186話 矜持
王の間まですぐそこだった。既にここまで入り込んでいたことに混乱した兵士はあっけなくルイノルド達に倒される。そして扉を乱暴に開け放つ。
「グレイ!」
ルイノルドが壇上の玉座を仰ぎ見る。そこには余裕げなグレイが座っており傍らにはサーヴェが控えていた。追い詰められた状況のはずだったが、二人にはまだ見下ろす余裕が見えた。
「これはこれは珍客共よ、よくぞ参ったな。ふむ、どうやら本隊とは別のようだな」
ルイノルド達の背後にはリーベメタリカの兵士などの主力部隊の姿は見えないが故の言葉だった。
「だから、どうした。お前に待ち受ける結果に変わりはない」
ルイノルドは剣を構え直す。メレネイア、ティアも続く。
「残念だが、そうはいかねえぞ!」
その叫びが聞こえた瞬間、壁が爆発した。舞い上がる粉塵に咳き込みながら登場するのはなんとも拍子抜けな演出だった。
「だから離れたほうがいいと……」
「おいおい、こんなんで死なれたら勝っても最悪の汚点じゃね?」
と口々に煙の中から愚痴が聞こえる。やがて晴れると一人の男が腕を組み仁王立ちしていた。目は煙にやられたのか真っ赤で、イストエイジア国王ジェイル・エイジアが登場した。
「王と決着をつけるのはそれもまた王だって言うだろ?」
先ほどの発言の真意を自信げに誇る。
「聞いたことないです……あったとしてもそういうことじゃないような」
ティアが煙を手で払いながらジェイルを迎えた。ジェイルの肩がびくりと震える。
「まあ、そんなこんなでだ、お前はもう追い詰められた、余計な被害は出したくない。さっさと降伏しろ。軍の解体はまずしてもらうが、主権自体は残すつもりだ」
ジェイルはグレイを見据えて明瞭な口調で伝える。それに対し、グレイは嘲笑で返す。
「傀儡としての国になんの意味がある? そして、この期に及んで馬鹿を言うのも滑稽なものだ。ある意味で尊敬すら覚えるよ。イストエイジア国王ジェイルよ。私を父王に及ばぬ脆弱者と侮るか」
ジェイルの嘲笑は次第に怒りへと声色を変えジェイルを刺すように睨みつける。忌々しいといった表情には嘘や取り繕いなどではなく感じられた。
「はあ? んなこた思ってねえよ。だいたいその父王を殺したのはてめえだろうが。情報はつかんでんだよ、うちの奴に濡れ衣着せやがって、こちとら私情もあんだよ」
「いや、私情と堂々と言うのもいかがかと……」
ティアがぼそりというと、今度は徹底して無視を決め込んだようだ。もしくは本当に聞こえてなかったのかもしれない。
「ふん、一つ言っておこう、その余裕は勝利という結果をもたらしてから言うんだな!」
グレイの表情はまったく変わらなかった。だからこその言葉なのだろう。それをなにかの合図と受け取ったアルフレドは瞬時に前へと躍り出て、銃を引き抜き、躊躇なく引き金を引いた。装填された魔石が輝き、抽出された力が、閃光が放たれる。射出され銃弾と化したマナの塊が、サーヴェが動く前にグレイの胸を穿った。その体が一瞬、ノイズのように波打った後、アルフレドは自らの失態に気づいた。皆が皆、グレイとサーヴェに視線を集中させている。ここには二人しかいないからだ。追い詰めたという慢心が何を引き起こすのか、それはたいてい背後から崩されるものだと、長く短い時間の中で、訪れたのは守るべき国王ジェイルの腹を突き抜ける、熱した鉄を押し付けたような熱さだった。
「っ……!」
それが深々と突き抜けた軽く沿った細身の刀身だと身をもって知る。容赦なく突き抜けたそれは、さらになんの障害もなく抜き取られた。
「ジェイルっ!?」
異常事態に気づいたのはジェイル本人と、それにほぼ同時にアルフレドも他も気づく、音もなく近づいた刺客はその刹那の間に背後の兵士を屠り終えていた。
「うぅーん、刀の入りが滑らかねえ」
血に染まった刀の背を自らの頬に添わせるの女、鎧も何もない肌が露出した、とても戦闘には不向きな衣装を身にまとっているが、刀身から滴る血糊とは裏腹にまったく汚れていなかった。
皆が視線をその女に動かす中、ただ一人、ルイノルドは剣を腰に溜め、玉座へと駆けていた。刀身に蒼が纏い、尾のように軌跡を残す。一閃を前にグレイは意外だったのか少しだけ目を見開いた。首を飛ばす勢いで振りぬかれた剣に届いた手ごたえは肉のそれではなく、何かに弾かれる衝撃と、自らの腹に生じた逆方向の衝撃、攻撃を受けた際に硬化する衣装の特別繊維が引きちぎられ、さらに受け止められない衝撃は嫌に重い音をもって骨を砕き、体もろとも元の階下へとはじけ飛んだ。蒼の軌跡は失せ、口から圧力に耐え切れなかった血の赤が舞う。
「がはっ……!」
ルイノルドの意識は痛みに持っていかれるのを気力で踏みとどまり剣を突き立て立ち上がろうとするが、支えとなった剣から上に体が行くことはなく膝も曲がったままで限界だった。
「ふむ、持ち場を離れるのは命令違反だが、この場合は良しとしよう。そもそも別にいらんのだが。アスハ、カミュエル、いいタイミングだ」
「いいえー、血の匂いのするところにこのアスハありだからねぇ。もっとも血の匂いは後の話だけど」
アスハはジェイルの血に染まった刀の切っ先を周囲の人間に向ける。血は滴りを辞め、まるで留まるかのように刀にまとわりついていた。
「安心して、血糊で染まろうがこの刀鮮花血刀の切れ味は変わらない、いえ、むしろより鋭利になるわ、美しく花を咲かせるためにねぇ」
口元についた血を舌でなめとる。血がなければ単にそういう人間に思えるが、血染めの刀を持ったアスハの瞳からは面妖な狂気を放っていた。
「これだからアスハっちは手が付けられないのです。カミュがいないと暴走しちゃうからです」
今度はグレイの前の空間にノイズが走った。姿を現したのは鳥の嘴のようなデザインを頭にした杖を持つ小柄な少女だった。胸にはダイヤルがついておりそれによる不可視の効果だとすぐに分かった。カミュエルもアスハも同じく不可視をもって絶好の機会を伺っていたのだ。そしてルイノルドを捉えた攻撃をしたであろう、黒く輝き染まる杖の嘴は、既に収束していた。
「うー、まだ魔砲、いえ、魔法術式の収束は完璧ではなかったのです。それにマナが込められた魔装繊維とは予想外でした。ただ、解析はもう完了したので次は紙切れ同然なのですよ」
鼻を得意げにならす少女の髪がふわりと持ち上がり隠れていたオッドアイの瞳が覗く。その瞳もまた少女のものとは思えないほど冷めていた。
「さて、形勢逆転だな。ついでと言ってはなんだが、私は既にここにいない。無駄なあがきだったな」
種明かしをするようにグレイとサーヴェに一際大きくノイズが走る。立ち上がり退いた玉座には確かに、アルフレドの放った銃弾が開けた風穴が焦げていた。
「ホログラム装置……!」
アルフレドが唇を噛む。全ては罠だったのだ。逃げ道をなくしても尚、攻勢をかけてくるとグレイは読んでいたのだ。そして主目的は初めからそこにおらず、全てが水泡と化すのを身をもって感じた。
「待てよ……」
両膝をついていたジェイルが頭を上げてグレイを睨む。
「てめえ、なめてんじゃねえぞ、王なら玉座に構えてろよ、初めから逃げてんじゃねえよ」
「馬鹿かお前は? 負け惜しみも見苦しいな。玉座に座することが王ではない、どこにいようが君臨するのが王であり、聖帝なのだ。王の責務を忘れ自ら死地に飛び込むことが貴様の王たる矜持ならば、勘違いも甚だしい。憐みさえ覚える。貴様の幻想に死んでいった国民がな」
「てめえ……」
ジェイルはそれ以上、反論できずにいた。結果が物語っていたのだ。王が自ら動く、そうすれば民はついてくる。今まではそれでなんとかなっていた。そう、ただなんとかなっていただけなのだ。
「教えてやろう。民は私のために存在し、私は民のために存在する。だからこそ私は父を弑逆し、君臨した。例え国がなくなろうと私がいれば、また国を作ればいい、貴様との違いは覚悟なのだよ」
ジェイルは勘違いをしていた。グレイはただの独裁者だと。彼の言葉を素直に受け取れば、この城を狙わせたのも、民がいたずらに死ぬのを避けるためではないのか、それはジェイル自身にも共通していたのだ。だからこそ城へと急襲する電撃作戦を採用した。無用に民を殺さないために。
「あら、格好いいこと。少し反省しちゃうわ」
アスハは聞いていて少し不服そうに口を尖らせた。
「大いに反省してくださいです」
静かに聞いていたカミュエルはしきりにうなずいた。
「――それは本心ですかい? 陛下」
静まり返った戦場が力強いがらの悪い声によって切り裂かれる。