188話 変遷の蒼
ルイノルドの仮面に亀裂のように血管のように蒼が灯る。仮面であり装置であるそれに彼自身、何度目かの感心だ。
胸が痛い、骨も何本かいっただろうか。それでもこの痛みが、俺を奮い立たせる。諦めるのは死ぬ時だ。そうだろ?
「limcode forte」
呟き唱えたそれは他の誰にも意味はわからなかった。ただニーアが使う唄に似ていた、それがルイノルドの口から出るとは思えなかった。だからこそ、それが何を意味するかなど考えることも、そんな時間もなかった。その言葉の次には既に始まっていたのだから。
「……! アスハ!!」
いち早く気づいたのは見通せる位置にいたカミュエルだった。アスハの耳に届き、警告と受け取ると同時に
アスハの刀、鮮花血刀を滑らせる。容赦はない。ジェイルの首筋の血管を鮮やかに切り裂き、血を刀に吸わせる。熱い血が、命を持った赤がアスハの頬に飛び散る。とりあえずジェイルは殺した。それを視認するために視線を動かすと同時に飛びのこうと足に力を込めた。
「あ……ら?」
思わず足を止めた。ついてくるはずの右手が、刀がまだそこにあった。そして何故か地に落ちようとしていた。刀が血だまりに落ちる。跳ね返る音と共に自らの右手を顧みる。そこにあるはずの右手には行き場をなくした赤があふれ出していた。その先にあるのは蒼く輝く短剣が赤の先に垣間見え消える、右手をこの短剣に落とされたと判断することは容易く、あっけなさ故にアスハの行動は早く、とっさに右手ごと左手で掴みすぐに飛びのいた。
「アスハ! この――ッ!?」
カミュエルが一瞬、その情景に思考が停止した後、それを仕掛けた犯人に一撃を加えようと展開済みの魔法術式を稼働させる。
「もう、見たよそれ」
既に元の場所から消えていたルイノルドはカミュエルの目の前に肉薄していた。それでも術式の発動が一手早く顔面を打ち抜こうとするが、看破されていたのか首を逸らしただけでルイノルドの耳元を無常にも過ぎていった。
「ひっ!?」
カミュエルの体を恐怖が支配する。堅くなった体は無意識に杖を前に出し、防衛本能を働かせ突き出す剣の切っ先に奇跡的にも衝突する。だがその勢いを止めることは細身の体では無謀すぎ、押され曲がり切った腕に持った杖ごと胸へと激突し、ルイノルドの腕は限界まで伸び切った後、カミュエルは人形のように宙を吹っ飛び玉座を背負うようにもろとも壁に激突した。
「~~!!」
声すら漏れず出きった肺の空気が激突によってさらに絞り出される。むしろ即死したほうが楽だとカミュエルは思った。杖は思い出したかのように真ん中から砕け散り、役目を終えた。それの感慨にふけることも叶わずただこちらを見つめる蒼い瞳に美しささえ覚え、目を閉じた。
「こんな、あっさりと突破されるとむしろ諦めが悪くなっちゃうものね」
アスハは主を失った右手を脇に挟み、左手で刀をむしり取る。右腕から噴出した血は勢いこそ弱まったものの量は変わらず床に流れ落ちていく。かろうじて残された時間を左手のみで戦うことを余儀なくされ刀を向ける。皆、勝敗が決したことを確信した。ティアとメレネイアは既にジェイルを保護し回復薬を惜しみなく与え始めていた。ルイノルドはティアから回復薬を一つ受け取るとアスハに放り投げる。目の前に転がる回復薬の瓶を一瞥し不思議そうにルイノルドに視線を戻す。
「使え」
「なんのつもりかしら。お情け?」
立っているのが自分でも不思議なくらいだったが、それ以上に情けをかけられることが異常で堪らなかった。
「情け? そんなのはどうでもいい。ただお前らを殺すとあいつが止まらなかったんだよ。だから今しばらく生きろ。その後、生き続けるなり死ぬなりしろ。ほらどうすんだ」
ルイノルドは鞘を拾い、アスハに近づき鞘を差し出した。剣を下した今のルイノルドなら刺し違えるのも可能だった。アスハは刀を振り上げる。
「あなた、馬鹿すぎるわ。この状況で刀を納めるなんて、ほんと馬鹿ね……」
「ルイ!」
アルフレドが銃を構える。だがルイノルドが動くことはなかった。引き金を引くこともマナが充填されることもなく、刀はそのままルイノルドの持った鞘に納められた。
「つまり私も馬鹿ってわけね。あの子は生きてるのね?」
あの子とはつまりカミュエルのことだ。ルイノルドは鞘を渡し、顎で促すと、壇上にはよろよろとカミュエルが短くなった杖を持って寄ってきていた。彼女の足元には空になった瓶が転がっていた。アスハの元に寄ると回復薬を手に取り、右手に開けると杖の嘴が輝き術式が展開される。
「じっとしてください。まだ再建術式でつなぐことはできるはずなのです……」
光る右腕に離れた右手を合わせる。術式がアスハの腕を多いまばゆい緑光の後、右手は元の位置につながった。
「どうです?」
心配そうに瞳を潤ませながらカミュエルはアスハの様子を伺う。アスハは力を込めると、かろうじて右手を握ることができた。
「握力を戻したいならヨネアにでも頼むことだ。腕は保証する」
ルイノルドはメレネイアに支えられながら立ち上がるジェイルに無言の許可を求めた。
「……好きにしろよ」
傷は塞がったもののジェイルには気力が失われていた。どこかふてくされたようにも感じられる。
「考えておくわ……それにあなたの口ぶりからするにやるべきことがあるみたいだしね。それがグレイ様を指すなら、ね」
「ルイ、どういうことか話してくれますよね。先ほどの発言はまるで――」
「そんな時間はありませんよ!」
アルフレドを遮って新たな声が響いた。皆、崩れた壁を見ると、声の張本人、ケインが息を切らしながら焦った表情で訴えていた。