175話 焦燥、重ねる
状況は一変していた。鈍重だったノグニスは強固な鱗を脱ぎ捨て、その代わりに身軽さを手に入れ、攻撃を入れることが困難になっていた。ノグニスの翼が開く。
「さあ、踊りなさい!」
ノグニスが宣言すると翼から無数の棘が析出し、一斉に射出した。危険ではあったが動きを止めている今、回避に専念するわけにも行かず、ウィル達は間隙を縫いながら距離を詰める。更に後方からのクマミーによる弾幕による壁と爆発の粉塵を隠れ蓑に肉薄する。
「よっと!」
いち早くノグニスの足下に到着したウィルは粉塵を抜け、足を深々と切り裂く。鱗の鎧があった時と比べ、簡単に肉に刃が通る。ウィルの持つ剣は自分のものではない。とりあえずレインシエルから借りたものだった。レインシエルも一本での戦いに何かを見出したようで、渋ることはなかった。がくりとノグニスの足下が揺らぐがすぐに立て直される。その原因は急速な治癒能力のせいだった。
「ちっ」
見れば、吹き出した血が傷を塞ぎ瘡蓋になっていた。舌打ちするものの動きを止める訳にも行かず、釘付けにはできると攻撃を続ける。目論見通り動きを制限できたもののこのままでは消耗戦になる。相手の急速治癒がある以上、時間をかければ不利だった。かといって致命的な一撃もできる状況ではなく、攻め倦ねていた。
「離れてください!」
オルキスが精一杯の声を張り上げ、ノグニスから距離を取れと指示する。皆、迷うことなく距離を取る。
すると同じようにいくつものクマミーが足下に炸裂する。しかし、炎は上がらず、凍てつく冷気がウィルの体を震わす。
踏み出そうとしたノグニスは足がついてこず体勢を崩す。
「あら?」
危機感のない声だったが、足下を見れば見事に氷に閉ざされており固められた足はびくともせず、ノグニスはさすがに困惑する。
「今だ!」
ルイノルドが好機だと叫ぶ。反射的にウィルを初めとして同時に接近する。ウィルは足を伝い飛びながら、自らの剣が埋もれた場所へ急ぐ。
ダーナスとティアは執拗に足の部分を切り刻んでいく。再生が追いつかないほどに息もつかずただ連続して。冷やされたおかげか血の量が少なく、再生が追いついていないようで、地味な攻撃が身を結ぶ。
「りょうだん!!」
ティアがより大きく振りかぶり、深々と空いた谷に向け振り下ろす。目標は見えている白い部分だった。
切ることは目的ではない、砕く。反動を顧みない一撃は鈍く響く音で達成を告げた。
途端、バランスを崩しノグニスは倒れ込む。飛び乗りが容易になったウィルは横腹を駆け抜け背の部分へ駆ける。その間にもノグニスの表皮から突き出す岩石の槍がウィルを串刺しにせんと迫る。レインシエルが援護に周り、邪魔になっている槍を破壊して壁を突破。そうしてたどり着いたのだが、剣の姿は見えなかった。
「どこだ……」
完全に取り込まれてしまったのだろうか、見渡しても横たわる瓦礫ばかりで剣の光沢は見られなかった。
「どうする……ってあれ!」
レインシエルが指さす方向に奇妙に盛り上がった瘡蓋があった。
「どうみてもあれだな!」
埋もれた相棒を救い出そうと瘡蓋を切りつける。瘡蓋の上部が剥げるがじわりと漏れ出した盛り上がっていく血液によってすぐにふさがっていく。そうはさせまいと切り続ける。やがて剣の柄が顔を出し、躊躇なくそれを握りしめた。
「くっ、このおおおお!」
足腰に踏ん張りを聞かせ両手で引き抜こうと力を込めるが、一部にでもなっているかのようにびくともしない。その様子を見て反対側からレインシエルも手を貸す、血だまりで手が埋もれていく。オルキスのマナが残っていれば爆破させようとも考えたが、どうやら空のようで反応はなかった。
「――! レイ! 離れろ!」
「えっ」
思わずレインシエルは手を離す。脈動の変化を感じ取ったウィルはとっさにレインシエルを遠ざけるため叫んだ。レインシエルが理由を聞く前に、大量に吹き出した血の壁の中にウィルの姿は消えた。血の壁が背を下げると、そこには血だまりだけが残り、ウィルもろとも消失した。
「うそ……ウィル!」
血だまりに手を突っ込むが、すぐに肌に当たり入り口もなにもなく、レインシエルは絶望する。遅れてルイノルドが合流し、ウィルの姿がないことに気づき、レインシエルに声をかける。
「あいつは中か」
ルイノルドは冷静さを保ち、血だまりに目を向けると、ウィルの居場所を推測する。へたり込むレインシエルを半ば無理矢理抱え込み、その場を飛び降りる。地面に降り立ちレインシエルに大きな怪我ないことを確認する。
「……信じてるからそんなに冷静なんですか?」
ふとレインシエルの口から漏れた言葉に、ルイノルドは沈黙する。
「あたしだって信じてる。けど、そんな冷静じゃいられない! 父親なんですよね!? 父親ならもっと取り乱してもいいじゃないですか! どうして追いかけないの!? どうしてなにもしないの!? わからない! わからないよ!」
激高するレインシエルの涙のフィルターを通して見るルイノルドの姿に誰かを重ねているようだが、察しがつかない。
「違う。俺は……」
それを言い切る前に、ルイノルドは再び、レインシエルの腕を握りその場を離れる。先ほどまでいた場所に
棘が突き出す。
「お父さん……お父さん」
ルイノルドは傍らですすり泣き、ルイノルドのことではない父を呼ぶレインシエルにようやく察しがついたようで、脱力しかけているレインシエルをニーアの所まで離す。途中、メレネイアと目が合った。彼女はレインシエルの様子を見て、駆け寄ろうとしたが、踏みとどまりノグニスに向かった。
「ごめんなさい」
それが誰に向けた言葉なのかはわからない。ニーアは膝をついたままのレインシエルの様子がただ事ではないと分かり、駆け寄る。
「レイ! どうしたの!?」
なにも語らないルイノルドに、苛立ちは募るもののまずは、介抱とレインシエルの肩に振れようとした瞬間、ニーアはよろめき同じように膝をついた。
「え、なに……これ。寒い、寒い、寒い」
がたがたと震え始めたニーアに打って変わってニーアの肩を抱くルイノルド。
「しっかりしろ! 落ち着け!」
既にニーアにはルイノルドの声は届かず、内へ内への意識を沈み込ませていた。
「フォルテ……と繋がっているから? ウィルが……あの中に」
ぶつぶつと誰かと会話するニーアに自らの外套をニーアに羽織らせ、ノグニスの攻撃が届かないように前に立つ。ようやく出た焦りからか、ルイノルドの体は小刻みに震え始めていた。まるでニーアと同じように、それを感づかせないように、剣を構える。
「ニーア……?」
正気を取り戻しつつあったレインシエルは横で膝を突き震えているニーアに気づき、抱きしめる。ふとノグニスの方を見ると、ノグニスの両翼から放たれる弾丸を、ルイノルドが弾き、砕き落としていた。ちょうど、二人の射線上に立つ彼は、少なからず被弾しているにも関わらず、その背中を見せ続けていた。
「なによ……それ。やっぱり必死じゃん」
その大きく感じた背中を見つめ、レインシエルは父と重ね、そしてウィルを重ねた。