132話 空へ
出涸らしのように干からびたジェイルを余所に、イストエイジア旗艦【蒼穹】に乗り込む。イストエイジアが秘密裏に製造していた現段階で最高の装備を積んだ飛空戦艦は整備を追え、陽光にその体を照らしていた。
「おっきい……! わたた――――」
見上げるには首が痛くなるほどで、オルキスは危うくそのまま後ろに倒れるところだった。
「なにやってんの、あんたは」
後ろで支えてくれた人物にオルキスは恥ずかしそうに頬を染める。
「あはは、お母さん、お父さん見送りに来てくれてありがとう」
オルキスの両親、オルティとキャスが見送りに来ていた。
「まったく、忘れ物ないか?」
旅行にでも出かけるのか、見送りには緊張感がなかった。キャスは大きな荷物を抱えるオルキスをひとしきり眺め、忘れ物を問う。
「大丈夫だって、忘れ物なんてないよ、あ……杖」
ようやく背中に担いでもなく、手に持っているでもなく見あたらない杖に気づき、顔面蒼白になっていくオルキス。それを笑みを浮かべて二人して笑った。
「やっぱりねえ。普通気づくでしょうに。面白かったから言わなかったけど。はい」
オルティは自らの鞄からするすると杖を取り出し、オルキスに渡す。
「あ、ありがとう! あれ? いつものじゃない」
その手触りの違いに杖をまじまじと眺める。上部に小さな可愛らしい一対の羽が縁取られた円形の紋章と、その中央に座する石、そこから紫色の光が上から下へと流れる杖に以前のとは違った。むしろ手触りは前のものよりもしっくりときていた。
「今できる私達の最高傑作よ。使いなさい」
オルキスは思わぬプレゼントに目頭が熱くなる。そんな時間も素振りもなかったはずで本当に予想していない贈り物に両親に抱きつく。
「ありがとう! 全然わからなかった!」
「そりゃ隠れてやってたからね。忘れていくとは思わなかったけど。後、あれもちゃんと渡しなさいよ」
あれという言葉に荷物ではなく懐にある重さを感じた。
「うん。ニーアさん、ニーアと創った私達の最高のプレゼント! 絶対に渡すよ!」
腕を放し、その胸に手を添える。
「それだけは私のを越えたと認めるわ。それとその石、分割したエリクシル結晶を使ったから触媒としては最高品よ。あれの対策はつくる時間なかったけどそれで創るなりなんなりしなさい」
改めて杖にはめられた石を見る。幾分小さくは加工されていたがエリクシル結晶が納められ杖全体に力を纏っていた。この力ならばまともな錬成も可能になると確信した。
「うん……! 行ってくるね!」
「ああ、行ってらっしゃい」
「無事に帰ってくるのよ」
その強大な力と共にのしかかった責任の手を振りながら再びの度へと駆けだした。
ティアはヨネアは戦艦を前にしていた。
「聞いてないんですけど!」
そう憤慨するのはティアだった。てっきり見送りに来たのかと感傷に浸ろうと涙の準備は万端だったのにその瞬間は訪れなかった。
「いつまでふてくされているの。ミディエラーとして無茶しかしない妹の監督役として同行します」
転換機の入った鞄を片手にティアの前をしっかりとした足取りでタラップを進む。
「ああ、オルキスめ余計なことを」
無茶っぷりをおそらくオルキスから聞いていたのだろう。既に甲板に登っていたオルキスのばつの悪そうな顔で想像できた。しかし、文句は言うものの姉がいるということは心強かった。もちろん口には出さなかったが、ミディエラーとしてということはアドルに施されたマナを阻害する力に対応するためだと、さすがに見当がついていた。現に数を増やしたミディがあの鞄に入っているのだろう。根本的な対応策はまだなく、その攻撃を受けた際の治療には確実にミディエラーの力が必要だった。
「どうしました?」
進みの遅い妹に振り返り姉は追いつくのを待っていた。まるで子どもの時のように戻った気がした。
「ううん」
足を早めて姉に追いつきその背を追い越した。
「へっへーん。ティアの勝ち!」
自分のことを名前で呼ぶのはいつぶりだろうか、とティアは感慨にふける。やれやれとしながらもヨネアはティアの背中を追う。
姉を守るのは自分だ。姉の前に立つ覚悟はできていた。
ダーナスは皆、乗り込んだところでアドルにしばらくの別れを告げる。
「それじゃあ、行ってくる」
「ああ、済まないな。本当は俺も行きたいのだが」
アドルは悔しそうに蒼穹を仰ぎ見る。ダーナスはアドルの胸を小突いた。反応できずにアドルはそれを受け止める。
「病み上がりは大人しく休め。帰ってきたら手合わせだからな。だから鍛え直しとけ。どうせ私が勝つがな」
アドルは軽く笑い頷き拳を突き出す。
「今まで勝ったことないだろう。また返り討ちにしてやるさ」
ダーナスはその拳に自分の拳を合わせる。子ども以来の挨拶が懐かしかった。
「……行ってくる」
ダーナスは顔を隠すようにすぐに戦艦へと振り向き走っていった。泣きそうになった自分を見せたくなかった。
「変わらないな……」
その照れ隠しはアドルには筒抜けで優しい瞳にダーナスの後ろ姿を映し続けていた。
そして、戦艦の駆動音が大きくなりタラップが上がり始める頃、弾むような軽やかな音がアドルの脇を通り抜け、オルティ達を通り抜け飛び抜けていった。
「さて、行きますか!」
ニーアは甲板に集まった仲間達を一瞥する。
メレネイアとレインシエルは既に甲板で皆をニーアと一緒に待っていた。
ユーリとアイリは最後まで現れることはなく、戦力は少なくなったが、それでも向かう足を止めることはない。
「ねえ、あれ」
風に乗って微かに聞こえてきた悲痛な叫び声にレインシエルがとがった耳をひくつかせ気づいた。
「……って。ちょっと待ってぷ! 置いていかないでぷ!!」
一匹の特異スライムは寸でのところでタラップから飛び込み甲板へと回転しながら着地しニーアの足下で止まった。
「ああ、忘れてた」
ニーアがプルルを拾い上げ抱えた。
「ひ、ひどいぷ……置いて行かれるなんて昔みたいぷ」
相当、嫌な思い出があったのかすすり泣きながらニーアの腕に埋もれていった。
「? さあ、気を取り直して出発!」
ニーアは腹に力を込めて向かう先を指さした。
それに反応したのかはわからないが戦艦は空へと上がっていく。
『蒼穹、発艦。乗員の皆様、これより上昇を開始します。今しばらく最高の景色をお楽しみください。なお船員は持ち場に着き業務に当たれ』
軍属とは思えずどこかの観光にでも行くようなアナウンスに気を削がれながらも言われた通り眼下を眺める。オルティ達が手を振り、整備員達も一緒にその旅立ちを見送っていた。姿が粒のようになるまで皆も手を
振り返し続けた。
一旦落ち着き周りを見回すと蒼穹を囲むように他の船団が共に空を駆けていた。
船内へと皆入っていくなか、最後まで忘れられていたジェイルが声をかけてくれなかった悲壮感を漂わせながら地上に雨を降らしていた。