107話 事実と現実
オルキスの両親の表情は険しく焦りが出ていた。
二人とも同じ分厚い灰色のローブが波打つ。
母、オルティ・クリスティアはオルキスよりも濃い紫の長髪が一緒になびき立ち尽くすユグドラウスへと向かっていた。
「キャス! 早く!」
オルティにキャスと呼ばれた優しい顔立ちの短髪の男性は汗を滲ませオルティに続いた。
「お母さん、お父さん!」
オルティは溢れだした涙をそのままに両親へと叫ぶ、しかし、その声は届いていないようだった。
「再生だから聞こえないよ」
ユグドラウスはそう言って移動すると元の場所にユグドラウスがもう一人残った。
それが過去のユグドラウスということだろう。
十年経ったにも関わらず顔立ちも姿も一切変わっていなかった。
「これはこれはそんなに急がなくても外界に影響ないよ」
涼しい顔で過去のユグドラウスは二人を迎える。
「始祖マグナの書にあったユグドラシルの扉はここなのか!?」
オルティはそれでも落ち着くことなくユグドラシルに向かい合う。
「いかにも。どうやら僕ではなくユグドラシルの方が目的のようだね」
「ああ! 今、塔の下に緊急度の高い患者がいる! エリクサーが必要だ! ここに素材があると記述があった。あなたがユグドラウスならばその道を示していただきたい!」
オルティは息継ぎも忘れ、矢継ぎ早に用件を言い渡す。
せき込むオルティにキャスは背中をさする。
「ふむ。マグナか懐かしいな。いや客観的にはそうでもないか。あの子のヒントだけでここにたどり着いたんだ、協力は惜しまないよ」
「本当か!? 話が早くて助かる!」
オルティは顔を上げる。希望が繋がったと顔を綻ばせる。
「ただ何度も入ることは不可能だよ。具現化したマナを取り出すことはあの場を不安定にさせる。一度でそれなりに素材を取るか、まあ2、3度が限界かな。それと目的意識を失わないことだ。マナ達の防衛機能をかいくぐるんだからね。それほどマナ達にとっては君たちのような外部存在の介入は排除対象だからね」
「わかったから早くしてくれ!」
「だから急いでも外界には影響しないと、まあいいや。どうぞ」
ユグドラウスは話を急ぐオルティにめんどくさそうに頭をかく。
そして指を横に撫でる。
『ポータルよりユグドラシルへの連結を承認します。状態安定』
音声の後、突如として草花の空間に巨大な扉が出現する。
青々と茂った巨大な木が描かれた扉に怖じ気付くことなくオルティは扉を押し開ける。
「キャス、行こう」
「分かってるよ」
二人は扉の先へ進んでいく。
光に満ちた先はこの場からでは中を伺うことはできなかった。
『参照データを切り替えます』
再びノイズが入る。
映像がぶれて切り替わったことを認識させた。
「ルイ! これで治すからな!」
ユグドラウスの前でダーナスはひざまづいていた。
その前には横たわる男がいた。
それはキャスではない。
「親父……」
ウィルは思わず近くへ駆け寄る。
ルイノルドの状態に勢いが削がれる。
「お父さん!」
ニーアが駆け寄ってきてそれを目にする。
ウィルは隠すこともできずただ見下ろしていた。
それはただの怪我ではなかった。
右腕、左足は既に無く、血が吹き出すはずの傷口は黒く染まっており瓦礫が徐々に崩れていくように黒が広がって行っていた。
まるで分解されているようだった。
「言っておくけどもう場を保持するほどのマナがない。後は君の力次第だね」
ユグドラシルの扉は砂のように上からかき消えていった。
オルティは大粒の涙をこぼしながら錬成を開始する。
「君の夫は、そうか。帰って来れなかったか」
ユグドラウスは残念そうな感じは微塵もなく消えていった扉を眺めていた。
その場にいるのはユグドラウスとオルティ、そしてルイノルドだけだった。
それが何を意味しているのか嫌でもわかりオルキスはオルティの横で崩れ落ちる。
寄り添ったダーナスの胸で憚らず泣き声を漏らし続けていた。
「キャスとお前の命をと捧げてくれた同志を裏切るな、裏切らせたりしない!」
オルティは荷物から錬成用の台座を取り出す。それはオルキスのアトリエにある台座と同じものだった。
そしてすぐにマナを注ぎ込み水球を作りだし素材を入れていく。
「世界樹の樹液は創世の泉水と共に先に混ぜ込んだものを、神世のかけらで反応を促進させる……よし」
オルティの錬成が始まるとオルキスは鼻と目を赤くしながらも隣で見逃さないようにと凝視していた。
「マナクリスタルで一旦錬成を開始、完全分解でプロセスを止める……焦るな。見極めろ……」
水球の中の素材が高速で回転し、赤い光が水球から漏れ出す。
大量のマナをそそぎ込んでいるようでオルティの膝が崩れそうになるがなんとか持ちこたえる。
にわかに水球全体が赤く光を灯す。
「よし、オーロラ調合液で反応を纏める。キャスの作ってくれた台座なら大丈夫、大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように頷きながら虹色の液体の入ったガラス管を台座の受け口に差し込む。
勢いよく吸い込まれると虹色が水球を回り始める。
虹は赤を押さえ込むように凝縮していく、水球は元の透明の水と虹色の球体へと分かれた。
「頼む。持ってくれ……」
水球は形を保ちきれなくなり泡立ちと共に床へとこぼれ始めていた。
「ーーこれで!!」
オルティが言い放つと同時に水球が急に萎むと飛散し水蒸気の煙が立ちこめた。
煙がはれるとオルティは手に何かを掴む。
そしてそれを確かめるように光に当てる。
角度によって七色に映える瞳ほどの石をオルティは頷くと握りしめる。
「これなら……!」
すぐにオルティはルイノルドの元へ跪き、胸に石を置く。
「ルイ! 起きろ! ミディエラがいないんだ! お前のマナと同調させるにはお前が自分で受け入れるしかない!」
「……なんだよ。今あいつらと遊んでたところなんだが」
呼びかけにルイノルドはうっすらと瞼を上げ、オルティへ顔を向ける。
「うるさい! 呆けてる場合じゃないんだ。皆、お前のために命を捧げた! 夢は終わりだ!」
オルティの言葉にようやく現実だと認識したのか目線だけで周りを伺う。
「そうか、どおりでキャスが起こしに来たわけか」
その場にいないもう一人のことをルイノルドが呟いた途端、オルティは涙を溢れさせ胸の石に跳ねる。
「わかった。後は俺だな……」
左腕を重そうに動かし石を掴む。
その瞬間、石は七色の光に輝き、やがて蒼へと変わる。
蒼の光はルイノルドを囲むように展開し術式が目まぐるしく変わっていく。
「よくぞ完成させた。マグナ以来の錬成士だよ、いやそれ以上だ」
ユグドラウスは蒼の光に顔を照らしながらオルティに賞賛の言葉を与えた。
術式の隙間から見えるルイノルドの体から黒が分解していき蒼の光が元あった腕、足を形どっていく。
欠損部分から蒼が消えていき肉が再生していく。
「再生じゃない、構築式……」
オルキスは術式の内容までも頭に叩き込んで行く最中、再生ではなく再構築に近いことに気づく。
蒼は収束し輝きが収まっていく。
ピキッ
亀裂が入る音が聞こえるとルイノルドの手の中に合った石が砕け粉々に空へと舞い上がっていった。
「ルイ……?」
動かないルイノルドに不安を募らせ顔を覗き込む。
ただ反応がない。
「失敗したのか……?」
オルティの拳が力なく開かれる。
「起きろよ! 親父!!」
「お父さん!」
聞こえていないのは分かっていたがウィルとニーアはたまらず呼びかける。
「うっせえな、聞こえてんよ、ウィル、ニーア」
鬱陶しそうにルイノルドは目を開ける。
その目線はウィルとニーアを捉えていた。
「ん? 気のせいか、あいつらがいたと思ったんだが」
ルイノルドの焦点は定まるところがなく空へと抜けていた。
一瞬、届いたかと思ったがどうやら偶然のようでそれからは何も無かったかのようにルイノルドは体を起こした。
「よう、迷惑かけたな」
ルイノルドは右腕を上げて挨拶のようにオルティに声をかける。
「ふざけるな、この馬鹿が! 本当に、本当に良かった……」
オルティは振り上げた手をぺたりと床に落とし、しばらく泣き続けた。
「……キャス、皆、預かった命だ。無駄にしねえからな。俺の息子が繋ぐからよ。シアが抜けられたと信じるしかねえ」
『再生終了』
その声と同時にノイズが走り今までの出来事が嘘のように草花だけが広がった。
壮絶と突如戻ってきた静けさに誰も口を開くことができなかった。
ただそれが現実で事実なのだと重くのしかかっていた。