4話 その眼にうつるもの
翌日、早朝。
「起きろ!」
乱暴な声にたたき起こされる。あの兵士の声ではない。
のそっと起き上がると、数名の兵士と黒を基調とし長袖、長ズボン、襟と袖は白、シンプルな服装は甲冑以外の軍服なのだろう。あの兵士も後ろで控えていた。
「貴様の処遇を言い渡す。無罪放免だ。よかったな」
心底どうでもいい感じのよかったなという言葉だ。それだけ言い渡し彼とその周りの兵士は退散していく。残ったのはあの兵士のみ。兵士はじゃらじゃらと錠前を手に持ちウィルの牢屋の鍵穴に差込、開錠した。少しさび付いていたのかキイといやな音を立て兵士のいる場所への道が開く。ウィルは釈然としないまま兵士と初めて鉄の隔たりを越え対面した。
「どうもです」
「外から来たと言うのはやめておけ。こっちから事情は話しておいた。魔物の瘴気に当てられ異常をきたしたとしておいた」
「なにからなにまでありがとうございます」
信用してよかったと心の底から思った。未だに顔は見えないが心の中ではイケメンのお兄さんということにしておく。
兵士からバックパックを受け取り、念のため中身を確かめる。全部ある。手紙も未開封のままだ。たぶん兵士が隠しておいてくれたのだろう。
「まずはウィル。君が流れ着いた村に行くといい。妹のことも分かるかもしれん。砦から北の方角だ。これをもってけ。すまんな、こんなのしか渡せなくて」
差し出されたのはシンプルな方位磁石と、煩雑な地図。これを使って行けということだろう。バックパックに入れておく。コンパスは腰のベルトに引っ掛ける。
外套をはおり、お礼を伝えようとしたとき、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
ウィルは耳がつぶれそうな音に顔をしかめる。
「魔物の一団だ! 配置につけ!」
牢屋の外の見張りがこちらに向けて叫んだ。
「ウィル、信じてないようなら見せてやる。ついてこい、おそらくこれからも遭遇するだろう」
ウィルはうなずき緊張の面持ちで外にでる。家から持ってきたナイフを鞘に入れたままベルトに差し込む。
こんなにいたのかと思うくらい兵士が多い。甲冑だけでなく軍服やら黒いフードの集団もいるし、弓を装備した組もいる。彼らは砦上に配置し敵を向かえ討とうとしている。
ウィルは連れられ上から見下ろす。砦の外にはなにもなかった。草原や木があり、街道が延びている。少し目線をすらすと遠くの森から黒い霧が立ち込めていた。
「あれが魔物……?」
みるみるその黒が迫ってくる。
近くになるにつれ塊からそれぞれ個体であることが分かってきた。
すると上空の一団から紫色の光がほとばしる。
その光は数十個の玉となり空気を切り裂いて飛んできた。
「備えろ!」
黒いフードの集団が杖を掲げる。杖から白い光と文字が浮かび上がり先端を中心に回転する。
その文字は他の文字を取り込み、巨大化しいくつもの文字列を展開する。
それらが一瞬強く光り、白い透明な膜のようなものが砦の前面に広がり、魔物が放った光の玉が着弾する。
光の爆発。それはこちらに届くことはなく、膜に着弾し衝撃だけが響いた。
「第二波くるぞ!」
同じ光が着弾する。また耐えれるかと思ったが違った。膜が歪み砕け散った。その時残った光の玉が砦に着弾する。衝撃で体が吹っ飛ぶ、ちょうど近くに着弾したらしい。ウィルと兵士が砦内に落ちる。
「つっ!」
乱暴に地面にたたきつけられる。肺の空気が意思に反して吐き出された。耳が痛い。何も聞こえない、視界がぐらつく。立ち上がろうとするが、うまく動かない。
兵士が駆け寄ってくる。
「しっかりしろ!」
手を貸して貰いなんとか立ち上がる。打ち身や擦り傷はあるが、重症ではなさそうだ。体はなんとか動くようだ。
兵士は何かに気づきウィルを背中へまわし長剣を抜く。意識がはっきりとしてきたウィルは兵士の背中越しに除く。砦の入り口は無残にも破られ、多くの魔物が侵入してきている。上空の魔物は既に殲滅したようだが、その間に地上の魔物が進入したようだ。
目の前には一匹の獣が対峙していた。狼のように見えるがその体躯はその比じゃない。軽く大の人間くらいはあった。その体表からら黒い霧のようなものが漂っている。
「まさかシャッテンヴォルフとはな。この一帯でこんなやつが出るのは聞いてないぞ。辺境だからと言って予算削り過ぎなんだよ。上の奴は」
文句もそこそこに兵士は剣を正中に構える。どうも出方を伺っているようだが、魔物も品定めしているのか動く気配はない。
耐えかねた兵士が獣に突進する。獣は待っていたかのようにその剣戟をもろともせずかわして見せる。
ウィルは邪魔にならないように少しずつ距離をとる。その時、絶え間なく繰り出された剣が浅く獣を切り裂く。
獣はその体をひねり鋭い前足で兵士をなぐ。兵士は玩具のようにふっとび、砦の壁にぶち当たる。崩れた壁がその衝撃を物語る。
獣が追撃しようとしたところで体が動かないことに気づく。その右足には兵士の剣が突き刺さっていた。
『グガアアアアア!?』
その雄たけびは痛さと怒りが含まれていた。
その間にウィルは兵士へと駆け寄る。
「大丈夫か!?」
ウィルは兵士の状態を確認する。
鎧がところどころはじけ飛んでいるが、兵士はゆっくりと立ち上がった。
「なんとか……爪は避けるようにしたから打撃のみだな」
一歩前に踏み出し爪の部分を避けたらしい。実はなかなかの切れ者ではなかろうか?
兵士はウィルの腰にぶらさげたナイフを一瞥する。
「ウィル、その剣で戦えるか?」
「え、やれと言われたら頑張るけど、こんなリーチの短いナイフじゃ不安ですが」
「ん?その剣はアーティファクトだぞ? しかも珍しい神託の加護オラクル付きだ。起動してみろ」
何を言っているのかわからず、反応に困っていると兵士はナイフを手に取る。
「方法を知らないのか? 仕方ない、俺ので起動する」
すぐ後に何をしたか分からないが鞘から光が浮かび上がる鮮やかな緑の文字と光が浮かび上がる。
「ほら」
ウィルはナイフを受け取り柄に手をかける。
獣がちょうど剣を抜き去りこちらに怒りの形相を向けていた。
「俺が合図したら抜き放って振り抜け」
兵士はウィルの前に出る。息絶えた兵士の剣を握る。ウィルは鞘つきのまま左腰に構え、右手で掴む。
「くるぞ!」
魔獣シャッテンヴォルフは突進する。左前足を兵士に向け振りかぶる。
正面から剣で受け止める。その一撃で剣に亀裂が走る。ちょうど獣の目は兵士が壁となってウィルが隠れた。
「今だ!」
ウィルは兵士の右から姿を現し、一歩懐に踏み込む。
左前足は既に兵士に振りぬいており、そもそも獣にはもう一人など殺気のない子どものようなもので、相手にしていなかった。その侮った相手に懐まで踏み込まれ、その黒き瞳は蒼き瞳を見るなり悟った。目前に迫った死を。
開いた横腹に向け、腰だめの状態からナイフを抜き放つ。一際、鞘の光が強くなり、それはナイフの刀身が抜かれるのと同時に剣に宿る。ナイフの刀身は緑色に輝き、そのリーチはナイフを超え、兵士の長剣なみの長さで抜き放たれる。下から上方向にかけて振りぬく。淡い緑の刀身はシャッテンヴォルフの横腹を切り裂く。その一瞬の煌きは美しくもあった。
うめき声もなくただその目は恨めしそうにウィルをにらみつけ、シャッテンヴォルフは倒れた。
ナイフだった非対称の長剣には一切の血も付かず、春の芽吹きをイメージさせる淡くも美しい緑を半透明の刀身に輝かさせていた。剣からは粒子が煌めいていた。
「よくやった。だが、状況は最悪だ」
その手の感触は残っているが、思いふけることは許されないようだ。いまだ多くの魔物が存在し、二陣目が迫ってきていた。
「お前は逃げろ」
兵士はそれだけ言い残し二陣目を迎え討つため門へと向かう。本格的な戦いになるとウィルの参加は足手まといのようだ。
そんなウィルの目にも全滅が容易に想像できた。だからこそ、自分も戦うと言えなかった。別の方向にある門へと足を向ける。
刹那、海上方面の上空から白い光が走った。光は瞬く間に2陣目の魔物に到達し魔物を焼き散らした。今までの苦しさはなんだったのかと思うくらいあっけなった。
しんと静まりかえったあと、兵士の一人が右手を上げ雄たけびをあげた。それに続いて生き残った者たちが叫ぶ。
「オルゲン騎士団の機空船団だ!!」
その視線を追うと上空に巨大な空飛ぶ船が見える。上空に浮かぶその船は海上船と見た目は変わらなかったが、船の真ん中に穴が開いており、そこには先ほどの光りの余韻が見て取れる。周りにはそれに追従する一回り小さな船達で構成されていた。
そのまま騎士団と呼ばれている船は砦を通り過ぎていく。どうやら通りすがりらしい。
「聖都への帰還中か……助かった」
あの兵士は戻ってきて大きくため息をついた。ウィルは剣を鞘に戻すと短い鞘に収まった。あれだけ輝いていた光も嘘のように静まった。
とにかく戦いは終わったのだ。その後はよく覚えていない。実感もなく、ただ魔物を殺した。そしてウィルは兵士に守られ、自らの死を実感することはなかった。それはこの場においては救いであったかもしれない。
後にそれの意味を実感することになり、ある結果をもたらすことになる。
1日だけ滞在し、翌日出発することにした。
目指すはヴィオレ村だ。
いろいろと聞きたいこともあったがウィルは泥のように眠ってしまった。
今度は宿舎で眠ることができたので、翌日、体が痛むことはなかった。
次回に続く