184話 暗殺者ジルス
リーベメタリカ側にとって不利な状況だった。それは作戦開始からそう決まっていたのだ。魔素変換炉にて障壁解除工作の任に当たっていたケインは自らの情報収集が足りなかったことを悔やんだ。悔やみと共に流れる血を他人事のように眺め始めていた彼は、なんとか当事者へと頭を振り戻し、壁を支えにしてなんとか立ち上がる。
「まだ残っていたか。そのまま寝て入れば、多少は過去を後悔する時間があったものを」
魔素変換炉のコンソールモニターを眺めていた灰装束に身を包んだ仮面の男が振り向く。
「あいにく、後悔する過去なんてないもんでね」
ケインは口にたまった血を床に吐き出した。
「そうか。ならば今がその時だ」
灰装束の男は漆黒の大鎌を出現させる。そして右胸についたダイヤルを形どったバッジをつかみ、回す。その瞬間、男の姿が掻き消えた。
「やっぱりこいつ報告にあった……」
ケインは満足に動けないのもあったが壁を背にしたままで短剣を両手に構える。瞬時に大鎌が出現し首元ぎりぎりで鎌の切っ先を受け止め、もう片方の短剣で切り付ける。手ごたえはあったものの仮面だけに当たりそのまま仮面は床に転がり落ちた。
「ほう、狙ったわけではないが、壁を背にするのは良い判断である」
衝撃で発生した風が男のフードを払う。蒼白とも思える色白の肌、目の輝きは光を失ったかのように濁りケインの顔を無表情で眺める。
「お前クロム遺跡のやつだな。だがお前はその後に殺されたはずでは?」
ケインは報告で聞いていたクロム遺跡での暗殺者を思い出していた。ドルという者を屠った不可視の暗殺者ファーリを。そしてユグドラウスの空間でラプタによって仇討されたこともも聞き及んでいた。
「ご名答、と言いたいところだがあれは我の複製品、いや劣等品のコピーに過ぎない。戦闘のデータは入っているが、故に見てみろ、貴様らがどうにか抗って倒した奴らを」
ケインは力を込め、ファーリを引き離し、視線を息絶え仮面が外れた暗殺者たちに動かした。そしてその顔を交互にみやる。
「全部あんたのコピーってことかい、つまりオリジナルはあんたってことか」
「そう。お前たちの立ち回りはリアルタイムで我に送信されている。つまり既に攻略済みなのだ。ファーリとはコピーの名、我はジルス・ファルラである」
暗殺者にも関わらず会話を続けるジルスにケインは努めて冷静にかつ最大限に脳を回転させ状況の把握と打開を資産する。
「暗殺者だってのに余計なおしゃべりは失格では? それともおしゃべりしないといけない理由でもあるのか? 攻略済みならさっさと殺して見せろよ、半端者」
ケインが息を整えながら疲労で折れそうになる膝をこらえ、嘲笑する。本人にもそんな風に笑えているかは定かではなかった。ジルスは一方で歪んだ笑みの後、耐えられなかったのか、大口を開けて笑った。
「そんな挑発には乗らんぞ、愉快だな。先ほどの一撃で貴様の体重移動に妙な重みがあるな。察するに爆弾で自爆、いや心中というところか」
今度はケインが笑ったつられたのもあったが、距離をとるジルスにそれが回避のぎりぎりであると判断した。
「わかっているなら、計算もなにもないね。一緒に地獄行きは勘弁だがっ!」
言い終わるやいなや、かろうじて快復した足を踏み出し床を蹴った。突如沈んだケインはジルスの目からは一瞬消えたように見えた。
「焦るとは貴様こそ影として失格なり」
ジルスは素早くダイヤルを回す。ケインの捨身の一撃は掻き消えたジルスの体を捉えることなく空を切る。ケインは想定していた。体には爆弾がある、ならば首を一気に刈り、起動すらできないように背後からくるだろうと踏んでいた。そして背後に感じる風が予想が的中したことを確信させた。
「思い込みは危険だってな!!」
瞬間、爆発が起こる。それはケインではなくケインがもたれていた壁からだった。爆風が背後から押し寄せジルスの大鎌の位置は首からずれる。
「がっ……!」
くぐもった声がジルスから吐血と共に漏れ出る。ジルスの体をケインは背中で押さえつけるように耐える。ジルスをそのまま盾にして爆風から身を守るつもりだったが、足に限界が来て数瞬の間に一緒にモニターコンソールへと吹き飛んだ。
瓦礫、破片が舞い落ちる音が相対して静けさを感じさせ、黒煙が開いた穴に抜け出ていく。
「誰が……、てめえと心中なんかするってんだよ」
ジルスがケインに覆いかぶさるように共に倒れていたが、脱力したジルスをやっとのことで退ける。横になったジルスをケインは見下ろす。
「先に壁に仕掛けておいたのか……」
「あんたのタフさには脱帽さね」
ジルスにはまだ息はあったものの、背中には爆弾に仕込んでいた金属片がいくつも突き刺さっており流れる血に彼の絶命がすぐそこであることは予想できた。ただ、ケインはすぐに短剣を拾い直し、とどめを刺しにかかる。
「見事だ……焦りはわが方にあったようだな」
ジルスの目に人らしい輝きが見て取れ、思わず首に添えた短剣の腹を引くのを止める。
「俺もあまちゃんだなあ。言いたいことあればどうぞと」
「ふっ、夢から覚めた気分だ……操られていたのは我、ということか」
「操られていた? どういう意味だ?」
「王は民のために……オルリこそ歪みの……」
ジルスはそのままケインのとどめを待たずして息絶えた。その開いた目線の先にはモニターへと向いたままだった。
「次があるのなら、どうか平和な世に生まれよ」
ケインはそう唱えた後、ジルスの瞼を閉じてやる。そしてジルスの目線の先にあったモニターへと向き直る。動くたびに折れた骨が突き刺さる痛みに悶絶しそうになるが、なんとかコンソールへと体を預ける。
「な、なんだ、これ……」
モニターは帝都ルイネエンデを映し出していた。全体の俯瞰映像とそれぞれの地区の映像が映し出されていた。もちろん、それ自体に驚いたわけではない、問題はそれが映し出している現在の景色だった。
「民兵……、いや、それすら……」
ケインは衝撃を受け痛みを忘れた。モニターには死屍累々、死体が大量に横たわっており、それすらを踏み越えながら王城へと向かうのは、大半が兵士ではなく、着の身着のままの国民が武器を持ち押しかけている映像だった。中には女、子どもも含まれ、コンソールを操作し、足を負傷した進みの遅い子どもへと拡大する。その眼は、生きていたころのジルスと同じく、色を失っていた。到底まともに歩けるわけの無い足を止めることなく彼は進んでいた。彼だけでなく全てが色を失った目を帝都へ向け進んでいた。
「これは戦争なんかじゃない……どうにかしないと」
通信機で連絡を取ろうとしたが、爆弾の破片が当たっていたようで破損し連絡は不可能だった。足取りを出口に向け、踏み出そうとするが、壁にもたれかかり、引きずるようにして進んでいく、壁には血痕が伸び、そして、それ以降、血が進むことはなかった。
「こんなことなら、回復薬もらっとくんだった」
奪われては本末転倒だと、ヨネアから回復薬は受け取らずにいたことを、少し後悔した。ケインは唐突に訪れた眠気に勝てず、瞼を閉じた。正面から吹き抜ける風が和らいだ気がした。