128話 陽光
目を覚ますと腕の感覚がなかった。
どうやら机に突っ伏して寝てしまっていたようだった。
ニーアは段々と戻ってくる腕の痺れと共に夢の情景を思い出す。
その生々しさからか忘れることはなく、むしろ鮮明に覚えていた。
あの世界にしかない知識が、あれがいつかの過去の世界であることを直感した。
「ぷるっ?」
妙に重さがある頭をあげるとプルルが乗っていたせいのようだった。
転がり落ちたプルルは寝ぼけ眼で人間のように大きく欠伸を噛みしめる。
「プルルも見たの?」
「……なんのことぷ?」
そうとぼけるプルルだったが明らかに黒い目が泳いでいたため嘘だと分かる。
「嘘が下手。ウィル兄じゃないんだから」
それ以上、咎める気は起きなかった。
それよりもこの場が医務室であると思い出したことが優先された。
「おはようございます。お疲れのようだったのであえて起こしませんでした」
晴れ晴れとした表情でヨネアはニーアを向かえた。
その表情からうまくいったのだと確信し力が抜けた。
「ごめん、ずっと見てたら寝ちゃってた」
ニーアは立ち上がると、ベッドの脇でアドルの手を握ったまま眠り落ちていたダーナスの寝顔を見て微笑む。
陽光に照らされる顔は清々しく安堵が溢れていた。
「経過は良好です。もう少しすれば意識が戻るかと。私も仮眠させてもらいますね。ふあ……」
ヨネアは欠伸を小さくして同じ部屋にある仮眠室へと姿を消した。
ティアの姿はなく、オルキスも既に部屋を出ていたようだった。
「なるほどね」
アドルとダーナスだけを残してニーアも部屋を後にした。
ーー五時間前
ミディの完成の知らせが憤慨したニーアに届くとすぐに気持ちを切り替え医務室へと駆けた。
「皆さん、お揃いですね。では早速、念のためニーアさんの力を借りるかもしれませんので、その際はお願いしますね」
「うん。任せて」
力を借りるとはニーアの唄による空気中のマナをヨネアに同調させることだった。
初めてのエリクサーの使用は想定外もありうるため、保険としてニーアの力が必要だった。
だが、その心配はまったくなかった。
「術式『エクスキュリア・オルキス』起動」
「え、わたしの名前!?」
オルキスは唐突に出た自らの名前に驚く。
「新しい術式ですので、それにオルキスの錬成したエリクシル結晶ですからね。名前を使わせてもらいました。たぶん歴史に残りますよ」
「なんだかむずがゆいです……」
オルキスは帽子を両手で引っ張り顔を埋める。
耳が真っ赤なのは帽子に隠れていても用意に想像できた。
「ふふ。では集中しますね」
ヨネアそう言うと表情を固くさせてアドルに向き合い、瓶の蓋を明けアドルの上に液体を落とす。
落ちていく液体は落下しきることはなく途中で止まり布のように広がる。
ヨネアは右手をミディに翳すと光が灯り周囲のマナが右手に沿いながらミディへと流れ始めた。
「同調がこんなに早いなんて、抑えるほうがつらい……」
マナの粒子は輝きを増し、勢いを増しながらミディに渡り、やがてミディは布状を変化させ、先端が砂のように解けアドルの胸に注がれていく。
やがて胸の傷から黒い液体がせり上がり、ミディにくるまれながらその色と形が分解されていく。
「これが、諸悪の根元ですね。効果は正反対ですがまるでミディのような組成です。分解はやめて採取しますね」
ミディにくるまれた黒はそのままアドルの体を離れヨネアは瓶にそのまま入れ、蓋をした。
すると、緑色のミディが解かれ球体が浮かぶ。
それを、ティアは受け取ると転換機の空いたソケットに差し込んだ。
「邪魔なものはいなくなったのでマナの正常化と傷の修復に移ります」
ヨネアはダーナスの様子を確認しながら都度報告する。
不安を取り除くための報告を兼ねていた。
光が胸に優しく灯る。
ランプのような柔らかな温もりが見とれていたニーアをそのまま眠りへと誘った。
本人は眠りに落ちた自覚など一切なかった。
ーー
治療が終わり医務室にはアドルとダーナスだけが残っていた。
ダーナスも傷がふさがった安堵からか力が抜け張りつめた糸が緩み眠りこけてしまっていた。
アドルは腹に感じる重さを感じ、ゆっくりと目を開けた。
小窓から差し込む光に視界は霞み、一度、目を閉じかけるが、それでも瞬きを何度もしてやっと目が慣れてきた。
焦点は自分の腹で寝ているダーナスへようやく合う。
「そうか……生かされたのか」
胸に感じていた気持ち悪さがなくなり、手でさすると傷痕一つないようでむしろ開放感すらあった。
左手をダーナスの頭に撫でるように置くと、ぴくりとダーナスは肩で反応すると寝ぼけた顔で同じように目を瞬かせた。
「ひどい顔だな……」
ダーナスの目元の腫れと隈、やつれた様子に軽く笑う。
「おはよう……お兄ちゃん」
目尻に涙を溜め、ダーナスは兄の帰りを迎えた。
「ああ、ただいま」
アドルは長い間眠っていたことをダーナスの憔悴具合で察した。
それほどまでに心配をかけたことを悔やんだが、今はただこの幸福を、左手の温もりを感じていたかった。