138話 足踏み
突如、訪れた静寂に耳が鳴る。それを破ったのはようやく氷の呪縛から抜けだした兵達だった。階段を降りた王達を守るように囲む。
「猊下を守れ!」
何が起こったのか分からなかったのはレインシエル達も同じで、その声に弾かれるようにウィルの周りを囲む。ルイノルドはその光景を仮面から覗く蒼の瞳に悲しげに映していた。
「……負けは負けだ、一応時間稼ぎはできたからな。グレイいいな」
「……ああ」
サーヴェ達は剣を鞘に納める。一応の終結を迎えたレインシエル達も武器を納めた。ルイノルドは限界を迎え膝を降り倒れそうになる上半身を突き刺した剣で支えた。
「お父さん!」
ニーアがかがみ込み、ルイノルドを初めて間近で捉えた。
「え……」
ニーアは言葉に詰まる。ルイノルドは思わず瞼を閉じ顔を逸らした。その行動が更にニーアを焚き付け仮面に手を伸ばす。何故か邪魔しようとしてくるプルルをニーアは払いのけ、ルイノルドは動けないままでそれから逃れることができないでいた。
「――――! ルイノルド!!」
呆けていたフォルテが急に顔を上げルイノルドに叫ぶ。ルイノルドはその声に初めて背後に迫る存在に気づいたが、体は既に動かず、無理矢理張っていた糸を張り直すなど不可能だった。唯一、行動に移したのはニーアだった。ルイノルドの背後の空間が歪んだその時、その間に割り込み、腕を目一杯に広げルイノルドを隠す。再び首を回したルイノルドと目が合った。ニーアが何かを掴みつかみかけた所で、脇腹が焼いた鉄の棒に当てられたように熱くなった。
『奥の手は敵の後でしたかな』
歪みから聞こえた年老いた男の声、そこから伸ばされた腕はナイフを持ちその切っ先はニーアの脇腹に刺されていた。歪みが後ろの景色を取り戻す。そこにはローブ姿の男が立ちゆっくりと血が飛ばないように優しく
ナイフを抜いた。
ニーアが倒れる。ルイノルドは気力を絞りニーアを受け止める。
「おい、ニーア、ニーア!!」
「直接の痛みには慣れてませんか」
男はゆっくりとした動きでナイフから滴る血液を細長いガラス瓶に向けると、仄かな光と共に血が瓶に移動しナイフは元の光沢を取り戻した。
「なにを……なにをしている、オルリ!!」
グレイが怒気を含んで叫ぶ。それを心外そうに目を細めグレイを見下ろすオルリという男は血液の入った瓶をローブの中に納める。
「なにを、とはどう考えても聖帝方の手助けに参ったのに、まるで敵に向けるような目を私に向けるとは……」
オルは大げさに悲しげな表情を浮かべ顔を振る。
「見え透いた演技など……!」
「それに、血が必要だったんでしょう? この通り血は頂きました。目的を果たしましょう」
グレイの怒りなど気にしない風でオルリは話を続け、もう一人、殺意を突き刺す視線と顔を合わせる。
「ルイノルド……でしたか。いつ檻を抜けたのかは気になりますが、アリスニアあたりでしょうね」
鼻を鳴らしオルリは玉座の後ろへと歩き始める。目的は地下なのは明白だった。
「行かさんぞ……」
フォルテはその行く手に砕けた剣を構え立ちふさがる。その剣だった残骸を見据え、フォルテに視線を移す。まったく脅威とは見ていないのか歩みは止まらず距離はせばまっていく。
「やれやれ。エファンジュリアが意識を失った以上、剣翼は出せまい。それともその玩具で私に勝てると?」
「勝てなくても……いかせるわけにはいかん」
フォルテは一歩も退くことなく中心にオルリを見据える。そしてレインシエル達もそれにならいオルリの前に立つ。そこでようやくオルリは足を止めた。
「なんかよくわからないけど、あんたは敵、それは分かってるからね」
双剣を構えるレインシエルと構えるメレネイアを順に眺めるとオルリは心底嬉しそうに笑った。
「これは……懐かしい。濃いエルフの血脈です」
「懐かしい……? エルフに出会ったことでも」
メレネイアはまるで過去にも繋がりあったような物言いに問いかける。オルリの笑顔は狂気を感じるほど歪み引くついていた。
「ええ、懐かしいですよ。懐かしくて……」
そこでオルリの表情は一変した。嬉しさなど欠片もなくなりフードに見え隠れする瞳が鋭く尖った。
「消え去ればいい」
ただ呟いたような言葉でその場は凍り付いた。一同の体は石像のように硬直する。
「なっ……」
ダーナスは体に力を入れ、顔を歪ませるものの体は微動だにせずその異常さから汗がにじみ出る。
「どうして……」
オルキスは杖すら離すことができず自らの置かれている状況に戦慄した。誰も臆したわけでも気圧されたわけでもない。意志に反してまったく動かない体に後から恐怖した。
その状態にオルリは気づいたようで鋭い目つきを緩めた。それと同時に束縛が解け、自由になった体を一同は確かめる。
「失礼しました」
一変してオルリはおどけてみせる。意図しないことだったのか申し訳なさそうにも見えた。
「威圧……? 殺意を感じたわけじゃねえが……」
ジェイルは自身の経験から敵の威圧で身がすくんだと考えたもののそういう空気は肌に感じることはなく、いきなり体が止まったという印象が強く、明らかにオルリが原因だということは分かるが理屈が分からず得体の知れない現象に恐怖を抱く。
「心配せずとも危害を加えるつもりはありませんよ。少なくとも今は」
再びオルリは歩みを進める。それを見過ごすわけはなくオルリを取り囲む。
「……行かせないと聞こえなかったのか?」
フォルテは一歩も動かない。
「フォルテ!」
レインシエルが自分の剣を一本投げ渡し、フォルテはそれを受け取ると砕けた剣と短剣を構える。その目には恐怖はなく闘争心が沸き立っていた。
「……やれやれ、剣聖フォルテ、あなたが他人のために戦うなんて……いやそれも順調ということですね」
「……」
フォルテは口を開かず間合いにオルリを捉えていた。退く様子がないことをオルリは呆れたのか肩をすくめる。
「不本意ですが仕方ありませんね」
誰もがその言葉を聞いてオルリが戦う腹を決めたのだと思った。闘志を今一度奮い立たせ武器を強く握る。オルリは武器を持っているかも不明だったが抜くような素振りはいっさい見せず。ただ、片足を少し上げ床を叩いた。
足音が反響し、それをきっかけにフォルテがオルリに切りかかる。隙だらけに見えたオルリを一撃で仕留めることは容易かった。だが、レインシエルから預かった剣は空を切る。それどころか今目の前にいたはずのオルリの姿もろとも消失していた。
「消えた……?」
空間の歪みが出現したわけでもない。突如として姿が消え、気配すら残っていなかった。
「だってそこに……」
それは他の仲間も同様のようで、レインシエルは標的を失い剣を下ろさざるを得なかった。
「ルイノルド、分かるか?」
フォルテはニーアの側にいたルイノルドに目を向ける。ルイノルドはニーアを抱えたままフォルテと視線を交わした。
「お前もか……」
その声色に力はなくフォルテを見据える蒼は震えていた。
「……」
その意味を察したのかフォルテは押し黙った。
「ちょっと待ってください! 彼らも居ません!」
辺りを見回していたティアがもう一つの変化に気づき、階下を指さす。そこにいたはずのグレイとサーヴェ、騎士はおらず溶けた氷が水たまりを作っていた。メレネイアはそれを注意深く見ると視線を何かに沿わすようにして地下へ目を向けた。
「そんなことが……」
それは複数の足跡だった。水たまりを踏んでいたであろう足跡が地下へと続いていた。それはフォルテが立っている直ぐ横に繋がっており、いつの間にか脇を抜けていったようだった。
それが不味い状況だと気づいた時、確かだと答えるように地響きが起きた。
「地震!?」
「きゃあ!!」
天井から崩れ落ち、目の前に岩が衝突する。オルキスがその衝撃に尻餅をつく。それだけではなく壁も崩れ始めていた。
「この城は持たない! 出るぞ!!」
ルイノルドが通路を指さし脱出を命じる。フォルテがニーアを受け取り出口に向かう。それを見て一同も続く。
「開けてくれーー!!」
地下への扉が叩かれる音が聞こえた。助けを求める声にのろのろとルイノルドは立ち上がり扉を開けると3人の兵士が突如開いた扉につんのめり重なって倒れ込んだ。
「開いた!? って敵!?」
三人はジェイルを運んで来たアストレムリの兵士だった。ようやく開いた道に見ず知らずの人間が居ることに敵だと思い硬直する。その時彼らの頭上に瓦礫の固まりが落ちてくる。
「て、死んだああああ!!」
死を直感した三人は互いに抱き合い、短い人生を共に終わらそうとしていた。だが直前でルイノルドの剣で蒼い光とともに瓦礫は粉々になり、来るはずだった瓦礫から三人はルイノルドにきょとんとした目を向ける。
「……逃げるなら早くしろ」
ルイノルドがそう言うと、一瞬の間の後、一目散に玉座を駆け下りていった。
「なんか知らんがありがとう!」
「仮面似合ってる!」
「仮面も早く逃げろよ!」
去り際にルイノルドに声を駆け通路の奥に消えていった。
「あいつ等とは戦いたくねえな」
ルイノルドはそう言うと皆とは逆、開け放たれた地下へと走っていく。地下への入り口は瓦礫で埋まり、ほどなくして玉座諸共、瓦礫で埋没した。