97話 冒涜、緋眼
イフリーテとディアヴァロの別次元の戦いにセラは更なる力を与えようと唄を奏でる。
セラにはこの国などどうでも良かった。
ただあのニーアの破滅だけを望んでいた。
背後で控えるローウェンと護衛のヴィクターと兵士は来る足音に構えた剣に力を込める。
「話が違うぞ! オルリ殿はどうした! 何故救援に来ない! あのエファンジュリアも何故こちらの援護に回らんのだ!」
ローウェンは予定ではこんなことになるとは考えていなかった。
弱体化した国を強くするために立ち上がり王をも排斥しようと覚悟して望んだこの頂がもろくも崩れ去ろうとしていることに目の前の現実を受け入れられなかった。
ぎりぎりになって来た真紅のエファンジュリアもこちらの事などどうでも良さそうに力を与えてはくれる様子もなく、ただ迫る危機に剣を握る手が震える。
「ローウェン様、あなたは私が守ります。どうか堂々と構えてください! あなたが狼狽えてどうするのです!」
ヴィクターは正面を向いたままローウェンに激を飛ばす。
王に反旗を翻した以上、ローウェンよりヴィクターは覚悟していた。
この後がどうなるかもすら、ただ自ら選んだ道を否定などできない。
ただ突き通すだけだった。この身が討たれようとも。
喧騒が扉の前まで迫り、そして扉は乱暴に開け放たれた。
ヴィクターは現れたのが予想外の人物だったことに驚きを隠せなかった。
「まさか、あなたが先頭に立つとは……フィドル様」
前に決して出なかった弱き王子が今、目の前で剣を迷いなく突きつけている。
何が彼を強くしたのか、ヴィクターはより剣を強く構えるもののフィドルにローウェンにはない強さを見いだしていた。
それに続いてベアトリアとクレスが剣を向ける。
「ローウェン! 卑しき弟よ! 貴様の行いを今ここで悔いるがいい!」
ベアトリアは切っ先をローウェンに向ける。
気圧されるようにローウェンは一歩下がる。
「嘘だ……こんなのは、違う、違うぞ、俺は唆されたのだ! アストレムリに、ヴィクターに!」
「ローウェン様……! あなたはどこまで……」
ヴィクターは戦意どころか矜持を失ったローウェンに失望した。
ヴィクターの兵も思わぬローウェンの狼狽えように剣が左右上下へとぶれる。
「剣を下ろせ、ヴィクター! お前の行いは軽率にも程があるが、今分かった、お前は国の為に立ち上がった事を方法は間違ってはいたが、その心をオレは許したい。だから剣を下ろしてくれないか」
フィドルは剣を下ろしヴィクターを諭す。
ヴィクターのここに来ての行動はやはり国に忠義を尽くす騎士そのものだった。
そのヴィクターは口で語ったわけでもなくただ己の立ち姿で自分を許そうとしている王子に甘さを感じた。
だが、その甘さこそが強さではないのかと自問自答する。
フィドルの立ち姿に本来仕えるべきだった王の姿を重ねて見えた。
だが、
「……一度、背信したこの身、いかに間違っていたとしても我と共に生きた者達の覚悟を二度も裏切ることはできません! いざ、尋常に!」
ヴィクターはフィドルに切りかからんと兵士を抜け自らの意志を覚悟を込めた一撃を振るう。
「馬鹿野郎が!!」
フィドルはそれを真正面に受ける。
避けることなどしなかった。
フィドルの頭を剣が捉えようとする。
だがそれは直前で止まった。
ヴィクターの首の前にフィドルの剣が突き立てられていた。
それはヴィクターを貫くことはなく、ヴィクターは瞼を閉じた後、剣を下ろした。
「お前を殺すことはない。その命尽きるまでオレ達の国で贖い続けろ」
フィドルは剣を引く。
目を離すことなくヴィクターの瞳を見つめる。
「……御意。この命果てても魂となってもその命を誓いましょう」
ヴィクターは膝を付き命を捧げんと仕えるべき王子に頭を垂れる。
それを見た兵士も武器を下ろしヴィクターに従った。
ヴィクターは顔を上げ、再びフィドルを仰ぎ見る。
かつての弱き王子の面影は微塵もなく整然と地に足をつけている。
「一つ、失礼を承知で。何故こうもお変わりになられたのですか?」
答えがどうであれただ知りたかった。
願わくばその理由が自分自身の間違いを強く刻むためのものであればと。
「過去は過去だってな。前に向かなきゃいけねえってオレに着いてきた奴らの前で俺だけ後ろに向くわけにはいかねえって、多分こいつのおかげだ」
後ろに控えたウィルに悟られないように軽く目線を横に動かし顔を傾かせる。
「蒼眼の少年が……」
ヴィクターの視線にウィルは気づかない。
既にローウェンも視界に捉えておらずただ奥で唄うセラに集中していた。
ヴィクターはその蒼眼に、ウィルに尊敬と同時に畏怖を抱く。
急激にフィドルを変えたことは結果だけ見れば尊敬に値する。
あのフィドル王子がここまで変えられる力を持つ彼はなんなのだ。
ヴィクターは思わず震える。
幼き頃から皆の背中で隠れていた王子、十数年もそうやって生きてきた人間の本質がこうも変わるものだろうか。
まるで人の運命そのものをねじ曲げる、いやもっと異質な存在と思えるほどウィルが与えたフィドルの変化が信じられなかった。
もしかするならば私はここで死んでいた運命すら変わったのではと。
一瞬よぎった考えにバカらしくなり、払拭するように首を振る。
運命などと考えてしまうとは……年老いたものだ。
ヴィクターは今度はローウェンに向かい合う。
「な、なにをしているのだ! 俺がお前を取り立ててやったのだぞ!」
先ほどの話を変えていることに気づかないローウェンは裏切ったヴィクターに怒りと全員から向けられる視線の恐怖に体が震え上がる。
「勝敗は決した。今ならその命、王の帰還まで預かろう」
クレスは剣を向けローウェンに下れと剣を降る。
剣を抜いたままの姿勢は答えによっては断罪を下す意志を示していた。
「ならば今、賽を振ろう。今一度この王の元で鍛え直せ」
扉の奥から聞こえた、今この場にいないはずのどっしりとした重い声に全員、その方向を見る。
「父上……!」
「ドニク王!」
詰め寄った兵の間から髭を蓄えた皺がよりながらも威厳を漂わせる、ミリアン国王ドニクが姿を現した。
「そんな、父上……私は、私は……」
既にローウェンの手から剣が抜け落ち、がくりと膝を付く。
うなだれるローウェンを前にドニクは優しき目で迎えた。
全て終わった。
誰もがそう思った。
しかし、それはただの希望に過ぎない。
外に出ていた真紅のエファンジュリアがようやくこちらを向いた。
下らないとその光景を侮蔑する。
いつの間にか唄が止んでいた。そして次なる唄を彼女は紡ぎ出していた。
静かな怒りを表現したような一言一句が重い唄が響き始める。
それがなにを意味するかニーアには分かった。
同時にディアヴァロが内に帰って行く。
疲れたとディアヴァロはイフリーテを退けたことをニーアに伝えていた。
「茶番は終わりか?」
セラではなく少年の声が聞こえるとセラのいる外の壁の影から白が飛び出しローウェンとドニクの間に降り立つ。
ニーアは思わずウィルを見る。しかしウィルの口は開いていなかった。
低い声ではあったがウィルの声によく似ていた。
「弱き愚王よ。死ね」
白髪の少年は白装束を翻し、なにも持っていない右手に剣を出現させる。
紅き閃光と共に緋を宿した剣がドニクの体を切り上げる。
あまりの早さに王をかばうことなどできなかった。
ただ仰向けに倒れていくドニク王をフィドルは迎えることしかできなかった。
「父上!!」
返り血を浴びて白髪と白装束は赤に染まる。
それはセラのドレスよりも鮮やかに染め上げていった。
「きっさまああああ!!」
その光景を目の前で見ていたローウェンは我を忘れ剣を拾い直し背中を向けている少年に切りかかる。
「死ね」
視線が向くより先に振り上げた緋色の剣がローウェンの剣を弾き飛ばす。
そのまま振り抜いた剣を腰に溜め、ローウェンの腹を貫いた。
「がっ……、父上……」
ローウェンの吐血が少年の顔を更に赤くする。
それを意に介さず乱暴に剣を引き抜く。
ローウェンの剣が無情に床を跳ね、ローウェンはそのまま倒れ込んだ。
父上、最後まで愚息で申し訳ありません。道を誤ったこと、父の甘さこそが強さだと気づきませんでした。
私もフィドルのように変われたら良かった……それが……。
届かぬ手を父に向けローウェンは後悔と共に命の輝きを肉体から手放した。
「なっ……」
突然の乱入者と死に一歩遅れる。
それはいきなりの襲撃だけが理由ではない。
ようやく動きを止めた血塗られた少年の顔は誰が見ても、
ウィルに似ていた、いやそのものだったからだ。
ただ血に染まりきらなかった白髪と緋色の眼が違った。
ただただそれだけだった。
「あああああ!!」
ウィルはいち早く飛び出す。
言葉にならない雄叫びを上げその緋に剣を振るう。
「今度はお前か」
緋眼の少年は初めて剣を防御に回す。
渾身の一撃は左手を上に右手を下に構えた剣でなんなく受け止められる。
そして、血に染まった少年はその口元を歪ませる。
笑っている。
自分の顔と同じ人間が自分にはあり得ないにたりとした歪みが、言いようのない恐怖と不快感を与えるもののそれを凌駕する怒りが引くことを許さない。
むしろこれ以上見たくなかった。
ウィルは更に休みなく連撃を加える。
剣に向けてではなく少年そのものを捉えようと確実な死を与えようと。
「愚鈍、愚行、遅すぎる。こんな者か蒼眼」
「……許さねえぞ、全部奪いやがったんだ! 前に進もうとした奴を、お前はああああ!!」
ウィルの剣に蒼が宿り始める。
後ろではニーアが唄を紡いでいた。
「お前は俺が殺す!」
「ふん、人の命に何を見いだしている。愚かな人間の歩みなど俺には関係ない。それを自分のことのように怒るお前は何様だ」
少年は剣を受けながらも徐々に押されているのか後ろに下がっていく。
ウィルの蒼き剣は輝きを増していく。
少年はついに左手に剣を弾かれ胴体が開く。
「セラ」
そう呟くと空気が震える。
飲み込まれるほどの唄が空間を響かせる。
構わずウィルはその体に剣を振り抜く。
金属音と共にウィルの剣は止められる。
少年の剣はそこにないはずだった。
だがそこには右手でもなく、誰にも握られていない緋色の剣が宙でウィルの剣を受け止めていた。
想像できず硬直したウィルの剣が押し返される。
同時に感じた違和感にウィルはようやく距離をとる。
「蒼が……」
ウィルの蒼き剣は輝きを失っていた。
「ニーア!?」
オルキスの叫びに思わずウィルは振り返る。
そこにはオルキスに倒れ込むニーアがいた。
呼吸が荒く、冷や汗が止まらない。
自らの足で立つのは不可能でオルキスに支えられる。
「まだ……」
構わずニーアは唄を紡ごうとするが声が出ない。
代わりにひどく咳込み虚ろな目でそれでも歌おうとする。
「脆弱……セラに流れているのも分からないのか。その脆弱さで命を失わせるのだ。終わりだ……蒼眼」
少年の右半身を覆う用に、六本の緋色の剣が出現し、ウィルを引き裂こうと迫る。
ウィルはその力を前に心の底から湧き上がる死への想像をかき立てる。
剣を構え直すことすらあきらめるほどに。




