177話 ノグニス解放
急転直下。それは唐突だった。ノグニスが一切の攻撃を辞め、ついには苦しそうに悶え始めた。
「なん……で。わらわの領域に、別概念が。壊れる……いやあああああああああああああ!!!」
断末魔のような金切声をあげ、ノグニスの体に亀裂が幾重にも交差すれば、光が漏れ始める。
「あれは!」
オルキスが疲れが吹き飛んだかのように歓喜の声を上げる。誰が見ても一目瞭然だった。蒼き輝きがノグニスから漏れ出していた。強く輝くとノグニスの体はぼろぼろと崩れ落ち、粒子と成り果てる。光がすべてを包み終えると、優しく光は弾けた。
その中心には、二つの影。剣を掲げるウィルと一番近くにいたレインシエルが抱きついているところだった。その傍らには人へと戻ったノグニスが茫然自失とへたりこんでウィルを見上げていた。その姿は妖艶なお大人ではなく傷つき弱々しく膝を折る少女の姿だった。
「なにを……した?」
ウィルは顔を下げノグニスを数秒眺めた。
「知らねえよ」
つぶやくような声は消え入りそうで多少震えていたかもしれない。答えがノグニスにはないということが質問をされたことから明らかだった。
勝利、という文字は、ウィルにとっては名ばかりのものに過ぎなかった。そうしてノグニスは負けを認め、ニーアに頭を垂れた。
「我、地の楔たるノグニス。解放のためエファンジュリアに全ての力を」
皆の目からは特段何も起きることはなかった。ただ目を閉じていたニーアがゆっくりと瞼をあげる。一息つく顔は楔との契約を終えたのだと分かる。しかし、ノグニスはまだそこにいた。垂れていた頭を上げ、立ち上がる。
「さて、契約も終わったの。あやつらのとこに行く前に言っておくことがある。心して聴け」
負けた割には態度は相変わらず高飛車で背が縮み貧相になった胸を踏ん反り返している。むしろ負けてやったとでも言いたげだ。
「生意気だなーこの子」
思ったことをそのまま口にするレインシエルの言葉にノグニスの眉が不服そうに吊り上る。
「わらわは子、ではないは煌びやかな淑女であるぞ!」
「言葉選びもなんかとってつけた感じだよね」
ささやかなノグニスの抵抗もあっけなく崩され、術をなくしたノグニスは、「お前らよりは軽く長生きっちゅうのに」と恨めしそうにつぶやいたあと、息を一つ吐き出した。
「ま、よい。さて悪い話と良い話がある。先に聴きたいほうを選べ。ウィル」
「は? 俺?」
ウィルは意外だった。契約の主はニーアなのだから自分ではないと思っていた。だがノグニスのつぶらかつ責めたような瞳はまっすぐにウィルを捉えている。心さえも見られているような錯覚さえ感じる。
「ウィル兄?」
選択しないウィルにニーアが声をかける。我に返ったであろうウィルは軽く頭をかきながら悪態をついた。
「あー、くそ。悪い方からで頼む」
ウィルは先に悪い話を聞いておくことにした。するとノグニスは意外そうに瞬きを数回繰り返した。
「ほほう、意外にも」
含み笑いするノグニスに一向に話が進まないことに倦怠感というかもうどっちでもよいな、なんて空気が流れる。
「はやくしろ」
これまで静観していたルイノルドが仮面の奥から口を開いた。脅しにも取れるほど重く凄味のある口調だった。
「余裕がないのう。まあ良い。いいか。もう一人のエファンジュリア。奴が風を奪うぞ」
それは予想はしていたことではあったが一同にショックを与えるには十分であった。
「嘘、そんな感覚はなにも」
一人確かめるようにして目をつむるニーアではあったが、クロム遺跡前での炎素の楔が解放された時のような感覚は訪れなかった。
「無駄じゃ。この空間は地上とは切り離してある。こんな大空洞を地下に造ったら陥没必死だろうに」
どうだ、と言わんばかりにまた胸を張るノグニス。
「奪うということはまだ解放には至っていない、ということかしら」
静かに聞いていたメレネイアがノグニスの言葉尻を捉える。過去形ではなかったからだ。
「ほう、だてにわらわと同じく長く生きておらんの。その通り。だが地上に出るときには奪った。という表現になるだろう。ここは時間概念がその、まあ、おかしいからな」
自分の作った空間だろうにおかしい、という言葉選びはどうなのか。その点についてはユグドラシルがニーアを経由して割って入って説明した。
「空間理論自体は僕が作ったから仕組みまでは彼女、理解してないよってさ」
彼の言葉を代弁するニーアは言い切ると同時に脱力した。あれだけの苦戦を強いられながらその記憶が薄らぐほど、今のノグニスは見た目相応の少女だと感じていた。
「風は諦めるしかないな。それで良い話というのは?」
悪い話はこれ以上続かないと踏んだのかルイドルドは話を転換させる。気持ち早口な口調は焦っているからとは気づく者はいなかった。
「お主せっかちだの。良い話はな。4元素の解放によって光素、闇素、その後、重素が顕現するだろう」
それは初耳だった。解放に段階があるということはディアヴァロからは聞いていなかった。それに関しては忘れていた、と明らかな誤魔化しをかますディアヴァロであり、それを後でニーアがきつく問い詰めるのだった。
「で、解放する楔がでてきたってのが良い話なのか」
ウィルの瞳は次なる目標を見つけ輝く。だがオルキスがそれに待ったをかけた。
「待ってください。ここから出た時にはどのくらい時間が経っているんですか? 作戦が迫っている以上、3つの解放に時間を避けるかどうか」
「その点は問題にならんぞ、錬成士の小娘。言っただろう。ここの時間はおかし、ゆがんでいると。それに奴らの解放は、ほぼ無理ゲー、いや難しいのは別にして、ほぼ同時に解放される」
聞きなれない言葉が飛び出したが、突っ込む気力は誰にもなく、必死になってわざとらしく咳き込んでいたので突っ込むのもかわいそうだとウィルはやめておいた。
「ちょうど一日経ったくらいの時間差で出れるだろう。どこにおるかはすぐに分かる。捉えられるかは別としてな。さあ、行った行った」
ノグニスはオルキスを指さすと、疑問が口に出る前にその姿は掻き消えた。そしてメレネイア、ティア、レインシエルを一気に飛ばした。そしてニーアを飛ばし、ウィルを指さす。
「ウィルよ。迷うことなかれ」
「どういうーーーー」
答えを聞けずにウィルの姿も消え去る。残ったのはルイノルドとプルルだけとなり、耳鳴りだけが一層強く響いた。
「ところでお主は、迷っているようだな。早く道を決めねばすべて徒労に終わるぞ」
その言葉はルイノルドに向けられていた。
「なんで残すのかと思ったらそんなこと言いたかったのかよ」
ルイノルドは若干呆れながら、両手で仮面をつかみ外した。
「ふう、蒸れて仕方ねえ」
その声色は若干変わり、手で顔を仰ぐ。
「お前の決意が揺らげば、我々の願いも叶わぬ」
ノグニスの背後の景色が歪み、漏れ出た霧と共にしゃがれた声が響く、その姿を現したかと思えば、ほぼ同時に四つの歪みが生じそれぞれから彼らは現れた。
「分かってるよ。ディアヴァロ、いや、ヤト」
それをルイノルドは驚きもせずに迎えるのだった。