サメとの遭遇
B級映画のノリで百合を書いてみたらどうだろうと思ってやりました。
闇が全てを覆い隠している。
風もなく、凪いだ海の上に一隻の漁船があった。
「船長、この辺りは立ち入り禁止区域なんじゃあないですか……?」
「けっ、そういうのは黙ってりゃわかんねえんだよ。だいたい今更何言ってやがる。何のために明かりも付けずに航行してきたのか、まさか考えもしなかったとは言わせねえぞ」
「いやあ、まあ薄々感づいてはいやしたけど、いざってなると妙に後ろめたい気分がしやして……」
「てめえの気分なんざ知ったこっちゃねえんだよ。ここにはな、天然物のアワビがゴロゴロしてるんだ。ちょいとした小遣い稼ぎになるんだぜ。お前にも分前はきちんとやるからよ」
「へへっ、それを聞いて安心しやした」
「まったく、現金なやつだぜ。これだからお前は信用できるってもんだぜ。それじゃあ、ちょっくら潜ってくるからよ、待ってな」
「いってらっしゃいやし」
そう言うと、船長と呼ばれる男はざぶんと海の中へ飛び込んだ。
海中に潜ったところでようやくライトをつけると、男は一気に海底まで潜っていった。
海底の岩は、一見するとただの岩にしか見えないが、男は周囲を一瞥しただけでアワビの位置を把握してしまった。
男は慣れた手つきで専用の器具を用いて次から次へとアワビを剥がして収穫していく。
だが、夢中になって収穫している男の後ろから、巨大な影が近づいていた。それに気づかず収穫を続ける男の持つカゴには、すでに10を超える数のアワビが入っていた。
カゴがいっぱいになった所で、合図をして相棒にアワビを引き上げさせる。入れ替わりに空のカゴが下りてきたのを確認し、更に収穫を続けていく……。
「うひょう、こいつはスゲエや! やっぱあの人に着いてきて正解だったなあ」
引き上げたカゴの中身を見て、船上の男は狂喜の声を上げた。
それから3分もしないうちに2つ目のカゴが一杯になった合図が送られてきた。
独り言を言っている場合ではない。急いで中身をあけて空にしたカゴを再び下ろしていく。
満杯のカゴを上げるのも忘れることなく同時進行する。
「こんな楽な作業で金儲けできるなんてな……。こりゃあ、やらねえやつはバカだな!」
与えられた仕事をこなしながらも、顔はニヤついて喜びを隠しきれずにいた。もっとも、周囲には誰もいないのだから、隠す必要もないが。
何度目かになる空のカゴを下ろした数秒後、海中の男が合図を出した。
「おいおい、まだ10秒も経ってないぞ。まさかもうカゴが一杯になったってのか? どんだけ捕るんだよあの人はよう」
半信半疑でカゴを引き上げるが、どうも様子がおかしい。海底にあるはずのライトが上がってくるのだ。
「あ? なんだ? ライトがカゴに入ってるのか。間違えて入れちまったのかな」
途中で下ろすわけにもいかず、そのまま引き上げていく。
闇が支配する世界には、ライトの白い光の他には海の青しかないはずなのに、そこに赤いものが混じったように見えた。
「ん? 気のせいか?」
カゴが水面に近づいてきた。カゴの中にアワビは入っておらず、ライトの光だけがそこにあった。
いや、ライトだけではない。何かが入っている。男は、普段あまりにもあたりまえに見ている『それ』を、『それ』だけで見る事がなかったので、何であるのか認識するのに時間が必要だった。
『それ』は人間の腕だった。
「お……っ! おいおい! なんだこりゃあ! 船長!? 大丈夫か、船長!!」
男は大声で海底に向かって叫んだが、声が海底に届くはずもない。無論、そんなことは男もわかってはいたが、叫ばずにはいられなかったのだ。
ライトの光を海底に向けて必死に叫び続ける男を、海中から覗き見る巨大な影があった。
海底には、船長と呼ばれた男の名残として血煙が漂っている。
船長と呼ばれた男を飲み込んだ巨大な影は、海面の光へ向かって猛スピードで突進した。
「船長ー!!」
男は、わけのわからない恐怖に怯え、ただ叫ぶことしか出来なかった。
海底に向けたライトの光が、何か巨大なものに遮られた。そう思った瞬間、海の中から水しぶきとともに、男の死が訪れた。
………
「海だー!」
船の上にいるのだから海が見えるのは当たり前なのだが、昨日乗船した時は夜だったのだ。船上で朝を迎えて初めて見た明るい海にテンションが上ってしまうのは、修学旅行中の中学生としては無理からぬことである。
その声に引き寄せられるようにして、寝起きの生徒たちがぞくぞくと甲板に現れる。
みな、口々に感想を言い合い、感動を伝え合う。だが、その騒ぎに加わる気になれず、1人で船内からぼんやりと海を眺める少女の姿があった。
彼女の名は清水翔子。もともと内気でマイペースな性格であったが、修学旅行だというのに好き好んで1人で居るわけではなかった。とはいえ、1人でいることにも、もう慣れてしまっていたのだが。
今の状況は、とある事件が原因だった。
「ねえねえ! 清水が起きたよー! おねしょしてないか確かめに行こうよー!」
甲板にいる集団の中心となっていた女子が翔子を見て周りに誘いかけた。
その声に賛同した集団は翔子の元へと移動していく。
翔子は怯えた表情でその場を離れ、トイレへと駆け込んだ。
「あー、大丈夫だったみたいよ。いまトイレに行ったから」
どっと笑いが起きる。
その集団を不思議そうな目で見ていた少女が、近くにいた生徒に問いかけた。
「ねえ、あの騒ぎは何?」
「ああ、柊さんは転校したばっかりだから知らないんだね。さっきの子、清水さんっていうんだけど、授業中におしっこ漏らしちゃったんだって。それ以来、ずっとあんな感じ」
「あんな感じって?」
「まあ、いじめってほどじゃないんだけど、清水さんをからかって遊んでるんだよ。っていうか、清水翔子って名前さ、逆から読むと小水って読めるんだよ。やばいでしょ」
「はあ、小学生じゃあるまいし……」
「だよねー。中学生にもなっておもらしはやばいって」
「いや……、そのいじめ方がさ。中学生にもなって、バカみたい」
「は……? なにそれ。喧嘩売ってる?」
「売ってないよ。ごめんごめん。そんなどうでもいいことに巻き込まれるのはごめんだね」
柊は手をひらひらと振って、その場から立ち去った。
その後、朝食の時間となり、食堂内では仲の良い者同士はかたまって談笑していた。
翔子は目立たないよう隅の場所で1人朝食を食べていた。すると、柊がやってきた。
柊は、ちらりと翔子を見やると、無言で近くの席についた。
今まで全く接点のなかった柊がやってきた事に不信感を懐いた翔子は、警戒の目を向ける。
「そんなに警戒しないでよ。あたし柊祥子っての。あんたも翔子っていうんでしょ?」
「えっ?」
「名前だよ、名前。そんだけ」
「あ、はい……」
それ以降は、特に会話する事もなかった。朝食を食べ終え、各々食器の乗ったトレイを片付けた後は自由時間となった。
翔子が甲板に出て1人海を眺めていると、背後から突然衝撃を受けた。
手すりにもたれかかっていたせいで、足が浮いてバランスが崩れた。焦って手すりを掴もうとして手をばたつかせたが、それによって更にバランスを崩してしまった。
「あっ!」
声を出したときには身体が宙を舞っていた。
数秒にも感じられる落下時間の後、翔子は冷たい海面に叩きつけられた。
翔子は自分になにが起きたのかわからず慌てたが、船上で自分の姿をあざ笑う生徒たちの姿を見たとき、全て理解した。
ちょっと脅かして反応を見ようとしたのだろう。ところが予想以上の結果となった。彼らはその結果を見て、慌てるどころか格好の笑いの種にしていた。
船はしばらく進んだ後、停止した。落ちたことが伝わったのだろう。
彼らのことだから、「落とした」などとは口が裂けても言うまい。翔子が主張したところで、はぐらかされて終わるのは目に見えていた。
翔子は、こんな目にあわされても抵抗すらできない自分が情けなく思え、鼻の奥がツンと痛んだ。
じわりと涙が浮かんだが、すぐに海水と融け合って消えてしまった。
こんなことなら修学旅行なんて来るんじゃなかった。自分も海水に溶けて消えてしまいたい。
そう考えたとき、翔子の足にざらっとしたものが触った。
何かいる……! パニックになり海中を覗き込むと、翔子の下に巨大な影が見えた。
恐怖を感じ、逃げようとして船に向かって必死に泳いだ。スポーツはあまり得意ではないが、水泳だけは人一倍得意な方であった。
全力で水をかきつつ、後ろを見やると、いつかパニック映画で見た『背びれ』が見えた。
サメだ!
食べられてしまう! 死にたくない! 頭の中はパニック状態だった。それでも手足だけは必死に動かし続けた。
前方には浮き輪と非常用のボートが出ていた。
手前にあった浮き輪を無視し、ただボートだけを見てまっすぐに泳いだ。
死ぬ思いで泳いだのが功を奏したのか、息も絶え絶えでボートにたどり着いて振り返った時には、もうサメの姿は見えなかった。
船員に救助され、船に戻った翔子を待っていたのはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた犯人グループと、教師の軽い説教だった。
落とした奴らの事などもはや頭にはなかった。ただ、サメの事だけは伝えようと必死に言葉を口にしたが、恐怖と疲労で口がうまく動かず、「さ、サメ……サメが……」といううわ言のようになってしまった。
船員は「この辺りにはサメは生息していないから、見間違いでしょう」と笑顔で言葉を投げかけた。
周りに集まった生徒たちは「サメだってー。そんなのいるわけないじゃん」「あ、もしかしてイルカじゃね? まじうらやましーわ」と冗談交じりにしかとらえない。
その中で柊祥子だけが真剣な面持ちで翔子を見ていた。
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