196話 散る風
蒼と紅、永遠に続くのではないかと錯覚するほどに戦いは続いていた。自らの背後に広がる光と闇に気を移すことはない。ただ目の前の宿敵であり、徐々に芽生えつつある奇妙な絆を持つ、相手との戦いに打ち込んでいた。互いに打ち込めば打ち込むほどにまるで鏡のように同じ動きを重ねるようになる。こうなっては決着などつきそうになかった。お互いがなんの示し合わせもなく初めて距離をとった。
「……正直、きりがねえよな」
息を整えながらウィルはどこか嬉しそうに言った。動きを止めた途端に全身から汗が噴き出す。
「癪だが、まったく同感だ」
まったく同じようにナルガの口調もどこか弾んでいた。汗を拭う。その隙を狙われることはないと妙な信頼があり、ゆっくりとした動きになっていた。
「いい加減終わらそう。後は運だ」
「いいだろう。単純で分かりやすい」
互いに頷き、剣を正中に構える。蒼と紅の6対の剣が片翼のごとく開く。
「色々聞きたいこともあった。でもお前とやりやって分かったよ。それを聞いたら剣が鈍りそうだ」
「ああ……俺たちは敵だ。お互いの道がぶつかるなら制するしかない」
「……」
ウィルには奇妙な感覚が湧き始めていた。既視感に近いだろうか、さらに言えばこの場面を重く感じていた。この先の運命を決定づけるような、それも根拠のない確信だ。それをようやく決着がつくから、それを根拠にして、思考を単純化し余計な考えを削除する。目の前の剣士と決着をつける。ただそれだけに意識を固定した。
そして、呼吸を一つ、二つ、大きく空気を吸い込み、踏み出した。これもまったく同じタイミングでナルガも踏み込んでいた。それに感慨などない。瞬時に零距離に肉薄し、剣翼と共に一閃する。交差し位置が入れ替わる。互いに振り抜ききった剣をそのままに幾ばくかの静止。
「後悔はない」
「ああ……」
ナルガの剣翼が砕け散る。そして、思い出したかのようにナルガはひざを突いて崩れ落ちた。
それを見守っていたレインシエル達は歓喜ではなく安堵していた。彼女達には歓喜することが相応しくないと不思議と思っていたからだ。どちらが勝つかではなく、残るか、ただそれだけのように感じていた。
「ああ、楽しかったな……」
ウィルの表情に喜びはない、それどころか苦痛に歪み膝を突いた。ウィルの剣翼も砕け散る。思い出したかのように血が溢れ出る。血は口からも溢れ出てウィルの意識は暗闇へと落ちていく。暗闇の中で振り返る、同じようにナルガもこちらを見つめて、互いに血を流して倒れた。
「ウィ、ウィル!!」
レインシエル達は駆け出す、結界のような繭は既に役目を終えたように綻んでいた。
「始まる……!」
アリスニアはその場に止まったまま、この先の行く末を見つめる。交差した光と闇が重なり合う。ニーアとセラの唄は未だ止まず、倒れた互いの剣士を涙を流しながら見つめるだけだった。もちろんそれは彼女たちの意志ではない。今すぐにでも駆け寄りたかった。だが、強制的に紡がれる唄に抗うことはできず、それが終わるのをひたすら待つしかなかった。光と闇が収束していく。輝きは影を産み、影は輝きを強める。それはあの枯れた樹を中心にして、血脈のように鼓動を打ちながら取り込んでいく。
「ウィル、ウィル!!」
異常な状況は一旦無視してレインシエルはウィルにたどり着く。彼の意識はもうなく力なくうなだれていた。
「オルキス、エリクサーを!」
「は、はい!」
オルキスは急いでエリクサーの瓶を取り出す。ミディエラーのヨネアほどではないが、錬成士の経験を生かして術式を展開してウィルの体へ直接取り込む。
「……うっ」
幸いにもウィルは意識を取り戻した。
「良かった……! 聞こえる!?」
「……レイ? 聞こえてる……っ! ナルガは!?」
ウィルは激痛を抑え込みながら身をよじる。
「わたしじゃ足りない……」
オルキスはさらにもう一つエリクサーを取り出し充填する。
「ナルガは倒れたよ! 動かないで!」
無理をするものだからエリクサーで治癒しかけた箇所が再び血を流し始める。
「オルキス……! 俺はもういい! あいつを治してくれ!」
「え? でも……!」
「なに言ってんの! あいつは敵でしょ! それにまだあんたが治ってないのに!」
レインシエルが必死になって懇願する。明らかに治りが遅いのだ。それはオルキスのせいではなく別の原因があるように思えた。
「違うんだ! とにかくあいつを、守ってくれ!!」
ウィルの眼に同情や哀れみなどなかった。曇りのない蒼の瞳には強い使命感が宿っていた。まるで別人のような印象すらあった。オルキスは有無を言わせない眼に圧され走りだそうとした。
その時、唄が止んだ。最後の小節を結びきった瞬間だった。ニーアは膝を折る。立ち上がろうとするも力が入らず息苦しそうにせき込む。
「なんだ、あれは……」
ダーナスは上を向いたままだった。その瞳に映っているのは新緑の葉を湛えた巨木、さらに蕾から花が咲き、一つの巨大な実が成っていた。その木だけが季節の流れを早めたかのように成長していた。
オルキスは駆けだしていた。ウィルの言うことの理由はわからないまでも、彼のことは信頼していたからだ。ナルガを助けるためにひた走る。
「ーー止まって!!」
アリスニアが何かに気づき叫んだ。別方向から押しやられた風がオルキスの頬に当たる。その方向を見て気づく、あの実から生じた一筋の光線が視界を切り裂くようにして床を一直線に這いながらオルキスに迫る。
「ひっ」
既にオルキスは射線上にいた。しかし、ダーナスが実に注目していたことが幸いした。いち早く察知した彼女がオルキスを抱え射線上から飛び退かせる。それでもダーナスの肩に光が触れる。冷たいような熱いような感覚が倒れ込んだ体に遅れて激痛へと認識させた。
「くっ、あぁ……!」
遅れてくる痛みに覚悟してのたうち回りたい気持ちをなんとか抑え込む。常人なら意識を失う桁違いの激痛だった。
「ーーナルガ! 起きろ!」
ウィルは可能な限り叫んだ。実には亀裂が生じ、そこから手が突き出る。その手に再び光が収束していく。明らかな攻撃行動だった。
「騒ぐな……ウィル」
ナルガは目を覚ました。剣を支えにするが立ち上がることは叶わず緩慢な動作で、自らに光が向けられていることを認識する。
「逃げろ!」
ウィルが必死の形相で自らも立ち上がろうとする。レインシエルはウィルの意志を尊重して肩を貸そうする。しかし、実はさらに亀裂を生んでいた。そこからはもう一つの手が突き出し、闇を収束させていた。
闇はウィルを捉えていた。牽制するかのように闇の弾丸がウィルの足下を抉る。いや、当てるつもりだったようで実の右手は感覚を確かめるように握っては開いたりを重ねていた。そして再び、闇を射出する。今度は直撃コースだった。闇がウィル達の目の前に迫る。直撃の寸前で光の膜が闇を阻んだ。いつの間にか前に躍り出たアリスニアによる光の防壁だった。消え去った闇だったが、不服そうにして更に実の右手が闇を射出する。今度は連弾だった。それらも防壁が受け止めるが、重なるようにして闇が衝突し消え去りそうにない。
「組成を次々と変えてる……やっぱり原初の力には追いつかないか……我慢比べだね」
アリスニアは右手で印を描き、次々に防壁に取り込む。盛り返したかのように思えたが、次に重なった闇が再び押し返す。それの繰り返しで、徐々に防壁が歪み始めていた。その間にようやく立ち上がったウィルが踏み出そうとした時だった。実の左手が光を放った。今度は床を這わず、一直線に標的を定めていた。
「ナルーー」
ウィルの側を影がよぎり、その後に熱い突風、肌に走る電流のような感覚が流れる。ナルガの前で静止したその影は、ナルガを風で包み強引にその射線上からぎりぎりのところまで退けさせた。
「ありがとう、シルフィ、ライデン、イフリーテ、おかげで間に合ったわ」
「セラ……?」
風と炎が光線とぶつかる。一瞬、歪んだ光だったが、すぐに障壁は霧散し貫いた。セラの胸から、背中へとただ通り過ぎていった。郷愁の如く、悲しく暖かな風が名残惜しそうに緩やかに凪いだ。肌に刺すちくりとした痛みがそれが現実であると鳴いた。