104話 それは覚悟か迷いか
横に振られようとする丸太棍棒はそれだけで全員を巻き込むのは安易に想像できた。
「動く前にっ」
ウィルがいち早く飛び込む。
振り抜かれる前に棍棒を持つ右手を止めるためだ。
懐へ容易に入り込むことができた。
右肩へ突き刺そうと跳躍し剣を突き立てる。
「うお……!」
剣は刺さるものの肉を貫くことはできず強靱な筋肉によって薄皮一枚で弾かれた。
地面に降り立つウィルの肩にレインシエルの足が乗り踏み台の如く跳躍し、一対の短剣を振るうがそれでも勢いを止めることは叶わなかった。
「ふっ!」
メレネイアがゴブリンを巻き込みながら目前に迫る棍棒にむけてグローブで殴る仕草をする。
不可視の力場が棍棒に衝突し逆方向に跳ね上がる。
バランスを崩しゴブリンロードはよろける。
「筋肉に守られているならーー膝の裏を!」
オルキスが攻撃を受け付けない様子を観察しそれならばと指示を飛ばす。
返事はせずすぐさまレインシエルは足元へ回る。
それを防ぎにくるゴブリンをティアがなぎ倒し確保する。
喜々と声を上げるティアには誰も突っ込む余裕などない。
そして、レインシエルの短剣は巨体を支える左足の膝裏に突き刺さる。
「グギィ……!」
くぐもった悲鳴が轟く。
「入った! わっーー」
痛みからかゴブリンロードは乱暴に足を振りレインシエルを弾き飛ばす。
直撃ではないものの吹き飛んだレインシエルはオルキス達の元まで戻された。
二本の短剣が突き刺さったままで巨体は暴れ、さらにバランスを崩しゴブリンを背中でつぶしながら仰向けに倒れ込む。
それを好機とウィルは跳躍しゴブリンロードの顔面めがけて剣を逆手に体重を乗せた一撃を突き刺そうと迫る。
「死ね、ーー!」
ニーアの唄は聞こえない。だが剣に蒼が滲みでる。
死を宣告が自分から出たことに信じられなかった。
そして、ゴブリンロードの瞳に映る自分の狂気、なによりその巨体に似つかわしくない負けを認め懇願する表情に。
「はあ、はあ……」
その刃はゴブリンロードの眼前で留められた。
何故止まったのかウィルには分からなかった。
ウィルは息を切らしながら巨体から下りる。
「ウィル兄……?」
遠目からでもわかるただならない雰囲気にニーアは様子を伺う。
forteを唄っていないにも関わらず蒼がにじみ出たことも気になった。
「俺は……なんで……」
考えがまとまらない内にゴブリンロードは身をよじり立ち上がる。
レインシエルの双剣は金属音をたてて地面に落ちた。
とどめを刺そうとユーリが迫る。
「待て!」
ウィルは思わず制止させ、ユーリはぴたりと動きを止め、不思議そうに首を捻りウィルを眺める。
その間にもゴブリンロードは棍棒を握る。
だがそれが再び振られることはなかった。
「グギ……」
ウィルを見下ろす表情は掴めないが、既に敵意はなく足をかばいながら奥へと下がっていった。
「信じられない。魔物が大人しく引き下がるなんて……まるで……」
ラプタは続く言葉が出なかった。
魔物は今までただの狂暴な生物だという認識があった。
まるで普通の動物、しかもゴブリンロードには恐怖からではなく、負けを認め下がったように感じられた。
「ウィルさん、言いたくはないですがそれはーー」
「分かってるよ! 甘いってんだろ。別に迷ったわけじゃない。殺す時は殺す。ただあいつは負けを認めたんだ。そんな奴を殺す理由がないだろ」
ウィルはユーリに目を合わせることはなかった。
ユーリは分かりましたとだけ伝え、風が抜けてきているゴブリンロードとは逆の道を歩き始めた。
ウィルは自分でも分かっていた。
散々ゴブリンを殺したくせに剣を止める矛盾を孕んだ自分本位の行動に。
ただそれでもあの瞳に映った自分が自分ではなくナルガのような命を軽々しく扱う人間と重なり、そうはなりたくないと、あいつとは違うと証明したかった。ただただそれだけだった。
「ウィル兄、私はそれでいいと思うよ。ウィル兄だもん」
ニーアがかけた言葉にそれが気遣いであったとしても少し救われた気がした。
どこかでゴブリンロードのように自分だったら引く判断ができるのだろうかと考えるがそれを押し込み先へと進んだ。
そうならないように戦おう、負けを認めた奴は殺さない。それでも戦うならそれまでだ。
その線引きが困難だということにウィルは気づかない。
その朧気な紐は既に解れていることに気づかない。
それが魔物で通用してもより狡猾な人間で通用する訳がない。
彼はそれが幻想だとただの願いだと身を持って知ることになる。