197話 根源たる恐怖
セラとの旅路が脳裏に蘇って再生される。倒れゆく体に手を無意識の中で差しだしながら、その情景は有無を言わせず見せつけてくる。
なにを思い出している、俺は……!
初めてセラと会った時、お互いに一言もしゃべらず、ただその時は互いの目的を成すがための形式上の契約関係だった。セラはあのエファンジュリア、ニーアを見るたび、話を聞くたび、取り乱していた。ナルガはただそれを鬱陶しく思っていた。それでいていざ相対せば自尊心からか、努めて冷静で高飛車だったことを覚えていた。ナルガはそれを意に関することはなかった。
「似たもの同士ね」
ウィルと初めて戦い、一太刀を入れられ撤退した後、セラは笑った。
「なんの話だ」
察しはついていたが、条件反射のように反応した。
「あなたと私。本当は泣き叫びたいくせに、いざその時がくれば必死に仮面を守る。そういうところよ」
「……」
ナルガは無言で答えることはしなかった。口に出せば認めてしまうことになる。いや、既に認めていた。それから少しづつ、セラを自分に重ねるようになり、いつしか仲間意識が芽生えていた。互いに口にこそ出さなかったものの、自然と互いにフォローする場面が増えていた。
ユグドラウスの異空間での戦い。ウィルという存在を消し去り、表に出たフォルテから力を奪う。あのルイノルドという存在さえいなければ目的は達成されるはずだった。
「なぜ邪魔をした」
拠点となっていたエヴィヒカイトの一室で、セラを睨みつけた。傷はここの治療術士によって既に完治していたが、痛みの記憶は忌々しく残っていた。
「なぜって、当たり前でしょ、仲間でしょ、私たち」
ナルガはその言葉に目を見開いた。仲間、という言葉は痛みを和らげることさえ可能なようだった。
「……そうか」
今度は肯定したつもりだった。言葉としてはどうともとれるが、セラは優しく笑った。
「あなたを死なせるわけにいかないわ。それが勝利という結果だとしても、喜びを分かち合う人がいないと虚しいわ。ナル」
ナルガは初めて自分を自分として認識した気がした。
「ーーセラ!!」
ようやくセラを抱えた腕はなんの抵抗もなくのしかかった。重いはずの体は徐々に軽くなっていく気さえした。
「馬鹿かお前は! 死ぬな! 生きろ!」
必死な叫びに自分自身でも驚いていた。こんなに取り乱す自分がひどく情けなかった。呼びかけに反応するかのようにセラはうっすらと瞼をあげる。
「あなたのそんな顔、初めて見たわ」
セラはどこか満足げで、微笑んでいた。血だまりが二人の静謐な場所を隔絶する。
「ふざけるな! そんな満たされた顔をするな! まだ終わってない、なにも勝ち取っていない。お前が言ったんだろ。分かち合う人が必要だって! なのにお前が死ぬな! 俺たちは……仲間なんだろうが!!」
「……ようやく聞けた。……そう、仲間よ。誰でもない……私の仲間はナルガだけ。私と共に生きたあなた。偽物なんかじゃない。私にとってあなたは……ただのナルガ。自尊心だけやたら大きくて……本当は泣き虫で、似た者同士で……大好きなナル。ふふ……ナルの涙……あったかい…な」
ふっとセラの体が重く、そして空虚に感じた。腕は力なく床に垂れ血と同化した。セラの頬に当たるそれが涙であるとナルガはようやく気づいた。大粒の涙が自らの両目の産物だと。
「セ……ラ……俺は……」
オルキスがセラの元へとたどり着く。セラの様相を見た瞬間にオルキスは悟った。既に取り返すべき存在がいないことに。
「もういいんだ、ありがとう、セラ」
ナルガオルキスからエリクサーを受け取り回復する。両目を伝った跡はそのままに、もう涙は出ていなかった。
「……ウィル、さっきはなんでナルガを守れって」
レインシエルは武器を構えなおし、呆然としたままのウィルに問いかける。自分が呼びかけられたことにはっとしたウィルは困惑げな顔だった。
「ん、いや、なんでだ。俺が言ったんだよな、そう……だよな。俺が俺の言葉で……ぐあっ……!」
唐突にウィルの頭に痛みが貫いた。攻撃された痛みではなく、遅れてきた後遺症のようだった。
「ウィ、ウィル?」
心配になりレインシエルは聞いたことを後悔した。今のウィルに不安を覚えたからだ。
「いや、大丈夫……ごめん」
ウィルは体勢を直しナルガの元へ駆けた。
「ウィル……悪いがお前との決着は延期だ」
既にナルガの目はウィルを見ていなかった。見据えていたのは巨木で、敵意をむき出しにしていた。
「分かってる。ひとまず共闘といこう」
ウィルは巨木に向かって右手の剣を突きつける。ナルガは左手の剣を同じく突きつける。
「ああ、これが俺の選択だ」
ウィルとナルガは同時に駆け出した。
視界が巨木に近づいていく。二人は警戒していた。この間に一切攻撃がなかったことが不思議だったからだ。まさかセラとの時間を見守っていたわけではないことは分かっていたし、ナルガにはそうであったとしてらより許せなく思っていた。
「セラ……」
思わず口にでる名前を噛みしめ、復讐心を込めた一撃を放つ。巨木はそれを素直に受け入れ幹が大きく切り裂かれる。溢れ出した樹液は真っ黒で死んだ血液のようだった。
「千切れろ!」
ウィルが続けて同じ部分にもう一太刀加える。妙な手応えだった。あまりにも軽く、まるで枯れ木のようにひどくもろい手ごたえだった。
「まさか……」
ウィルは察した。ナルガもウィルを見て頷き、共に巨木から距離を取った。巨木が見る見るうちに枯れていく。緑に満ちていた葉は紅くそまり茶色へと変色し一気に空へ散っていった。同時に二つの実が地面に落ちる。瞬時に攻撃継続を判断する。あるいは危機に対する本能が所以の行動だった。互いに二つの実を切り裂こうと剣を振るった。
「ーーくそ!」
剣は受け止められていた。また抜き出てきた赤子のような手が剣を手のひらでて止めていた。何かの障壁を展開しているようで刃は本体にも届いていなかった。突如、障壁から衝撃が走る。ウィルとナルガは耐えきれず宙に弾かれるが、なんなく着地する。
「ナルガ、お前ですら届かなかったのか」
「ああ……忌々しい」
そして耳を疑った。両方の実から鳴き声が聞こえた。赤子の泣き声、いや笑っているようにすら感じるほど無邪気なものだった。
「なん……だ、この不快さは……!」
「うご……けねえ……!」
足が震え始める。何かの物理的な攻撃からではなく、もっと根本的な何かが内から漏れ出すようだった。
自身の感情とは裏腹に足がすくむ。
「怖いのか……あれが」
ウィルは本能からくる恐怖だと悟った。
「ウィル兄が!」
ニーアは膝をついている二人に駆け寄ろうとする。ニーアがセラの側から立ち上がるよりも先にダーナスが駆けようとする。
「やめたほうがいいよ。君たちじゃもたない」
「アリスニア……! あなたはなにを知っている!」
唐突に呼び止められたダーナスは怒りを込めて振り向いた。その言葉の厳しさにもアリスニアは意に関した様子はない。どこか諦めているような雰囲気さえ漂うほどだ。
「この先のことは知らない。けど一つのファクターが消失した時点でハッピーエンドには恐らく届かない。触れ幅はいままでの最高値だから、パラダイムシフトへの布石にはなるかもしれないけど」
「あんた……!」
今度はニーアが動いた。アリスニアにつかみかかる。震える手足はこの距離でも伝わる恐怖の波だった。それを奮い立たせて怒りへと変遷させる。知った顔で諦めた顔をするアリスニアが許せなかったからだ。
「勝手に先に行かないで! 答えなさいよ! あんたはなにを知ってるの! 味方だって言ったじゃない!」
アリスニアはその言葉が届いているのか不明なほど、表情に変化はなかった。擦り切れた感情のように、またか、と言わんばかりにため息をつく。
「味方だよ。ただ私は、私たちは今じゃない。明日を求めているの。そしてこの今の明日はほとんど失われた。叫びたいのはわたしのほうだよ。一番の期待だった。だけど彼女がファクターだと気づかなかった。彼ですらも」
「何を……」
性格が変わったようにしか思えなかった。味方、という言葉は少なくとも一般的なことを指しているわけではなさそうだった。そのこ言葉を咀嚼しようとするニーアだったが、ウィル達の位置で衝撃音が響き渡る。アリスニアの言葉遊びに付き合っている暇などなかった。