122話 軟体は言葉を有する
――医務室
「皆さん、お疲れ様でした。その顔を見るに希望を持ち帰ったみたいですね」
ヨネアはウィルのことは聞いていたがあえてそれには触れなかった。
まっさらな白服から花のいい香りが漂う。
「姉様、後でいいので少し時間もらえますか」
一人浮かない表情をしていたのはティアだった。
「あなたから話なんて珍しい。旅先で成長したのかしら」
「成長というかなんというかちょっとね」
瞳を泳がすティアを不思議に感じたものの、珍しさもありそれを断ることはなく、柔和な笑みで受け入れた。
「土産話でも聞かせてちょうだいな」
「うん」
「……アドルさんはどうでしょう?」
オルキスが二人の会話の終わりを見計らってアドルの状態を確認する。
それに本来の目的を思い出したように手を叩き、後ろのカーテンを引く。
その様子から察するにより悪い状態ではないことが伺えた。
「現状維持ではありますが、正直これ以上は体力の低下も懸念としてありますしなんとかこちらから働きかけて悪化を止めていたという状況です。どうでしょう?」
よくよくヨネアの顔を見ると寝不足が顕著に現れていて時折、瞬きが多い。
「ありがとう」
ダーナスは疑いようのないヨネアの尽力に感謝し丁寧に頭を下げる。
頭を下げることが多くなったなとも少し思った。
「いえ、助けられる命なら全力を尽くすのがモットーですので、自己満足なので気にしないでください」
ヨネアはそうは言うものの真摯に感謝を伝えられることに嬉しくないわけもなくはにかんだ。
「お母さん。どうかな」
オルキスはルイノルドとの経験があるオルティにアドルの状態を確かめてもらう。
オルティはベッドに横たわるアドルの顔から胸の傷をなぞるように見る。
「結構な時間が経っていると聞いていたが大丈夫そうね。ミディエラーの力の賜物だ。ルイの時は崩壊が進んでいたから。これなら錬成も間に合いそうよ」
オルティの言葉にダーナスは胸をなで下ろす。
オルキスの母、オルティの姿をヨネアはまじまじと眺めた後、一拍置いて驚嘆した。
「え、あの希代の錬成士のオルティ!? いやオルティさん!? まさかお会いできるなんて!」
疲れはどこにいったのか顔を明るく綻ばせ、ヨネアは握手を求め、オルティは慣れているのか戸惑いなくそれに応じた。
「ああ、この感じ懐かしいな。罵倒される前はこんな感じだったな」
オルティはかつてを懐かしむ。
罵倒とは蒼の災厄に関与したことによるものだろう。
それ以前はその評判通り憧れの存在だった。
「アストレムリではそうかもしれませんが、こちら側ではむしろ祖国の英雄ですよ。ウィルさんの蒼の活躍のおかげで当時について再評価も始まってますし! あ……」
言い切った後にヨネアはまずったと表情を曇らせ、傍らで見守っていたニーアに目を向ける。
「ん? 全然いいよ。別に死んだわけじゃないし。むしろ皆気にしすぎ。私は早く跳び蹴り食らわせたいくらいなんだから」
ニーアは頬を膨らませ腕を組みふんぞり返る。
その様子にヨネアは安堵しようやくオルティの手を離す。
「それもそうだ。皆でめちゃくちゃにしてやろう」
ダーナスもニーアに乗り不敵な笑みを浮かべる。
「ぷるる!!」
さらにニーアの頭に登ったプルルも賛成と声を上げているようだった。
「ま、魔物!? こんなところに早く退治しなきゃ! ニーアさん離れて!」
事情を知らないヨネアは明らかな魔物に懐から毒々しい液体入りの瓶を投げつけようと取り出し振りかぶる。
「ぷ!? ぷるるるる!」
プルルはそれを見るなり危険を悟ったのかない首、もとい体を横に一生懸命振る。
それからヨネアがそれを納めるまで時間がかかり、ようやく話を元に戻すことができた。
疲れたのかニーアの頭で形を崩し、少し溶けたようなプルルは身の安全を確保できて心底助かったと表情を見せていた。
「た、助かったぷ」
「みてくれは完全に魔物だったって忘れてたよ」
「ああ、今でこそペットみたいなものだからな」
「早とちりしちゃいました……」
「姉様もあんな焦るなんて新鮮でした」
「ほんとに困ったものぷ」
「オルキス、まずアトリエに戻って錬成の確認しよう」
「うん、お母さん。お爺ちゃんもびっくりさせなきゃ--ってびっくりはそこじゃなーい!」
オルキスは思わず流しそうになった会話にぎりぎりのところで叫ぶ。
うう、とアドルが唸る。
「オルキスさん、患者の前であまり大声は……」
ヨネアは人差し指を口元で立てる。
「ああ、ごめんなさい、じゃなくてなんで皆そんなスルーしてるんですか!?」
オルキスは声量に気をつけながらもおかしな状況だと必死に伝える。
「オルキス、スルーとは別段、気にすることなんてないが」
ダーナスは首をひねる。
同じようにプルルも首、いや上部をひねる。
「そうぷ。きっと疲れてるんぷるよ」
その一言が時間をかけて皆に浸透していく。
脳内の隅々に行き渡った後、全員の脳に命令が下った。
全力で驚けと。
『はああああああああ!? しゃべったあああああああ!?』
うーんとアドルは唸る。
「皆さん、患者さんの前では……」
ヨネアが言いにくそうに小声で話すと皆、取りあえず深呼吸する。
「そうだぷ。最初からしゃべっているぷ。皆には通じてないだけぷ。本当困った人達……ぷ? まさか理解できてるぷ?」
プルルはニーアの頭から飛び降り机に降り立ち、心外そうに膨らんでいたが、言葉を止めると萎んでいった。
一同、頷く。
「そうぷか。通じてるぷか……ぷるうううううううう!?」
萎んだ体が再び膨らみ風船のようにパンパンになる。
「いや、本人? が気づくの遅いって」
ニーアは驚くのも疲れ果てあきれたように息を吐く。
「プルルさん。患者さんの前では……」
「うーん……」
アドルのうなり声が虚しく響いた。