105話 巨木の根元
それでも道中は魔物との遭遇はあり、ゴブリンロードのような特異なものはおらず、向かってくる敵は容赦なくウィルの剣で裂かれる。
ユーリはもちろん誰も当初のようなふざけた会話はなく、事務的に指示だけが飛び交う。
やがて光が前方に差し、洞窟の終わりが見えた。
心情的にも解放されると心が幾分和らぐのだった。
「やっと抜けられたか」
ダーナスは洞窟を抜け、久しぶりの太陽の暖かみに体を当てる。
続いて出た他も汗で冷たくなった体を暖め直す。
だが太陽は歩く内にすぐ隠れた。
比較にならないほど背が高い木々が立ち並び木漏れ日となって光が揺れる。
葉はまだ緑色で洞窟前の赤は見えなかった。
隔絶された場所ののようにも感じられる。
「暖かいな」
ウィルは先を歩きながら冬を前にした季節とは思えず、どちらかというと夏の終わりに近かった。
魔物の姿も見えずたまに前方から吹き抜ける風が葉を揺らし小気味よい擦れる音が奏でられていた。
肌を露出させた土の道が一本前方に伸びていて、迷うことなくその道を導かれるように歩き続ける。
空は木々に覆われ色を伺うことはできなかったが、日がまるで歩きと合わせるかのように傾きを早めていった。
「あれか……」
道を進んでいくと開いた空間に現れたのは、緑に覆われた天へと上る建物が見えた。
塔というよりも大木のイメージが大きく、崩れかけた壁を太い枝が支えるように巻き付いていた。
ウィル達はそこでようやく気づく。
太陽が既に地平線近くまで落ちていることと周りの木々が季節を合わせるかのように赤く色づき、空が黄色がかった緑に彩られていることに。
思わず通ってきた道を振り返ると、途中緑だった風景すべてが赤や黄に色づいていた。
「どういう仕掛けなんだ?」
意味が分からずウィルは困惑する。
瞼を閉じ、ディアヴァロと会話していたニーアは口を開く。
「ユグドラウスの結界空間だって。奴は研究熱心だったからって?」
たまにディアヴァロは引っかかる言い方をする。
それが何か具体的に出てこず質問を返すまでではなくウィルは釈然としないながらも塔へと向かう。
まるで思い出を語るようだった。
「別空間を作る結界なんて聞いたことありません。認識阻害とも違うみたいですけど、ユグドラシルの存在も具体的に考えられますね」
オルキスはニーアの言葉、もといディアヴァロの言葉からユグドラシルとの関連性を連想させ希望を抱いた。
オルキスの言葉に今一度目的を改めてウィルは認識する。
少し抜けていたことに反省した。
「どうも他に立ち入った者がいるような跡はありませんね。まあこの空間では確かなことはいえませんが」
ユーリは足跡も落ち葉を踏み鳴らした跡もない様子に他者の存在がいないことを確認するが、時間が変わるように景色が変わる空間ではそれも確からしいことでもなかった。
大木の根本に開いた空間に扉が見えた。
大木なのか塔なのかどちらが主なのか計りかねるほど今まで見てきた塔や遺跡とは様相が異なっていた。
「とにかく開けるよ」
例によってニーアが扉に手を翳しマナを注ぐ。
他の遺跡と同じく光が扉に走ると扉は想像された音もなく静かに地面へと潜り込んでいった。
「さて行きますか」
扉の先は外の明るさで暗く見えたが、中に入り見上げるとウィルは言葉を失った。
その様子に皆急ぎ後に続く。
「これは……一体」
メレネイアは記憶と違う内部に理解が追いつかなかった。
所々で崩れた壁から外の光が射し込み、枝が内部まで張り付いていた。
その穴から入り込んで来たのか、小鳥の群が塔をくるくると飛び回っていた。
一言で言えば、廃墟だった。
「私たちの時は外面もそうでしたがまだ塔として口にできるほどでしたが、これは本当に廃墟のようですね……」
思わず口にせざるを得ないほど内部は寂れていた。
どれほどの時が立てばここまで木に浸食されるのか想像もできなかった。
木の一部と言っても良いだろう。
「ニーア、本当に大丈夫なのかここ?」
「うーん。ディアヴァロもあいつのことはよくわからんって。とりあえず上に管理者エリアがあると思うからその昇降機を探さないと」
「なんだよそれ。でもそんな装置もなさそうだぞ」
見渡す限りあるのはこけ蒸した岩、よくよく見てみると上から落ちてきたのだろうか塔の材質と同じ壁の一部のように見えた。
その上で小鳥が囀りを奏でていた。
「ぷるる!」
途方に暮れているといつからそうしていたのかプルルがオルキスのリュックの中から身をよじらせ飛び上がる。
塔の中心に跳ねながら居座ると真っ黒な口を開け見たことのある物体を吐き出す。
「あ、お前、パクってきたのか!」
ウィルはそれを見て叱る。
クロム遺跡にあった小箱が床に転がる。
「ぷるるる!」
まるで違うというように体を左右に振る。
そして何故かもう一度咥え、頬を膨らませると空中に吐き出した。
また落ちるのかと思ったが小箱は宙で止まり、クロム遺跡での出来事のように光の亀裂が弾ける。
「ぷるるう!」
プルルの声に呼応するように小箱から放たれた光が塔の中心の床を照らす。
光の中心に揺らぎながら透明の輪郭だけが浮かび上がった。
それは台座の輪郭を現していた。
「これは興味深い」
スイッチが入ったようにユーリは食い入る。
「ぷるっぷる!」
プルルは目線と体を使ってニーアに行けと促してるようだ。
「分かったよ」
必死な様子のプルルの意図が通じたのかニーアはその輪郭に手を添え、マナをそそぎ込む。
輪郭に沿ってマナの光が通っていき台座は元からそこにあったかのように姿を現した。
「プルル、お前なんなんだ?」
「ぷる?」
ウィルの問いかけにとぼける仕草をしてウィルの肩へと飛び乗り様子を共に見守った。
問いつめようという気が起きた変化によって削がれた。
『キーによる認証、管理者ユーザー、ニーアを確認。ようこそ』
今度は男性の音声だった。
他と違い多少は抑揚と歓迎を感じられたのが意外だった。
『位相空間解除、安全のため台座の周辺での待機を願います』
その瞬間、鳥が一斉に飛び立つ。
ウィル達はニーアの側に寄り成り行きを待つと台座を中心に周りの景色が歪んでいく。
苔むして朽ちた壁が歪み、妙な浮遊感が襲う。
景色がめまぐるしく変わっていく。速度が増すように周囲が光の線だけとなる。
内蔵が浮く感覚に気持ち悪さがこみ上げてくる頃、ようやくそれは収まった。
『転移完了。展開率100%。中和空間を解除。強い光にご注意ください』
その注意を理解するよりも早く光が炸裂する。
「う……」
唐突な光に顔を背け、それでも視界は白く染まる。
やがて落ち着いてきた頃ようやく目を開けた。
『……プログラムエラーなし。お疲れ様でした。ようこそユグドラウスの塔へ』
完了を報告した声にウィルは周りを見渡す。
鼻孔を花の香りがくすぐったがこみ上げた酸っぱいものにかき消される。
「うえええ」
耐えられなかったのはラプタだった。
皆に背を向け気持ち悪さを吐き出していた。
「なんだここ?」
それを気にしないようにしながら改めて周囲を確認する。
ウィル達は二度言葉を失った。
そこは寂れた塔ではなく陽光に照らされる草花が広がり風にたゆたうただっぴろい世界だった。