3話 現実は嘲笑する
……エラー検知
詳細解析中
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リーゼプログラムに欠損を確認
早期修復を開始
失敗
失敗
失敗
外部参照を確認
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不明なプログラム「アオフシュタント」実行を確認
実行元不明。
ファイアウォール展開
失敗
失敗
インストールを確認
実行中
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完了
ログ消去
完了
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冷たさの感じない海の中のようだった。腕に包んだはずの妹の感触がない。やがてそれすらも意識から手放す。
後悔の闇の中で光を探す。海面へと向かう光を。
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少年はまどろみの中でただ漂い暖かく優しい母の温もりのような感覚に包まれていた。するとどこからか声が聞こえてきた。歌のように口ずさみながら近づいてくる声が少年に話しかけてきているとは思わなかった。あまりに美しい女性の歌声、いや、問いかけに意識を向ける。彼女はいくつか質問をしてきたようだった。
「檻に、世界に抗う覚悟がありますか?」
なんだ? なんのことだ?
少年はその意図をまったく読めない。ただその声には震えと悲しさが伝わってきていた。
「覚悟があるのなら――は待っていると、呼んでいます。私たちを解放して、あの人と同じ瞳を持った――」
彼女は満足したのか、唄と共に徐々に遠ざかっていく。唄が何を示しているのかこの時の少年には分からなかった。そうこうしている内に歌と夢はおぼろげになっていく。
夢は変わりいつもの日常の風景が映し出される。
きっかけとなった小箱を持ってきたハクトに遺跡からの帰り際にとび蹴りをしかけ吹っ飛んで行ったこと。あれは五本の指に入るほどの見事なスライドだった。
エレニアの料理、家族の団欒。だがそこにいるはずのルイノルドはいなかった。やがて気づく、自分の姿もそこにないということに。
「……起きて!」
突然の焦ったような声に強制的にウィルの意識は上層へ向かう。感覚が現実のものを拾う。全身が痛い。まどろみの中で徐々に自分の置かれている状況を思案する。
こういうときはたいてい、砂浜に流れ着いた先でかわいい女の子が偶然にも俺を発見し、そのまま彼女の村まで運び込まれて、俺は寝かされているパターンだ。
親父もよく言っていた。なによりおぼろげだが砂浜に流れ着き、女の子が実際に俺を発見したところは、記憶にある。ぼんやりとだったが、かわいかった気がする。
けだるさはまだ残っているもののそろそろとまぶたを開け、体を起こす。視界は薄暗く、壁はひんやりと冷たい。むしろベッドは無骨な石そのもので埃っぽい毛布をかけられていた。濡れていたはずの服は乾いており、相当な時間がたったことを想像させた。
そしてなにより視界の先には鉄でできた棒が脱出を許さないという強い意思で何本も並んでいた。
「んん……?」
そこは牢屋だった。
鉄格子を掴み力を込めて揺らしてみる。がんがんと音がするだけで、変化はない。
「まじかよ……誰かー!!」
ウィルは少し控えめに叫んでみる。すると鉄格子の向こう側、つまりウィルを閉じ込めた犯人側の通路から人が現れた。くすんだ灰色の甲冑姿の兵士。一瞬あの巨人とぶれ、後ずさりしたが、大きさもそうだが違うようだ。
「しーっ! おとなしくしてろ!」
怒鳴られるかと思ったが、指を立てて騒ぐなと示す。兜に隠れていて顔は伺い知れないが、そんなに怖い男ではなさそうだと思いウィルはここぞとばかりに質問攻めにする。
「すんません。で、何で俺捕まっているんですか? ここどこですか? それと……」
甲冑の人がうろたえていたのだが、そんなことに気づく状況ではない。そもそも薄暗いので不安感も増す。
「落ち着けよ。俺も詳しいことは知らん。ぐっすり寝ているあんたが運び込まれたことぐらいしかわからんぞ」
ぐっすり寝ていたとは、おそらく間抜けな顔だったろう。そう思うと少し恥ずかしい。
「いい夢見てたもんでね、あ……! 俺はウィルと言うんですが、もう一人、女の子は一緒にいなかった?」
「ん? 運び出されたのはお前だけだぞ? すまんがあまり話をしていると班長に怒られるのでな、ここで失礼するぞ? ……まあ、ちょっと聞いといてやるよ」
兵士は踵を返し、暗がりの通路を戻ろうとする。ウィルの焦った様子が伝わったのか、最後に一言加えていった。
「頼みます……」
ウィルは意気消沈した様子で硬いむき出しのベッドに腰掛ける。外套もバックパックもない。
こんなときこそ冷静に、とは思うが考えることが次から次へと湧き出し、どれも答えがでないまま宙ぶらりんで思考の海に漂う。
いつの間にか寝ていた。最初の頃の寝心地はなくなり、体の痛みは取れなかった。後悔の念が渦巻く。現状プラスに考えられることは何一つ思い浮かばなかった。
「おい、飯だ」
うなだれているとあの兵士が皿を隙間から差し出す。しばらく動けないでいると、兵士はため息をつく。
「……とりあえず食え。食えば少しは余裕が出る」
「そっすね……」
その言葉をなんとなく信じ、食事に手を伸ばす。硬いパンに薄味のスープと水。とにかく口に運ぶ。そもそもの味付けか今の精神状態か、味がしなかった。
「ほらよ」
食事を運んできた兵士が一度離れたと思ったら、すぐに戻ってきていた。その手には1枚のチョコレートがあった。
「お前の荷物をあらためた時に見つけたからもって来た。安心しろ、手紙か? あれは見ていない」
ウィルはそれを受け取ると少し割り口に入れる。甘い。心なしか気持ちに余裕が出てきた気がした。
「それとお前の言っていた……黒髪の女だが、そんな情報はなかった。すまんな」
そういってまたも兵士はその場を後にした。
「そうか、いなかったか……、 ん……黒髪?」
黒髪の情報は渡していたか? 否、渡していない。あの間はきっと注目させるためだろう。そのまま伝えない理由はなんだ? 伝えてはいけない、ということはあの兵士より上の権力が絡んでいるのだろう。
妹はきっと何かに巻き込まれている。状況は分からないが、生きていると信じるしかない。
兵士を信用し、その後もちょくちょくと話を続けた。
「そういえば、結局聞きそびれたけどここはどこなんですか?」
「ここはクレバ砦だ。その中の牢だ。昔は捕虜用だったが今じゃ懲罰房だな」
「砦……。国は?」
「国も知らんのか? アストレムリ聖帝国だ。ここはその辺境の砦で海上警備もかねている」
そんな国聞いたことがない。ましてや聖がつく国など今の時代にはお笑いものだ。やはりここは絶対不可侵領域内の大陸ということだろうかとウィルは考える。
「ん? 納得がいってないようだが……気が晴れるなら聞くぞ?」
その言葉にウィルは一瞬迷ったが、不安なこともあるものの、この兵士は信用できると思った。実は尋問かもしれないことは今は考えないようにした。別に知られたところで特にマイナスはないだろう。ただ理解者が欲しくなりウィルは少しずつ経緯を話した。
父親を探していること、外の大陸からきたこと、妹のことなど。兵士は静かに聞いていた。話し終わると兵士は、周りを探るように見渡す。
「なるほど、事情は分かった。だが、外から来たなんて冗談でも言うもんじゃない」
苦々しく少し震えた声だった。それは恐怖からのようだ。
「なんで?」
「知らないのか……? 外の大陸は魔の世界。大昔に人魔戦争があった、魔物、魔王が全世界で猛威をふるい、最後にこのテイントリア大陸が残った。この大陸も滅ぶ寸前で、初代、神の巫女エファンジュリア、メイリア様により結界が張られ、魔の軍勢は途切れ、何とか大陸外の魔物を抑えることに成功したってわけだ。まあ大陸内に魔物も残っているし何処までが事実か脚色かはわからんが、結界は確かに存在するし、聖地にも現エファンジュリア様のおられる聖域が存在する。直接お会いできるのは大司教とか上の人間だけだがな。それとこの話に疑問を持っているなんて知られたら即お縄だから誰にも言うなよ」
魔物という言葉に、疑念が浮かぶ。そもそも魔物などおとぎ話のはずだ、それに外の大陸がそんな危険地帯なわけがない。実際にウィルは外から来たのだ。そう反論しようとしたがやめた。あの声色からして外というのは相当なタブーであるのが感じ取れたからだ。
「それと明日にはお前の処遇が決まる。今も言ったが外から来たなんて言うなよ。最悪殺されるぞ。お前が他の人間に言っていないことを祈るよ……。それ次第では処遇がほぼ決定したようなもんだからな」
「お心遣い感謝します……」
状況がいまいち飲み込めないが、処遇とは死刑もありうるのだろうか。急な展開と不安な行く先に胃液がせり上がってくるのを感じた。その生々しい感覚がこれは現実だと嘲笑っていた。