148話 記憶の世界
ユグドラウスの声から離れ、気づけばニーアは海岸に立っていた。朧気ではっきりとしない五感に夢の中だと確信する。
海に振り返ると桟橋にはアークが横付けされており、船員が荷物を休むことなく降ろしていた。
「おい」
不意に呼びかけられ陸にむき直すと、目の前に耳の尖った種族、エルフと呼ばれていた、オルリがニーアを見下ろして立っていた。
「また来たのか」
嬉しさも怒りもなく淡々としていた。オルリだと分かると同時に現実で会ったオルリとはやはり別人のように感じた。見た目も若く、白い肌に照りつける太陽を忌々しげに手で影を作っていた。
「あのオルリなの?」
ニーアの問いかけに耳をぴくりと動かす。
「あのとはどの俺かわからないが、ここは暑くて叶わん。キャンプに行くぞ」
太陽に向け悪態をつく姿はニーアが知っているオルリではないように思えた。話し方もそうだが、どこか人間らしい情緒の起伏が感じられた。これが過去のオルリだとしたらなにが彼を変えたのか興味が湧き、ニーアはその後ろをついていった。丘に続く舗装された道には多くの人々が列を為していた。その脇を通り過ぎていく四輪の車両。自動車という名称がニーアの頭に湧き出た。アストレムリで見たように地上を飛ぶのではなく
地面に車輪をつけ走行するものだった。
「お前の存在は積極的に認知されていない。まだ理解できたわけではないが、ここは記憶の世界のようだ。世界の記憶といったほうがいいのかもしれないが、現にお前を認識している俺と記憶をなぞる俺がいる」
丘を登りきった先でニーアは信じられない物を目にする。見覚えのある天を穿つ姿だった。
「エヴィヒカイト……!?」
それは距離はまだまだあるもののアストレムリにそびえ立つエヴィヒカイトの塔だった。天を穿つ塔の頂点は距離のせいか霞んでいて見えない。それ自体は記憶と同じだった。
「エヴィヒカイト……ずいぶんと意味が伝わらない名になったものだ」
オルリはその呼び方に覚えがないようで、見上げることもしなかった。おそらくその上に輝く太陽のせいだろう。そして、ニーアは眼下を眺める。その光景に思わず息を飲んだ。知識が流入したせいか日差しのせいか目眩すら起こす。
眼下に広がるのは平坦な場に立ち並ぶテントの数々、奥にはしっかりとした建物が密集し人々の流れからしてテントは彼らの宿泊用、建物は関係者のためのものといったところだろう。建物の屋上にはいくつもの旗が靡いており、中央にこの太陽を表すような白地に赤丸の旗が目に付く。その両側には紅白と星の旗や白、青、赤の三色旗、それぞれデザインの違う旗が風で広がっていた。それが国旗であるとはテイントリアでの国々も同じ光景があったことから理解できたが、数の多さに驚いた。
「あれは地球共同体連合に参加している国の国旗だ。もっとも国などという枠組みは無意味になったがな」
他人事のような言葉とは裏腹にオルリの視線はどこか暗く影を落としていた。唇を噛むような仕草から悔しさや無念さが伝わってくる。
「チキュウ……地球はこの星のこと?」
遅れてきた知識が地球という星の名称を告げる。ニーアの言葉に気を取り直したオルリは目線をニーアに向ける。
「そうだ。日本語で翻訳されているのか、言語体系が残っているのも考えられるな」
「日本……?」
それの知識は前の夢での港があった国の名称と日の丸の国旗がそれだというくらいしかなかった。新たな知識が流れてくることは待ってみたがなさそうだった。
「そう。地球共同体連合の中心になったな。中に入ろう」
暑いのが相当応えているのか、足早に奥にある建物へ向かっていった。通りには地面を見つめて座り込む者と、子どもをあやす母親とそれに怒鳴る男、喧嘩を初め軍服の男達に取り押さえられる者達、周りを気遣う余裕すらないと泣きわめく迷子の子どもに目を向けたりもしない。太陽が照らす世界は影で満たされていた。
「配給は平等に充分に行っています! 争わないで列に並んでください!」
「治療はトリアージによって優先者から行っています! 思いやりを忘れないで!」
「世界に審判が下ったのだ! 神の粒子であるマナを自らの文明のため、かつての化石燃料と同様に身勝手に使った天罰なのだ! 魔物たる怪物と邪なる耳を持つエルフが生まれ出たことから明白だ!」
エルフという言葉に本人は見向きもせず建物の入り口へ向かう。建物は近くで見てみるといくつもの柱で支えられ地面から少し高い位置にあった。金属で組まれた階段の上にある入り口の両側には迷彩服の兵士が、黒く長い筒状の持ち、姿勢を正していた。
「待て! 身分証を……いや、失礼した。どうぞ」
兵士はエルフたる所以である耳を確認すると、軽く詫びた後扉を開ける。
「ありがとう」
ニーアは隣のオルリではなく、少し後ろから聞こえた彼の声に、思わずオルリを見上げる。その姿が二重に重なったかと思うともう一人のオルリが階段を上がり中へと入っていく、一段ずつ上がる度に金属の振動音が響く。
「あれが記憶の俺のようだ、開いている内に行くぞ」
ちょうどこのオルリの後ろに当時のオルリがいたようで、重なって見えたのも後ろにいたからだった。当然、あちらのオルリはこちらに気づくことはなく、開かれた通路を歩んでいく。どうなるかはわからないが、閉められる前に早足でその後につく。音こそなるもののそれが聞こえていないようで兵士は、ゆっくりと扉を閉めて再び直立した。
この辺の描写はうやむやにするかもしれません。