172話 ノグニス顕現
楽しもうと思って戦いを挑んだが、程なくして純粋に楽しくなってしまった。一旦、ウィルはナルガから距離を取る。先ほどから笑みが止まらない。相手は確かにナルガだったが、一切の個人的な感傷を捨て勝つことを優先した結果、純粋な勝負の舞台ができあがっていた。
正直なところ、ニーアは待つとは言ったが予想以上に長く決着のつかない戦いで、自分の発言を少しばかり後悔したが、負けるところは見たくないとの想いもあり、とどのつまり待つしかなかった。ウィルを置いてその先にいるノグニスに挑むことはない。皆同じ気持ちだった。
楽しいという感情は思考から切り離され、能動的、受動的な感性が川のように流れる。研ぎ澄まされていく感覚が、考えるよりも反射に近い動きへと行動プロセスを省略していく。無駄な動きが減少し皮一枚の差で攻防を繰り広げる。ナルガの動きは変わらず、ぶれなかったが、ウィルは常に変化を続けていた。受けきるのではなく受け流し相手の行動をある意味操作する。力の流れに逆らわず最小限の動きでナルガの剣をいなしていく。
そうする内に手数がナルガを上回り始める。無駄をなくし、最適化した結果だった。顔を狙った突きも軽く首をずらせば、言葉通り、皮一枚薄く切られ剣閃が通過していく。ナルガが剣を戻す間にもウィルは剣を振り払っていた。ほぼ同時に回避と次の攻撃を行う。突き詰めてしまえば未来予知と言ってもよかった。それほど的確にぎりぎりにかわしていたのだ。それに恐怖することもなくウィルは相手の間合い分を見据え柳のように揺れ動き、気づけば懐に入られ続けるナルガは傷が増えてゆく。
もっと、もっと、もっと迅く、深く。そして長く戦いたい。
ウィルはこの戦いが永遠に続けばとも思ってしまった。しかしそれは許されず、ニーア達を待たせているのもそうだが、単純にもう決着は近い。そう確信するほどナルガの実力をとうに越えていた。
壁際にナルガが押しやられ、状況をひっくり返そうと距離を取ってすぐに踏み込みなおした。いくつかのフェイント、本命の一撃、しかし、全て見抜いていたウィルはその一撃にのみ反応し剣との衝突の瞬間に力を込める。思わぬ衝撃にナルガの剣は跳ね上げられ胴体ががら空きになる。
「楽しかったよ」
ウィルは心の底から口にした。防御には間に合わず、一歩もぐり込み、空いた胴体を横に切り抜いた。束の間の静寂、そしてナルガは後ろを向きウィルを見つめると土へと瓦解した。その眼差しには敵意がなく、むしろ褒めているような印象をウィルは受けた。
大きく疲れを吐き出すように息を吐く。同時に箱が解除され、ようやく皆合流を果たす。
「お疲れ様、まあ……珍しくかっこよかったよ」
ニーアが駆け寄りウィルを労う。素直に言うのが余程照れくさかったのか、珍しくという余計な一言が追加された。
「珍しくってなんだよ……」
苦笑いを浮かべるウィルだったが、その言葉だけで疲労など吹っ飛ぶものだ。レインシエルは言葉をかけることはなかったが、肩を軽く叩き、ウィルの横へと並ぶ。一同は何故か嬉しそうに佇むノグニスへと向き直る。気づけばプルルもウィルの頭へと合流していた。何故が丸い体が不満そうにむくれているような気がしたが何も離さないため理由は不明だった。
「さて、後はあんただけだ。その余裕もすぐに泣き顔にしてやるよ」
ウィルは腕を伸ばし剣先をノグニスに向ける。まだ何もしてないにも関わらずノグニスは身をよじらせ恍惚な表情で頬を染めていた。
「ああっ……そんな強い言葉を使うなんて……」
どうにもウィルの言葉に邪な感情を覚えた結果らしい。くねくねと艶めかしい様子にウィルは勢いを削がれ剣を下ろしそうになる。
「反応するな!」
ニーアの肘鉄だけでなく隣のレインシエルからも無言の抗議を受け、理不尽な痛みに剣が下を向く。
「だあああ! やりにっきいな!」
誤魔化すようにウィルは叫び、剣を再び上げる。
「やりにくいだなんて……」
その言葉もノグニスにはご褒美のようで落ち着く様子はない。
「だめだこいつ……」
早くなんとかしないと、と思っていると、ノグニスの表情は急激に冷めていく。
「どうやらお好きではないようね。お遊びもここまでにしましょう。さあ、その経験を持って最終テストと行きましょう」
突然の正反対な雰囲気にウィル達は戸惑う。冷徹さを伺わせる微笑は一同を戦闘へと移行すると確信させるには充分な圧力だった。気圧されるようにして散開する。
「さあ、冷め切った私を熱く燃えるように楽しませて!!」
いや、根幹は変わっていないようで、何故か安心した。それも束の間、ノグニスの足下から紋章が広がる。大きく広がった紋章から光が放たれノグニスを含む一帯が光のドームに包まれる。
『ガーディアンプロトコルの起動を確認。システムオンラインへ復帰。チェック項目をパス。自我データのイニシャライズ……失敗……”ノグニス”展開』
光の中心から流れる音声はノグニスのものではあったが、話し方がまったく変わっていた。
「てっきり掌握しているのかと思ったけど、システムはまだ生きているみたいね」
顕現したままの小さなリヴァイアスがニーアの隣で観察していた。それはリヴァイアスと相対した時と同じガーディアンプロトコルという楔本人以外の防衛システムだった。初めからそんな素振りはなかったため頭から抜けていたが、システムは生きている、いや、むしろノグニスが起動させたとも言える。
「ますます訳わかんない子だわ……」
リヴァイアスは丸みを帯びた手を頭にあてる。やれやれといったところだろうか。
(確かに彼女はそんな感じだけど、システムを完全に沈黙させないと楔の解放ができないのも事実だよ。それを分かってるから表に出したんだと思うよ)
ユグドラウスは彼女、ノグニスを評価しているようだ。なんにせよ戦いは免れないらしく一同はそれを囲むようにして出方を伺う。ニーアの前にはウィルが構えており、基本的にニーアを守るスタンスは変わらなかった。その頭にはプルルがまだ乗っていた。
やがて光は収束しそしてひときわ強く弾けた。顔をしかめ光を直視できず下を向く。そして、何かがこすれるような音と床から伝う振動が顕著に現れ、ウィルはゆっくりと顔を上げる。そこにいたはずのノグニスへの目線を越え、さらに上へと。
「まじかよ……」
それは巨大だった。ディアヴァロよりも一回り大きく、ごつごつした土色の肌は岩石そのもののようで堅牢であることは確かめずとも分かる。ただその装甲のせいか動きが鈍いようでこすれあう音は同じく巨大な翼からで、岩石同士がぶつかり合いきしんでいる。顔部分も同じく二つの目がかろうじて覗いていてちょうど瞼に当たる部分の岩が視界を遮っているようにも見えた。確かに攻撃、防御ともに相当だというのはわかったが、愚鈍な動きならば一撃をもらわなければなんとかなりそうだとウィルは踏んだ。
「グウウウウ……」
くぐもった音が竜から聞こえる。唸っているのか喉を鳴らしているようだ。人型だったノグニスの色白な姿もなく、エルフの特徴である耳はもちろん引き継いでいなかった。
「剣は欠けそうだよな」
右手に納められてた剣を見る。折れることはないにしても見るからに固そうな装甲に刃こぼれしないか不安だった。現にルイノルドもダーナス、レインシエル、ティアに至っては同じ心配をしているようでまだ動きはなかった。
「さてどうしたもんか……」
考えあぐねていると、対面にいるルイノルドが身構え、跳躍した。
「ぼーっとするな! 下だ!!」
その警告に弾かれるように皆、その場から移動する。寸でのところで先の尖った石柱が床を突き破った。先ほどからの振動はこれが地中に生まれる音だった。もう少し遅ければ串刺しになり、死のモニュメントができあがるところだ。ウィル以外も同じように元いた場所から石柱が穿たれ、一帯は景色を変え、棘が連なる。
攻撃はそれに止まらず、ウィル達を追いかけるようにして棘の道が続く。ウィル達、身体能力の高い者であればそれに捕まることはないが、問題はそれ以外だ。
「ニーア、オルキス!!」
ウィルは走りながら前線向きでない二人の様子を確かめる。案の定、オルキスは既にぎりぎりで息を切らしていた。
「ひゃあああああ!」
素っ頓狂な悲鳴を上げながら逃げまどうオルキスだったが、それが断末魔に変わるのも時間の問題だった。
ウィルからは距離があり向かいに行くことは不可能だった。ついぞオルキスが今は崩れた初めに出現したあたり、棘の残骸につまづき転がる。オルキスが串刺しになる自分を想像し、目を瞑る。だが、その瞬間は訪れず唐突な浮遊感が訪れた。
「まったく厄介だなっと」
ルイノルドがぎりぎりのところでオルキスを抱え上げ竜から遠ざかる。着地した地点で棘が出ることはなく、竜の周辺にいるウィル達に棘が集中していた。
「あ、ありがとうです。一応有効範囲のようなものがあるみたいですね」
オルキスは死の間際から回避した後ではあったが、すぐに棘の特徴を見抜いた。肝が据わってきたのは経験によるものだ。
「ああ、オルキスはこの距離から援護を頼む」
「わ、わかりました!」
オルキスを降ろすとルイノルドは再び竜へと向かう。見れば最大数、もしくは時間か、限界があるようで一定数を越えた棘は崩れ落ちていた。
ニーアは武器を持って戦うことがないせいか、運動神経の良いほうではありオルキスと同じく竜から距離を取ることには成功しており、援護のため唄を紡ぎ始めていた。
「本体の動きは鈍いけど、これじゃ近づけない」
レインシエルが棘をかわしながらとりあえず接近を試みるが、近づけば追いかけてきた棘がある程度の予測を持って先に突き出してきて、進路を妨害していた。多勢に無勢とは必ずしも有効とは言えないものだった。