対象に返り討ちにあって全滅したが対象は討ち果たした。俺達は巻き込まれた少女を偶然助け出して安全な所まで運んだ。これで行こう」
「賛成です。あえて付け加えるなら、騎士団全滅とイヴを助けたのは分けた方がいいかと」
「けどよ、現場検証をどうする? 勇者を救ってたらすぐばれそうなもんだが」
「……その点は大丈夫でしょう。わたし達が騎士団の全滅を見なかった事にすれば」
なるほど、とアモスは頷いた。
ここからどんなに近い軍の駐屯地でも馬を走らせて数日はかかる。町に駐在する役人ではこの広大な森の探索は不可能と言っていいから、大規模な捜索隊を派遣するのはあと何日か加えて考えるべきだろう。その間に騎士団員の躯は魔物や獣などの森の住人が腹に収めるだろう。
としたら捜索は残るだろう装備品や戦闘跡を手がかりとする他ない。それでは正確に何が起こったか分かる筈もなく、迷宮入りするだろう。魔法で過去を見れるほどの腕を持つ魔導師が派遣される可能性はないとは言えないが、それを言ったらどうしようもないのでこの際無視する。
「……ならマリア、私の荷物をその辺りに捨ててもらえない?」
わたし達の内緒話に割り込んできたのはイヴだった。アモスは彼女の足の方向で担架を持っていたのに、良くわたし達の会話が聞こえたものだ。それにマリアって呼んでくれたけど、それ本当にわたしをわたしだと認識して呼んでるんだよね?
荷物って、この布袋と剣か。鎧は剣を突き立てられて穴だらけだったから捨ててきたから、あとイヴを勇者と結びつけられる材料は確かにこれぐらいだけれど……。
「いいんですか? 特にこの剣を捨てるのは……」
「その剣だからこそ捨てるの。それでうやむやに出来るなら十分よ」
イヴの決意は固いようだ。それならわたしが反対しても仕方がないだろう。わたしはイヴの剣を鞘から抜いて彼女の右腕が転がった辺りへ放り投げた。回転しながら放物線を描いたイヴの剣は狙ったように彼女の右腕のそばに突き刺さる。そばに転がるぐらいで十分なのに無駄に凄い事が起こるものだ。
抜き身となったイヴの剣は他に転がる量産品と思われる騎士達の剣より凄みが、それどころか神々しさすら放っていた。詳しい話は全然分からないけれど、多分あれが勇者が所有する光の剣なんだろう。これを勇者が放棄する形になるなんて……。
腕と剣さえあれば森に生息する魔物どもに荒らされるだろうこの現場からは、討伐対象が騎士団と相打ちになったと判断されたっておかしくない筈だ。
ついでに荷物は口を結んでその辺りに放り投げるか。下手に散乱させてわざとらしくするより戦うためにその辺に放ったと考えさせた方がいい筈だ。
一応生身を確認するために彼女の荷物を開くと、中には本当に旅に必要な最低限の物しか入っていなかった。寝袋と雨風をしのぐ簡易テントと食糧、ナイフ、小さめの鍋、水筒、路銀の入った財布とかで、とりわけ彼女が残しておきそうなものは……。
「イヴ、荷物はどうします? 何か大切なものとかは?」
「無いわ。そのまま放り投げてくれていいわよ。むしろ残しておかないと疑われる可能性が高まるし」
「では木の傍に寄せておきますね。……これでイヴを追う者達を誤魔化せるといいんですが」
「いや、これでばれたら相手が上手だったってだけだろ。さすがにこれ以上やりようがねえよ」
アモスの言った通りもうこちらに真実を誤魔化せる策は無い。勇者の剣までその場にあってもなお生存を疑われるなら、逆に真実を暴いた者を称賛するしかない。それほどの優秀で真面目な人材がいない事を望むばかりだ。
後考えるべきなのはイヴ本人をどうするか、か。
「それで、お前さんは勇者をどうするつもりだ?」
「あ、丁度聞こうと思ってました」
イヴが勇者だって判明する前は次の宿場町まで連れて行くって決めていたけど、事情が覆った今では宿場町に預けるのは危険な気がする。かと言って折角偽装工作までして討伐対象の死を演出したのに、下手な手だとそこからばれかねないな。
「どの道彼女は今の状態ではまともに歩けません。しばらくは安静にしながら歩行訓練を重ねるしかないかと」
「……となると、馬車の目的地までは連れていく必要があるな」
目的地、つまりわたしの故郷か。そこは帝国西側では最大規模の都市で病院や魔導協会もある。ゆっくり療養して徐々に四肢の機能を取り戻していくしかない。勿論しばらくイヴには勇者だった過去を隠して別人に成りすましてもらう必要がある。
と言うか今回イヴの行った措置、死者を冒涜した冥府の魔法がばれたらわたしまで人生終了してしまう。それを避けるなら、冥術魔法の効果を無くしても四肢を動かせるぐらいまで彼女に回復してもらわないと。
つまり、結局わたしが彼女の面倒をしばらく見なければならないだろう。
「故郷に着いたら開業魔導師になろうと思ってました。いわば個人病院みたいなものですから、わたしの所で預かります」
「……! いいのか、勇者の複雑な事情を抱え込む羽目になるんだぞ」
言われるまでもない。もちろん深くは踏み込まないつもりだけれど、少しぐらい引きずり込まれる危険性は承知の上だ。
「関わってしまいましたから。それに彼女が治るまでですから、一時的な処置ですよ」
「そこまで覚悟を決めてるなら俺から言えるのは何もない。くれぐれも気を付けてな」
気を付けてと言われても、苦笑いを浮かべるしかない。
「分かってます。色々な意味でね」
まずはイヴの身分を詐称する方法から考えないと。勇者装備はもう外したからイヴ本人が他人として振舞うよう協力してもらわないと。あと彼女の新たな身分証明は冒険者ギルドに依頼……いや、折角学院卒の肩書があるのだから、魔導協会でも利用するか。
何か、わたしの新たな人生第一歩を踏み出した直後から大きな問題を抱え込んでしまったな。最初からこれでは今後が前途多難としか表現のしようがない。ため息が漏れてきそうだ。
わたしはイヴのそばまで近づき、そっと耳打ちする。
「しばらくわたしの所で入院してもらおうと思うんですが、どうです?」
「……!」
今は冥府の魔導で女騎士の手足が繋がっているだけで、現時点で彼女はこれ以上改善しない。続きは彼女が上手く死者の腕を使いこなすか、水術の回復魔法で根気強く治していくしかない。幸い時間をかければ十分治るだろうから、しばらくわたしの所でおとなしくしてもらおう、という理屈だ。
「……今の私にはあなたに払えるお金が無いわ」
「あ、その点ならご心配なく。ほら、これ」
わたしが見せたのはイヴの荷物からちゃっかり抜き取っておいた路銀の入った財布だ。中身はまだ確認していないけれど、硬貨で中々重い。多分勇者として支給された金を節約しつつ小遣い稼ぎで補充しながら運用してきたんだろう。
「抜け目がないのね。いいわ、どうせ今のわたしには無用の長物だし」
「いや、適正な値を頂くだけですから、全部は要りませんよ」
一応開業するにあたって一般的な魔導師の報酬の相場を調べてみたけれど、その価格設定は完全に足元見ていると断言して良いぐらいの暴利であった。それだけ開業魔導師が稀少かつ需要があるんだろうけれど、わたしは別に富は必要ない。設備や備品などの初期投資、それから借家や掃除洗濯などの維持費を差し引いて若干黒字になればいいと思っている。
イヴの治療がどれだけ時間がかかるかは分からないけれど、諸費用を計算して赤字になるようなら泣くしかないな。自分で言い出したんだし、後からみっともなく覆す気は無い。
「……いいの?」
「何がです?」
「何がって、面倒事を抱えちゃってさ」
イヴは申し訳なさそうな顔をしてくる。
勿論彼女の心配も分かる。先ほどの追手の騎士団のように復讐劇に伴う様々な事柄に巻き込む恐れがあるのだろう。勿論それは勘弁してmらいたいし、いざとなったら彼女を隠すぐらいはしようと考えている。
最悪はイヴを見捨てる選択肢だけれど、わたしもただでは済まないし、最終手段だろう。最もイヴだって損得で考えたらわたしを切り捨てる未来も視野に入れている筈だ。お互い様だろう。
「大丈夫です、問題ありません。ただ、あまり自分に関してを言いふらさないでくださいね」
「それぐらいは分かってるわよ。私だって自分から事態を厄介にするのは御免だし」
わたしは手袋を取って彼女の左手を握る。本当なら手を差しだして相手を待つべきだろうけれど、今の彼女には酷だろう。
「それでは、これから少しの間ですが、よろしくお願いいたします」
「……ええ、よろしく」
現時点では信頼関係なんて無いと断言していい。わたしだって保身を考えて一歩退いているし、イヴだってわたしの裏切りは可能性として考えている筈。そもそも復讐の動機が手の平返しされて始まったのだから、そう簡単にわたしを信頼するなんて無理だろうし期待もしてない。
それでも、この出会いがわたしの新たな道を彩るものとなるのを望む。
お読みくださりありがとうございました。




