116話 虚無感
ユグドラウスは空の変化に目を見張る。
「そうか、彼らの計画通りということか。ここを決戦に選んだのも……行くのかい?」
ふと視線を下ろし目の前の人物を見つめる。
既に女の方はこの場にはおらず彼女たちを迎えに行っていた。
「そうだな……ん、いや、状況によるか。その時は飛ばしてくれ」
仮面から覗く蒼き瞳はユグドラウスの瞳をまっすぐに見つめる。
「親も親なら子も子か。いいよ。たぶん調整できそうにないから全員ここから弾くけど。ルイノルド君」
「ああ、構わない」
ルイノルドは再び目線をウィルに戻す。
うなだれただレインシエルの顔を空虚な瞳に写している。
「ああ、分かってるよ。お前の気持ちはさ」
ルイノルドは小声でつぶやく。
自分のことのようにウィルの中で溢れてくる内向きの感情が手に取るようにわかる。
「そう、何故ならお前は……」
ちょうどその時、扉が開かれた。
「終わりまし……た?」
歓喜の表情から懐疑へ、そして悲壮へと物言わぬレインシエルを見つけ移り変わった。
そう、これは俺のせいだ。俺が甘いからだ。俺のせいでレインシエルは死んだ。
ーーそうか。それでどうする?
それで、どうも……しない。する気も起きない。
ーー力を貸そうか。
いいよ、もう何をしても過去はやり直せない。
ーーだからこそ気持ちだけでも空にしてもいいだろう。何も考えないようにつらい思いをしないように。
全て我に委ねよ。お前と共に過ごした時間は我にも失った感情という産物をもたらした。
お前が戦えぬならその体を委ねよ。全て終わらしてしまおう。
もう嫌だ。誰かを失うのも、俺の甘さも全部、全部!
ーー願え。紡げ。我の名を呼べ。我が宿主、ウィル!
ああ、全部終わらせて空っぽになればいい。空っぽすらわからなくなれば。呼んでやるよ。
ーー我の名は……剣聖
フォルテ・リベリア!!
どくん。
大きく鳴動した心臓にニーアは胸を抑える。
「なに……?」
マナが騒がしい。
唄え、唄えと急かしてくるようだ。
身の内に溢れてくる言葉を外に出すのを止められそうにない。
だが、精神力でねじ伏せ耐える。
これを歌えば、何かを失う気がした。
もう戻ってこないのではないとかとも不安になる。
自然とへたり込み俯くウィルへ助けを求めるように手を伸ばす。
肩をつかむ前に、ニーアの手はウィルの右手によって捕まれた。
ウィルの瞳だけがニーアを捉えた。
「唄え! エファンジュリア!!」
ウィルの命令に、ウィルの中の何かの命令に逆らうことができなかった。
それでも紡がないようにと口を押さえる。
「唄いなさい」
セラが更に唄を紡ぐ。
マナが更にうねり始めニーアへと降り注いでいく。
「いや……いや……」
口が予期せぬ動きで開き始める。
呻くように、途切れ途切れにそれを呼び出した。
「recode……forte」
途端、ニーアを通したマナが吹き出し、その全てがウィルの背中へと注がれていく。
ウィルは背中を仰け反らせ、うめき声をあげるもののそれも最初だけだった。
「コード解除申請を確認。受理。緊急起動、許可。コード【リベリア】、人格データベース【ウィル】とのシンクロを確認。人格データの消去不可。オーバライドへ移行。確認プロセス12まで省略。限定展開から常時展開へと権限移行」
ウィルの口から出てきている言葉は、ウィルのそれではないことは誰が聞いてもわかった。
人間味のない口調は、遺跡での無機質な音声。リヴァイアスとの戦いにおいてパージを実行した音声と類似していた。
淡々と台本を読み上げるようにただ述べていく。
「ダメ、ダメ……」
唄を強制的に紡がれているニーアはそれに抗うために別の唄を紡ぐ。優しく静かな清らかな調べ。
「させないわ」
しかし、セラが一際強く、激しく唄を紡ぐ。
引っ張られるようにニーアの唄は強制的にセラの唄へと同調していく。
見守るだけのユーリ達には本人達の心情など伝わらず、その慟哭にも似た攻撃的な二人の唄に聴き入ってしまっていた。
「プロセス確認。最終コードの実行待ち……承認。コード フォルテ・リベリア表層へ展開します」
マナの輝きがウィルに全て入り込んだのと同時に訪れた束の間の静けさが異様だった。
ニーアは崩れ落ち、メレネイアが支える。
皆、ニーアの元へと集まり、目の前で微動だにせず膝をついたままのウィルの様子を見る。
「皆、レイと一緒に下がってくれ……」
それはウィルの声だった。
「ウィルさん!!」
オルキスがウィルであることに安心し駆け寄ろうとする。
「来るな! ここは任せてくれ。視界に入るな……じゃないとーー」
「ーー消してしまいそうだ」
左の背中から蒼が噴き出す。
蒼の片翼が広がっていく。
メレネイアはその瞬間に判断した。長年の経験から条件反射に結びついた判断が、この場は危険だと警告した。
すぐに両手で創った力場でその場の全員を後方へ無理矢理飛ばし、もう一つの力場を創り全員を受け止めて自らもレインシエルを抱えて下がった。
ユグドラウスの元へと飛んだ他は何が起きているかまったく検討もつかない。
そしてユグドラウスとオルティ、キャスの他にもう一人いることにも理解が回らなかった。
「マナはウィルの物か。随分同調したらしい。そのマナもろとも奪い取らせてもらう」
ナルガは息を整え、目の前のウィルに向け両手で剣を構える。
ウィルとは反対側、右の背から緋が吹き出し六本の緋剣が出現する。
「ナルガ。我が宿主の願いにより、貴様をマナの奔流へと返してやろう。その力は我の物だということを忘れるな」
ウィルの左の背から噴き出す蒼は収束していき剣を形作る。
蒼い六本の剣が羽を広げた。
そして元々のウィルの剣を両手に構える。
ニーアは涙をこらえる事ができなかった。
唄を奏でながら気づいてしまった。
「ウィル兄が……いなくなった」
遠くで見守っている仲間達はその光景に驚愕を隠せなかった。
「あのマナの量は……ウィルさんの保有量はごく僅かのはず」
メレネイアは空気に流れてくる威圧とマナの圧力に驚いていた。
実際、インフィニティアの起動しかできないほどしかない。
ニーアの唄によって流れ込んでいるものの、それだけではなかった。
「フォルテ・リベリアの制御に大半のマナを使っていたからだ。あいつが表に出た今、制御する必要がなくなったってこと」
覚えのある声にメレネイアは振り返る。
「ルイ……! あなたいつから!」
「ちょっと前にな」
飄々とした態度にメレネイアは歯を食いしばり、思い切りルイノルドの右頬を平手打ちした。
「あなた……知っていたんですか! ウィルさんがああなることも! いや、あなたの計画だったんじゃないんですか! ウィルさんも壊し、レイも死んだ結果、何を求めているんですか!」
首をもたげたままルイノルドは動かない。
その痛みを噛みしめるようにゆっくりと顔を戻していく。
ウィルと同じ瞳がメレネイアをじっと見つめていた。
「お母さんは知っていたの?」
そのやりとりを眺めていたオルキスはもう一人の関係者、オルティにおそるおそる目を向ける。
そうではないと信じていたが、ゆっくりと頷くオルティに愕然とし立ち上がる気力をなくした。
「あなた達は……いつからそんな薄情になったのですか! 知っていてなおその態度なら私があなた達を殺す!」
メレネイアは枯れてしまった充血した目に殺意を込め、グローブを構える。
「はい。ストップ、落ち着いて。まず大きな勘違いをしているんだよ」
一触即発の雰囲気を止めたのはユグドラウスだった。
顔色一つ変えず、むしろ呆れ顔を浮かべる彼にメレネイアは構えを解いた。
「どういうことです? あなたも敵ですか?」
メレネイアはユグドラウスに敵意を向けた。
「ああ、もう。そうじゃないって。君の娘! レインシエルは死んでなんかないんだよ!」
ぼさぼさの髪をかき余計に暴れた髪で大きな勘違いを告げる。
「……生きて?」
その言葉を最初受け入れることができなかった。
だが敵意は一瞬にして霧散した。
その様子に安心したのかユグドラウスはすとんと肩を落とす。
「そう。この空間ではまず誰も死なない。死ねないんだ。いや死の定義が細胞活動の停止だとすると時間の問題なんだけど。とにかく彼女はまだ死んでいない。これは事実だ。現に彼女からアラストルマナが出ていないからね。ああ、なんて言ったっけ?」
「魂」
ルイノルドが一言だけ返す。
「そう、魂! そう言った方がイメージできるだろ? この空間にいる限りはまだやりようがある! だから手を下ろしてくれないか」
「……まだ助かると?」
「そうだよ!」
必死に訴えるユグドラウスの言葉が通じたのか、ようやく完全にメレネイアは腕を下ろした。
まだなんとかなる。
雲を掴むような希望ではあったが、それが希望には変わりない。
ただそれに縋るしかこの状況を好転など望みようがなかった。