162話 第五階層 灰
結局、王を倒せば、玉座の後ろの壁がせり上がり、出口になる仕様のようで、労いも心配の声もなく、無言でユグニーランドを後にするのだった。
立役者であるダーナスは妙にすっきりとした顔で何事もなかったように歩いていたが、途中踏みつぶされたスタンプカードを後ろの面々は発見するもののあえて反応せず第五層へと向かう。
通路を抜けきると再び、眩しい光が包み、顔をしかめる。また絵のような世界かと身震いしたが今度は正反対だった。
「街……?」
ニーアが眼前に広がる光景を見て呟く。その景色はニーアには覚えがあった。
「確かにルイネエンデに似てるけど、これ……」
ウィルは立ち並ぶ背の高い建造物を仰ぎ見る。それはルイネエンデの街並みほどではないが空が狭い縦長の建物が所狭しと立ち並ぶ光景だった。さすがに同じではなく、決定的な違いは全てが白が強い灰色の配色だった。ニーアはそれがルイネエンデに似ているとは共感できたものの、どちらかと言えば夢の中に出てきた炎に巻かれる都市の光景に近く感じていた。
「あれは崩れたんでしょうか?」
ティアが指さす建物は、崩れてしまったのか大きく欠けていた。それだけでなくよくよく見渡せば多くの建物が同じで、溶けたような跡や、崩落して傾いている建物さえあった。
「なんかあったのか……?」
ウィル達は警戒をしながらも同じく継ぎ目のない灰色の道を進む。
「ううん、何かあったのはここじゃなくてこれの元になった街だよ」
ニーアの眼からは涙が自然に溢れていた。突然のことでウィルは戸惑う。
「大丈夫か……?」
「うん、ごめん、夢を思い出しちゃったみたい」
「夢って?」
そういえば夢のことを話していなかったと、ニーアは流れ落ちる涙を拭い、絞り出すように夢での出来事を話す。その話しぶりはたかが夢だとするには現実味を帯びていて、皆、その話に聞き入った。魔物の襲来と共にテイントリア大陸に追われた人間達、そしてかつてのオルリだというオズワルトという忌み嫌われたエルフ。そしてこの光景は魔物に襲われた大都市を模したものだというニーアを否定するものはいなかった。
あれだけノグニスに怒りを覚えていたルイノルドは殺風景な無機物しかない街に剣の柄から手を離しそれを焼き付けるように見渡していた。生物の気配もなく同じような景色を後にしながら進んでいくと、世界にノイズが走った。条件反射で皆身構える。
『シークエンス1、ローディング』
世界に響く無機質な女の声、それと共に世界が色づいていく。かつての記憶を取り戻すかのように。
「なんなんだ……?」
ウィルの疑問に答えを持つ者はおらず、灰色が消えゆくまで陣形を整えるしか対処しようがなかった。
『シークエンス1、スタート』
何かが始まるのは考えずとも分かった。身を固め訪れるだろう事態に注意を払う。ニーアが言ったビルと呼ばれる一角から足音が近づいてきていた。一斉に武器を向ける。
「兄ちゃんの手を離すなよ!」
道を横断していったのは10歳ほどの男の子だった。その右手には妹だろう小さな子どもを繋ぎ、何かから逃げているような印象を受けた。服も汚れが酷く、男の子には擦り傷もあった。釈然としないが敵ではないと思った一行は構えを解く。その道の半ばで女の子がつまづいて転んでしまった。離れてしまった手に気づく男の子は妹に駆け寄っていく。
「大丈夫。痛くない痛くない!」
ぐずる妹を元気づけようと励ます声には焦りが見えていた。そして、その焦りは二人を覆う影で恐怖へと変わる。ビルの影は動くことはない。それを見上げ硬直する二人は逃げることもできなかった。声にならない恐怖の中、兄は妹を抱え込む。
反射的に動いたウィルは通りを抜け子ども達の前に出て、その影の正体を視界に入れる。
「魔物なのか……?」
数拍遅れ、一同はウィルと合流する。目の前に立つそれは漆黒。二足歩行と見られるそれは大人二人分の高さほどあり、人と獣を合わせたような体躯、前のめりになっている頭部分、両目の位置には紫色の光が煌々と輝いていた。見たこともない魔物ではあったが、異様な雰囲気に敵意をぶつける。出方を伺う間にオルキスとニーアは二人を立ち上がらせる。
「誰……?」
男の子が突然やってきた年上の集団に、それはそれで恐怖を感じ恐る恐る顔を上げるが、オルキスとニーアの柔らかな雰囲気に安心したのか、泣きそうになっていた。
「大丈夫。私たちが守るから」
ニーアはなるべく優しい口調に努める。それが伝わったようで男の子はこくりと頷く。だが妹はまだ泣いたままでその瞳に漆黒の魔物を捉え続けていた。
「兄ちゃん達、あれはーー」
男の子がそう言い掛けたところで魔物は膝を曲げ姿勢を落とす。
「キャアアアアアア!!」
それは女の子の悲鳴ではない。もっと金切り声に近く喉が枯れたような雄叫びと共に魔物は両手の詰めでウィルに切りかかる。強烈な金切り声に頭が揺らされながらも一撃を剣で受け止める。見た目に反して力はないようで爪を押し返す。
「いける!」
勝ちを確信したウィルは体勢を崩した魔物の懐に潜り込み胴を縦に裂き、切り上げた剣を胸に突き刺した。
その勢いで仰向けに倒れた魔物はじたばたと身じろぎをするものの次第に力が抜け、最後に首を上げてその手を子どもに伸ばした後、力を失うと同時に紫色の眼光は輝きを失った。黒いもやが魔物から抜けるようにして漂い続けた。
「……案外大したことなかったな」
速さはあったものの非力だった魔物に拍子抜けしながらも、子どもから脅威を取り除いたことで胸をなで下ろし、剣を納める。
「終わったの……?」
男の子がゆっくりと立ち上がり視界に倒れた魔物を見つける。
「うん、間に合ってよかった」
ニーアが男の子の頭を撫でる。傍らの女の子は男の子の裾を掴み、倒れた魔物を見て堰を切ったように泣いた。
「大丈夫。大丈夫だから」
男の子は女の子の手を強く握りしめた。
「ありがとう。助けてくれて、僕たちはいいから他の皆を助けてあげて」
ウィルを見上げる男の子はどこか力を失ったようにも思えた。それは安心からかそれとも何かを失ったせいかウィルにはわからない。
「いいのか? 一緒に逃げたほうがいいんじゃないか?」
ウィルはこのままおいていくのは危険だと思い、同行を勧めたが、男の子は首を横に振る。
「ううん、大丈夫、大丈夫だから、早く皆を助けてあげて」
ウィルは仲間の顔を伺うが、誰もが心配をしているものの頑なな態度の男の子を無理矢理連れ出すようなことを言わなかった。それでもとは思うものの別の通りで悲鳴が聞こえてきた。
「ほら、早く行ってきて!」
「わかった。行こう」
また後で迎えにこようと決めてウィル達は悲鳴の方へと走っていった。残された二人の兄妹は幾分薄れ始めたもやの中にいる魔物に近づいていった。
「……おかあさん」
その失った者の名をウィル達は聞くことはない。ただウィルの手には嫌な手応えが残り続けていた。
『シークエンス2へシフトします』