170話 小さな願い
ニーアも例外ではない。目の前には同じ人間が立っており、にらみ合っていた。というかどうしていいか分からなかった。
武器も体術も持ち合わせていないニーアにとって一対一の場面はどう対応していいかわからなかった。
「えーっと。それこそ護身用のナイフとか持ってればよかったな……」
ナイフほどであれば身を守ることもできただろうと考えるが、今、持ち合わせがないため解決にはいたらない。一度、殴ってみようとしたが、鬼のような顔で睨まれたためにそれは保留になっていた。内心、あんな恐ろしい顔は見たことがなく、やはり自分とは違う存在なのだと安心もしたのだが、本人が持ち合わせる狂気には気づいていない。
何もしなければ何もしてこず、殴ろうとすれば睨まれる。どうにも肉弾戦は違うようだとニーアは考えた。といっても相手を倒す方法が見つからず、誰かに相談したいと周りを見てみるとルイノルドが腕を組んでいるだけでむしろ他の皆が声をかけようとすれば手で制し助け船はないと態度で表していた。むしろそちらに殺意が向くが、ぎょっとする仲間の表情を後目に、考えを改め、向き直る。そうして別の相談相手を思い出す。そう楔連中だ。急いで呼びかける。
「で、どうすればいいと思う。楔の皆さん」
「自分で考えろ」
無慈悲なディアヴァロに叩き潰す妄想を浮かべ、息を整える。
「正々堂々、戦え」
バカ真面目なフォルテにあの鬼の表情を見たかと言えば、押し黙ってくれた。
「むしろ負けを宣言するとかどうだろう?」
さすが発想が違うユグドラウスに傾き駆けるが、プライドが許さず却下。
「私でも呼べば?」
「それだ! さすが男連中とは違うわ!」
リヴァイアスの提案をすぐに採用する。うなだれる男連中などニーアには届かない。リヴァイアスを呼んだこともないため、お試しがてらと集中する。リヴァイアスの召喚。海の如く深い色の玉がニーアの前に出現し紋章を浮かび上がらせる。
「って、え?」
ふと、相手をみれば、同じように紋章を浮かび上がらせていた。やはり肉弾戦は不正解でこっちが正攻法というわけだ。一瞬驚いたものの、構わず集中する。紋章の輝きと共に唄が自然に流れ込む。素直に受け取り唄を紡ぐ。優しき調べ、大海の広さを伺わせる深い唄、それに重ねるように相手も同じ唄を紡ぐ。
「お願い、リヴァイアス!!」
紡ぎ終え、リヴァイアスへ呼びかける。
「あ、だめだめ中止!!」
突然のリヴァイアスの制止に驚いてニーアはせき込む。中途半端に広がった紋章から水が滴っていた。
「え、なに、なんで!!」
「どうみても狭すぎでしょ! つぶれる!」
それもそのはず竜として顕現する予定だったがこの箱の空間では狭すぎるのだ。顕現してしまえばニーアもろとも潰れてしまうのがオチだった。
「じゃあどうすんのよ!!」
その焦りを見て、真似しようとしていた敵ニーアも唄を中断し様子を伺う。
「と、言われても……そういうサイズなんだから」
顔だけを紋章から出して悪びれた様子でリヴァイアスは登場叶わず頭を下げる。
「そんな顔だけ出されても……。ん、いや、それができるんなら……ねえ、サイズって決まってるの?」
何か閃いた様子のニーアにリヴァイアスは頭をあげる。
「元々はマナ総量の安定化の関係でこの大きさになってるけど……あ、そういうこと?」
ニーアの閃きを察したリヴァイアスは目を丸くする。
「ユグドラウス! できると思う?」
(理論上は可能だと思うけど、相対的な釣り合いを考えての結果だからなあ。あーでも供給元が人間ならフレキシブルな調整は可能かな。とりあえずやってみたらどうだろう? ぶっつけだけど僕の、ユグドラウスの力が必要だと思う)
「つまり可能ってことね。ユグドラウス早速お願い!」
迷う理由もないと決行を即決する。だからこそユグドラウスに聞いたのだった。
(よしきた。そういうチャレンジ精神、科学者としては大歓迎だよ! 今までは呼ぶことに集中してただろうけど、同時にマナの供給量と圧縮もイメージする必要がある。とりあえず完成系をイメージしてくれ、フィードバックする!)
「ずいぶん楽しそうね……」
やる気に満ち溢れた様子のユグドラウスに呆れるリヴァイアスを余所にニーアは再び集中する。
そう、大きいならば小さくすればいい。シンプルな発想だったができないことではなさそうだ。リヴァイアスの姿を思い描き、その横に自らをイメージして、最終的な大きさを固めていく。固まった瞬間、唄が流れ込んでくる。
「clo l esra leviath」
私に寄り添え、と願うと自然に口が動く。それに続き唄を紡ぐ。呼び出しだけの唄ではなく、複雑化した唄に意識を引っ張られ、イメージが崩れ始める。膨大な情報量と処理に頭が爆発しそうだった。
「きつ……」
唄の間に弱音が漏れ出る。息が切れそうになり、諦めかけそうになったころ、崩れかけたイメージが補正され鮮明となり逆にニーアへと伝わる。
(イメージは捉えた。圧縮率もろもろの調整はこっちで処理するから、幾分楽になるはずだよ)
ユグドラウスの宣言通り、複雑化した唄は淀みなくニーアによって紡がれていく。ニーアが考えるまでもなく完成した譜面を奏でるだけのようなものだった。程なくして唄を紡ぎ終えようとするとリヴァイアスの紋章は一回りも二回りも縮小しニーアの肩のそばで輝きを強める。
「来て、リヴァイアス」
優しげな声でリヴァイアスを呼ぶ。水が紋章から吹き出すと同時にニーアの頭二つ分ほどのリヴァイアスが飛び出し、浮かぶ水玉を軌跡に残し、挨拶とばかりに敵ニーアに高圧化した水流を宙に出現させ、放出した。だが大部分の水流は散乱し本来、切り裂くほどの高密度の水刃には遠く及ばず、大量の水が敵ニーアに衝突し倒れさせただけとなった。びしょぬれとなった敵ニーアは動物のように頭を振り水を飛ばし、顔を拭えば、ニーアの肩に戻ったリヴァイアスに視線を移しあっけにとられていた。
「あらら、いきなりはさすがに無理だったかしら。調整しても威力は半減ってところね、けどとても身軽だわ」
ニーアの肩にリヴァイアスは降りると尾ひれを左右に降り続ける。どうやら満足しているようだ。
「かわいい……今度から全部これでいこうかな」
ニーアは戦いそっちのけで小さくなり少しデフォルメされたリヴァイアスの首をさする。
(……我は遠慮しよう。ユグドラウス……余計なことを)
年長者のディアヴァロの声は小さく、ユグドラウスに恨みを向ける。
(いやいや、あのデフォルメは僕じゃなくて、ニーアだから。それにしてもまさか自覚なしにこっちの処理を上回るとはね……さすがだ)
ユグドラウスは感嘆の声を漏らす。そもそもユグドラウスは本来の大きさをそのまま小さくさせる処理を空間を司る力で代行したが、それに上書きするようにデフォルメされたリヴァイアスのイメージがニーアから流れ込んだ結果だった。恐らくはもうユグドラウスのフォローは必要なくなった。
「って口喧嘩してる場合じゃなさそうだけど」
リヴァイアスは気持ち良さそうに首を撫でられていたが、重々しく立ち上がった敵ニーアに注目する。最初こそあっけにとられていた敵ニーアであったが、嬉々とした表情に変わっており、同じく唄を紡ぎ始めた。
「リヴァイアス、さっきの!」
急ぎニーアはリヴァイアスに攻撃を命じる。真似されれば元の子もない。それこそ消耗戦になり疲労が溜まったニーアにとって不利になることは明白だった。
「おっけいて言いたいけどちょっと間に合わないかな……」
既にリヴァイアスは水弾を口の前に溜めていたが、先ほどの初撃を踏まえての調整と縮小したことによるマナの供給が追いつかず、放出するには時間がかかるようだ。その間にも敵ニーアの唄は同じように紡がれていき肩に浮かぶ紋章が輝き始める。ニーアは消耗戦を覚悟した。
「……!?」
だが、敵ニーアの表情は困惑と苦痛へと変わり、ニーアにはなかった事が起きる。敵ニーアの紋章は強く輝き、リヴァイアスの顕現寸前の所で紋章はガラスのように砕け散って消えた。へたり込んだ敵ニーアにリヴァイアスは顕現する事はなかった。
(どこまで模倣しているかと思ったけど、唄だけを真似てもこちらとの処理までは模倣できなかったみたいだね)
ユグドラウスはその様子を分析する。その間にもリヴァイアスは力を溜めきる。
「それじゃ遠慮なく、水刃」
唱えたそれは鋭利な水の刃、リヴァイアスが首を振ると床を切り裂きながら敵ニーアへと一瞬で駆け抜けた。敵ニーアは水刃に映る自らを眺め、裂かれた土塊へと姿を変えた。
「自分がやられたみたいで嫌ね……」
土塊になったから良いものの写し鏡の自分の死に辟易した。