149話 オズワルト
先を行く過去のオルリは一度も振り向くことはない。通路を行き交う軍服や白衣達は外の人達とは違い、大抵はオルリに立ち止まり挨拶をしていく。大抵という通り、一部は敵意の視線をむき出して一瞥してその脇を通り抜けていくものもいた。
ニーア達に向かってくる人々をニーアは避けようとはするが、結局は通り過ぎていくだけなのでその内、あきらめた。敵意を放っていた白衣の男がニーア達の側を抜けていく。
「騙されねえぞ、俺は……」
彫りの深いその緑の瞳には怒りを込め、その後ろ姿を睨めつけていた。
「ジョン、なにやってる。遅れるな」
その先にいた同僚の男が声をかけるとジョンと呼ばれた男は舌打ちして、通路の横にある曇りガラスでできた自動扉が開くと中へ消えていった。
敬意を持つ大勢と敵意を持つ一部がいることの理由がニーアは気になった。突き当たりを曲がると、過去のオルリが扉の中へと入っていった。
「なにを聞きたいのかは分かる。まったく根拠のない話だ。ただタイミングの問題だった。人間の過去感情はそうそう拭い切れぬものではない」
ニーアが望んだ理由への回答ではなかったが、それ以上、掘り下げることはできなかった。開いた扉へもう足を踏み入れていたからだ。そして、円卓を囲む多数の人を視界に入れればその疑問は隅へと押しやられた。
「来たか、オズワルト」
白衣を羽織っただけの黒髪黒目の男性が過去のオルリに気がつくと、手元の長方形の板から投影されていた画面を消して、顔を上げた。
「ああ、遅れてすまない。クスノキ」
過去のオルリ、いやオズワルトは若干嬉しそうに微笑む。ニーアは隣の仏頂面を続けるオルリと見比べてその差に驚いた。
「オズワルトは捨てた名前だ。俺はオルリと呼べばいい」
またも先に疑問に回答された。今度は正しい回答だった。
その部屋は中心に白い円卓があり、座る者と所在なさげにうろつく者、自分の携帯端末でなにやら操作する者と様々だった。前方には一辺を埋める巨大なモニターがあり、細かく分割された映像には先ほどのキャンプや海の光景、そしてエヴィヒカイトが前面に投影され、その背景は前に出ている映像で隠れて見えなかったがこの大陸全土を俯瞰した映像であることはなんとなく理解できた。
「気にするな。まだ肝心の奴が来ていない」
クスノキはやれやれと首を振る。それにいらついたのか恰幅の良い金髪の男が机を平手で叩いた。
「ええい、いつまで待たせるんだ。早くせねば残った人類も死ぬのだぞ」
「それはごもっともです。副大統領、失礼、大統領になられましたね。しかし、焦っても仕方ありません。現に研究員達が寝る間も惜しまず努力した結果が、かろうじて人類をつなぎ止めているのです。それに彼は貴国出身でしょう」
円卓で物静かに座っていた細身の男性が一国の代表をたしなめる。その細身の体は、やつれた顔を見る限り、細身になってしまったとも考えられた。だが、その目に諦めの影はなく、力強く照明の明かりを反射していた。
「首相……いや、こちらこそ、貴国の努力の結果だということは分かっている。謝罪しよう」
かつての立場は逆だったのだろう。まだ何か言いたげだったがここまでことがあるようでそれ以上は、未だ出た腹に押しとどめたようだった。
それぞれの席の前には国旗が入ったネームプレートが置かれていた。首相の言葉に周りの要人達もそろそろと腰を落とす。オズワルトも首相の隣に腰を落とす。
そしてタイミングを計ったように扉が開く。
「いやあ、すみません!」
大して悪びれる様子もなく、入ってきた男にニーアはさらに驚いた。
「ユグドラ……ウス……?」
それが幾分若い頃のユグドラウスだと直感すると、急激に視界がぼやけ始めた。その様子に気づいたオルリがふらつくニーアを見つめる。
「どうやらここまでのようだ。次の解放で会おう」
それが夢の終わりを告げる言葉だとニーアは、それに抗うものの夢の中で眠りにつくのも不思議だが、猛烈な眠気が襲う。
「……では。――――計画を……十二人の協力者……願い……」
途切れ途切れになるその場の会話は視界が暗くなるのと同時に聞こえなくなった。
夢から覚めても日光が差し込むことはない。差し込むのはそれに似せた人工の明かり。スポットライトで照らされた椅子の上で足を抱えていたアリスニアは顔を上げる。
絹のような髪を梳く。この人工的な明かりであってもきらきらと美しく光を反射する。
「見ているつもりが見させられてる気がしてきた」
裸足を床につけると一瞬ひんやりと冷気が伝わってきた。だがそれもすぐに暖かくなり腰に手を当て鼻から息を吸い両手を上げ背伸びする。
「次はノグニスか……私も行ったことはないけど、大丈夫だよね」
彼らの次なる目的が無事果たされることを空の見えない天井を仰ぎ祈る。
『やっと半分ですね』
無機質な女性の音声がどこからともなく響いた。唯一の話し相手が人工知能の産物ではあったが、抑揚のない口調の割には言うことは人間らしく、アリスニアは嫌いどころか好きだった。
「そう、だね。ただ問題は外の状況かな。そのへんはルイに任せてるけど、どうなるか分からないなー」
この先の見通しがつかず、右手の人差し指を何かを招くように動かすと、なにもなかった空間にモニターが投影される。それを慣れた手つきで操作していく。
『あえて言うなら見通しがつかないことは良いことではないですか? アリスニアの顔もそう悲観的ではないようです』
どこから見ているのか、とアリスニアは眉をひそめるが、確かに改めて思えば、悲しみはない。どちらかと言えばこの先が楽しみだとも感じていた。
「それを楽しめるってことは見通しがつくことが楽しくないって知っているから。外の彼らのおかけで選択肢が紡がれていってる。どう転んでも後悔はないよ」
『心から同意します。』
心を口にする彼女に笑いを堪える。それは嘲笑ではなく嬉しさの感情だった。
「ありがとう」
『あなたのおかげで自己を獲得したのです。その恩は忘れません。ただ本体は役割を果たすだけ。せめて記録を続けましょう』
アリスニアは頷きで返しモニターを操作する手を止める。その中心に浮かぶ文字には、アーカーシャ、と記されていた。