164話 魔となるもの
ミッツについて行こうと外に出た瞬間、視界が白に染まる。
『シークエンス3 スタート』
その案内と共に白がほどけ始める。それは轟音と悲鳴と引き替えに訪れた。
「きゃあああ!」
「うわあああ!」
突如、訪れた凄惨な景色にウィル達は呆気にとられる。血を噴き出し息絶える人、四肢を裂かれ血肉となり果てた者、そして黒に咀嚼された者、瓦礫のほこりが舞い、煙が真っ赤に染まったのではと錯覚するほどのおびただしい死が眼前に広がっていた。それはなお魔物によって続けられ、未だ生存中の都市に合わせた迷彩柄
の服装の集団による抵抗も虚しく、魔物の進入を阻むことは不可能だった。その発砲音と火の一閃は連発可能な銃であることはニーアの話から合点がいった。マナを組み込まない銃弾だからか威力は期待できず、時折、爆薬を積んだ弾が放物線を描き、魔物を火に包みひるませていた。
「あんたらどこにいたの!! 早く逃げなって!」
その声はついさっき一緒にいたミッツの声だった。緊迫した声は先ほどとは違い余裕のなさを伺わせ、その声に振り向く。崩落した瓦礫の影から手を振るミッツに一同はそれぞれ身を隠しながら合流を果たした。
煙の中に潮風を感じ、鼻につく。血のせいか少しウィルの故郷とは違った生臭さもあり、それに浸る気分は到底起きない。
「どうなってんだ!?」
前方に陣形を保ちながら銃を乱射する兵士をのぞき込みながら、隣のミッツに声を荒げる。爆発音と発砲音の大きさで耳が遠くなっているのか、至近距離にも関わらず大声でようやく届いた。
「あんた達こそどこいってたの!? まあ、いいや、他の皆はもう救助船に乗り込んだから、あんたらも逃げな!」
他とは一緒に逃げてきた大人達だろう、ただ一人ミッツだけがこの前線に止まっているようだ。
「ミッツ、あんたは!?」
ウィルが残るミッツに疑問を投げる。この状況で武器を持たない人間が残る理由などなかった。
「ちょっとした使命感!」
そう言うと瓦礫の隙間からのぞき込むようにして写真を撮り始める。記者の使命感とは命をも投げ出すものかとウィルは身震いを覚えた。ウィルは柄を握る。戦える人間が戦わなくてどうする。これが幻覚だろうが何だろうが、武器を持つ人間が逃げるわけにはいかない。それこそ急造の使命感がウィルを奮い立たせる。
そう決めたのは何もウィルだけではなく、後ろに控えていた仲間達もそれぞれ武器を構え、飛び出す瞬間を待っていた。
「……あんたら。うっし、それならその勇姿このカメラで撮らせてもらうからね!」
カメラと呼ばれた撮影装置を覗き、カシャと軽い音が鳴る。この喧噪の中でも不思議とそれは聞こえた。
「今だ!」
兵士達が後退を開始するのと同時に入れ替わるように一同は前へ躍り出る。
「なんだ、お前達はふざけてる場合じゃないぞ!」
当然、彼らから見ればこの場には不釣り合いの格好をした集団だ。隊長と見られる男が呼び止めようと叫ぶ。
「おい! 下がれっ……!?」
聞こえていない一番前の少年は無謀にも正面から自らの二倍はある魔物に立ち向かい、一閃すれば魔物はもやとなり崩れ落ちた。
「隊長!!」
その呆気なさに呆けていた隊長の横から魔物の接近を許し見上げた時にはその禍々しい腕が叩き潰そうと振り上げていた。一定の訓練を受けていた彼であっても回避へ体が動かず、体が硬直する。
「しまっーーーー」
死を覚悟し家族を想った男に走馬燈の瞬間は訪れなかった。訪れたのは魔物の方でゆっくりと倒れる。その傍らで双剣を演舞のように操る少女が立っていた。
「君は……」
「さっさと下がって! 援護するなら当てないでよ!」
背中を見せるレインシエルは顔をもたげ背後の隊長へと叫べば、その返事を待たず次なる魔物へと足を動かした。見れば先ほどまで防戦一方だった前線を押し上げ始めていた。何がなんだか分からないといったのは隊長だけでなく死地で戦っていた兵士も同様だった。ただ、目の前の奇跡を疑うほど生を諦めてはいなかった。
銃を握る手が再び上がっていく。気づけば後方から奏でられる唄が兵士を鼓舞していた。力強く、しかし、優しく奏でられる調べに不思議と力が、勝利への力が湧いていく。
「っ! 後退止め! 彼らの援護に移る! 後方部隊に支援要請! 避難完了まで持ちこたえるぞ!!」
「「おお!!」」
息を吹き返した兵士達の反撃が再開する。彼らの口振りには欲がなかった。避難するべき人間を守る、それが彼らの仕事で使命だった。それを果たせる状況に奮起する。
援護はウィル達にもありがたかった。魔物が次から次へと湧いてくるような状況下で足留めをしてくれるだけでも戦い易い。余計な体力を使わず確実に魔物をしとめていく。
雨が降り始め、ウィル達を濡らすものの戦況は変わらない。終わりのない戦いなどなく、次第に数が減っていく。足元に溶けたもやが溜まり雨のおかげか薄れ始めていた。
「ラスト!!」
何故か良いところを取りたがるティアは最後の魔物にとどめを刺す。それも許される状況でもあったのだろう。銃撃も爆発もなくなり突如現れた静けさに耳鳴りが届く。
「終わったか……?」
こういうと何故か期待を裏切ることが起きるものだが、それもなく辺りは静かなままだった。いつの間にか増えた兵士達はそれを噛みしめるかのようにゆっくりと銃を降ろした。
「隊長! 民間人の収容、まもなく完了とのこと」
「分かった。気を抜くな! 我らも後退し乗り込むぞ!」
隊長は既に次を見据えていたようで、直ぐに指示を飛ばした。
「見習いたいものですね」
メレネイアが後退を開始する兵士達に感心する。隊長が一同に向かい手を振る。
「なんか知らんが助かった! コスプレイヤーじゃないんだな! 君たちも早くこちらに続け!」
「こすぷれいやー?」
歌い終わったニーアが聞き慣れない単語を復唱するが、目の前のミッツが笑うだけで説明はなかった。
一方、武器を降ろしたウィル達はその言葉に従い、瓦礫の山を下り始める。久しぶりの充実感がウィルにはあった。守りきった。見ず知らずの人たちではあったが、むしろそれがより心を満たした。
雨は降り続き、ウィルの頭を濡らし続けるもそれが心地よい。一仕事終えた後のシャワーのようなものだ。妙に張り付く雨を拭う。何気なくその手を見てみると手が黒く滲んでいた。
「黒い雨……?」
その黒は下に漂う黒と同じように見えた。倒した魔物からはもやがなくなり魔物だった姿がウィルの視界に入る。
「……なんで」
見間違いかと想った。いつか聖堂で覚悟なく屠った兵士達の光景がフラッシュバックする。それは直視しなければならない現実。そこには、人間が横たわっていた。漆黒はなく元々の髪色であろう黒が、雨でさらに黒く染めていた。ウィルの様子に気づいた仲間は同じように倒した魔物の死体を見つめる。それは同じく人間の死体だった。
「あんたら大丈夫?」
ミッツは瓦礫をうまく乗りながらウィル達に近づき、声をかける。まったく狼狽えはしない様子にウィルは沈んだ瞳を上げる。
「人間だって……知ってたのか?」
ミッツはウィルの表情の変わりように驚くものの、足下の死体を見て納得したようで、それに手を合わせる仕草をする。死者への弔いの祈りであることは察しはついていた。それを終えるとミッツはおどけて笑う。それは誤魔化しのようにもウィルの目には映る。
「あー、知らんかったんね。そう。あの漆黒の魔物はマナによる変異体となった人間だよ。置いてかれるから歩きながら話そうか」
気づけば兵士達との距離が開いていて、様子を見るように隊長がこちらを伺いつつ進んでいた。ウィルは力なく頷きそれに従った。ニーアは泣いていなかった。いや、黒い雨に流されたのかもしれない。皆、意気消沈した感じは否めず無言でミッツと共に歩き始めるのだった。




