151話 インフィニティア
隙間なく埋められた本棚に囲まれ、その差で小さく見える木彫りの机と椅子。その椅子は前後が湾曲した板でつながっており、ゆらゆらと揺れていた。もちろん、そこに座っている人物がいるからで、黒髪の幼い顔をした少女。喪服のような漆黒のドレス、白い脚が組み替えられる度に太ももまで覗く。運動はからっきしだと分かるほどにその肉付きは華奢で、分厚い本を片手にページをめくる音が本好きの証明だった。
時折、尖った耳がぴくりと動くのは面白い記述があった時で本人はその癖に気づいていない。ふとページをめくる手が途中で止まり、別の意味で耳が動くと残念なのか少し尖りが垂れ下がった。
「静かになったと思ったらもう次か。これだから人間は嫌いなんだ」
嫌気を交えた声色、本を閉じると本は浮き上がり本棚の自分の居場所へと収まる。少女は椅子から立ち上がるとその反動で椅子はさらに揺れた。
「たどり着けるものなら足掻くがいい」
その声をきっかけに光が空間を照らしていく。光は本棚のさらに奥を照らし、そこは巨大な図書館のようだった。そしてドレスを翻した少女は、あっという間に背が伸びその容姿を少女から美女へと変えていた。
その名はノグニス。人間嫌いであり人間を守る決意をした矛盾を孕んだ女性。その眼差しは怒りか喜びか、来る客人をもてなす準備をするのだった。
スルハ砂漠上空。相変わらず乾いた風で満たされた地域だ。飛空挺の甲板に立ち風を受けるウィルはどこまでも広がる砂漠を眺めていた。蒼穹ではない軍用の船を一隻借り、目的地へと飛んでいた。
何故一人かと言うと、出発の日に合流した仲間達、女性陣だけだが彼女達の視線というかウィルへの当たりが冷たく居づらくなったからだった。
ふと、視線を感じて振り向くと、オルキスが後ろ手にこちらを伺っていた。
「ん、どうした?」
船内にいたときは話しかけても妙によそよそしかったため、ウィルを追いかけてきたのは意外だった。ウィルの声かけに決心がついたのか小走りで寄りウィルの正面に立つ。何か後ろに持っているのか時折、影から覗かせる。
「え、えっと」
正面に立ったまま進捗しない時間に、ウィルの口からはつなぐためだけの言葉が漏れる。
「あ、ごめんなさい! これ!」
何に謝っているのか、ようやく本来の目的を思い出したようで後ろに回した手を前に出す。そのか細い両手には蒼の軌跡が施された黒い鞘が差し出されていた。それに収まっている柄はフォルテが使っていた砕けたはずの柄だった。元はナイフだったそれをオルキスに預けていた。剣を修復するのかと思ったが、鞘まで用意してくれたようだ。
「……」
ウィルは両手で受け取る。日に照らされる蒼の輝きと黒は対照的だったが、引き締まった黒が蒼を存分に引き立たせていた。反応を返さないウィルに次第にオルキスは不安げな表情に変わっていく。
「えっと、気に入らなかったですか?」
ウィルははっとして焦って首を振る。
「ああ、ごめん。なんていうかすげえ綺麗で見とれちまった」
ぼん、と何かの爆発でも起きたようにオルキスの顔は真っ赤に染まる。その言葉は鞘に向けられた言葉なのだが、自分に言われたみたいな反応をする。
「顔真っ赤だぞ? ん? その耳のは?」
熱でもあるのかと思ったウィルだったが、オルキスの半分、帽子に隠れた耳に注目する。蒼い小さな宝石を吊したイヤリングのようだった。
「ほえっ? あ、ああ、と、とりあえず剣を抜いてみてください」
ぼーっとしていたオルキスは焦点を現実に合わせ、言葉に詰まりながら剣を抜けと促す。
「お、おう。そういえばそうだな」
本番で抜くよりも今、確認した方が良いと考え、ウィルは左手で鞘を握り、横にしたまま右手で柄を握った。いざ引き抜こうとした時に、オルキスに止められる。
「あ、マナを注ぐイメージでお願いします!」
「マナを? インフィニティアと同じようにってことか」
それの真意は分からなかった。何故ならインフィニティアは砕け散っており、復元はおそらく不可能だと思っていたからだ。だが、そう言われた以上、その通りにするしかないので、いつぶりか、右手を通してマナを注ぐ。かつてアドルのマナで纏った剣を初め、いくらがんばってもナイフのままだったこと、レインシエルの灼熱の剣で一人で兵士達に挑んだこと、そしてフォルテが初めて前に出て鞘が砕けたことを思い出す。今思えば、覚悟も持たないまま砕けてしまった鞘に申し訳ないとも気持ちがあった。
だが、今は違う。守る覚悟、殺す覚悟、前に進む意志を持った。右手に力が入る。そして両手の力を逆方向へもっていく。溢れる光、オルキスのイヤリングも蒼光を灯し呼応する。刀身が姿を表していく。光は色を変え、濃い紫の輝きが星の煌めきの如く迸る。その濃さはオルキスの髪よりもその右目の紫と同じだった。
そして、オルキスから距離を取ると一気に引き抜き一閃する、紫光を纏った剣は振り切られると紫光の固まりが剣から放たれ、甲板に置いてある木箱に着弾し爆発した。紫色の爆発光からしてそれがウィルのせいだということは、どんな言い訳も通らないだろう。
「おおおお!? すっげえ!! 爆発したぞ!!」
子どものようにはしゃぐウィルにオルキスも最初は喜んだものの、苦笑いに変わっていく。
「成功です!! やったあ! 爆発っていうのは少し納得いきませんけど……」
確かに爆弾ばかり創ってはいたもののその性質を引き継ぐということは性根が爆弾好きと突きつけられているようで少し悲しくなった。
ウィルは剣を鞘に納め腰に携えると、オルキスの両手を力強く握った。
「これインフィニティアか!? そのイヤリングも関係あんの!? いや、とにかくすげえよ! さすがオルキス!」
ぶんぶんと掴んだ手を振る。オルキスの手に伝わる気温とは違う暖かさと間近で喜ぶウィルにだらしない笑みを浮かべる。ニーアのマナによる調整があったからこそだと言いたいがこのまま溶けてしまいとも思った。結局それは後回しになる。
「襲撃か!? て、なんじゃこりゃあ!!」
船員達が一斉に詰めかけ、木っ端微塵になった木箱の惨状と、近くで手を握り合っている二人の若者の異常さに船員は現象と原因をつなげるのに時間がかかった。しばらく交互に惨状と異常を確認した後。原因である二人は司令室でメレネイアにこっぴどく怒られた。船長のダビットというおっさんもその役を取られ、むしろ同情した。